2. 大熊町と広野町のこれまでの経過
(1) 大熊町
2011年(平成23年)3月11日の発災後、翌12日には全町に避難指示が出され、隣接する田村市に避難を開始し、仮役場を同市船引町に設置。同日15時36分に第一原発1号機で水素爆発が発生。3月13日以降、住民の退避が必至となり、多くの住民が、仮役場が設置された田村市総合体育館に移動・避難(この時点で住民の避難場所は各地に散在)。
3月14日11時1分、プルサーマル燃料の第一原発3号機で水素爆発。
4月3日、会津地方へ二次避難開始。同月5日、会津若松市役所追手町第二庁舎に大熊町役場会津若松出張所を開設。同月16日、避難先の会津若松市で、幼稚園、小学校、中学校を開園・開校。同月22日、町内全域が警戒区域設定(原発から20km圏内)。
6月1日、町広報誌の発行開始。同月21日、体育館等の避難所から仮設住宅への入居開始。9月16日、会津若松市に高齢者サポート拠点施設開設。10月11日、いわき市に町役場連絡事務所開設。同日会津若松市に認知症高齢者グループホーム開設。
2012年(平成24年)10月1日、二本松市に町役場連絡事務所開設。
12月1日、警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編される。大熊町は居住地域の96%が帰還困難区域となる。町は「5年間は帰町しない」判断に踏み切る。
2013年(平成25年)4月1日、大熊町役場現地連絡事務所開所。4月8日、大熊中学校会津若松仮設校舎開校。
12月1日、いわき連絡事務所をいわき出張所に組織変更。同月14日、中間貯蔵施設の整備に関する国からの正式要請。
2014年(平成26年)8月31日、中間貯蔵施設の条件付き受け入れ了承。
以上が大熊町の経過の概略だが、他に住民説明会や住民アンケート、長期避難者の生活拠点整備や健康管理、住宅確保や雇用の確保、賠償問題への対応、復興計画の策定など、その事務は多岐にわたる。
さらに事務の遂行を困難にしているのが、町民の避難状況である。
2014年(平成26年)8月1日現在、町民10,882人のうち県内避難者8,266人、県外避難者2,616人。県内避難者のうち、いわき地域4,171人、会津地域2,166人、県中地域1,111人となっており、県外避難者に至っては埼玉県401人、茨城県388人、東京都316人、新潟県268人、千葉県236人をはじめに、北海道から沖縄まで全国36都道府県にわたっている。
(2) 広野町
2011年(平成23年)3月11日の発災後、第一・第二原発の重大事故を受けて、翌12日には第二原発から半径10km圏内に屋内退避指示が発令される。これを受け、避難指示区域以外も含め全町民に自主避難を呼びかける。翌13日、第一原発1号機の水素爆発を受け、同日全町民に避難指示を発令。3月15日以降、役場機能を小野町の小野町民体育館に移転。4月15日、役場機能をいわき市の民間工場の社屋内に再移転し、広野町役場いわき湯本支所として設置。
その後政府は第一原発から半径20kmから30kmの圏内に屋内退避指示を発令し、4月22日に町内全域が緊急時避難準備区域に指定される。これにより乳幼児と妊婦が居住制限を受けることになったが、引き続き全町民に対し自主避難を呼びかける。
9月30日、緊急時避難準備区域解除。
2012年(平成24年)3月1日、役場機能を元の広野町役場に戻し、2011年(平成23年)3月13日に発令した町独自の避難指示を解除。湯本支所は湯本出張所とし一部業務を継続する。
なお、除染については、2011年(平成23年)8月には3人の除染アドバイザーを委嘱し、10月には町独自に家屋の5点(門口、玄関、庭、屋根裏、雨樋)モニタリングを実施する。同年11月には国の除染モデル実証事業として、文教・公共施設を中心に31haの除染を開始する。同年12月「除染実施計画(第1次)」を策定。2014年(平成26年)5月時点で、一般住宅の97%、生活圏から20m以内の森林の92%、農地の93%の除染が完了している。
2012年(平成24年)6月、個人線量計を1,427世帯に配布。8月、広野小学校、広野中学校の再開時に小学生にガラスバッジを配布。
2013年度(平成25年度)には、線量計を、ガラスバッジを持った小中学生以外の個人1,113人と496世帯に配布。
町民の避難状況は、2014年(平成26年)5月14日現在、町内居住者が1,530人、県内避難者が3,176人(内いわき市3,058人)、県外避難者が419人で、町内生活者は週3~4日の方を含めて2,000人から2,500人になっている。 |