【要請レポート】

第35回佐賀自治研集会
第3分科会 人口減少にともなう自治体・地域のあり方

 過疎・高齢化地域である弁財天集落に活気を取り戻すため、そこに暮らす高齢者自らが一念発起して、毎年一千本以上の石楠花を植栽。計画から6年後の2005年、石楠花の開花に合わせて交流イベントである「第1回石楠花まつり」を開催するに至りました。過疎の現実に向き合いながら石楠花まつりを継続していく中で、地域活性化とは何かを考える機会となった事例を報告します。



高齢化率100% 11世帯19人の地域に4万人(事例報告)
―― 「弁財天」集落で石楠花一万本の取り組み ――

奈良県本部/宇陀市職員労働組合 山中 一夫

1. はじめに

 宇陀市は奈良県の北東部に位置し、東側は三重県に接しており、近鉄大阪線によって京都・大阪や名古屋・伊勢方面と結ばれています。また、宇陀市から大阪方面への自動車によるアクセスは、西名阪自動車道で約1時間の距離にあります。
 宇陀市の面積は奈良県全体の6.7%、その内72%を山林が占め、大和高原とも呼ばれる高原地帯に位置しています。弁財天地域はその中で最も標高が高い約650メートル付近にあります。
 宇陀市は2007年1月1日に、宇陀郡6町村のうち室生村・大宇陀町・菟田野町・榛原町の4町村が合併して誕生しました。私は室生村職員組合の出身で、統合前は組合員約100人の単組でした。
 組合も4町村職とも自治労加盟であったため、合併2年前から合併対策委員会を立ち上げて組織統合にむけた議論を進めてきました。大宇陀町では2006年10月に最高裁判決で勝訴した「管理職範囲裁判闘争」をたたかってきた経過があり、室生村職、菟田野町職も同様のたたかいに着手するなど奈良県本部の中では最強の「市職」になるのではないかと期待されていました。
 しかし、合併後の組合運営は非常に厳しく、当局からの圧力と大単組に慣れていない組合員の不満等から非組合員の増加に歯止めのかからない状況です。しかし、合併後8年経過した現在、組合員数は減ってきましたが組合活動のいろんな場面の取り組みが徐々にできてきている良い面もあります。こうして、全国自治研で発表させていただけることも、宇陀市職活性化・組織強化につながるものでとてもありがたいと思っています。
 さて、合併当初約37,000人だった宇陀市の人口は現在約33,000人、高齢化率34%で、1995(H7)年の約42,000人をピークに減少し続けています。弁財天集落の現在の世帯数は、わずか11世帯、高齢化率100%、自治会員数(在住者)19人、平均年齢80歳以上。いわゆる「限界集落」と呼ばれ、既に「消滅集落」への一途をたどっています。

  宇陀市の人口割合の推移

 かつては、国道369号線が弁財天地域の中を通り、地域の生活道として、また室生寺や曽爾高原など近隣観光地へのアクセス道として地域に活気をもたらしてきましたが、標高が高く冬季の積雪が非常に多いことから、凍結による交通障害を回避するため、1995年に弁財天地域の下を通り抜けるトンネル(開路トンネル)が開通しました。交通量は激減し、最初のうちは「安全で静かになって良かった」と思っていたのが、時が経つにつれ「このままでは弁財天は忘れ去られてしまうのでは?」との危機感に変わりました。
 本来、道路整備は弁財天集落にとっても利益をもたらすものであったはずが、トンネルの開通により高齢者しか残っていない弁財天集落は活気を失いました。
 そこで、弁財天在住の高齢者自らが、氏神である金刀比羅神社の参道や境内に昔から咲いている石楠花を、境内一面に植栽し、花の名所として地域の活性化することを一念発起し、1999年に弁財天在住者で構成する「石楠花の丘管理会」が組織され、後に、弁財天出身者とその家族等による「青年倶楽部」が結成されました。

2. 取り組み

年(月) 内 容 石楠花本数
1995年 開路トンネル開通  
1999年 石楠花の丘管理会結成 植栽始める
2005年5月 第1回石楠花まつり開催 6,000本
2005年11月 青年倶楽部結成  
2009年~   10,000本

(1) 石楠花の丘管理会の取り組み
① 資金の調達
  ・弁財天出身者などから寄付金を集めると共に、氏神である金刀比羅神社の境内の整備であることから、神社の増工費用を利用。
  ・補助金の活用。
② 石楠花の植栽と管理
  ・1999年より、毎年一千本のペースで植栽。
   樹齢の大きい石楠花の株は各家庭から持ち寄る。
  ・石楠花の丘の維持管理(植栽・草刈り・花柄つみ・肥料等)。
③ 観光地としての整備

  案内板(トンネル出入口付近に設置)

  ・氏神である金刀比羅神社の境内(約3ヘクタール)の山あいを整備し遊歩道などを設置。
  ・関係機関に働きかけ、国道369号線のトンネル名を開路トンネルから弁財天トンネルに名称変更。
  ・㈱奈良交通バス停を移設し、停留所名を名称変更。
  ・駐車場や案内看板等の設置。
④ PR活動
  観光協会・観光連盟に加盟し、観光ポスター・パンフレットなどによる啓発活動。


(2) 青年倶楽部の取り組み
① 会 議
  ・イベントの打ち合わせ・運営方法の検討。
  ・集まった機会を利用し、弁財天地域に纏わる歴史や地名の由来などの調査。
  ・特産品などの検討。
② 資料等の作成
  ・観光パンフレット、その他必要な資料等の原案作成。
  ・補助金(コミュニティ助成事業・宇陀市地域活性化補助金)等の事務手続き。
③ 活動の協力
  ・実行委員として石楠花まつりへの参画と、石楠花の維持管理作業の協力。

