【自主レポート】

第35回佐賀自治研集会
第1分科会 住民との協働でつくる地域社会

 日田市では2010年度に世界遺産推進室を設け、江戸時代後期に日本最大の規模を誇った私塾「咸宜園」を世界文化遺産に登録する動きが始まっている。現在、茨城県水戸市(藩校「弘道館」)や栃木県足利市(「足利学校」)と連携し、2012年11月に地元経済界の協力も得て「教育遺産世界遺産登録推進協議会」を設立した。これまで世界には例を見ない教育遺産を主題とする取り組みは、地域が誇る文化遺産への関心を高めるとともに、市民のまちづくり活動へとつながっていくことが期待される。



私塾「咸宜園」の世界文化遺産登録をめざした取り組み


大分県本部/日田市職員労働組合 吉田 博嗣

1. 廣瀬淡窓と「咸宜園」

(1) 廣瀬淡窓 天明2年生まれ、安政3年没(1782-1856)
 豊後国日田郡豆田町の商家・博多屋廣瀬家の長男として生まれた。
 ・学 者:「豊後の三賢」 → 三浦梅園(国東市)、帆足万里(日出町)、廣瀬淡窓
 ・詩 人:「江戸後期の三大漢詩人」 → 頼山陽、菅茶山、廣瀬淡窓
 ・教育者:「咸宜園」は近世日本最大の私塾、近代教育の基礎を築いた学校とされる。

(2) 咸宜園の特色
 「咸宜園」は、廣瀬淡窓が江戸時代後期に日田の地に開いた私塾である。文化14年(1817)に咸宜園を開設した後、明治30年(1897)まで約80年間存続し、全国68ヶ国中、66ヶ国から5,000人余りの門下生が学んだ近世日本における最大の私塾であった。塾名の「咸宜」とは、「ことごとくよろし」という意味で、門下生を平等に教育した。その教育の特徴は、身分・年齢・学歴を問わない「三奪法」や学力を客観的に評価する「月旦評」、塾生に学校の自治をまかせたほか、社会性を身に付けさせる目的で各塾生に役割を与えた「職任」制などであった。
 咸宜園で学んだ塾生は、その多くが僧侶や医者をめざした青年たちであったが、卒業生の中には大村益次郎(兵学者・蘭学者)や長三洲(近代学制の起草者)、上野彦馬(坂本龍馬の写真を撮影)、朝吹英二(三井財閥・王子製紙会長等)、清浦奎吾(第23代内閣総理大臣)などがいる。

2. これまでの取り組み

(1) 学校教育
 日田市では、これまで学校教育や文化財保護の立場から咸宜園に関する取り組みが行われてきた。古くは咸宜園の所在する町名を「淡窓」と変更し、また咸宜園に近隣する月隈小学校が二つの小学校に分かれる際に、「咸宜小学校」と「桂林小学校」としたこともあった。「桂林」とは、廣瀬淡窓が咸宜園の前に開いていた私塾名「桂林園」に由来する。当然ながら、両校では学校生活の中で咸宜園について学ぶ機会が多く創出された。近年では、2007年に日田市教育行政実施方針の中で市内小中学校においては「廣瀬淡窓と咸宜園」について学ぶ機会を設けることが明記され、2012年度の改正でも4大項目の一つであるⅡ《学校教育の充実》、1. 義務教育の充実〈主な取組〉の筆頭に①咸宜園教育の理念を生かした学校経営の推進、が記されている。このように日田市では咸宜園教育の理念を生かした特色ある学校経営がなされ、市内の児童や生徒は学校生活の中で咸宜園や廣瀬淡窓について学習している。一方、文化財行政では以下のような文化財としての保存や活用を中心とした事業を行ってきた。

