1. 「谷間の障害」としての高次脳機能障害
(1) 高次脳機能障害
高次脳機能障害は、脳の損傷によって、記憶障害などを発症し日常生活に困難をきたす障害のことである。高次脳機能障害は、特別な人が発症するように思えるが、不慮の事故のほか、血圧が高めな人、心臓に疾患がある人、喘息がある人など、誰もが高次脳機能障害になる可能性を持っている。
高次脳機能障害の存在はほとんど知られていない。そのことと福祉制度の不備が相まって高次脳機能障害者は「谷間の障害」と呼ばれてきた。
高次脳機能障害とは、病気や交通事故などの原因によって脳に損傷をきたしたために生ずる、言語能力や記憶能力、思考能力、空間認知能力などの認知機能や精神機能の障害のことである。日常生活面では、例えば、今朝の朝食の内容が思い出せなくなった(記憶障害)、仕事に集中できなくなった(注意障害)、計画が立てられなくなった(遂行機能障害)、言葉が上手に話せなくなった(失語症)、人の話が理解できなくなった(失語症)、はさみの使い方が分からなくなった(失行症)、道に迷うようになった(地誌的障害)、左側にあるおかずが目にとまらず残してしまうようになった(左半側空間無視)など、様々な症状がみられる。
高次脳機能障害の原因となるものは、脳卒中などの脳血管性障害、交通事故、労働災害などによる脳外傷、脳腫瘍、低酸素脳症、脳炎などである。
脳卒中などの脳血管性障害は中高年の発症が多くを占めるため、高次脳機能障害者も中高年層が多くを占める。児童や若年層の高次脳機能障害の原因には、交通事故によるもの、プールなどの事故や重篤なぜんそく発作などによる低酸素脳症からくるものがみられる。
高次脳機能障害は「谷間の障害」と言われてきた。それは、高次脳機能障害では、身体障害者福祉手帳、精神保健福祉手帳が取得できなかったことから、障害福祉サービスが利用できなかったためである。わが国の障害福祉制度は、手帳を基本にして成立している。手帳がない場合には福祉サービスが利用できない。
脳卒中などにより高次脳機能障害を発症したとしても、身体に麻痺が伴わない場合には、身体障害者福祉手帳の対象にならない。身体に麻痺がある場合には、麻痺の部分が、身体障害者福祉手帳の対象とされるが、高次脳機能障害の部分は対象にならない。現在は、高次脳機能障害は、精神保健福祉手帳の対象となっており、身体に麻痺がない高次脳機能障害者であっても、精神保健福祉手帳を取得することが可能になった(注1)。
「日本脳外傷友の会(注2)」などの障害当事者や家族によるリハビリテーションや生活支援を求める運動などにより高次脳機能障害に関する社会的関心が高まり、国はようやく重い腰を上げ、高次脳機能障害者に係る制度の整備が始まった。
2001年から2005年にかけて、国立障害者リハビリテーションセンターと高次脳機能障害者支援に取り組んでいる全国の病院が連携して、「高次脳機能障害支援モデル事業」が開始された。モデル事業の総括の中から、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害を主たる要因として、日常生活及び社会生活への適応に困難を有する人々が存在することが明らかとなった。診断やリハビリテーションの不備、それに社会資源サービスの基準になる障害者手帳の認定に該当しないケースを補うため、これまでの医学的・学術的定義としての高次脳機能障害とは別に、行政的に「高次脳機能障害」を定義し、「高次脳機能障害 診断基準(注3)」が作成された。
2006年からは、「高次脳機能障害支援普及事業」が開始され、都道府県に支援拠点を置き、高次脳機能障害者に対する専門的支援や地域支援のネットワーク形成などが取り組まれてきた。
東京都においては、東京都心身障害者福祉センターが支援拠点となり、都内区市町村に、高次脳機能障害者相談支援事業の普及を行ってきた。
葛飾区では、2005年から地域福祉・障害者センター(以下、障害者センターとする。)において、身体障害者福祉手帳をもたない高次脳機能障害者を対象に週1回の集まり(居場所づくり)を開始した。2013年度からは、障害者総合支援法(注4)に基づく、高次脳機能障害を対象とした機能訓練事業、生活訓練事業を実施している。
高次脳機能障害者は、福祉系のサービスとしては、介護保険と障害福祉サービスが利用できる。地域における、高次脳機能障害者支援に係る社会資源は未整備であり、その意味では高次脳機能障害は現在においても「谷間の障害」である。
