田舎流の「合理化」探る
「カネにならん」と見捨てられてきた背戸山(裏山)の落葉広葉樹を買い上げる試みが、広島県北広島町の芸北地区で始まった。引き換えに、地元の店で使える地域通貨「せどやま券」を渡す。音頭取りは地元のNPO法人・西中国山地自然史研究会。近藤紘史理事長(72)に狙いを聞いた。
―合言葉は「せどの木を出して晩酌を」だとか。
軽トラもチェーンソーも、この辺りの家には大体そろっていますからね。裏山の掃除がてら切った木を持ち込んでくれたら1㌧当たり6千円で買い取ります、一杯やるくらいの小遣いになりますよ、という意味でして。高知の山で間伐材を買い上げ、地域通貨を渡している仕組みにそっくり倣い、キャッチフレーズもアレンジして使った。
―実際、缶ビールや焼酎に化けてるようですね。
昨年10月の初日には丸太を積んだ軽トラが列を成し、2カ月ほどで計70㌧が持ち込まれた。地域通貨は地元の協力で商店や食堂、農機具の販売店、温泉、給油所などで使える。運転資金も広島県の補助で工面できた。ボイラーの燃料や薪に加工すれば採算が取れる。3年の補助期間中に、集めた木の販路に見通しをつけるのが課題です。
―「せどやま」というのは方言ですか。
方言ではありませんが、最近ではあまり使われなくなりました。高度成長の頃までは、子どもが大学に行くなら、せどにある樹齢100年ほどの杉を3本も切りゃあ、入学金くらいにはなる。嫁入りさせるときはヒノキを30㌃分くらいと、見当がついたものだった。
―今回は、針葉樹の間伐ではなく落葉広葉樹ですね。
ここらでは「マキ」と呼ぶコナラです。杉やヒノキと違い、切り株から自然と芽が生えて20年くらいたてば元の林に戻る。たたら製鉄の時代から中国山地では、そうやって山に手を入れてきた。近ごろ問題視されている「ナラ枯れ」は、そんな生業のリズムを断ち切ったがためと思えてならないのです。
―確かに裏山に竹やぶが迫る過疎地は珍しくありません。
芸北では幸い、竹やぶこそないのですが、人里と山との境目がやはり曖昧になりつつある。
イノシシや猿、クマの出没が目立だしたのも、それが一つの理由。それに程ほどに木を切るからこそ日差しや風が入り、山野草が生え、昆虫や小動物がすむ環境も整う。生物多様性が保たれてきたのです。
―生物多様性が保たれるほど、人間社会も長持ちするという考え方でしたね。
芸北の生活文化のシンボルが「せどやま」。山菜はもちろん背戸に入れば牛の飼い葉になる草から薪から、稲を干すハデ木の材と何でもある。冬は雪ぞり、夏は木馬と呼ぶそりで山から材を出す技術もかつてあった。廃れる寸前の遺産を見直そうという思いが根っこにある。
―高度成長以前の暮らしに戻ろうということですか。
そうではありません。都市中心の、行き過ぎた浪費社会を正すためにも、山里暮らしのリズムをまず、私たち自身が取り戻したい。3.11の後、再生可能エネルギーに対する世の関心が高まっているせいか、まきストーブも普及し始めている。
―「息をのむほど美しい棚田」こそ守るべき国柄だと安倍晋三首相は環太平洋連携協定(TPP)への参加表明でも言い切りましたね。
残念ながら棚田を守ろうという風潮は感じられません。農政は相変わらず大規模化、集約化が主流ですし。声高な「強い農業」も米国に負けるな、もっと合理化を―と無理強いしているように聞こえてならない。言葉の意味合いをはき違えている。
―どういうことですか。
これだけ南北に長く、山野河海に富んだ日本列島なのに、一律の大規模化や集約化ということでいいのかどうか。それぞれの土地に合ったやり方がもっとあるはず。最近、こう思う。芸北を選んでくれて花が咲き、木々が育っているんだと。そう受け取れる風土がこの地にはある。個々人や地域が風土に合った生き方を考え直す、そんな田舎流の「合理化」を極めたいと思います。 |