【自主レポート】 |
第35回佐賀自治研集会 第1分科会 住民との協働でつくる地域社会 |
1978年の福岡大渇水によって、福岡市は"水は限りある貴重な資源"との強い認識を全職員が共有し、「水の安定供給」と全国でも珍しい「節水型都市づくり」をめざすことを宣言した。これを契機にして、水がめである筑後川の上流と河口域の森林組合や漁協と協力し、労働組合の取り組みとして源流域の下草狩りに取り組んでいる。 |
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1. はじめに 1978(昭和53)年夏、中学2年生だった私は、炎天下の下、自衛隊員が運転する運搬給水車を不安げに待っていた。市営団地に住む我が家では、給水車から注がれる水を自宅で用意したバケツに受け、家のお風呂や飲料・炊飯、トイレなどの水として確保するため、遊びに行きたい気持ちを親には言えず、日々、団地の階段を何回も往復した記憶が今でも残っている。この時、何が起こっていたのか。 2. 昭和の大渇水 当時の福岡市は、福岡管区気象台創設以来89年ぶりと言われた大干ばつに見舞われていた。1978(昭和53)年5月20日から1979(昭和54)年3月24日までの延べ287日間に及ぶ給水制限(平均14時間/日)を経験することになる。 3. 全国初の配水コントロールで水の確保 この経験は、筑後川からの導水をはじめとする水資源開発と浄水場からじゃ口までの水の流れや水圧をコンピューターで制御する配水調整システム(水管理センター)の設立(1981(昭和56)年に完成)へと技術革新の道を歩んでいくことになった。まさに現在の福岡市のめざす姿であり、過去からの永い自然とのたたかいの繰り返しの証しでもある。この2年後、私は福岡市役所に就職し、水道局へ配属されることになるのだが、職員のマンパワーによって、水道管(給水管・配水管)の老朽化などにより発生する漏水を早期に発見するため24時間体制で対応し、速やかに漏水箇所の修理を行う技術力と忍耐力の強さに驚くばかりであった。今では、この取り組みは世界のお手本となっているが、節水型都市づくりの礎を築いたひとつの象徴である。 4. 夢の筑後川導水 1985(昭和60)年9月、水道創設以来、福岡市の永年の夢であり念願であった筑後川からの導水が、流域の住民・関係団体などのご理解とご協力を得て実現するに至った。 5. 平成の大渇水 1994(平成6)年は、年間降水量が福岡管区気象台の観測史上最も少なく、昭和53年を上回る厳しい気象状況で、給水制限日数は1994(平成6)年8月4日から1995(平成7)年5月31日までの延べ295日間に及び、1978(昭和53)年を上回った。 6. 福岡市長選挙との関わり また当時、福岡市では、市長選挙が行われ、現職2期目の市長との間で、私たち水道労組は政策協定を結んでいた。その最中、対立する候補者から「渇水は人災である」と聞いた時、私はハンマーで頭を叩かれた思いであった。なぜか、それは、市長との関係ではなく、水道マンとして踏ん張ってきた先人たちや同僚たちが「水の安定供給」と「節水型都市づくり」の使命を果たしているのにとの悔しい思いであった。しかしながら、現実は市民の生活、経済活動に多大な迷惑をかけていることに責任の重大さを思い知らされた。 7. 筑後川の源流 筑後川(ちくごがわ)は、熊本県阿蘇郡南小国町の阿蘇山の外輪山、瀬の本高原を水源として九州地方北部を東から西に流れ有明海に注ぐ川である。河川法に基づき国土交通省政令によって1965(昭和40)年に指定された一級水系・筑後川水系の本流で、一級河川に指定されている。 8. 福岡地区水道企業団-飲む海水 北部九州の増大する水需要に対処するには、筑後川水系の総合的な水資源開発および水利用がなくては解決できないことから、1964(昭和39)年に筑後川が水資源開発法に基づく開発水系に指定された。そして1966(昭和41)年には「筑後川水系における水資源開発基本計画」が決定。その後、1971(昭和46)年に福岡都市圏の4市18町が「福岡地区広域水道推進連絡協議会」を発足させ、まず筑後川取水事業の受け入れ計画の検討を始めた。さらに1973(昭和48)年に福岡地区の4市18町を構成団体とする「福岡地区水道企業団」が設立され、浄水・送水施設の建設事業とともに用水供給事業を行うこととなる。 9. 植樹-中津江村200海里の森づくり下草狩事業 大分県日田市中津江村の「200海里の森づくり」は、2000(平成12)年3月に福岡市・大分県のみなさんや、漁協・森林組合・国等の関係者約600人が参加して、筑後川上流域の日田市中津江村において5,000本のケヤキやモミジ等を植樹することで事業が始まった。この事業の目的は、自然のリサイクルを少しでも取り戻し、筑後川上流の水源地域から川下の生活に潤いをもたらし、有明沿岸の魚介類や海苔の育つ水質環境づくりに貢献すること。ひいては200海里に繋がる豊かな水資源を未来の子どもたちに引き継ぐこと。筑後川の恩恵を受けている人々に水源地域の自然の大切さを広く知ってもらうことにあり、われわれ福岡市民の意識を高めるために旧中津江村と福岡市水道水源かん養事業基金の主催で育林活動をスタートさせた。翌年の2001(平成13)年9月から、福岡市労働組合連合会として、毎年80人以上の職員にボランティアとして、苗木が自立して太陽の光の栄養を浴びるまで(概ね10年間)周辺の草を刈り取る作業を行っている。(これを「下草刈り」という。) 10. 福岡市水道水源かん養事業基金設置の背景と目的 福岡市は、生活に必要な水の多くを市外からの水に頼っている。一方、福岡市の水源となっているダム周辺の地域では、過疎化や林業従事者の高齢化、木材価額の低迷などにより、森林が荒廃して、森林の持つ水源かん養機能が低下し、将来における安定的な水源の確保が難しくなってきている。このため、基金を設置し、水源林の整備や水源地域との交流事業などを行うことにより、水道水源のかん養機能の向上や水源地域の活性化を図っている。設立が1997(平成9)年4月1日で、積立期間は、2006(平成18)年度までの10年間で、水道使用量1立方メートルにつき水道料金から0.5円と、福岡市一般会計からの0.5円を合わせて、積み立てを行い、各種事業に活用している。
11. 飲む海水販売事業 最後にPR活動です。 |