(2) 失語症
失語症は、高次脳機能障害の一つである。脳の損傷によりことばの能力に障害が残った状態を言う。失語症になると話しことばだけでなく、聞く、話す、読む、書く、数や計算に関して全部または部分的に障害される。
高次脳機能障害のなかでは、失語症だけは言語障害として身体障害者福祉手帳の対象になっている。
医療機関では失語症者を対象にした言語リハビリテーションが実施されているが、障害福祉、介護の分野では、言語リハビリテーションに取り組んでいるところは限られている。
失語症者の自主的団体として全国各地に「失語症の会(注5)」が組織されている。葛飾でも「友の会」が活動をしていたが、メンバーの高齢化のため解散することになった。「友の会」にかわって、失語症者が自主的に集まる場をつくることを目的にして毎月第2土曜に「失語症の会」を開いている。リーダーになってくれるような人がいない場合、会の自主的な運営は難しい。
失語症のあることは外見からはわからないことが多い。また、失語症についての理解は、社会の中に広がっているとは言えない。声が出ない失声症と混同されて理解されることも多い。失語症者は、他者とコミュニケーションをとることが難しい。周りにいる人間が失語症であることを理解し、会話ノートを使用することなどによって、コミュニケーションがうまく進むことがある。
失語症者は、高次脳機能障害の人たちとともにグループ活動をしていても、その中でコミュニケーションをとることが難しい場面がある。
失語症の方たちには独自の伝え方・受け方の世界があり、その独自性に配慮した、リハビリの場、働く場が必要である。
(3) 高次脳機能障害児
交通事故などにより高次脳機能障害を発症した児童が存在する。交通事故、部活中の事故による脳外傷、プールなどの事故や重篤な喘息発作による低酸素脳症など原因は様々である。
高次脳機能障害児は、不登校、いじめ、学力低下などの問題に直面し、学校生活や友達関係に順応できずに、苦しんでいる。また家族も家庭内での接し方に悩んでいる。
これまで高次脳機能障害児の問題は表面化してこなかった。交通事故などでは、身体面の回復が主要な課題とされ、脳の外傷による障害は見落とされているためである。
高次脳障害者児の問題は、現在、障害に苦しんでいる子どもの問題と、子ども時代に高次脳機能障害を発症し、さまざまな症状が障害であることに気が付かずに成長した大人の問題でもある。
本人も家族も高次脳機能障害であることに気が付かず、記憶障害に苦しみながら、転職を繰り返し、生活している人がいる。
高次脳機能障害児に対する支援は、特別支援学校などで取り組みが開始されている。また、家族への支援も取り組みも始まったばかりである(注6)。
2. 高次脳機能障害者がかかえる生活の困難
障害者センターを利用する高次脳機能障害者のかかえる生活の困難さについてその一部分を紹介する。
(1) 職場復帰の難しさ
A氏(30代、男性)は、大手の建設会社で現場を管理する仕事をしていた。脳梗塞を発症し、右片麻痺と記憶障害などの高次脳機能障害が残った。歩行は杖歩行が多少できる程度で、移動には車いすを使用していた。休職期間が3年間あった。ある県のリハビリテーションセンターに入所し、訓練を受けた。訓練終了後、車椅子で利用できる社宅をもとめて区内に転居してきたことから、障害者センターの利用が始まった。同時に就労支援機関の就労準備訓練も利用して、復職をめざした。
当初、所属部署の上司などは職場復帰について前向きな態度をとっていた。しかし、復帰が近づくにつれ、会社側の対応が変化してきた。人事担当部署、産業医からは、勤務先まで一人で通勤することができないこと、パソコン入力処理が十分でないなどのことから遂行可能な業務がないこととされ、復職は困難という見解が示された。
A氏は、3年間、職場復帰のために訓練を重ねてきた。A氏の無念を思うと言葉がなかった。このことは実質的な解雇であるが、解雇ではなく自分から退職願を出す形での、「自主的」な「退職」という形で処理された。
「退職」後、配偶者とは離婚し、関西の実家に帰ることになった。主たる介護者は実家の両親になった。
(2) 「病識」がない