(2) 文化財保護
① 国の史跡「咸宜園跡」の保存整備
  1932年、咸宜園跡は国の文化財(史跡)となった。現在、咸宜園跡には江戸時代に建設された居宅「秋風庵」(1781年建築)や書斎「遠思楼」(1849年建築)が良好に保存されているほか、咸宜園時代の書蔵庫(1890年建築)や井戸などが現存する。しかしながら、当時、講義が行われた「講堂」や塾生が生活した「東塾」、「西塾」(いずれも寮のこと)などは現存しない。発掘調査の成果ではそれらの建物の一部が遺構として確認された。現在の江戸時代の最盛期の姿に復元整備する事業が2003年以降続いている。施設には年間2万人程度が訪問する。
② 咸宜園教育研究センターの開設
  2010年10月、咸宜園や廣瀬淡窓、門下生等に関する調査研究を行う施設として開館した。館内は、「研究室」「展示公開室」「研修室」に分かれ、研究室ではタッチパネル式パソコンで全国各地の門下生に関する情報を検索することができるほか、小学生向けの「咸宜園クイズ」なども体験できる。また、展示公開室では新資料や研究の成果などが随時、展示公開されており、廣瀬淡窓や咸宜園に関するガイダンスビデオ(英語・中国語・韓国語に対応)を視聴することができる。
③ 世界遺産推進室の設置
  2010年4月に設置。市民向けの世界遺産登録推進講演会(年2回)やシンポジウムの開催、担当者による「出前講座」を行っている。
④ 咸宜園平成門下生之会の発足
  現在、会員数160人。日田市の咸宜園に関する取り組みを支援する組織として、2010年度に設立した。毎年、会員を対象とした講座や研修などを行っており、世界遺産登録に向けた市の取り組みに賛同する市民応援団である。将来は、咸宜園の解説案内などを行うボランティアガイドとして活躍する人材を育つ予定である。
  この他、市内の教育公務員やそのOBを中心とした淡窓の顕彰会「淡窓会」(1952年発足)があり、会報誌「敬天」(現在41号)の発行など積極的な活動を行っている。また、淡窓の漢詩を愛する吟詠の会「淡窓伝光霊流日田詩道会」も2013年で創設42年目を迎えた。

3. 日本の世界遺産と教育遺産の可能性

 今回の取り組みは「近世日本の教育遺産群」を世界文化遺産として登録することである。特色としては、これまでの文化財保護法にはない枠組みで、国に指定された同種(教育遺産)の文化財を持つ地域(地方)が連携し、協力し、発信することで大きな効果が期待される。また、本来持っている価値に加えて、市民の文化遺産に対する保護意識の高揚や市民の文化活動につながることも想定される。
 現在の国内における世界遺産の登録状況は、参考資料1に示すとおり文化遺産は13件、自然遺産4件の計17件である。また、国の推薦を待つ暫定リスト入りした物件の数は11件に及ぶ。
 2013年6月、富士山の世界文化遺産の登録決定後は、富士登山ブームの招来などと連日報道されているが、実は大分県にも明るい話題があった。「国東半島宇佐地域」が世界農業遺産に認定されたことである。翌日の新聞には「観光面に注目」「農村に活気取り戻す力に」「認定を地域浮揚に生かそう」など、その期待度の高さが窺える紙面構成となっていた。世界農業遺産は、FAO(国連食糧農業機関)の所管で、日田市がめざすUNESCO(国連教育科学文化機関)の世界遺産とは異なるが、認定地域の中には豊後高田市の中世以来の荘園風景が残る「田染荘」(重要文化的景観)が含まれるなど、地域の歴史や景観、文化等が評価されたことは県民の誇りであった。
 残念ながら、世界教育遺産といった枠組みはないが、近世日本の教育は世界的にも優れていたことが知られるように、特に識字率(読み書き能力)が高く、その教育方法も他国には見られない特色があった。咸宜園が生まれた江戸時代後期は日本全国で教育への関心が高まった時代で、各地では藩校や私塾などが多く開かれたが、官公立学校(共立を含む)としては昌平坂学問所や藩校(藩学)、郷校(郷学)等があり、個人で開設する民間学校としては私塾(学問所)や寺子屋(手習塾)などがあった。民間の学校で、特に私塾の中で際立つ存在が「咸宜園」である。その規模は当時の最大を誇り、その教育内容の独自性は他の学校にはない特色を備え、その評判は全国に広がっていった。公教育の環境が整っていない時代に、その学問の中心が私塾や寺子屋であったことを考えると、日田の輝かしい歴史の一頁でもあり、地方が中央に勝っていたことに注目したい。
 また、協同する茨城県水戸市の「弘道館」は最大の藩校でかつ各地の藩校のモデルとなった学校で、栃木県足利市の「足利学校」は中世に遡る学校であるが、フランシスコ・ザビエルも絶賛した日本を代表する学校で、その後、近世には蔵書の豊富さから学問・研究機関として発達し、図書館としての機能を充実させていった教育機関であった。いずれも、今日にその姿をとどめており、我が国の教育の歴史に欠くことのできない価値を持っている教育遺産である(参考資料2を参照)。そこで、日本を代表する官公立や私立の学校を中心に構成し、三市が一体となって、これらを世界文化遺産に登録すべく取り組みを進めるため、三市の商工会議所や茨城県、栃木県、大分県の協力を得て、2012年11月「教育遺産世界遺産登録推進協議会」を設立した。今後は各市の市民団体にも参画していただく予定である。現在、国内の教育遺産としては唯一の国宝に指定されている「閑谷学校」が所在する岡山県備前市にも協議会に加盟するよう働きかけをしている。
 協議会では、国際シンポジウムの開催(2012年は水戸市で開催。2013年は足利市、2014年は日田市開催予定)やHPなどを制作し、広報活動も協同して行っている。

