【自主レポート】 |
第35回佐賀自治研集会 第5分科会 発信しよう! 地域の農(林水産)業 つながろう! 生産者(地)と消費者(地) |
2006年3月、旧三田川町と旧東脊振村が合併し吉野ヶ里町が誕生しました。当時農林課に所属していた私は、「農産物で吉野ヶ里町の特産物を確立させたい!!」という強い思いから、検討を重ねました。本レポートは、耕作放棄地解消・有害鳥獣対策・農業者の所得向上・町の観光資源の振興という4つの視点からの取り組みをご紹介いたします。 |
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1. はじめに 2006年3月、旧三田川町と旧東脊振村が合併し吉野ヶ里町が誕生しました。当時農林課に所属していた私は、「農産物で吉野ヶ里町の特産物を確立させたい!!」という強い思いから、日々様々な検討を繰り返していました。ある日、当時の上司と宴会の席で、たまたま町名の吉野ヶ里とガーリック(ニンニク)をもじって「吉野ガーリック」というネーミングを思い付き、上司に相談しました。 2. 松本茂さんとの出会い 翌日、私は早速松本農園に足を運びました。残念ながら御本人とはお会いできませんでしたが、奥様に気持ちを伝え、その日は帰りました。後日再度訪問し、御本人とお話をする中で、行政に対する不満や不信感が次々と出てきて最後には「帰れ!」と言われてしまいました。私はどうすることもできずにその場を後にしました。しかし、私はそのときに目にしていました。軒下にぶら下がっている赤ちゃんの頭位の大きさのニンニクを。「すごい、これを『吉野ガーリック』として販売したい!」改めて強く思いました。 3. 「吉野ヶ里町にんにく部会」の設立 さて、とりあえず松本さんには了解を得たものの、どのような形で具現化していくのか検討を重ねました。そして2007年7月、耕作放棄地解消・有害鳥獣対策・農業者の所得向上・町の観光資源の振興という4本柱を軸とした「吉野ガーリックプロジェクトチーム」を立ち上げました。 4. 「吉野ヶ里町にんにく部会」の活動 松本さんを迎え、2ヶ月に1回程度の勉強会を開催しました。これまで各農家が個々に行っていた作業を協業化し、科学肥料、農薬を極力使わない方法を検討し、安心安全な農作物を栽培することをめざしました。
クボタeプロジェクト(耕作放棄地再生支援)概要
2009年に耕作放棄地を解消した面積は約13a、2010年6月上旬に収穫予定である。 |