B氏(50代、男性)は、新聞社の総務部に勤務していた。脳梗塞を発症し、身体的な麻痺はないが、重い記憶障害などの高次脳機能障害が残った。記憶の保持が難しく、また、外に出ると道に迷ってしまうという地誌的障害があり、介護者がいないと、一人では外出することができなかった。
リハビリテーション病院での訓練を終え、職場復帰をめざして、障害者センターの利用を開始した。障害者センターの利用では、廊下にオレンジ色のテープを貼り、訓練室やトイレまでの道順をわかるようにした。
もう一つ、B氏には高次脳機能障害の特徴的な症状があった。それは、高次脳機能障害に対する「病識」がないことである。
B氏は、自分に高次脳機能障害という障害があることを認識(理解)していなかった。無意識の中に障害のあることを閉じ込めるということではなく、脳の損傷により、障害が認識(理解)できないということである。
発症前の生活や勤務がそのままできると思っていて、会社への復帰もすぐにできると考えていた。
ヘルパーさんの同行で障害者センターに通所しているのにもかかわらず、一人で都心にある会社まで通勤できると言うのであった。パソコンの操作やトイレから訓練室に戻れないなどの、実際に自分にできないことが起きた場面に遭遇しても、記憶障害のため、そのことを忘れてしまう。
しかし、変化は徐々に訪れた。自分の「病気」のことを語りだし、訓練の中での話し合いの中で、リーダー的な役割を引き受けるようになっていった。
B氏が障害の自己認識(理解)に至ったのかどうかはよくわからない。現在のありように折り合いをつけるようになったことは確かなことのように思う。
休職期間の終了が迫り、職場復帰をめざしたが、一人で会社まで通勤できないことが要因となり、会社側から職場復帰は困難と判断された。A氏と同じように「自主的」な「退職」となった。
家庭内での生活では、家族に対して、興奮して大きな声を出してしまうことがあり、配偶者と子どもとは別居することになった。都内の実家に戻り、母親と二人で生活をしている。主たる介護者は80代の母親である。
(3) 職場復帰から2か月で「解雇」
C氏(50代、男性)は、IT関連のソフト開発会社の管理職であった。勤務中に取引先に向かう路上で脳梗塞を発症した。右片麻痺と失語症が高次脳機能障害として残った。
1年6か月の休職期間に会社への復帰をめざして、障害者センターの訓練も同時に行った。
会社は職場復帰を約束し、復帰にあたり、C氏に合わせた業務を用意するということであった。1年間の有期雇用の職員として復帰することになった。しかし、職場復帰して2か月後に退職となった。C氏も「自主的」な「退職」の形をとっている。
C氏からの「退職」のことで相談を受けた。このことは労働者・使用者間の問題であり、障害者センターの福祉職が直接関わることが難しいために、東京都労働局の担当部署に相談し、労使の意見の調整をはかるための斡旋をうけることにした。C氏と会社側の間に入り、双方の言い分を調整するというものである。
C氏は会社側に雇用の継続を求めた。会社側との斡旋の話し合いは数回行われた。
会社側は、C氏が退職についての話し合いを求めたことが業務の妨害にあたることなどを主張した。また「会社に復帰までさせてやったのに」という態度に終始した。
会社側の態度は最後まで変わらず、解雇は撤回できなかった。「退職」後、C氏は配偶者と離婚した。その後、実家に戻ることになった。実家には要介護状態の両親がいる。
C氏は管理職として、長期にわたる長時間残業を強いられていた。脳梗塞の発症は長時間残業との因果関係が疑われる。労働災害の申請はしていない。退職の撤回に関しては、民事訴訟や労働組合に加入しての労働争議という方法もあった。C氏は高次脳機能障害のため判断能力に制約があり、労働災害の申請、訴訟などの行動をとるには、家族などの支援者がいない限りその実行は不可能であった。
(4) 失語症とパニック
D氏(50代、男性)は食品会社に勤務していたが、アルコール依存症となり、退社した。階段から転落し、頭部に外傷を受け、くも膜下出血を発症し、高次脳機能障害(失語症)の後遺症が残った。発症後、妻とは離婚し、3人の子どもとも別居している。その後、実家に戻った。実家では70代の母親が主たる介護者として支援をすることになった。
D氏には、重い失語症がある。相手の言っていることはある程度理解することができるが、自分の気持ちや意思を伝えることが難しい。日常生活に必要なものや動作などのイラストや写真が多数掲載されている「会話ノート」などを使用して、気持ちや意思を伝えることができる。
