【自主レポート】

第35回佐賀自治研集会
第1分科会 住民との協働でつくる地域社会

地方経済における自治労単組の傑出した機能構造と
役割の先進性、将来性及び可能性について

京都府本部/木津川市職員組合 松尾  肇

1. 今日の経済情勢とトピックスの例示

 ここでは、紙数の関係と、約4分という意見発表時間の関係上、どうしても結論めく論旨を辿らざるを得ず、やや率直で端的に過ぎる表現にとどまらざるを得ないということを、どうかご了承いただきたい。これもひとえに、自治労労働運動と世界中の労働者市民のなかまのみなさん、また良心的な各級地方自治体、中央政府、各議会のみなさんの発展を願ってのことであることを、率直に申し上げておきたい。

(1) 国の人口論提起の果たす役割とその限界
 一般的な経済情勢については、ここでは自治労方針をご参照いただきたいが、問題は、わが国全体が、このままでは、少なくとも数十年後に、生産労働人口が試算によっては4,000万人以上も減少し、特に地方は未曾有の急激な縮小を余儀なくされ、自治体によっては消えゆく運命に現在のところ晒されているというアナウンスである。
 本節で後に述べる、報道されていない現実とは、ほんの一例を挙げれば以下のようなことである。みなさんは、ご存知だろうか。今日のこうした生産労働人口の急激な減少と、悲惨な、しかしほぼ避けることが不可能な、想像したくもない未来予測というものは、実は1980年代後半には少なくとも、政府部内、国会関係者には確実に知らされていたし、現在もそれを彼らは実は知っているという現実である。
 このことだけでも、多くの良心的人士には、驚くべき事実なのではないだろうか。
 そして、重大な問題は、20世紀からこれ迄、何もしてこなかったということであり、正にこれこそが限界であるという、まごうことなき事実である。
 しかも筆者の頭痛の種は、このことではない。そうではなく、こうした人口減少を主因とした大きな変化を数年前に、まるで今初めて気付いたかのように商業新聞が、大々的に報じたという、所謂、わけのわからない事実である。
 なぜなら、このことに限らず、問題は、マスコミ等の報道と現実とに大きな差が深い溝となってこれまでになく明確に現れているにもかかわらず、非常に多くの人々が、こうした事態に気付かないように期待されているとしか思えないような事実であり、しかもそれでも確実にその実損益を被らざるを得ない状況にあるという現実である。
 本論を読んでくださるなかまのみなさんには、こうした事柄を背景とし且つ前提して筆者が、お伝えしようとしているということを、ご理解をいただき、読み進めていただけることを切に希望したい。このことからも、本日の口頭発表では、この文章の通りにお話させていただくわけではないことは、賢明ななかまのみなさんにも、ご推察いただけているのではないかと希望している。

