3. これまでの"学び"をカタチにする(2011年以降の活動より)
(1) 自分たちで井戸を掘り、せせらぎを作ろう
① どんなものを作るか
これまでの約3年間の"研究的活動"は、大変意味のある活動ではあったが、一方で、地域・市職のメンバーともに「そろそろカタチにしないと」という思いも、日に日に強くさせることとなった。そこで、いよいよせせらぎづくりに着手することとなった。とはいえ、「どこに」「どんなものを」作るのかは、メンバーの中で漠然なイメージしか持ち得ず、まずはそのイメージを共通のものにする作業を進めていくことした。 そこで、せせらぎづくりを具体的に検討するために、設置候補地である広場(児童遊園)の「模型」を作製した。この模型は、地元の測量機器のリース業の方の機材をお借りして、市職メンバーが実地測量を行ったデータをもとに、建築模型の製作業を営む活動の中心メンバーである町会長が、無償で作ってくれたのだ。
そして、2011年10月には、地域の子どもたちによるワークショップを開催した。児童遊園の"最大のユーザー"である彼らに構想段階から関わってもらうことで、せせらぎに愛着を持ち、大切に使ってもらいたいという願いからである。子どもたちには制約をつけず自由に発想してもらったので、大人の事情で実現困難なアイデアも多く出されたが、「広場が何やら楽しい方向に変化するのではないか」ということに対する期待も、高く感じられた。
② どうやって作るか
次は「作り方」である。もちろん、井戸掘削もせせらぎ製作も、業者にお願いすれば瞬く間に素晴らしいものができあがるだろう。しかしこの一連の活動は、先述のとおり「せせらぎ作りを目的化せずにプロセスを重視する」ため、「自分たちで作らないと」という思いがあった。しかし、もちろんメンバーの誰一人として井戸なんて掘ったことはない。そこで、メンバー各々がインターネットなどで情報を収集し、それを持ち寄って検討を重ねてきたが、その中で有力な情報が得られた。地元の水道業の方が、自社の敷地に手掘りで井戸を作っているというのだ。
早速その方の井戸掘り作業を拝見するとともに、その方の紹介で、同じように自ら井戸を掘削したという、兵庫県西宮市の現地調査もさせていただいた。そのうえ、井戸掘り道具まで提供してもらうことができたので、工法については思いのほか早く確定することができた。また、せせらぎづくりにかかる各種許可等の手続きについても、東成区役所の協力を得て整えることができ、あとは着工を待つのみとなった。
なお、余談ではあるが、ちょうどこの頃に橋下徹氏が大阪市長に就任した。大阪市の行政・地域・労組にとっての激動の時代が、幕を開けようとしていた。
(2) いよいよ井戸を掘り、せせらぎを作る
① 初めての井戸掘り
■井戸掘り作業(①と②の作業を何度も繰り返す) |
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①井戸の枠となるパイプを、継ぎ足しながら埋めていきます。 |
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②井戸の枠の中に細長いパイプを入れて、泥を掻き出します。 |
2012年1月、盛大に起工式を執り行い、まずは井戸掘りから作業を開始した。たいへん体力と根気を要する作業ではあったが、市職のメンバーなどによって掘り進められた。
② 想定外 ――「井戸の水量が少ない!」
1か月半かけて掘り進め、深さ12mを越えたところでようやく水脈に達することができた。が、しかし、当初の目論見とは異なり、湧水量が少なく、災害の際に活躍が期待される井戸としては、いささか物足りないものであった。
そこで、"第2の水源"確保のための検討を重ねた結果、広場内に設置されている町会の倉庫の屋根に降る雨水を、井戸に引き入れることになった。雨水を貯めるためのタンクも設置し、約25m離れている井戸へ接続したが、その配管作業については、大阪市水道労働組合の協力で確実に行うことができ、ついに"ハイブリッド型"の井戸が完成した。
③ せせらぎづくり
ここまでくると、せせらぎも自分たちの手で作ることについては、誰も疑いを持たなかった。
みんなで大量のコンクリートを練り、煉瓦を積んで、2015年10月、ついにせせらぎができあがった。
2016年6月、仕上げとして、地域の子どもたちの手でせせらぎの流路にモザイクタイルで装飾を施してもらった。
せせらぎを永く大切に使ってもらうことを願い、最大のユーザーになるであろう子どもたちに集まってもらったものであるが、この作業にあたっては「関西をアートで盛り上げるNPO『A-yan!!』」の田中やんぶさんのプロデュースのもと、進めていただいた。
そして、モザイクタイルによって温かさが加えられたせせらぎを囲んで、みんなで盛大に完成を祝った。
(3) 約9年間の取り組みを経て
① ここに至るまでの「時間」
せせらぎづくりのきっかけとなった東京都と横浜市への見学行から、実際の完成までに8年も要している。特に工事や調整に時間を費やした訳ではないのに、それだけの時間を要した。もちろん、わざと引き延ばした訳ではなく、「プロセスを重視する」という考え方のもと、先述のとおり多様な取り組みをじっくりと展開したからである。それによって、今里はかつての「水郷」であったことが判明し、せせらぎに意義を持たせることができた。
しかし、町会も労組もそれぞれの目的を持って結成された組織であり、その中で"せせらぎづくり"を最優先に日々活動している訳ではない。また、当然に構成員の入れ替わりもある。そうした中にあって「8年」という時間は、お互いにとっていささか「長すぎた」というのが実感ではないかと思っている。
活動のモチベーションの観点から、もう少し短いスパンで一定の成果を出していくことも重要であると感じた。
② 地域と労働組合の協働の「カギ」
自分たちで作製したとはいえ、せせらぎを作るには材料費など一定の費用は必要であるが、これについては、活動当初に設立した「せせらぎ基金」から賄った。「基金」と言うと大げさだが、その主な財源は、会合や活動の後で開かれる"打ち上げ"で"割り勘"をした際の余剰金であり、それをコツコツと積み立ててきたものである。
今里地域のみならず、地域と関わる取り組みに共通することかもしれないが、「地域と労組との協働」と言いつつ、それは、組織的な結びつきよりも、個人的な信頼関係によるところが大きい。アウトプットの見えない中で始めた取り組みが、このように長い時間継続され、最終的に「せせらぎ」という形に結実したことは、地域側と労組側のそれぞれに"キーマン"が存在し、その信頼関係が継続したことが大きな要因であると言える。この間維持されてきた先述の「基金」は、その「信頼関係」の証であろう。
最後になったが、私たちのこのような活動を受け入れてくださった今里地域と、これまで、この取り組みにさまざまな形でご協力をいただいたすべてのみなさまに、心より感謝の意を申しあげたい。
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