主たる介護者であり理解者であった母親がお亡くなりになった後から、ショッピングセンターや通院先の病院で「パニック状態」になることがあり、大声を出してしまい、警察に保護されるなどの行動が現れるようになった。自分の気持ちや意思を伝えようとしても、相手に理解されないことがおきると、イライラしてしまい、興奮して、感情のコントロールができなくなってしまうのではないかと考えられる。今後も警察に保護されることが続くようであれば、地域生活自体が難しくなってしまうことが想定される。
(5) 支援者亡き後のこと
障害者センターで出会った高次脳機能障害者のことを紹介した。これらの人々には、「会社を退職していること」「家族と別れて暮らしていること」「実家の親に支援をうけていること」などが共通している。
すべての高次脳機能障害者がこのような道をたどるわけではない。配偶者や子どもの支援を受けている例もたくさんある。しかし、私たちのこれまでの経験の中では、会社に復帰できた人は少ない。職場復帰後に勤務を継続できている人はいない。
湯浅誠氏は、現代日本社会を「すべり台社会」と呼び、生活保障のためのセーフティネットが整備されておらず、いったん、職を失うと、すべり台をすべるようにして、貧困層に行きつくことになると述べている(注7)。
高次脳機能障害があることによって、職を失い、家族と別れ、滑り台社会を滑り落ちていくことになる。
退職により、仕事を失う。再就職ができない場合、所得を得ることができない。 会社員の場合、傷病手当金が給付され、その後障害厚生年金を取得できる可能性がある。それでも障害厚生年金だけで家族を養っていくことは困難である。
家族関係では、高次脳機能障害当事者が稼ぎ手の場合、職業を失うことで、収入がなくなり、配偶者が働きに出る。子どもがいる場合、配偶者は、仕事と子育てと当事者の介護の3つを担うことになるが、身近に支援者がいない限り実行は困難である。仕事と子育てを優先し、当事者との別居や離婚を選択することもありうる。
離婚や別居となった高次脳機能障害者は、実家に戻るなどして、親や親族と同居となる。高次脳機能障害者が実家などに戻って支援を受けることになったとしても、親や親族などの支援者が高齢などの理由によって支援を継続できなくなることもありうる。親や支援者亡き後、誰がどのように高次脳機能障害者の生活支援を継続していくのかが、表面化していないが、大きな課題である。
3. やってきたこと
(1) やってきたこと
障害者センターで高次脳機能障害者支援のために行っている訓練は、認知機能の面に重点を置き、現在もっている認知に係る機能の維持と向上、および代償手段の獲得をめざしている。例えば、記憶障害に対しては、現在の記憶に係る機能を維持し、可能な限りその向上をはかること、それとともに記憶障害などがあっても、仕事や生活が継続できるように、記憶を補うものとして、メモ帳の活用などの代償(代替)手段を獲得することなどに取り組んでいる。
記憶障害に対する取り組みとして次のようなことを行っている。最近の気になった出来事について発表しあう、語り合う。脳トレ、計算、書き取りなどに取り組む。代償手段の獲得として、メモ帳に、その日の予定や、やったことなどを記入する。
遂行機能障害に対するものとしては、調理実習がある。段取りがわかりやすいこと、楽しく取り組めることから調理を活用している。
地誌的障害では、外出訓練を行う。センターを出て、近所のコンビニまで、目印となるものを確認しながら行き、買い物をして帰ってくる。
脳トレーニング、計算、書き取りなどの課題は、繰り返しやっていく中で、成績は向上していく。しかし、そのことと生活が変化することにはすぐには結び付かない。
メモ帳の記入も回数を重ねるごとに実行できるようになる。しかし、メモ帳もただ記入しているだけでは、記憶の代償手段にはならない。メモ帳を絶えず見ながら予定表通り日課を送る、その日に実行すべき課題を実行できるようになることが必要である。
しかし、日常生活の中で、メモ帳を使う場面がなければ、代償手段としての役割は十分に果たしえない。生活の中で使わない。
訓練で行っている内容が生活の場面のなかで生活の改善に結び付いていくことが課題になる。
(2) 家族会との出会い
