【自主レポート】 |
第35回佐賀自治研集会 第8分科会 男女がともにつくる、私たちのまち |
DV(ドメスティック・バイオレンス)専門相談員として働き始めて見えてきた、DV対策の現状と課題についての報告。 |
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1. はじめに 竹原市は広島県の南中部に位置し、古くから瀬戸内海の交通の要衝として発展しました。室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄え、現在は『安芸の小京都』と呼ばれ、2000年に国土交通省によって、町並地区が「都市景観100選」に選定されました。人口は約28,000人になります。
2000年に「ストーカー規制法」、2001年には「DV防止法」が制定され、現在3度目の法改正が行われました。このことによりDV被害者は法に守られることになりました。私の仕事は被害者の方の話をお聞きし、法律に基づいた支援方法を考え情報提供をすることです。支援にはその人に合った方法があり、みなさんが全て同じ内容の支援方法ではありません。その人に適した方法を考えお伝えし、最終的には当事者本人の自己決定を尊重します。加害者から逃げる人、加害者の元に戻る人様々ですが、全てを受け入れ長く繋がり続ける信頼関係も作っていきます。 私は2009年に国の緊急雇用対策の取り組みで1年間、更に2010年国の「住民生活に光を注ぐ交付金」事業(予算1,000億円)で2年間の合計3年間、全国で初めての試みである「DV被害者支援員養成員人材育成」制度を受けて、DV被害者を保護する民間シェルターで働きながらDVについて学びました。民間シェルターとはDV被害にあった人を安全が確保されるまで保護する所です。シェルターでは当事者の人のアドボケイト(権利擁護)・生活支援・子どもの支援・母が自立する際の就労支援・日常生活が安全に出来るまで等、当事者が回復できるまでをお手伝いします。他には様々な研修、男女共同参画の啓発活動の企画・準備・開催・運営なども学びました。雇用の3年が終わり次の就労場所として私は引き続きDV支援という仕事にどうしても付きたいと思いました。そんな中、竹原市で相談員募集を知り現在となります。私の雇用形態は「非常勤特別職」で週に30時間勤務月給制で¥146,500です。定期昇給や一時金はなく、有給休暇はありますが病気休暇等は無給です。条件等、生活するには不安はありましたが副業も可能ということだったこともありWワークしてでも3年間学んだ事を活かすこの仕事につきたくて条件等、了承の上で応募しました。業務を始めてから大きく分け①啓発活動、②支援しやすい仕組み作り、③相談員の雇用状態とスキル向上この3つの課題があるのではないかと感じました。 |
2. 啓発活動 (1) 竹原のDV被害者相談の現状 (2) DV啓発チラシ配布 (3) DV啓発カードの女性トイレ設置 (4) 女性の人権に関するパネル製作・展示 (5) パープルリボン・メッセージカードを付けたパープルツリー作成 (6) 2014年度成人式でのデートDV啓発チラシ配布 (7) 庁内DV支援関係部所における職員研修会 (8) 漫才による啓発活動 (9) デートDVの冊子作成 (10) 結 果
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3. 支援しやすい仕組み作り (1) 相談の仕組み作り (2) 見えてきた課題・広島県と他県との現状と温度差 |
4. 相談員の雇用状態とスキル向上 (1) 相談員の安全とスキルアップと雇用の安定化
私は今、竹原市で相談員をしていますが、とても相談員だけの収入だけでは生活できません。岡山に子どもを2人置き竹原には単身赴任をしています。昼は相談員で働きその後はバイトを深夜3時までしています。土日は他市で相談員のバイトをしています。そこまでこのDV支援相談員にこだわる理由は私自身が23年間DVを受けてきた被害者だからです。私と子ども3人は岡山で行政・民間機関と繋がり自分らしく生きて行くことができています。生き直しています。私が出会った民間団体の理事長との出会いで生き直すことができていることと同じ、私もひとりでも多くのDV被害者の生き直すきっかけになりたくて条件は悪くても覚悟して竹原市にきました。ですが賃金が岡山に比べて少ないことが今になり分かりました。 スーパーバイズもいない、心身共に身を削るが賃金が上がることもなく保証もない竹原市での相談員を続ける事に限界を感じることも多々あります。岡山県の女性相談所の相談員は月23日、日給¥8,500で、岡山市の婦人相談員は週30時間月給¥166,600、倉敷市の婦人相談員は週30時間で月給¥156,600・年2回総額で月給の約2か月分の一時金が支給されます。条件が良いのでほとんどの方が定年退職まで働きます。岡山は相談員の枠が中々あきません。