昨年12月16日の総選挙で民主党は惨敗を喫し、政権は自民党へと回帰した。民主党政権において1丁目1番地の政策課題とされた地域主権改革はこれで終幕となった。
1995年自・社・さ連立政権のもとではじまった地方分権改革だが、第一期、第二期の改革を経て地域主権改革へと受け継がれ、早や18年にも及ぶ。筆者はこれまで「自治研おおいた」にシリーズ「ウォッチング第二期分権改革」と「フォローアップ地域主権改革」を約6年にわたって連載、改革動向を追跡してきた。
安倍リバイバル政権は政策の最優先課題を経済再生とし、アベノミクスなるパフォーマンスに熱中、地方分権改革は後景にしりぞいた感がある。もともと「地域主権」という用語に異を唱えていた自民党だが、民主党政権の地域主権改革はここで一旦中断し、地域主権戦略会議も廃止した。しかし分権改革はいまだ未完の改革課題として継続している政治テーマである。第1次安倍内閣自体2007年に地方分権改革推進委員会を発足させ、第二期分権改革を始動させた経緯もある。地方分権遠のくかと懸念される中、この3月全閣僚で構成する地方分権改革推進本部を設置、4月には地方分権改革有識者会議を発足させた。
筆者の整理では、ようやく始まる安倍政権の分権改革を第四期とし、これまでの分権改革を概括しておきたい。
1. 地方分権改革のプレリュード
地方分権改革に向けた足取りをふりかえってみると、先ずは1960年代~1970年代に高揚した革新自治体や先駆自治体の実践改革をあげることができよう。全国に叢生した革新自治体は、環境、公害、福祉などで国に異議申し立てを行い、独自の条例づくりで国の政策の不備と限界を乗り越えようとした。その象徴ともいうべき美濃部東京都知事の"シビル・ミニマム"論、長洲神奈川県知事の"地方の時代"論は、地方分権の幕開けを告げるファンファーレとなった。
2点目は、地方制度調査会や臨時行政調査会による答申や提言である。地制調は1988年の答申で、国から地方への権限移譲や地方分権を提唱、臨調は1982年、1989年に国と地方の機能分担、地方自治制度の再編を提言した。勿論これらは国の統治政策、行財政改革の観点にもとづくものではあるが、分権改革へ伴走の役割は果したとみていい。
3点目は、地方6団体の取り組みである。地方6団体は1993年に地方分権推進委員会を設置、1994年には地方分権推進要綱をまとめ、国に提言した。
4点目は、国際的な分権への動向である。1985年、ヨーロッパにおいてヨーロッパ地方自治憲章が採択され、同年国際自治体連合により世界地方自治宣言が発せられた。ここで確認されている基礎自治体優先、補完性の原則は、地方分権の普遍的価値として受止められ、分権への世界的潮流を方向づけた。
5点目は、以上の流れを受けての政治・法制度措置である。1993年衆参両院において「地方分権の推進に関する決議」が採択され、1995年に地方分権推進法が成立、これにより地方分権改革への道筋が整ったのである。
2. 分権-主権改革の年次区分と概要
1995年地方分権推進法の成立にはじまり、2012年地域主権改革の終幕に至る18年間を区分すれば、次のように概括(別紙資料参照)することができよう。なお、地方分権の推進、改革及び地域主権改革をふくめ分権改革と総称する。
(1) 第一期分権改革(1995年7月~2001年6月、6年間)
1995年に地方分権推進法が成立、設置された地方分権推進委員会の勧告を受けて1998年に地方分権推進計画が決定され、1999年地方分権推進一括法が成立(施行は2000年4月1日)地方分権の推進が始まった。これは475本の個別法を一括法として改正整備したもので、明治以来中央集権の要訣としてきた機関委任事務制度を廃止、自治体事務は法定受託事務と自治事務に区分再編された。これにより官治・集権から自治・分権に向けて、国と地方の関係は上下・主従から対等・協力の関係へと構築され直すこととなった。
(2) 改革調整・休止期(2001年7月~2007年3月、6年間)
1999年7月政府に市町村合併推進本部が設置され、合併指針のもとに「平成の大合併」がはじまった。これは自民党が機関委任事務制度の廃止と引き換えに分権の「受け皿」づくりを口実として市町村合併を求めたことにはじまる。事実上の国策合併は、合併狂騒曲となって市町村を席捲、分権の主旋律はかき消されてしまった。加えて小泉骨太方針にもとづく三位一体改革(2003年、交付税の削減、国庫補助負担金の削減、税源移譲)と行革圧力(2005年、新地方行革指針-集中改革プラン)のダブルパンチは、市町村の体力を疲弊させ、分権と向き合う余裕を無くしてしまったというのが正直なところだろう。
第一期分権改革を担った地方分権推進委員会の後継として2001年7月に発足した地方分権改革推進会議は、分権・合併・行革のスパイラル現象のもとで改革の推進と調整を果すことができなかった。すなわち、地方分権推進委員会は第一期分権改革を「未完の分権改革」と総括、権限・事務の移譲や、法令による義務付け、枠付けの緩和など検討課題を託したが、地方分権改革推進会議の意見が十分にまとまらず、法制上の措置に到らなかった。
ここで明らかになったことは、ひとくちに地方分権改革と言いながら、実態は分権・合併・行革の同時進行であったということである。その論理は、分権を進めるには受け皿となる市町村の機能強化を図るべきで、そのためには団体自治の規模拡大(合併)と行財政の効率化(行革)が必要だ、としたわけである。
