3. まちづくりの原点
(1) どこのまちでも出来るのか?
UNDER35への参加で刺激を受け、意気揚々と地元単組に凱旋し、早速同様の取り組みを! と考えたのだが、そこでひとつの疑問が生じた。果たして同じ取り組みが自分のまちでも出来るのか? UNDER35で、地元の鯖江市長が講演をされたのだが、その際、このプロジェクトに賭けた熱い思いを話された。少なからず、市の予算も投入されている以上、議会で予算の審議もされる。結果が不透明な事業に対して、議会の反応は当然のように良くはない。地方自治体は、費用対効果というものをやたらと気にする傾向がある。もちろん、公的なお金を投入する以上、それを度返視することが出来ないことは重々承知しているが、そこにばかり気を取られると新たなものは生まれない。過去に何度もやって来たようなまちづくりとたいして変わらぬ結果になることはなんとなく分かっている。それが、どこの地方自治体でもやって来た似たり寄ったりのまちづくりの結果ではないだろうか。鯖江市には、そんな状況を打開するための、市としての熱い思いと首長による強力なバックアップがあったという環境が揃っていた。果たして自分のまちでも同じような取り組みが出来るのか?
(2) 出来るのか? ではなくとりあえずやってみる
結論として、土地風土や市としての方向性などいろいろな環境を考えると、鯖江市と同じ取り組みをすることはかなり難しいと思われる。ただ、そのまま「うちのまちでは無理だよね」の一言で片付けてしまえば簡単だが、それではUNDER35に参加した意味も無く、今までと同じ結果になる。そこで"出来るのか?"ではなく"とりあえずやってみる"。この"とりあえず"が「ゆるプロ」の"ゆるい"の部分。結果は分からないが、"とりあえず"やってみることこそが実は非常に重要なことなのではないか。結果は後から付いて来るものであり、結果が見えていること、結果を導くことは革変的な成果をもたらさない。失敗を恐れては新しいことは作れない。考えてみれば、ごくごく普通で当たり前のことだが、公務員という立場にいると、この普通で当たり前のことが分からなくなっている。いや、分かっていても新しい何かを生み出すことを避け、なんとなくぼんやりと上手に渡っていこうとしているのかもしれない。
まちづくりの原点とはどこにあるのか? まちづくりには大きく分けてふたつの柱があると考える。ひとつは、地域で過去から脈々と受け継がれてきたことを、地域の宝として未来永劫守り続けること。そしてもうひとつは、今までなかった風を入れ、新たな地域の宝を作っていくこと。分かり易く言うならば、前者は守備で後者は攻撃。守備はどこの自治体でも取り組んでいるだろう。しかし、攻撃に関してはどうだろう。攻撃するふりをして、確実性を求める送りバントばかりしているのではないか? 確実性を求めて送りバントばかりしても、失敗して三振にもフライにもなる。下手をするとダブルプレーになることだってある。そんな"送りバント失敗"の場面を過去に何度も目にした記憶がある。確実性を求める送りバントは攻撃ではなく、どちらかと言えば守備なのかもしれない。
(3) 思い切りバットを振ってみよう
前段で述べたとおり、地方自治体はバントは得意だが、思い切りバットを振ることには躊躇を覚えることが多い気がする。思い切りバットを振るということは、もちろん空振りをするリスクを背負っている。しかし、リスクを背負わずして、革新的なまちづくりは行えないのではないか? 1球目を空振りしても2球目でバットに当てればいいのではないか? 三振しても次の打席でヒットを打てばいいのではないか? そう考えた時、少し気が楽になれた気がする。三振した経験があるからこそ、ヒットが打てる、失敗したからこそ、成功のヒントが見つかることもあるのではないだろうか。ここでひとつ言っておかなければならないのは、私は決して送りバントを否定している訳ではない。公金を投入して予算を使う以上、当然、地方自治体は目に見える結果を求められる。ただ、そこばかりを気にすると、似たり寄ったりのまちづくりしか出来ない。新しいものを造り出すには、それなりのリスクを背負う覚悟をしなければならないのだ。
その点から言えば、鯖江市の取り組みは他市に例を見ない非常に革新的な取り組みであり、成功事例といえるだろう。
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