(2) 個人情報市場現出事件がもたらす種々の課題と問題提起
 本論に関する今日の経済情勢の特徴について、ほんの少しだけ言及するならば、第1に情報の価値がこれまでと比較にならない程高くなっていることは誰の目にも明らかであり、たとえ普段の日常において例に挙げたとしても、既に枚挙にいとまが無い程であるという現象である。
 つい最近まで日本中を驚かせ、とりわけ私たち自治体職員をはじめとした公務員を震撼させるのに十分であった個人情報漏えい事件や戸籍謄抄本等の不正取得事件等の個人情報売買市場の現実の行く末の数々である。これは、私たちがこれまで厳格に守ってきた国民の個人情報と情報商品一般とは等価の内容であり且つ巨大な収益を生むのに十分な価値をもつ商品として現代(経済)社会に流通しているという現象が大手を振ってまかり通っているという現実を例示するだけで事足りる程のことである。
 それは、インターネットをはじめとしたIT社会の顕現を背景として未曾有の変化を遂げた新しい商売(市場)が、法的な有効性をもって、全く新しい形でビジネスチャンスを連鎖的に生み続け、再生産されているということ以上ではないということが、かえって非常に大きな特徴なのである。
 言い換えれば、経済循環の一つである60~70年周期が現在訪れていると叫ばれ、世界を技術革新の未曾有の波が、非常なスピードと広範さを伴って現在のところ、世界をほぼ席巻しているという確かな現実の確かな一部であるという種類の問題なのである。直視すべきと言われて久しい「情報化社会」による変化であるわけだが、刑事事件化した氷山の一角以外の、表に出てこない悪質な取引は、現行法令下では、ほぼ解決は不可能と言われていることは、取締り所管官庁自体がよく知っている現実の一つである。
 ここに、一つの矛盾がある。
 それは、同じ個人情報を持つ地方自治体と企業が、かたや近い将来、税収が枯渇して疲弊し、縮小する悲惨な運命を担っているにもかかわらず、かたや少なくとも一部同様の情報を持つ企業体には、膨大な利潤を生み続けていくという、信じがたい図式である。
 そして、その利潤の一部は労働力の再生産や設備投資や内部留保に、また株主への配当で外資も含めた再投資の原資の一部にもされていくわけである。
 しかし、もちろん地方自治体が個人情報を売買したり、個人情報を不法不当に利活用して膨大な利潤を上げる大企業の真似事をすべきだなどというのではない。
 そうではなく、問題は、こうした個人情報にまつわる事柄、即ちIT社会・マーケティング等の情報価値についてもそうであるが、さまざまなモノや現象に対する諸価値の質的量的変遷が私たちの社会で現に起こっているにもかかわらず、その本質を分析・把握し、十分に対応することが、できていないということである。
 こうした矛盾した図式は、一体どこからやってきたのであろうか。また、かえって上に述べてきた諸問題を解決し、その上で経済発展を促進し、産業と雇用、労働を守ることについて、私たちに、何ができるであろうか。
 ただ、紙数の関係で、今回私が提起したいのは、こうした矛盾が顕現させた上記の諸問題そのものではなく、その少し先にある。即ち、
 そもそも、これから、私たち地方自治体は、本当に税収だけでやっていけるのか?
という、これからの対策上初動期における、根本的な問題提起である。

(3) 疲弊し縮小する地方経済と人々の暮らしのファンダメンタル
 生産労働人口減少による、国と地方に対する種々の未来予測は、各界各層にさまざまな波紋と影響を与え続けている。重厚長大型産業と、中小零細事業者、従来の農林水産業が形成していた私たちの懐かしい昭和に現出されていた地方社会の様々な枠組みは、世界経済とわが国の経済との動静、人口高齢化・生産年齢人口の減少に伴い、疲弊し縮小すると叫ばれている。私たちにとっては、今更といったところであるが。
 約10年前の当時、産業界では、既に来るべき社会像が、斬新さをもって発表されて久しかったにもかかわらず、つい10年ほど前でさえ、まだ聞く人を驚かせていた「往年の個人商店」が極端に且つスピード感をもって減少し、世界中に拡がり定着する携帯インターネット通信端末等による技術、開発、革新による、医療、個人住宅関連セキュリティ、テレビ電話、動画コンテンツ等の世界への個人からの発信とビジネス、新産業群の発展、ダイレクトセリングや無店舗販売が当たり前の世の中となり、残るのは特化した大型流通店舗などである、という見方は、ある程度現代にその傾向性をみせた。所謂産業流通「シャッター街」小売店舗事業等の縮小統廃合ではすまない社会経済的発展というものである。それには、当時目を見張るものがあった。
 結論めいて恐縮だが、それでも、現在のわが国は60~70年周期に当たり、技術革新の波が押し寄せている結果により、労働界で言われる、戦後のサラリーマン中心社会から、戦前昭和期の例にあるように町工場を必ずしも指さない中小商業者が、相対的に増加せざるを得ない状況にあると思われる。これは、もちろんこれからの各界角層に、今や既に様々な影響を与えつつある。
 これは、産業が統廃合され、地方税収が落ち込み、様々な地方公共サービスどころか、団体本体そのものが消えてしまいかねない自治体・地方公共団体やその1部があることが喧伝されている事態と、軌をいつにする問題である。これは大きな問題として、労働や雇用は、産業が無ければ無いという当たり前の事態を示すものであることは、最早、言うまでもないが、これこそが大問題なのである。
 つまり、数十年先には、職場など無いと思わなければならない、と筆者が単組で口癖のように言うことの所以である。もしも、何もしなければ、であるが。