4. 地域活性化への期待

 これまで「教育遺産」とは聞きなれない用語であったが、近年、その注目は高まりつつある。
 ◇『日本の美術』-近世の学校建築-(ぎょうせい、2011)
 ◇『教育文化遺産をたずねる』(財)日本修学旅行協会編(山川出版社、2012)
 また、最近、国内では「日本遺産」の創設も現実味を帯びてきていることから、「教育遺産」が認知されれば、近世を代表する私塾「咸宜園」の存在はクローズアップされるはずである。しかし、不安材料もある。やはり世界遺産と言えば、城や寺院などに代表されるようにスケールの大きな建造物(不動産)が主であるため、往時の姿をとどめない咸宜園は他の教育遺産と比較すると、ハード面では随分と見劣りすることである。実際には発掘調査の成果として確認された講堂などの建物の痕跡や往時を物語る絵図などで語るしかない。しかしながら、先に紹介した訪日外国人の評価は優れた建築物ではなく、優れた教育の内容に驚いていたことを考えると、その点においては、この取り組みに咸宜園の教育内容とその存在は不可欠で、教育遺産の中での一定の役割を担っていくことができるものと考えている。
 以降、廣瀬淡窓や咸宜園に関するまちの取り組みや話題について紹介する。
(2012年度以前)
 ・日田市観光協会のゆるキャラ「たんそうさん」の誕生 ⇒各種イベントで活躍中
 ・2012年受賞した直木賞作家、葉室麟氏の作品『霖雨』(廣瀬淡窓と弟の久兵衛が主人公の小説)の出版
 ・淡窓の漢詩を吟詠する保育園児(日隈保育園の5歳児を対象)⇒2013年も新5歳児が継続中
 ・咸宜園ゆかりの地(学校)との交流活動(熊本県山鹿市、佐賀県東明館中学校など)
(2013年度)
 ・「咸宜園検定」の創設(日田市商工会議所)
 ・2013年3月に国指定史跡となった「廣瀬淡窓旧宅及び墓」を記念した展示会(県内中心に巡回)の開催
 ・民放TVクイズ番組で最難問として紹介されるなど、テレビや雑誌等の取材件数の増加

5. 結 び

 この取り組みは、世界遺産登録をめざす他市の例からも時間と労力を要する作業であることがわかる。そのため、当面は国内の暫定リストに登録されることをめざしているが、大事なのはこの取り組みの中で何を得ることができるかである。当然、世界遺産ともなれば、地域経済における効果は絶大であるが、登録できるかどうかは不透明で、相当の年月も要する。この点では、協同する水戸市や足利市ともに意見が一致しているところであるが、世界遺産登録に向けた取り組みの中で得られるものこそが市の財産(誇り)となり、地域活性化の本質的なものと捉えている。世界遺産は未来に遺していくべき人類共通の財産であると定義しているように、それぞれの地方において、未来へと継承すべき歴史や伝統、文化遺産などの保護は、市民の協力なくしてはできないことで、今回の世界遺産登録の推進は、市民が郷土の歴史を見つめ直す良い機会となり、さらに機運を盛り上げて、一つの活動へとつながっていくよう取り組んでいきたい。また、世界遺産登録とはそのような活動の先にあるものと考えている。