私の中では、行政の婦人相談員は非常勤でも安定したものだと思っていました。 働く女性の6割近くが非正規雇用だそうです。国は一人の人が自立して生活するには年間約300万円を必要とするといっています。子どもを育てる私が300万円の収入を得るには「死ぬ覚悟」で寝る間もなく働かなければいけないのです。岡山位の賃金であれば正直、バイトも少し減らせます。竹原で働き続けるということは私にはDV支援をする前に自分自身が壊れてしまう過酷なことなのかと最近切実に思っています。 岡山の同じ「あらゆる暴力を許さない」という同じ思いを持つ女性は、非正規雇用でもある程度の収入は保障され自立をしてイキイキと生活しているように感じます。 女性議員の人達も党派を超え、「つなぐ会」と名付けたDV支援を行いながら岡山のDV支援を変え・支え、現在は岡山のDV支援は先進的と全国的に言われています。 どうして同じ中国地方なのに格差があるのでしょうか? 最期に11年間、広島県内○○市で相談員として働き退職した方の言葉をお伝えします。この方もいくつものバイトを掛け持ちしていました。 「11年間頑張れば頑張るほど、疲れはてました。頑張っても何の保証もない。研修などほとんど行かせてもらえない為、スキルアップするには自力・自費で研修参加。勉強するための書籍も全て持ち出しで購入。頑張るほど、持ち出し。11年間働いたが何も残らなかった。」「入口である上司(個人)による問題も大きいと思う。上司に理解があれば動くが理解がなければ動かない(一度だけ 処遇改善を頑張ってくれた上司がいた。頑張ってくれて年収が2万円だけあがった)」「研修行きたい→上司がダメと言うとダメ そんな上司が許されている→世間の風潮→政治が全てだと思う。暴力に関しては国連から日本は遅れていると勧告されている。世界的に恥ずかしい。世間がもっと問題にしなければいけない。」「○○市では時間外が多く全て休みで調整だったため 調整で解消する方が多く年休2年間分20日全て捨てて今回退職する。昨年辞めた人も同じだった。それが当たり前と思ってきた。年休取りたいが取らせてもらえなかった(休まれては困る)。どこの非常勤も同じと聞いている」「11年間働いたが何も得る物もなかった。疲れ果てただけだった」
これでDV被害者は救われますか? 私は11年後、竹原市で相談員として働いていることができているでしょうか? 広島・自分の住んでいる地域・非正規雇用の条件を変える為に私はどうすれば良いのかを一緒に考えてくれる仲間が欲しいです。私は正直、このまま竹原での雇用条件が何も変わらなければ、岡山で相談員の募集があれば戻るつもりです。竹原で働き続けたくても、ずっとバイト生活は無理です。女性が自立して活動家としても動きやすい岡山に帰ると思います。 最後に私はこの自治研での発表をしてみないか?と話をもらった時には、軽い気持ちで受けました。原稿を書いている中でも、日々、現場での仕事をこなし、その時の事例が、かなり酷く出来る支援策があるのに色々な理由でできない、思うように動きが取れないといった苦しい状態がありました。私は分らない事はまず広島県に尋ねます。ですが広島県の回答は「わからない」ことが多いので、岡山に尋ねて問題の突破口を見つけるという状態です。 これではいけないと思いました。できる支援があるのに、中々、進められないことで、こんなにも大変で、悔しくて辛い思いをしています。しかし、今は竹原市の柔軟な判断と命令で一つひとつ、今までできなかった支援ができています。竹原市としてできることを一つひとつ丁寧にこなし、まず相談員としてできることをやり、事実を積み上げていく、それには積極的に多くの人と繋がる事が大切で、困ったときこそ人の繋がりで解決のヒントが貰えるということを、身をもって経験しました。「できない。できない。」と何も動かず嘆くのではなく、「駄目で元々」とりあえず「聞いてみる・やってみる・考えてもらう」ということが私の今、できることだと意識の変化がありました。その活動の中で自然に繋がる人との関係を大切にしていこうと思いました。 最終的に積み上げた事実を提示して専門相談員の必要性、スキルアップの為の研修の必要性を投げかけて処遇改善を勝ち取りたいです。 もう一点、県外では「犯罪被害者等支援条例」が制定されています。しかし、広島県ではまだ制定されていません。早急に条例を制定し、犯罪被害者及び遺族などの裁判所・検察庁・警察・病院の付き添いなどの支援を行う必要性があります。その支援を行う為には養成講座を受け法律や制度について学ぶ必要性があります。 この支援員養成講座の受講を市の相談員の責務と位置づけ、行政の責務として支援できれば、もっと被害者や遺族が立ち直ることができるのではないかと考えています。 原稿を書き始めた頃は、悩み・苦しみのなかでの作業でしたが、今はまず、やれる事を一つひとつこなし実績を積み上げていく事をしています。気持ちの「ぶれ」はなく、今、私は真っ直ぐな気持ちで働いています。 |