2. これまでの地方自治体の果たした役割と範囲、限界、共同意識

 しかし、これまでの地方公共団体、特に戦前から引き継がれたものも含め、戦後果たしてきた役割と範囲、限界、国民の様々な共同意識は、これからの事態に対して立ち向かう場合においても、極めて重要なものであり、世界的に見ても、胸を張ってしかるべきものを併せ持っているということは、特筆されるべきことである。

3. 労働組合のこれまでの実績と機能、役割における分担限界機能と共同意識に与えた重要な原型と現実

 また、労働組合、とりわけ、自治労が果たしてきたこれまでの様々な実績と機能、役割、取り分け地方自治における分担限界機能と共同意識に与えた重要な原型とその影響は、また特筆されるべきことである。それは、賃金抑制の圧縮や、労働条件の改善、雇用の確保の提起と実現という意味だけではない。周知のように、地方には、地方政治に翻弄される地方自治体特有の傾向が存在することは、否めないにもかかわらず、かえって国民主権、自治、民主主義、人権平和、市民融和協力、災害支援等、中央に対する影響力でも、献身的な自治経営の面でも、各種貢献については、枚挙にいとまがないのではないだろうか。この意味で、国と国民に与えた影響は、非常に大きいと言わざるを得ない。

4. ナショナルセンターである連合とグローバル経済に対する現場知を持つ進化した自治労単組の傑出した機能構造と役割の先進性、将来性及び可能性について

 これからの近い将来に起こり得る、様々な経済社会の問題は、上記に述べたとおり、非常なスピードと広範さをもって、現出されて行く。
 それは、特に地方により強く現れることは、重要である。
 中央政府は、今後とも様々な方策を講じることを強いられることとなるが、無論地方自治体も、地方政府機能を果たすべきものとして、主体的能動的な総合的政策立案・計画・実行という実質的機能を果たすことなしには、到底乗り越えることはできない事態である。また、そのための大幅な権能を与することを可能ならしめるための法整備もさらに急務である。
 しかし、それだけで迫りくる生産労働人口減少がもたらすとされている未来に十分な対応ができるのであろうか。
 端的に言えば、これには無理がある。
 なぜなら、簡単に言えば、これまでの歴史が物語っている。悲劇が繰り返されると、喜劇が繰り返されるとの言である。これまでの経験則からいって、先刻ご承知の通り誰の目にも明らかなように、中央、地方を問わず、政治には様々な力が働き、例え優れた首長を選挙によって選び、所謂「痛み」を伴う政策を施行し、実現しようとしても、実効性ある実質的機能を実現できなかったからこそ、我が国の地方の今日の現状があるということを、率直に認めざるを得ないのである。このため、こうした総括を確実な出発点にしなければ、後世の歴史において喜劇といわれても致し方ないのが実情であろう。また、個としての仕事上での目的や能力の面での限界も、現在では、こうした非常時であるからこそ、率直に各界各層、また、国民からも指弾されていることを認めるのでなければならない。
 つまり、現代は様々に批判されてきた、従来型の政治からの脱却への過渡期にあると言われて久しいということは、余程国民が懲りているという言い方を、是とせざるを得ないわけである。
 では、何をどうしなければならないのであろうか。
