【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第10分科会 公共交通は誰のもの? みんなのもの!! |
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1. はじめに 公共交通の始まりは、1872年(明治5年)新橋から横浜間で初めて鉄道事業が開通しました。ここから一気に鉄道ブームが広がり全国に路線が設置され、1887年(明治20年)には、私設鉄道条例や1890年(明治23年)には、軌道条例など、法制面でも整備が進んでいきました。そして、1895年(明治28年)日本で初めての電気鉄道として京都電気鉄道が開通し路面電車の祖となりました。続いて、1903年(明治36年)京都の堀川中立売から七条駅、及び祇園間で当時は外国車を7人乗りに改造し路線バスの運行が開始されました。路面電車とバス事業は京都が発祥とされています。 2. 地域公共交通の在り方について 日本の地域公共交通の課題として挙げられるのが、赤字路線の廃止によって生まれる「交通難民」が増加傾向にあることです。対策には、小型のバスを用いたコミュニティバスの運行を地域住民と行政が中心となり路線や運行時刻を決定し運行を行っています。他にデマンド形式と呼ばれる運行が考えられています。デマンド形式とは、基幹系統からマイクロバスやタクシーなどの小型車両へ乗継ぎを行いより細かな地域にまで運行を可能にするもので、過疎地域対策として有効だとされています。 3. モビリティマネジメントについて 4. 公共交通を取り巻く状況 日本の鉄道事業は、鉄道国有法の公布や太平洋戦争の影響を受け国有化が進んでいきます。しかし戦後、日本鉄道建設公団が中心になり都市や地方の輸送力の増強がされ、主要民鉄が地下鉄整備に乗り出すと国鉄の財政状況が悪化していきます。地方の赤字路線は廃止に追いやられ都市部ではバス事業や地下鉄事業が旅客数を伸ばしていきます。そして、バス事業の利用者数は、1950年代(昭和30年代)最も栄えバス事業の黄金期を迎えます。ところが1960年代(昭和40年代)に入ると急速にマイカーブームが訪れ、バス利用者数が激減し始めます。すると赤字路線が広がり事業廃止を余儀なくされバス事業者の多くは経営状況の悪化に苦しんでいます。更に公共交通事業にとって大きな問題として、過疎化の拡大や人口減少。そして迎える超高齢化社会など課題は山積しています。 5. 経営健全化の取り組み 京都市交通局においても例外なく厳しい経営状況になりました。2005年度決算では、バス事業で144億円の累積欠損金を計上。そして、2010年度決算では、高速鉄道事業で累積欠損金が約3,200億円計上。更に企業債等の借入金残高は約4,800億円に膨れ上がりました。結果「京都市交通事業経営健全化プログラム21」や「京都市交通事業ルネッサンスプラン」などあらゆる合理化を行い経営の立て直しを計ってきました。 6. 京交エンパワメントプラン 戦後の1945年(昭和20年)11月に再建された京都交通労働組合は都市交運動の先頭に立ち労働運動を続け昨年、再建70周年を迎えることができました。近年の公営公共交通が置かれている状況は非常に苦しく多くの都市交の仲間が事業廃止や民間移譲の波に飲み込まれていきました。しかしながら、京都交通労働組合では、いち早く労使一体の取り組みを行い自らの職場を守るため、「市民に愛される市バス・地下鉄」をめざし、2000年(平成12年)から「都大路作戦」と名打ち組合員が、各主要駅やバス停で案内業務や道路の警戒配置を行い、定時運行を守るための走行環境改善に乗り出しました。また、年末には組合員が自ら率先してバスを手洗いで清掃したり、地下鉄駅のトイレや構内の清掃活動に取り組みました。結果、成果が数字として表れ、京都市交通局では、2014年度決算でバス事業では、最大144億にあった累積資金不足を解消させ7億円の資金剰余を計上させることができました。経常損益では24億円の黒字を確保させています。一方、高速鉄道事業では、依然、企業債残高が4千億円に上る厳しい状況ではありますが、現金収支が81億円の黒字となり経常損益の赤字を9億円にまで縮小させています。また資金不足比率は14.8%にまで改善しており、経営健全化団体からの脱却を確実のものとしています。そして更に両事業共に旅客数が好調でバス事業では一日当たり34万1千人。高速鉄道事業では、35万9千人としています。今後も京都交通労働組合と当局がめざす目標に狂いがないことから互いに協力をして公営交通存続に向けて努力して参ります。 <主な取り組み内容>
7. むすびに 京都市交通局あらまし |