参考資料1】国内の世界遺産/暫定リスト(2013年度現在)
① 我が国の世界遺産一覧表記載物件(文化遺産13件、自然遺産4件)

記載物件名 所在地 暫定
リスト
記載年
世界遺産
記載年月
区分
法隆寺地域の仏教建造物 奈良県 1992 1993/12 文化
姫路城 兵庫県 1992 1993/12 文化
屋久島 鹿児島県 1992 1993/12 自然
白神山地 青森県・秋田県 1992 1993/12 自然
古都京都の文化財 京都府・滋賀県 1992 1994/12 文化
白川郷・五箇山の合掌造り集落 岐阜県・富山県 1992 1995/12 文化
原爆ドーム 広島県 1995 1996/12 文化
厳島神社 広島県 1992 1996/12 文化
古都奈良の文化財 奈良県 1992 1998/12 文化
10 日光の社寺 栃木県日光市 1992 1999/12 文化
11 琉球王国のグスク及び関連産群 沖縄県 1992 2000/12 文化
12 紀伊の霊場と参詣道 三重県・奈良県・和歌山県 2001 2004/7 文化
13 知床 北海道 2004 2005/7 自然
14 石見銀山遺跡とその文化的景観 島根県 2001 2007/7 文化
15 平泉-仏国土(浄土)を表す建築
・庭園及び考古学的遺跡群-
岩手県 2001 2011/6 文化
16 小笠原諸島 東京都 2007 2011/6 自然
17 富士山
-信仰の対象と芸術の源泉
山梨県・静岡県 2013 2013/6 文化

② 日本の世界遺産暫定リスト

記載物件名 所在地 記載年 区分
古都鎌倉の寺院・神社ほか 神奈川県 1992 文化
彦根城 滋賀県 1992 文化
富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬県 2007 文化
飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 奈良県 2007 文化
長崎の教会群とキリスト教関連遺産 長崎県 2007 文化
国立西洋美術館本館 東京都 2007 文化
北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群 北海道・青森県・岩手県・秋田県 2009 文化
九州・山口の近代化産業遺産群 福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・
鹿児島県・山口県
2009 文化
宗像・沖ノ島と関連遺産群 福岡県 2009 文化
10 金を中心とする佐渡鉱山と遺産群 新潟県 2010 文化
11 百舌鳥・古市古墳群 大阪府 2010 文化

 

参考資料2】日本の教育(学校)遺産
① 学問・教育遺産として国指定の文化財(史跡)一覧

聖 廟 湯島聖堂(東京) 私 塾 藤樹書院跡(滋賀)
聖 廟 多久聖廟(佐賀) 私 塾 伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫(京都)
藩 学 旧有備館および庭園(宮城) 私 塾 緒方洪庵旧宅および塾(大阪)
藩 学 旧致道館(山形) 私 塾 松下村塾(山口)
藩 学 旧弘道館(茨城) 私 塾 咸宜園跡(大分)
藩 学 旧文武学校(長野) その他 上杉治憲敬師郊迎跡(山形)
藩 学 旧崇廣堂(三重) その他 旧二本松藩戒石銘碑(福島)
藩 学 旧岡山藩藩学(岡山) その他 足利学校跡(栃木)
藩 学 旧萩藩校明倫館(山口) その他 旧中込学校(長野)
郷 学 旧閑谷学校(岡山) その他 旧見付学校(静岡)
郷 学 廉塾ならびに菅茶山旧宅(広島) その他 旧豊宮崎文庫(三重)
その他 旧林崎文庫(三重)
その他 大宰府学校院跡(福岡)