(3) 交流イベント(弁財天石楠花まつり)の開催
 弁財天集落は標高650メートル付近に位置する山間部であるため、平野部より花の開花が1週間から10日遅い。これを利点とし、見ごろを迎えるゴールデンウイークに石楠花まつりのイベントを開催しています。
① 石楠花まつりの目的
  石楠花まつりを通じ、観光客や近隣地域の人々に弁財天を訪れてもらい過疎地域の現状を体感してもらう。
  また、故郷を離れて生活する弁財天出身者同士の交流をはかり、人と人のつながりを大切にして地域活性化について考える機会を提供し、弁財天集落の存続について考える。
② 石楠花まつりの概要
  イベントの開催は、ゴールデンウイーク期間(5月1日~6日)、運営には弁財天在住者と弁財天出身者とその家族などが終日帰省し、実行委員として参画している。
  ・催し物の開催:和太鼓や中学校吹奏楽部の演奏など、地域の団体等の協力を得て開催。
  ・模 擬 店 :(みたらし団子・山菜うどん・たこ焼き・こんにゃくなど)の出店。
  ・販売コーナー:地元の良さをアピールする手づくりの品の販売など。

【イベントの様子】
 
模擬店を手伝う出身者の家族(小学生)   和太鼓の演奏(近隣地域の団体)

3. 取り組みの成果

 ・地域を活性化しようとする高齢者の熱意が弁財天を離れていった子どもや孫の心を動かし、2006年に地元出身者とその家族などで構成する「青年倶楽部」を組織し過疎の現実と向き合うようになった。
 ・開園から3年目には3,600人の集客があり、これまでの入山者(高校生以上)約3万人、団体や関係者その他を含めると、現在まで延べ4万人以上が弁財天を訪れた結果となり、過疎地域の実情を知ってもらう機会を提供できた。
  また、訪れた方々から、様々な意見や励ましの言葉があり、近隣地域や他の団体との交流を深められた。
 ・これまでの努力が認められ、日本観光協会「奨励賞・花の触れ合い賞」や東大和西三重観光連盟「功労賞」を受賞し、活動の励みとなっている。
 ・石楠花の維持管理(花柄つみ・肥料・除草作業等)に、近隣地域の自治会からボランティアで協力を得られるようになった。

4. 今後の展望・課題

  県道28号の現状(幅員が狭く観光バスは通行不可)

(1) 観光ルートの開設
 県道28号は、国道369号へのアクセス道路であると共に、観光地である室生寺と弁財天石楠花の丘を結ぶ路線でもありますが幅員が狭く観光バスは通行できず、普通車でも対抗が困難な狭い道路となっています。
 弁財天に観光客を誘致することで、観光ルートが開ければ、近隣地域の活性化と県道28号線の拡幅の早期実現につながると確信し、関係機関への働きかけを続けます。

(2) ヒューマンパワーの充実
 来場された皆様にアンケート調査を実施しており、その中で、石楠花の花柄つみ・下草刈りなど手伝いたい。といったご意見もいただいている。石楠花まつりを通じて、より多くの観光客や地域の方々と交流を深め、過疎地の現状を体感していただくことで、ヒューマンパワーの不足をイベントボランティアなどで協力いただけるような活路を見いだしたいと考えています。

5. 考 察

 石楠花まつりは今年で10回を数えましたが、石楠花まつりそのものは賑わいをみせるものの、弁財天集落の現在も人口は減少し続け、消滅集落防止への打開策とはなっていません。
 ただ、平均年齢80歳以上の在住者自身が何とかしようという危機感を持ち、自分達で活性化の取り組みを考え、目的をもって日々暮らしたことが、子どもや孫を動かし、「石楠花まつり」を開催するに至り、弁財天が宇陀市の花の名所のひとつとなったのは事実です。このことから弁財天地域における活性化とは、その地域に住む人たち自らの熱意の波及効果と考えられます。
 今後はいかにこの集落を地域を存続させるか、それは自分達の子どもや孫へと継続していけることなのかを、青年倶楽部が中心となり、在住者だけでなく、弁財天を離れて行った子どもや孫、弁財天に興味を持ってくれる人々も含めて考える機会を設け、みんなで方向性を決めていく必要があると思われます。

6. おわりに

 限界集落とは、65歳以上の高齢者が、人口比率で住民の50%を超えた集落のことを指し、中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきています。このような状態となった集落では、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされており、共同体として生きていくための「限界」として表現されています。旧国土庁が1999年に行った調査においては、やがて消え去る集落の数は日本全体で約2,000集落以上であるとしており今後も増え続けるでしょう。
 少子化、人口減少の今、全体の就労や家族の利便性を考え、生まれ育ったふるさとから離れて暮らす人は後をたちません。自分のふるさとが「限界集落」に指定されたら……さみしい気持ちは万人共通ではないでしょうか。この共感を熱意に変える工夫、活路を見い出していきたいと考えています。

【2006年5月】 【2014年5月】
 
   
 
   
 

年(月)

内 容

備 考

1995年(H7年)

開路トンネル開通

 

1999年(H11年)

石楠花の丘管理会結成

 

2005年(H17年)5月

第1回石楠花まつり開催

6,000本

2005年(H17年)11月

青年倶楽部結成

 

2009年(H21年)

 

10,000本達成

2014年(H26年)5月

第10回石楠花まつり開催