5. 対立の根本は何か?
(1) 利害集団
館城にかかわる利害集団(stakeholders)は次の4つである。
①文化庁・北海道教育委員会、②検討委員会、③地域住民、④厚沢部町・厚沢部町教育委員会。
①文化庁・北海道教育委員会の立場は文化財保護法125条に基づく現状変更の可否と整備に関わる補助金支出の可否に関する指導を行う立場である。史跡指定地空間の利用方法について、許認可を与える立場にある。
②検討委員会(註13)は考古学、環境デザイン、地元住民など複数の立場の有識者で構成される。館城整備事業に関しては、もっとも強いイニシアティブをとる。また、委員のうちわけは考古学3人、環境デザイン1人、地元住民1人となっている。考古学が3人と最も多い。
③地域住民は「館観光促進会」を中心とする集団である。地元住民代表の検討委員も「館観光促進会」の代表者が選任されている。旧大字館村を形成していた集落の住民である。昭和30年代から市民活動として館城整備を進めている。遠足で館城を訪れた経験や遊び場として利用した経験があり、現在でも館城を利用した祭りイベントなどを開催している。館城をもっとも身近に感じ、利用している集団である。
④厚沢部町・厚沢部町教育委員会は史跡指定地の所有者・管理者であり館城調査や整備事業の実施主体である。
(2) 指定地内における規制
史跡指定地内においては文化財保護法第125条(註14)の規定により現状変更の規制がなされている。また、史跡整備においては「史跡の本質的価値を構成する枢要の諸要素」を保護することが最低限求められており(註15)、こうした規制は館城整備事業にも一定の制約を与える。しかし、地下の遺構に影響を与えない範囲で行われる復元行為や地表の空間の使い方については明示的な基準は設けられていない。史跡空間全体の利用方法については、法的に明確な基準は存在しないが、現実には文化財保護法第125条の現状変更の制限により規制がされると考えられる。しかし、島田敏男(2006、p116-118)が指摘するように「文化財保護法上では具体的に何を保存するかについては明確に規定されていない」。そのため、「地上の空間全体が保存の対象となっているとすれば、その判断は判断する人の主観に委ねられ、第三者には客観的な判断はできなくなる」という問題を抱える。
(3) 史跡空間をどのように見出しているのか
「米倉」問題と「散兵壕」問題は、利害関係者間の史跡空間の認識の差異が根本に存在する。特に地域住民とそれ以外で認識の違いが大きい。
文化財保護行政・考古学にとって、「館城」という「場」は史跡としての本質的価値を見出した時点で認識され、その空間的領域が設定される。山泰幸(2009)は、考古学的な手続きには顕在的、潜在的な二重の機能があり、潜在的には遺跡を創出する行為であるという(註16)。史跡指定という行為は考古学的手続きの潜在的な機能を行政的に実現する行為である。このようにして設定された「場」は、文化財行政・考古学の共同体内部では考古学的な手続きによって創出された価値以上の価値が付与されることはない。
それに対して地域住民は文化財保護行政・考古学によって館城の歴史的価値を見出される以前から、館城を意味のある「場」として認識してきた。それは、「遠足で焼け米を拾った場」であり、「馬に水を飲ませた場」であり、「水遊びをした場」であり、「ばん馬競馬の会場」である。こうした生活の「場」や思い出の「場」としての価値に史跡としての価値が加わったものが、地域住民にとっての館城の価値である。考古学的な手続きによって創出された価値を至上とする文化財保護行政・考古学の価値観とは相容れない決定的な認識の違いとなる。
(4) 史跡空間の認識と整備手法
このような「場」の認識の違いは、史跡整備に対する考え方の違いと密接に関わってくる。
文化財保護行政・考古学が館城の歴史的価値を最大化することを整備の究極的な目的とするのに対して、地域住民は生活の「場」や思い出の「場」に史跡の歴史的価値を付加してその価値を最大化することをめざす。もちろん、地域住民にとっても古くから館城は「松前の殿様のお城があった場所」という歴史的に価値のある「場」である。しかし、その歴史的な価値は、生活の「場」や思い出の「場」としての館城と分かちがたいものである。
「米倉」や「散兵壕」は、生活の「場」や思い出の「場」としての館城の記憶と強い結びつきを持ちつつ、さらに歴史的価値のある「場」として捉えられていた。そのため、「米倉」に建物がなかったとする調査成果や、「散兵壕」は館城と関わりのある遺構ではないとする調査結果は受け入れがたいものだった。「焼け米」を拾った思い出や、草刈り作業中に戊辰戦争の遺構と思われるものを発見した驚きや喜びが否定されたと感じたとしても無理はない。地域住民にとって、館城の歴史的事実を明らかにすることは至上の目的ではない。生活の「場」や思い出の「場」であり歴史的な価値もある館城に、さらなる歴史的価値を加えて欲しいと願っているのである。
(5) 立体復元と史跡空間の価値
殿舎建築の立体復元は、歴史的価値を視覚的に表現するもっともわかりやすい方法の一つであろう。少なくとも地域住民はそのように考え、たびたび要請活動を行ってきた。
この主張に対しては、①「十分な根拠のない史跡内での立体復元について現状変更が許可されない公算が高い」、②「十分な根拠のない復元は史跡の価値を低下させてしまう」という意見が文化財保護行政・考古学の立場からなされている(註17)。
しかし、すでに述べたように、①「十分な根拠のない史跡内での立体復元」については、「十分な根拠」たるべき基準が明確にされているわけではない。地域住民が主張するように国指定史跡においても、検出遺構を直接の根拠として殿舎建築が復元された事例が多く存在する(註18)。先述の島田(2006、p118)が述べるように、「地上の空間全体が保存の対象となっているとすれば、その判断は判断する人の主観に委ねられ」た結果といえる。館城の保存にもっとも尽力してきた地域住民の意見がその判断からスポイルされることに不満を抱くのは無理からぬものがある。
②「十分な根拠のない復元は史跡の価値を低下させてしまう」との見解については、なぜ復元によって史跡の価値を低下させることになるのかを論理的に説明する必要がある。極論として、存在しなかった天守閣を復元した愛知県小牧山城の事例が示されることがある(註19)。しかし、地域住民が求めているのは架空の天守閣ではなく、館城に存在した可能性が高いと評価されている殿舎建築である。そのような建築物を復元することが館城の価値を低下させるという論理は理解しがたい、というのが地域住民の言い分であろう(註20)。 |