1. はじめに
東北地方及び東日本に渡って未曾有の災害をもたらした東日本大震災は被災後3年以上を経過した現在も復興が進まぬ状況にある。我々の想定を超えた大地震は、自治体の災害に対する認識の甘さを露呈させるとともに、今一度災害に強いまちづくりとは何かということを真剣に問うきっかけとなった。また、地震に伴う津波による東京電力福島第一原子力発電所の事故は、特に未来を担う小さな子ども達に不安を与え、日本のエネルギー政策の見直しの必要性を国民に投げかけた。
2. 牛久市の被害状況
今回の震災で、少なからず被害に遭った当市における地震被害を総括しておく。当市においては震度5強を計測。2014年4月30日現在の報告として、住宅被害は全壊3棟、半壊106棟、一部損壊は2,992棟、公共建物でも60棟を数えている。また、人的被害としては死者1人を出すなど、震源地から離れている当市においても甚大な被害が生じた。
ライフラインに関しては、3月11日の地震発生後、市内一部地域で停電が発生、翌12日朝に全面復旧。水道に関しては、3月11日から14日まで市内水道停止、14日深夜に市内全域ほぼ復旧という状況で、幸いにもガスに関しては被害なしという状況であった。交通機関に関しては、地震発生後、市内で線路が陥没し、JR常磐線が全面運休となった。東京のベッドタウンとなっている当市の市民にとって、交通の機軸となる電車網の寸断は致命的であり、3月19日になってようやく上野-土浦駅間が運行再開されるなど、市民生活の足が大きく制限される事態となった。
3. ガソリンを巡る騒動
東日本大震災では、災害・被災状況の確認、支援・復旧の要となるべき自治体の体制そのものが崩壊するという重大な事態が発生した。想定外といわれた大地震に伴い、各ライフラインに甚大な被害が生じ、特にガソリンの不足が生じたことは、我々の記憶にも新しい。ガソリンを求めて、皆が少しでも空いているガソリンスタンドを探して右往左往し、店舗前から数キロに渡って車の列ができるなど、今となっては信じられない光景が日本各地で見られた。震災後、今でもあの悪夢のような状況を教訓に、常にガソリンを満タンにしているという知人も私の周りに少なくはない。
一時的なガソリン供給ストップに加え、普段余り車を利用しないドライバー達の不安が助長され一斉に給油しようとした結果、あのようなガソリンを巡る騒動が生じたのであろう。
このガソリン不足に伴い、日常生活及び被災地支援への移動手段が制限されたことは、地震発生直後の迅速な支援活動に影響を与えた。多くの自治体は、「自治体が自治体を助ける」ために複数の自治体との間の相互支援協定を結んでいる。3月16日、当市においても姉妹都市である茨城県常陸太田市に給水車を手配し、支援のため職員2人を派遣している。しかし、今回の東日本大震災では、災害支援の中核を担う道路の崩壊に加え、ガソリン不足により、支援はしたいが物理的にできないというもどかしい状況が全国各地で発生した。
4. 牛久市バイオマスタウン構想
当市では2008年3月に「牛久市バイオマスタウン構想」を公表した。バイオマスタウン構想の7つの施策として、①廃食用油のバイオディーゼル燃料化、②遊休農地を活かした資源作物の栽培、③食品廃棄物の堆肥化・バイオガス化、④木質バイオマス(剪定枝など)のパルプ化、堆肥化、⑤し尿汚泥の肥料化、⑥稲わら・もみ殻の炭化利用(土壌改良材)、⑦野菜未利用部の堆肥化・バイオガス化が挙げられる。これらの目的としては、地域社会の構築による地球温暖化防止や地域の活性化、環境に資する事業のビジネスモデル化、バイオマスの広域利活用などがある。
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(注)牛久市ホームページより引用 |
5. 廃食用油のバイオディーゼル燃料化
その中のいくつかの施策のうち、地域に存在するバイオマスの一つである廃食用油を有効活用することにより、地域循環型社会を構築し、地球温暖化防止をめざす取り組みを紹介したい。
農業従事者の高齢化と跡継ぎ不足などで生じた市内の耕作放棄地に、菜種を植え、その菜種を収穫・加工し菜種油を精製する。それを学校給食で利用し、調理の際に出た廃食用油を回収。市内のBDF(バイオディーゼル燃料)精製施設で精製し、公用車の燃料として使用するというモデルである。バイオマスの輪は、牛久市内だけにとどまらず近隣にも広がっている。BDF協定を締結している阿見町、龍ケ崎市、取手市、土浦市をはじめ、近隣市町村と協働して、広域的に収集・利用。また民間企業とも協力関係を作り、エネルギーの提供を行っている。
具体的には、2009年4月から牛久市奥原町の牛久クリーンセンター敷地内にバイオディーゼル燃料製造施設が稼動した。製造能力は日量200リットル(廃食用油230リットルからBDF200リットルを製造)、運転体制としては、2012年4月1日からは、牛久市が出資している「うしくグリーンファーム株式会社」が行っている。