高次脳機能障害当事者と家族の自主団体である「高次脳機能障害家族会かつしか」は10年前に結成され、当事者や家族からの相談や医療機関などの社会資源の紹介などを行っている。
家族会は来るものはどんな人でも拒まない、どんな人でも受け入れる。家族会の定例会では、新しい当事者や家族の参加があった時には、家族会のメンバーの一人一人が今までの家族との関わりや出来事を語りはじめる。新しく参加した当事者や家族は、その語り合いの中で、自分たちが一人ではないことを感じる。そこには共感する力ともいうべきものがある。
社会から孤立した当事者や家族にとって、家族会との出会いは、社会や人間関係に再びかかわる突破口となる。
家族会との関係は、定例会に参加させていただいているほか、相談会や月1回のミニデイサービスを一緒に行っている。
当事者、家族、ボランティア、職員が一緒になって行うミニデイサービスは、いつも30人を超える人が集まり、お祭りのような雰囲気で、家族のほうが楽しんでいるように思える時がある。当事者であった家族が亡くなった後にもボランティアとして参加していただいている方もいる。
家族会には「共感する力」と「受け入れる力」があり、私たちには制度やサービスなどの知識がある。お互いに持っているものを出し合いながら事業を行っている。「協働」と呼んでいるが、良い意味で、もちつもたれつの関係でやっている。
4. 学んだこと
(1) 変化すること
障害者センターの訓練のなかで、利用してから何年かが経過すると、利用者さんに変化がみられることがある。高次脳機能障害について、自己認識(理解)がなかった利用者さんも、どこかで自分のおかれているところと折り合いをつけていくように思える。そんなことは当たり前のことと思われるかもしれないが、高次脳機能障害者にとっては大きな変化である。そこから、次のことに向かうことができるからである。
変化するのは利用者さんだけではなく職員も変化する。利用者さんの行動に右往左往する中で、生まれるのは、つながり(関係性)である。職員は、訓練の実施者としてサービスを提供する者、利用者さんは訓練の対象者としてサービスを受ける者という固定化された関係ではなく、ある目標に向かって、共同で取り組んでいく、固定化されるものではない関係への変化である。
(2) 足りない・合ってない
高次脳機能障害者は、介護保険と障害福祉サービスの両方が利用できる場合がある。高次脳機能障害者に対応したサービスは、介護保険でも障害福祉サービスでもいまだ十分ではない。
介護保険サービスにおいては、例えば、多くの要介護者が利用するデイサービスでは高次脳機能障害者の特性に合わせたサービスを提供できるところは少ない。高次脳機能障害者のリハビリやケアには個別性の高いサービスが必要であり、職員配置の上で難しい面がある。
障害者センターでは、機能訓練、生活訓練などの事業で高次脳機能障害者のリハビリに取り組んでいるが、利用期間に制約がある。最長で機能訓練は1年6か月、生活訓練が2年である。長期にわたるリハビリが必要とされる高次脳機能障害者には、利用期間が短いという問題があり、実態に適合していない。
また、機能訓練事業の利用には、身体障害者福祉手帳が必要とされる。身体障害者福祉手帳の申請は発症後6か月経過しないとできない。現在、ほとんどのリハビリ病院では入院期間が6か月未満に短縮されており、リハビリ病院退院後すぐには機能訓練事業を利用することはできない。機能訓練事業は、リハビリ病院退院後の地域における継続したリハビリテーションの受け皿にはなりえていないという問題が起きている。
(3) 職場復帰は難しい
会社は、労働災害である場合を除いて、多くの場合高次脳機能障害の職場復帰を受け入れない。会社は発症前の能力での職場復帰を求めるからである。
仕事を持ちながら高次脳機能障害を発症した者は、職場復帰をめざして訓練を行う。しかし、職場復帰の基準は、回復の水準によるものだけではない。会社の経営や人事方針に左右されるものである。障害当事者は、会社への「貢献」や地位から、会社による職場復帰は当然と考えるかもしれない。しかし、会社はそうは考えていない。回復したとしても職場復帰ができるとは限らない。
職場復帰はリハビリの目標であり、生きる目標にもなる。それをめざすのは当然のことである。しかし、それとは別に、地域で暮らしていける基本的な生活力を形成すること、それをサポートする仕組みを考えていくことも必要なのではないかと思う。