 それは、こうした地方自治体の実情において、様々な地方政治に翻弄されずに、政策を実質的に提案し、是正または必要に応じて補完する、何らかの構造や仕組みを、新たに持たせるのでなければ、実情において、急務をこなせることすらできないと言わなければならない。また、そうするのに、十分な理由と必要性がある。
 その構造や仕組みとは何かを、具体的な現存の組織で言えば、議会と労働組合がこれに当たる(但し、議会は、本稿では扱わない。)。労働組合は労使関係にある職員団体であるが故に、首長や幹部やブレーンとの実質的な協議交渉において、または労働運動体として様々な社会的政策的機能を果たすことのでき得る唯一の組織である。既存の組織としては最も有効な政策提案・施策是正可能な影響力を実質的に可能にでき得る、唯一の構造を持つ大衆団体である。ただそれは、小さな規模では政治的な力の差が大きくなり、政治的社会的影響力を十分に発揮できようもないというものを持っている。
 従って、こうした構造や仕組みを持つべき労働組合としては、対応可能な次の条件を満たすことが必要と考えられる。
○地方自治体の職員で構成されている労働組合であること。
○全国的なリーチを持ち、社会的影響力をもっていること。
○中央政府はもちろんのこと、それだけではなく、我が国の労働界として全国規模での政治的社会的影響力をより多くもっていること。
 即ちこれは、連合に参加する自治労である。自治労以外に上記の条件に合致する組織は、現在のところわが国には存在しないということである。ちなみに政治的経済的社会的な各種のシンクタンクも多く存在しているが、未だこうした課題に必要な実質的影響力には、現在までのところ、残念ながら及ばない。
 しかしながら、次のような問題が出てくる。それは即ち、現在の自治労で間に合うのであろうか、という問題である。
 結論めくが、残念ながらそうではないと言わざるを得ない。自治労も地方自治体も少なくとも必要とされる進化を実現しなければ、起こり得るとされている重大且つ重い課題に対処することは、不可能である。それどころか、ひどい場合は、地方自治体だけではなく、自治労自体も、その存在意義自体が失われ、内外の様々な要因から、極端な縮小から一部消滅する可能性が高いことさえ視野に入れなければならないと、言わなければならない。事はそれ程重い内容である。そうなっては欲しくないのであるが。
 地方公共団体も自治労も、両者にとって、上記のような生産労働人口減少という未来の抱える問題は、思ったよりもはるかに重く、広範囲にわたり、しかもスピードが早く、そのまま深刻度は増して行くような種類のものである。これに対して、両者の現状は、上記に述べたとおり、種々の環境にも左右され、十分な準備にすら着手出来ていない現状である。
 この問題に関しては、色々な論があるが、一番厳しく且つ本質的な見解は、20世紀の内に、中央政府も地方も、全く、何の手だても打たなかったことは、人口・出生の本質上、致命的であり、もはや全く間に合わない、完全に手遅れである、というものである。その証左が下図である。20世紀以来、政府の出生率予測が、これまで、いかに厳しい人口推計によって、財政検証をしているか、と痛烈な皮肉と非常に厳しい苦言によって、半ば持てはやされるにしては、十分な結果である。

