1. 全国市町村初の手話基本条例可決
2013年12月16日、全国の市町村で初となる「石狩市手話に関する基本条例」が石狩市議会で可決された。手話に関する条例は、2013年10月に鳥取県が全国の自治体で初めて制定した。石狩市は、全国の市町村では初ということで、この日の様子は、地方テレビ局各局と主要な新聞社全社で取り上げられるなど、報道機関にもその動きは大きく注目された。報道機関による注目は、「手話条例」というめずらしさに対する関心だけではなく、手話を母語としているろう者が、耳が聞こえないことにより、「おし、つんぼ」という人間として差別を受けてきた時代があること、また、手話が言語として認められず、一昔前まで、ろう者が通う学校である、ろう学校の中ですら「手話を使うことが禁止されていた」という歴史に話を触れると、多くの記者が石狩市がこれから始めようとしている取り組みに共感をしてくれ、今後も応援していますという声をいただいたことが心に残っている。そこには、私たちが社会の中でこれまで知る機会がなかった、「手話」そして「ろう者」に対する社会意識への変革を期待しているようでもあった。
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全国市町村初となる手話基本条例の成立したその瞬間を多くのみんなが歓喜した。 |
2. 始まりは
「手話の条例」をつくりたい。今から数年前、現在の石狩市長である田岡市長の想いが職員へ伝えられた。しかし、その当時は、手話に関する法律や条例などはなく、市長に対する職員の反応は、「手話について、条例を制定することはなじまない。○○宣言にとどめるべきではないか」とその考えに共感する者は誰もいなかった。
そして市長に強い決意を思わせる出来事が起こる。これまで十数年市長は、ろう者と交流を続けてきているが、2011年12月に石狩聴力障害者協会の会長から「みんなでつくる手話言語法」という一冊の冊子が手渡された。それは、財団法人全日本ろうあ連盟が手話言語法の制定をめざして作成されたものであった。市長はこの時、手話に関する条例をつくりたいという思いをさらに強くした。市聴力障害者協会の新年会や全道ろうあ者大会において「条例制定をめざしたい」と言い続け、2013年3月の市議会において、手話に関する条例を同年9月の議会に提案したいと表明をした。
3. 条例づくりの検討会
(1) 混迷する議論
前例のない条例づくりに向けて、2013年5月に条例の検討会が設置され、市聴力障害者協会、市内の手話・要約筆記サークル団体、市身体障害者福祉協会、北海道ろうあ連盟、学識経験者の計9人のメンバーによる検討がスタートする。この時点において、検討会の事務局を担当した障がい支援課の職員には、どんな条例をつくりたいかの理念を持ち合わせていなかった。何の理念も持たない中で事務局は、第1回目の検討会に2つの柱を検討会の委員へ説明する。一つは「手話は言語であることの認知」そしてもう一つは、「聴覚障害者の社会参加の環境づくり」である。しかし、このことが混迷した議論の始まりとなる。2つの柱について、検討会の委員から「手話は言語であるということと聴覚障害者の社会参加ということを一つの条例で取り上げることに無理がある。」「この条例は誰のための条例なのか、ろう者、聴覚障害者、それとも市民全体?」「事務局は手話が言語であるということをしっかり理解していないのではないか?」こんな委員からの質問に事務局は、何の回答もできなく、また、条例が示すまちづくりの方向性を示すこともこの時点ではできなかった。
(2) 全日本ろうあ連盟
こんな前例のない石狩市の取り組みに対して応援してくれる人たちがいた。それは、全日本ろうあ連盟と日本財団である。全日本ろうあ連盟は、1947年に設立され、ろうあ運動を通じて、これまでろう者に対する様々な社会環境の問題の提起、法律の改正を働きかけるなど、ろう者にとって大きな役割を果たしてきた団体で、現在は、手話言語法を制定するための取り組みをしており、日本財団はその取り組みの支援をしている。そんな2つの団体が、2013年5月に市長を表敬訪問し、石狩市の条例が全国のモデルとなるようになることを期待しており、石狩市を全面的に支援してくれることを約束してくれていた。
検討会の行き詰まりを感じた検討会のメンバーと市長の両方から、事務局職員が全日本ろうあ連盟へ行くように指示がある。
(3) 誰のための条例
検討会の宿題を持って、事務局職員は、全日本ろうあ連盟を訪れる。その宿題とは、「誰のために条例をつくるのか」ということである。事務局職員は、これまで検討会の議論の中で、メンバーから「手話はろう者の母語であり、これまでの長い歴史の中で、手話を使うことを禁じられ、また、手話やろう者に対して差別的に見られてきた時代もあり、手話を認められることは、自分達の人権が認められることである」ということを聞いてきた。「誰のために条例をつくるのか」という問いに対して、ろう者の社会環境を良くするために運動をしてきた全日本ろうあ連盟からは、「もちろん手話はろう者のものであり、ろう者のために条例をつくるべきですよ」というアドバイスがなされることを予想していた。しかし、宿題に対するアドバイスは、「手話は言語として認知して、ろう者のために条例をつくるのであれば、条例は非常に限られた対象に向けられるものとなってしまう。手話や手話を母語としているろう者の理解を広げるためには、手話を今使っている人だけではなく、これから必要になるかもしれない人、そしてそのことを石狩というまちの中で使いやすい環境をつくっていくためには、市民みんなの理解が必要であり、市民全体の条例になることが必要では」というものであった。このアドバイスがなければ、条例づくりの検討は頓挫していたかもしれない。
(4) 議論から生まれた条例の理念
全日本ろうあ連盟のアドバイスは、検討会のメンバーにとっても自分達の進むべき小さな光を見出すことができた。そして検討会の議論をさらに進める中で、手話基本条例の大切な理念を見出すことになる。それは、ろう者を聴覚障がい者という身体的な機能の障がいを持つ人として捉え、福祉的な救済をするという従前の考え方から、障がいを個人の問題ではなく、社会の仕組みに問題があるという考え方である。車イスの利用者にとってのエレベーター、目の見えない方にとっての点字ブロックは、社会が環境として用意しているものである。そして、ろう者にとっては、手話言語が使える環境があれば、ろう者は聴覚障がい者ではなくなる。現にろう者同士が手話で会話する時に、そこになんのバリア(障壁)もないのである。
4. 条例制定後
手話基本条例の制定後、石狩のまちには、今、予想をはるかに上回る動きがおきている。市内のスーパーからは、手話で接客できるようになりたい、消防の救急隊からは119番で現場に駆けつけた際に手話でコミュニケーションに取り組みたいと手話講習会の依頼が寄せられている。市内の小中学校からは、総合的な学習の時間を使って手話の授業でろう者と接する機会をつくりたい。その声から見えてくるものは、ただ単に手話を学習したいということではなく、手話を使って生活しているろう者のことを知りたいというこれまでにはなかった声である。条例がなければこんなにも多くの声が起きることは想像できない。そして、そんな声に対し、ろう者からは、これまで手話を使うことが禁止されてきた時代を考えると「心が生き返ったようだ」と感慨深い言葉が聞こえてくる。
小学校でも総合学習の時間を活用して手話授業が始まった。 |
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