1. はじめに
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北太平洋岸地域の漁業・水産業に致命的な打撃を与えました。茨城県も例外ではありません。
茨城県の沿岸地域は、漁船や漁具の損壊・流失にとどまらず、漁港及び共同利用施設等の損壊といった直接的被害を広範囲に受けたうえ、福島第一原子力発電所事故の影響による水産物への風評被害が問題となっています。
特に県北部地域(北茨城市~日立市北部)では被害が大きく、沿岸漁業の主体となる船びき網漁業については、体勢の立て直しに多くの時間を要しています。
震災発生後から約3年が経過するこの間に取り組んできた水産業改良普及活動を整理しながら、今後の復興のあり方について考えてみたいと思います。
2. 震災被害状況下における水産業改良普及活動
(1) 被害状況の把握と復興支援策の情報提供
震災直後は、被害状況の確認に重点を置きました。しかしながら、ガソリン不足等を理由に現地に行くことを控えるよう指示があり、近隣の地区は自転車で現地を訪ねたり、遠方は携帯電話等で情報収集を行ったりしましたが、思ったような活動ができませんでした(地区によっては、「こういうときにこそ、現場にいち早く来るのが普及指導員ではないのか」と今だに震災被災直後の浜回りが遅れたことに対する不満をぶつけられる普及員もいます)。
3月下旬に公用車の使用が緩和されてからは、国や県の震災対応の金融支援や補助事業の内容などについて、漁業者や漁協に対し情報提供するとともに、震災対応に関する対策・要望等のニーズ調査に努めました。
(2) 漁業士会活動との連携と支援
茨城県漁業士会(会員数77人)では、風評被害による買い控えや価格低迷などで苦しむ県内の漁業者を支援するため、震災から間もない2011年4月に緊急正副会長会議を開催し、安全性が確認されている水産物のPR活動を実施する方針を固め、県に協力を申し入れました。
これを契機に県内大手スーパーであるカスミと連携して「地元漁業を支え合おう!」フェアーを企画することになり、店頭で魚介類を推奨販売し地元水産物の安全・安心をアピールしています。
(株)カスミ、(株)サンユーストアー、(株)スーパーマルモ、(株)スーパーヒロセヤ、(株)結城ショッピングセンターなどの協力を得て、2011年が県内7店舗で延べ10回、2012年が県内3店舗・県外1店舗で延べ5回、2013年が県内8店舗・県外4店舗で延べ18回実施し、これまで総計33回を数えます。
魚介類を実際に獲っている漁業者の顔が見えることで一般消費者からの評判も良く、好意的に捉えられて、この取り組みは今後も継続して実施していく予定です。
水産業普及指導員としては、風評被害を払拭するべく、これら復興関係企画への資料・情報提供を行うとともに、自ら出向いて一般消費者の反応を見極め、効果的な宣伝方法を模索しています。
(3) 復興策への漁業者の意見を反映させる取り組み
2011年5月に東京海洋大学品川キャンパスで行われた漁業経済学会緊急企画「東日本大震災と漁業・漁村の明日」で、元漁業士会長が講演者として参加し、被災した漁業者の再出発を支援するために、「緊急時限的融資制度の改正と特例被災制度資金の新設」「風評被害の補償と対策」「関連産業の救済」「漁業者に対する心のケアの早期実施」の4つの柱を提唱しました(7月に東京ビックサイトで開催された大日本水産会シンポジウム「大震災を超え、再生しよう新しい日本の水産業へ」でも同様な提言を行いました)。
同じく5月に行われた衆議院東日本大震災復興特別委員会審議において、水産関係として茨城沿海地区漁業協同組合連合会の専務理事(指導漁業士)が参考人として立ち、「制度資金の償還期間延長」、「水産関連産業の復興に対する一括した取り組み」、「放射性物質の責任ある検査体制の構築」等について国へ要望しました。
6月には、県内漁業者による任意組織「明日の茨城の水産業を考える会」の呼びかけにより、ひたちなか市において水産庁・水産業復興プロジェクト支援チームを招き、明日の茨城の漁業・水産業を考える集いが開催され、県内の漁業および水産加工業関係者92人が集まり、震災による被災の現状と窮状について訴えるとともに、早急な震災対応策を要望しました。
水産庁からは、「借りやすく使い勝手のよい資金制度を創設されたい要望は理解したので、国の震災復興支援に当たっては、水産庁としてきっちり対応していきたい」旨のコメントがありました。
また、8月には、茨城県漁業士会の主催で県として茨城の沿岸漁業をどのように復興していくかを情報提供し、今後の希望ある操業再開への下支えとするため、特に他地域と比較して震災による直接的被害および福島第一原発事故の影響が大きく、体勢の立て直しが遅れている県北部地域を会場に設定して、震災復興に向けた行政懇談会を開催しました。