 また、この他、種々の立場での論議がある。先進主要国の中で、比較的に社会進出機会の創出の遅れている、わが国の女性労働者の正規雇用・採用率(企業幹部等としての)を今のうちに急激に上げておくことや、産業教育、技術革新によって生産効率を早急に上げるための様々な開発等により、総体としての生産力を、総人口が減る只中で全体的に上げ、同時に出生率を少なくとも徐々に向上させていく等々である。これらに対するここでの論評は避けるが、いずれにせよ、重い課題は、確実に早く進行するため、このまま何もしなければ、大方の予測通りとなることは避けられない。
 そして、地方分権と言われて久しいが、これまでの貴重で尊い努力にもかかわらず、現在の状況を踏まえると、乗り越えなければならない課題が多い。
 こうしてみると、山積する課題にも増して、これから来る、現存する人の未だ経験したことのない我が国の未来への諸課題は、しばし私たちをして狼狽させるのに十分なものであるが、考えてみると、数十年後高齢者ばかりになり、自衛隊や警察関係で働く若者が激減しているはずのわが国が、他国からの侵略を受けた場合は、どのような状態に陥るのであろうか。これは、軍事に対する意見どうこうではなく、これからわが国で何が起ころうとしているのかを冷静に見きわめ、そうならないように準備するためのリアリティの提起である。筆者はあくまでも平和主義者である。
 このように、未来は悲惨である。いや、正確に言うと未来の子どもたちは、悲惨である。私たちは、自分たちの為よりも、子どもたちの為に、未来に責任をもつべきである。
 だから、筆者は全くの徒労に終わるかもしれない、このような論稿をみなさんに向けて提出することにしたのである。いかなる課題があろうとも、私たちは、諦めるわけにはいかないのである。
 通常私たちの活動では普段から、「課題」と「現状」には、キャズム[chasm 深い溝]があるのであり、ここへ来ても、その事情は何ら変わらない。
 深い溝はいち早く乗り越えられなければならない。
 そこで結論めくが、
 ナショナルセンターである連合とグローバル経済に対する「現場知」を持つ進化した自治労単組の傑出した機能構造と役割の先進性を発揮することこそ、来るべき将来性及び可能性を実現でき得るのである。
 ちなみに、グローバル経済に対する「現場知」とは、グローバル経済に必然的に対置している、地域ローカル経済の(ニッチを含む)、日本的全面展開の原動力となり得る、原理としての認識論または方法の総体のことである。これは、日本産業の伝統と言ってもよいものである。つまり、産業が無ければ労働は無いのであるから、産業を育成するということである。それも、例えば、地域ローカル的な日本の産業・流通・通貨・福祉を立法も含め制御統括し、地域で有機的に連帯し、IT等の通信インフラを活用して、産業、労働環境、雇用を在宅を含めて世界市場において、これらを創造していくということである。
 これも結論めくが、これからは、戦後まもなく続いてきた、サラリーマン中心の、少しいびつな私たちのほとんどが経験している今日の日本の経済社会は、種々の技術革新のおかげで、個人が企業以上に利益を上げ、社会に貢献していく新しい時代に変わりつつある。しかもそれは、日本にだけではなく、世界中に到来しているのである。

5. どのようにしてそうなるのか?

 ここでいう「現場知」とは、換言すれば、文字通りの現場の知恵であるが、「役所のやることはいい加減だ」と市民から批判されたり、人権擁護運動団体の方々から指摘されるときのような、所謂「公務員らしい」「適当でいい加減な」「保身に満ちた」「働いている・やっている体の」ものを指すのではない。「現場知」とは、大衆の暮らしや様々な現場や仕事、ボランティアに直接深く関わり、熟知し、広い視野と高い意図をもって熟練した透徹した目で分析をし、具体的に大衆の暮らしを改善して豊かにしていく認識と行動のことである。そして、それは絶えず更新して、さらに進化していくものである。日本の産業の伝統的認識方法でもある。こうして社会を変化させ、歴史に断絶をもたらし続けていくものが、認識論的断絶ともいうものである。これは、時として大きな変化をもたらすものにもなることがある。そして、これが人々と社会を深部から進化させていくのである。
 認識論的断絶と進化、特に産業、労働、市民的権利義務における地方自治体と自治労単組とが共同で進化すること、及び地域社会の各組織と市民の現実から学び、よりよい変化の直接的な触媒となり貢献していくこと、そこから政策集団としての実質的な影響力を持つ組織的活動を創造し、そして生産力と出生率を向上させるべく地域で密着した活動に取り組むことは、地方公共団体や労働組合のイメージを根底から覆すものとなり、文字通りの社会的進化をもたらすものとなるであろう。
 ともあれ、私たちは早急に、何かを始めなければならない。今のうちに、準備をしておかなければ、何もかも手遅れどころか、私たちの子どもたちの未来の全てが、もう間に合わなくなってしまうのである。

6. 今から準備しておくべき事柄

 先ず、これから、税収だけでやっていけるのか?
 という問題提起を、各界各層に自治労自身がさらに投げかけていくべきである。地方公共団体が税収以外の収入を確実に得る方策を、確保することが何としても急務である。
 そして、具体的に何を準備するのかは、紙数が限られている為、当日の意見発表で申し述べることとしたい。

7. なぜその準備なのか?

 国からの要請と地方政府の政治に対する自治労単組の現場知の有り方が、地域の未来を切り開く有力な力の一つになり得るからである

8. 結 語

 こうした私たちの行動の、全ての目的とは人類を助けることである。

9. エピローグ

 将来の組織への矜持とメッセージ