5. これからのこと
高次脳機能障害からの回復には長い時間がかかる。今あるもので、残っている生活する力を基本にして、それを維持しながら、社会や地域の中で生活していくことが課題になる。
家族と別れ、親元で支援を受けながら生活をしている高次脳機能障害者にも、親からの支援を受けられなくなる時が必ずやってくる。
そこでは、支援者や親亡き後に、一人で地域の中で生活していくための力をもつこと、そのことを支える地域の仕組みを作ることが課題である。
それではどうするか。高次脳機能障害者のためのグループホームで生活すると考えてみる。
生活の一定の支援と住まいが保障されるからである。グループホームにおける生活費は、障害基礎年金(または障害厚生年金)と労働による賃金で賄う。障害基礎年金(または障害厚生年金)だけでは不足する分は、労働による賃金で補っていけるようにする。
こうすることで、支援者(親)亡き後に一人になっても、地域で生きてゆくことができる。
このことのためには、地域の中に、高次脳機能障害者のリハビリテーションの場の確保、仕事の場の確保、すまい(グループホーム)の建設が必要である。
リハビリテーションの場の確保については、日常生活と結びついたリハビリテーションができるところが必要である。そこでは、年齢を超えて、日常生活と結びついたリハビリテーションが行われる。65歳を境にして障害福祉サービスから介護保険へと移行するが、その際、サービス内容が変化するようなことがあってはならない。高次脳機能障害者が同じ水準や内容のリハビリを続けられるようにするべきである。
高次脳機能障害者の多くは、残念ながら、今までの仕事を継続することができない現状がある。新たな就職先を見つけることはそれ以上に多くの困難が伴う。地域の中に高次脳機能障害者が主体となって働く場を確保することが必要である。
高次脳機能障害者にとって、親や家族の支援が受けられなくなった後に、地域における生活を継続するためにはグループホームなどのケアが付いた住まいが必要である。
提案したことはすぐにはできないことばかりである。実現するための展望も提示できない。高次脳機能障害者が地域の中で自立して生活していくことのできる力としくみをつくること。私たちがやりたいことはこのことである。
最後に労働組合と高次脳機能障害者のかかわりについて書く。
障害者センターは、12年前、区立障害者施設3館全面委託が提案される中で、葛飾区職員労働組合(以下、葛飾区職労とする。)と当局との数次の団体交渉の結果、唯一直営を残すことができた施設である。
交渉の中では、直営施設の役割として、区内の障害者施設のセンター的機能を果たす、専門性を実践に生かす、重度障害者の受け入れなどを提案してきた。
障害者総合支援法による事業や施設体系の再編成、職員の半数を超える形での非常勤職員の増加など、障害者センターをめぐる状況は大きく変化した。
直営としての役割は、発達障害児の増加にともなう就学前訓練施設の不足、特別支援学校卒業生の進路としての通所施設の不足の中で、その受け皿として機能している。
直営施設の役割として提案した、障害者施設のセンター的機能を果たす、専門性を実践に生かすなどは幻想であった。これから、直営施設が果たす役割があるとすれば、多様な事業所が存在する中で、そこで働くものが横につながることを手助けすることである。また、センターの中で、働く者が常勤、非常勤の分け隔てなく横につながることであるだろう。
2015年12月、葛飾区職労と当局の予算人要求交渉において、制度政策に係わる要求として、高次脳機能障害で退職を余儀なくされる職員について、非常勤職員として採用し「働く場」を確保することを要求項目に挙げて交渉した。
当局の回答は、高次脳機能障害に限って特別なことはできないというものであった。高次脳機能障害が他の疾病と異なる点は、本人が障害を認識していないこと、職場も家族も障害を理解していないこと、そのことから社会から孤立し、すべり台社会をすべり落ちてしまうことである。
高次脳機能障害者に係わる生活支援の現場での活動を進めるとともに、労働組合の中においても、高次脳機能障害者支援の取り組みを続けていきたい。
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