2012年度の実績では、BDF利活用状況は廃食用油回収量が、家庭系で年7,831リットル、小中学校・保育園・幼稚園で年11,864リットル、事業系で年65,187リットル、合計年84,882リットルとなっている。一方、BDF製造としては、54,760リットル(CO2削減量71トン)という状況である。その利用先としては、市公用車(15台)、公用バス(3台)、牛久クリーンセンター内作業車(3台)、ごみ収集車(委託4台)、隣接市町公用車(阿見町・龍ケ崎市・土浦市)、コミュニティバス(牛久市・土浦市)などで燃料として37台に利用されている。
まだ、採算的には厳しい面もあるこの「BDF」ではあるが、この燃料が、東日本大震災では思わぬところで威力を発揮した。
牛久市バイオディーゼル燃料製造事業概要 |
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○BDF製造施設(※上記写真)
・場 所 牛久市奥原町3550-2 牛久クリーンセンター敷地内
・製造能力 200L/日(廃食用油230LからBDF200Lを製造。)
・建設年度 平成20年度(3月完成、21年4月稼働)
・運転体制 うしくグリーンファーム株式会社(平成24年4月1日から)
・施設規模等
バイオディーゼル燃料製造施設
建屋 面積46.2m3 8,600(間口)×5,500(奥行)×3,480(高さ)
事業費
機械本体、付帯設備、建屋工事 20,374千円 |
○目 的 20年3月に公表した牛久市バイオマスタウン構想の施策のひとつで、地域に存在するバイオマスの一つである廃食用油を有効活用することにより、地域循環型社会を構築し、地球温暖化防止を目指す。
○BDF利活用状況
廃食用油回収量
(23年度) |
一般家庭系 年 5,964リットル
事務系 年 57,745リットル
学校・保育園 年 14,515リットル
計 年 78,224リットル |
BDF製造
(年度別) |
23年度 51,600リットル
22年度 45,680リットル
21年度 21,400リットル |
利用先 |
市公用車(15台)・公用バス(3台)・クリーンセンター内作業車(3台)・かっぱ号(コミュニティバス)・ゴミ収集車(市内委託業者)・スーパーマーケット配送車など31台で燃料として利用 |
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6. 被災地支援でも活躍
宮城県色麻町や亘理町といった東北の被災地などに向け、当市では3月15日以降、数十回に渡り被災地支援を実施。BDF燃料に対応した2トントラックなどの公用車を使用し、米やベビーフードなどの食料品や携帯ガスボンベなどの生活用品、ガソリンなどを積載し、被災地支援に飛び回った。特に亘理町へは、4月1日以降、救援物資搬出や、災害派遣隊を数回にわたり派遣するなど、BDF燃料の公用車を使い精力的に被災地へ出向いた。ガソリン不足で、車両での移動に二の足を踏む状況の中、思わぬところでBDFが役に立つこととなり、地域循環型エネルギーという視点以外の「災害時の代替エネルギー」としてのBDFの有効性が実証されることとなったのは、我々牛久市にとっても想定外であった。
牛久市のバイオマスの取り組みはメディアでも頻繁に取り上げられている。BDF製造事業についてや、BDF車での被災地への災害派遣について、様々な形で取り上げられた。多くの方々・事業者・行政からも問い合わせが寄せられており、経済産業省、大学の研究室等からも問い合わせがあった。2013年6月、これらの実績などもあり、牛久市は現在日本に8カ所にしかない国の「バイオマス産業都市」に認定。この認定により、今後は国からアドバイスや財政的支援を受けられることになる。
7. おわりに
東日本大震災の記憶が風化し始める中、「災害に強いまちづくり」を実践していくことは自治体職員にとって緊急の課題である。実際に災害の現場の中で学び、感じたことをこれからのまちづくりに実践していかなければならない。2011年3月の東日本大震災以降、非常時のエネルギー確保が重要な課題となっている。牛久市では、防災拠点への太陽光発電や蓄電池などの設置も積極的に行っている。牛久市職員自らも被害を受けた中、より甚大な被害を受けた自治体に対して支援を行ったことは、その後の災害に強いまちづくりにおいても大きな経験となっている。地域循環型エネルギーの「BDF」をさらに活用し、多様なエネルギーを確保して災害に備えていくことが、防災の一つの方法として考慮されるべきである。そのためにも、この事業をより軌道にのせ、確固たるものとするために、今後、家庭から出る廃食用油の回収率向上やBDFが使える公用車の積極的な導入などが課題となっている。「災害に強いまちづくり」と「環境に優しいまちづくり」という一見別物とも思えるまちづくりが、牛久市の皆さんの安全安心を支えるものとなっていくことを期待したい。 |