【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第9分科会 QOD(Quality of Death)を迎えるために ~地域でできること~ |
東日本大震災及び東京電力(株)福島第一原発事故から5年が経過しました。大地震、大津波の被害に加え、人災とも言える原発事故により受けた影響について、発災から今日に至るまでの南相馬市立総合病院における地域の現状を踏まえて報告します。 |
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1. はじめに
私たちの住んでいる南相馬市は、2006年1月1日に旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の三市町が合併して誕生しました。福島県でも太平洋沿岸の北部に位置します。面積は、398.58キロ平方メートルあり、冬季は降雪量もあまり多くなく、夏も涼しく過ごしやすい所です。
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2. 震災前の医療環境 合併前から旧各市町には医療の中心となる病院があり、旧原町市には、原町市立病院、旧小高町には小高町立病院、旧鹿島町には鹿島厚生病院があり、合併時に原町市立病院と小高町立病院は、南相馬市立総合病院、南相馬市立小高病院という形になりました。震災前の南相馬市立総合病院は、病床数230人、職員数237人、医師は14人、その他に外部委託の方が勤務していました。
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3. 東日本大震災及び東京電力(株)福島第一原発事故 2011年3月11日14時46分東日本大震災が発生し、南相馬市では、震度6弱の揺れを観測しました。地震のおよそ45分後に8.6メートルを超える津波が南相馬市を襲いました。遡上高は20.6メートルに達しました。
次に東京電力(株)福島第一原子力発電所事故のアウトラインについて、記します。
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4. 発災直後から
前項の時系列にあるように3月12日には、福島第一原発1号機の水素爆発が起こり、同日夕方には、同原発から半径20キロメートル圏内に避難指示が出されました。そのことにより、小高病院からの患者受け入れ要請があり、68人の患者が市立総合病院に搬送されましたが、ベッドが無いために講義室に布団を敷いて対応せざるを得ませんでした。
原発から20キロメートル以内の警戒区域内に自宅があり、戻ることが不可能な組合員、津波により家が流失した組合員、車にガソリンがない組合員などは、病院で寝泊まりしていました。職場で寝泊まりしながら、入院患者のケアにあたっていたのです。 |
5. 患者搬送
入院患者の搬送については、200キロメートル以上離れた新潟県の32の病院に92人、福島県内の病院に68人、その他の県に2人、合計162人が搬送されました。 |
6. 患者搬送を終えて
このころ南相馬市の人口は、県内外への避難のため7万1千人から、一時的にではありますが、約1万人に激減しており、車もほとんど通らない閑散とした状態でした。 4月に入り、避難していた職員も少しずつ戻り、4月4日から内科、外科の診察を再開し、夜間救急対応を行うようにしました。これまでいた入院患者が市外避難によりいないため、余剰となった職員の身分の確保が必要となり、市に要望して医療スタッフは県内外の避難所19か所(群馬、栃木、宮城、山形、新潟)、福島県内の避難所7か所での南相馬市民の健康管理や市との連絡に携わりました。その他、資料の配布、物資の整理、避難所の訪問診療、保健センターでの在宅患者の訪問診療、医療コーディネートも病院の業務として行ってきました。 右表は、主な派遣先です。家族と離れて遠くの避難所に勤務するスタッフがほとんどでした。 |
7. 病院機能の回復に向けて
震災当時、市立総合病院以外の病院はほとんど閉鎖していました。南相馬市に戻る市民が増えるにつれ救急搬送される患者が増えてきました。
しかし、72時間を超える入院は認められず、入院して急性期の処置をしてから、福島第一原発から30キロメートル圏外へ搬送せざるを得ない環境であったことから、患者やその家族にとっては不利益な状況が6月20日まで続きました。 6月20日以降、70床の入院稼働の許可が下りましたが、病床の稼働には看護師の数が関連しているため、院外に出向していた看護師を正規の雇用である病院へ戻すこととなりました。 病院機能の回復で大切なことは、言うまでもなく看護師数を回復させることです。南相馬市立総合病院の看護師の数は、震災前129人でしたが、震災後は82人まで減り、8月までに60人の早期退職者が生じ、小高病院でも33人から21人に減少しました。その早期退職理由のほとんどが、原発事故による家族の避難、夫の仕事の都合に関連するものでした。また、9人は、メンタル疾患によるものでした。 早期退職者があった中で、避難所からの帰院、当時閉鎖されていた小高病院の看護師の部署替え、新規・中途採用などで2012年9月には150人の看護師が病院勤務となりました。徐々に看
入院患者数と看護師数及び医師数の動向です。2016年5月16日には、震災後閉鎖していた第4病棟(1フロア36床)が稼働となりましたが、それでも稼働数が震災前に満たない現状となっています。 看護師人員の確保が困難な理由として、南相馬市は収束していない福島第一原発から約23キロメートルという近い場所に位置しており、現在も避難者が多い地域性が原因の一つだと考えられます。若い世代の人が半数近く戻ってきていません。人口構成を見ても、震災前と比べ、この短期間で南相馬市は少子高齢化となっています。現在は帰還住民老年人口が32.9%に達し、年少人口は8.1%となっています。 その高齢者率の高い南相馬市ですが、震災後も介護施設などの設備が回復しておりません。その理由として介護職の労働者が確保できない、また、働きたくても市内において居住場所の確保が困難という理由がほとんどです。そのような背景から、高齢者施設の稼働が困難となっています。 このような地域にある当院は、地域の人のために安心して住める環境の一つとして二次救急までの医療の提供、診療科の整備、内部被ばくの検診などを行っていく必要があると考えます。 現在も3,300戸の仮設住宅があり、病院スタッフ・医師が2か月に1回訪問して健康講座を開いております。女性の参加率は高いものの、男性の参加率が低いため、「男の料理教室」や「男の木工」などの教室も開いています。
赤ちゃんや、未就学児については、ベビースキャンを使用し、血液検査も実施しています。 2017年2月には新たに脳卒中センターが稼働予定となっており、今年8月には外来を開始する予定となっております。病床数は、2フロア100床を予定していますが、看護師が不足しており、施設が完成しても、稼働できるかわからない現状です。現在も雇用年齢の幅を56歳まで拡大し、看護師を40人募集しているところです。 |
8. 働きやすい職場作りのために
スタッフ不足の中での勤務は、文字どおりの激務であり、それを理由に早期退職の道を選ぶ組合員も後を絶ちません。私たちは、早期退職者が出ないよう、働きやすい職場作りをめざして活動しています。 |