県からは、「漁港・共同利用施設の復旧について」「沿岸漁業の操業再開について」「沿岸漁業者への支援制度について(融資制度等)」の説明があり、「先ずは通常の操業を再開したうえで、放射性物質の検査を行い、風評被害による打撃を被った際には然るべき損害賠償を求めていく」ことで県と地元漁業者の意見が一致しました。
このように様々な機会を活用して、漁業者から出されている意見・要望を国や県の復興支援策に反映できるよう、その活動を支援してきました。
3. 復興に向けての留意点
東日本大震災からの漁業・漁村の再建方策については、各界の著名な有識者から提言・提案がされていますが、沿岸漁業は全国一様ではなく、地域によりバリエーションが多彩で千差万別であり、復興に際しては、地域の実情に即した取り組みが必要となってきます。
我々、水産業普及指導員は、現場段階において、これらの提言・提案をそのまま当てはめるのではなく、その地域特性、業態、もっと細かくいえば、各個別経営体に応じた内容に組み替えて、対応することが求められることになります。場合によっては、グループ化も必要になります。
そのためには、地域の特徴や背景、復興対策事業の仕組み、各種制度に関すること等、広範な知識を身につけて、自分でも、その地域漁業のあり方についてビジョンを持って取り組むことが何よりも肝要です。
漁業経済学会緊急企画で広島大学の山尾教授は、スマトラ沖地震・インド洋大津波被災地の復興過程を調査した結果、「復旧はできたが復興には至らなかった地域があった」「若手が将来やりやすいようにと、担い手を強く優先したコミュニティを構築した地域はうまくいった」「地域のコミュニティを再構築できた地域では、外部からの調整役が活躍した」と報告しています。
これから見えてくることは、仮に「復興対策」が"縦糸"であるとすれば、「担い手対策」は"横糸"です。縦糸と横糸を上手に編んでオーダーメードで織物に仕上げることが、「外部からの調整役」である、我々、水産業普及指導員の果たす役割ではないでしょうか。
今回の震災を漁業者のなかには、これまでの様々な柵(しがらみ)でできなかったことに取り組む絶好の機会と捉えている者が少なからずおり、震災からの復興に向けての留意点は、現状復帰でなく、漁業・漁村の再構築による復興であると考えています。
4. 分かち合いの精神による復興を(まとめに代えて)
震災後の漁業再開に当たり、県南部地域では、利根川河口域でのシラスウナギ種苗を採捕する掛け袋網の水揚を津波で漁船が被災した漁業者の分を含めてプール配分していました。貝桁網でも同様な取り組みがなされました。また、旋網では、運搬船、探索船、網船を被災した船団が、それぞれを補い合って共同で操業したり、水揚の制限を設け、それを超えた分については、漁協が預かり、復興支援に使うなどの相互扶助の精神が見られました。
このように共同体的な助け合いが有機的に機能する一方、他の地区のある業種では、自分の漁船は無傷だったので、他の漁船は津波で被災し復旧中のなか、他人のことはかまわずに、我先に操業を再開したことに対して、業種別団体の中でも足並みを揃えるべきではないかと批判を受けたケースもありました。
別冊「水産振興 東日本大震災と漁業・漁村の再建方策」(発行:財団法人 東京水産振興会)で東京大学社会科学研究所の加瀬教授は、同じ地区であっても被害の状況は漁業者間で大きく異なっており、漁船その他の生産手段も家屋も失った者とそうでない者とでは、再建の出発点で経済的にも気力の面でも大きな差異があり、被害が軽微であった者が操業を再開して徐々に平常に戻っていくのに対して、生産手段を失った者は対応策を待てずに格差を拡大させられていき、放置しておけば漁業者間の利害対立を招きかねないと指摘しています。
漁業者による自律的な助け合いを期待しつつ、生産手段を失った者とそうでない者とのバランスをどのように取りながら、今後、どう復興を支援していくべきかを悩みながら取り組んできました。
……あの日から約3年が経過しました。
今、茨城の漁業は、いつのまにか、震災前とほとんど何も変わらずに復旧(必ずしも復興ではない)している感があります。
漁港・荷捌き施設などハード面は、徐々に"復旧"していますが、福島第一原子力発電所事故による放射性物質の影響は今でも収束がみられません。
さらに、風評被害によって漁獲物の取引が手控えられ、漁業者が操業したくても操業できない状況も目の当たりにしました。
漁業者の高齢化と後継者不足、魚価の低迷、資源の減少、燃油の高騰は漁業を表現する枕詞のように使われていますが、これにさらに福島第一原子力発電所事故による放射性物質の問題も加わり、漁業を取りまく状況は厳しいものがあります。
しかし、国民に新鮮で安心な魚介類を提供することを生業とする漁業者が希望を失わず、未来永劫、漁師として生きることを望む人たちがいる限り、これからも我々水産業普及指導員は、「漁民の友(※)」として漁業者と一緒になって、「漁業・漁村の明日」に向かって歩んでいきたいと考えています。震災からの復興への道は、未だ半ばです。 |