(3) 第二期分権改革(2007年4月~2010年3月、3年間)
第二期分権改革は、2007年4月の地方分権改革推進委員会の発足にはじまる(2006年12月の地方分権改革推進法成立による)。委員会は分権改革推進のコンセプトとして、自治行政権、自治財政権、自治立法権を有する完全自治体=地方政府の確立をめざすとし、権限・事務の移譲、義務付け・枠付けの見直しと条例制定権の拡充、国の出先機関見直し等、第一期分権改革では先送りされた課題について勧告を重ねた。しかし統一性、広域性、専門性を共通主張する各府省の抵抗は大きく、2010年春までに新分権一括法案をとした工程は、2009年8月の政権交代もあって叶わなかった。委員会は、地方交付税の総額の確保、国と地方の協議の開始などを内容とする第4次勧告(2009.11)をもって2010年3月にその役割を終えた。
(4) 第三期分権改革=地域主権改革(2009年11月~2012年12月、3年間)
2009年8月30日の総選挙で民主党が圧勝(308議席)、9月16日民主・社民・国民新3党による鳩山政権が発足した。民主党はマニフェストで、地域のことは地域で決める「地域主権」の確立、国の出先機関の原則廃止を掲げ、政権が「地域主権は1丁目1番地」と呼号する中で、地域主権改革の取り組みがはじまった。11月には地域主権戦略会議を政府内に設置、従前の地方分権改革推進本部は廃止した。これまでの分権改革との相違点は
① 地方分権から地域主権へ、コンセプトの転換
② 審議会方式をやめ、政治主導に
③ 国の出先機関は原則廃止
の3点だろう。
地域主権改革なるフレーズは、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革と定義づけられたが、地方分権との異同、地域概念の不定形性、国家主権との関係等についてあいまいさを拭い切れず、政治的レトリックの域を出なかった。審議会方式から、政策決定と推進を一元化した政治主導は、地域主権戦略会議がその任を担うこととし、2010年6月に地域主権戦略大綱を閣議決定、国の出先機関の原則廃止も盛りこんだ。しかし2010年4月に国会上提された「地域主権改革三法案」(第1次一括法)は1年後の2011年4月にようやく成立、しかも自民党の反対で法文上の「地域主権」は消滅することとなった。2011年8月には第2次一括法が成立したが、第3次一括法は2012年12月に廃案となった。また、国の出先機関の一部を都道府県の特定広域連合に先行移管する国の出先機関改革法案は、2012年8月国会提出が見送られた。
この3年間を通観してみると、権限・事務の移譲、義務付け・枠付けの見直しはかなりの進展をみており、国と地方の協議も法定化されたが、これらはいずれも第一期、第二期分権改革からの継承課題の具体化である。ひも付き補助金の一括交付金化は政治主導の成果とみていい。見直しから原則廃止と意気込みながら潰えた国の出先機関改革は、道州制との絡みが大きく、道州制論議待ちということになろう。この民主党政権下における地域主権改革は、第一期分権改革からの連続性から第三期分権改革の区分としておきたい。
なお、2012年8月、橋下いかさま旋風に屈し、民主・自民をはじめ7党の雷同で成立したいわゆる「大阪都」法案(大都市地域における特別区の設置に関する法律案)は、国盗りの野望をあらわにした橋下大阪市長への阿諛仰合でしかなかった。
(5) 第四期分権改革の展開は ――(2013年1月~)
民主党政権下の地域主権改革をあらためて地方分権改革へリセットするとした安倍政権は、3月に安倍首相を本部長に全閣僚で構成する地方分権改革推進本部を設置、4月には地方分権改革有識者会議を発足させた。2つの組織の役割分担は、推進本部が政策検討を、有識者会議は調査・審議を担うとしている。とりあえずは、権限・事務の移譲、義務付け・枠付けの見直しについて、民主党政権下で廃案となった第3次見直し分と、第4次見直し分を合わせた第3次一括法案を閣議決定、国会へ提出された後6月7日可決、成立した。
一方、今後の分権改革で目が離せないのが道州制の動向だ。自民党の道州制推進本部は、道州制基本法案を取りまとめ、国会提出の機を窺っている。安倍首相も積極的で、すでに衆議院では道州制推進派が多数を占めており、慎重、反対姿勢が強い地方6団体とのせめぎ合いは激しくなるだろう。もし道州制への移行が現実化すれば、集権-分権論議は新たな次元の展開となる。
3. 集権改革としての分権改革
これまで18年間に及んでいる分権改革は、単なる地方分権改革にとどまるものではなく、中央の集権改革(中央省庁改革や機関委任事務制度の廃止など)という側面を持っていることを改めて指摘しておきたい。
本来、自治制度をもつ単一統治国家としては、集権と分権の並存は常態的なものであって、中央集権か地方分権かという二者択一論や、絶対的な中央集権論や地方分権論は有り得ないことが前提である。したがって地方分権は中央集権との相対的関係にとどまり、国と地方の政府間関係を新たに構築し直す分権改革、また一方で集権改革でもあるのである。分権改革を通して、国の役割は国家としての存立事務、全国的な統一事務、地方自治に関する基本的な準則に関する事務、全国的な施策・事業に整理・包括されたが、それらは集権性のもとでこそ機能するものだ。かたや住民に身近な行政はできるだけ地方にとゆだねられたわけだが、国と地方の役割分担に伴う集権と分権は、相互の不断の改革をこそ前提としているものである。 |