【自主レポート】 |
第35回佐賀自治研集会 第11分科会 「生活者の多様性に根差した災害への備え」をめざして |
東日本大震災の被災自治体と、南海トラフ巨大地震の被害想定により、近い将来の危難が予想される西日本の自治体が、被災後3年を過ぎ交流を模索し始めた。 |
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1. はじめに 36人もの職員の仲間を失った南三陸町と、政府の新たな想定で日本一津波リスクが高いと示された私たちの黒潮町は、自治体レベルでなく、職員組合レベルでの交流を始めた。 2. きっかけ 南三陸町職組と黒潮町職労の交流は、長いわけではない。つい最近のことである。 3. 互いのニーズ 黒潮町は内閣府の想定を受け、全職員を防災担当に見立てた「防災地域担当制」などの取り組み(参照:第34回兵庫自治研集会第3分科会自主論文 友永)が注目され、今では視察者が絶えないほどの防災先進地と呼ばれるほどにまでなったのであるが、さらにもう1つ、大きく重い課題が残されている。職員の防災体制の見直しである。防災地域担当制に関連し、職員研修や住民との懇談、ワークショップなどは随時進めているが、職員はどうすればいいのか? という、私たちの立場からすれば、ある意味最も課題となる事象への対応が遅れていると言える。これは、防災担当の前任者である筆者自身の反省でもあるが、対外的な対応が先行している事実は否めない。実際問題「お前らはどうするんだ? 役場は大丈夫か?」と、住民に心配される場面も現実にある。これでは住民に安心して暮らしてもらえる防災対策なり、まちづくりとは言えない。 4. 自治研センターのシンポジウムから「次」へ
筆者が(公社)高知県自治研究センターの研究員をしていることから、せっかくの機会を広く高知県民向けに活用しようと、同センターが2012年から毎年開催しているシンポジウム「3.11東日本大震災から高知は学ぶ」における事例報告者という立場で、南三陸町から三浦委員長はじめ4人を高知にお招きした。
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5. 単組間交流へ シンポジウム以降、私たちは次の交流の内容やタイミングを模索していた。行政的に高知県内の防災担当者向けに企画すべきか? 黒潮町の職員研修として人事部門に開催を依頼するか? など。結局のところ、最も身近な問題として捉えることができ、フットワーク軽く実行できる職員組合主催の交流学習会というカタチを選択した。「まずはやってみることが大事でしょ?」と、軽く言い放った三浦委員長の言葉がとても重く、ありがたく感じたことを記憶している。
6. 交流学習会の様子 こうした経過を踏まえ、念願の単組間交流に至った。
全体会、グループ討議とも、南三陸町職組の皆さまにはつらい出来事を思い出させご負担を強いたが、ある種の必要性も感じた。と言うのも、これまで誰にも話せず、自身で抱え込んできたものが、心身にかなりの負荷をかけていたのだろうと察することができたからである。出来事に対して、経験と未経験の差は決定的にあるにせよ、同じ立場で同じ目線で住民と向き合っている者同士の交流は、私たち黒潮町職労にとってとても入り込みやすいものであった。いつか自分たちが経験するかもしれない「未来の課題」という遠い感覚よりは、「いつか起こること」として受け入れられたのではないだろうか。確実に知識と意識の交換作業が行われていると感じられる場でもあった。 |
7. 考察 ~2つのニーズ~ 今回の交流は、ある意味で両者のニーズがマッチした場であったと評することができる。 そして、以下に掲げるように、このような交流は厳しい経験をした者にとって、時期的に必要とされていて、心身面の療養的効果があるのではないかと思われた。 ところで、このたびの災害対応では、「対口支援」「ペアリング支援」「カウンターパート方式」(以下「対口支援等」という。)等、 自治体間の水平的連携の方策が講じられたのはご案内のとおりである。様々な工夫と協力がなされ、南三陸町の各位も今もなお続く全国からの多大なる支援に大変感謝されていた。
また、被災時の対口支援等を「困ったときはお互いさま」という「困っている側」と「困っていない側」の授援と支援の関係とするならば、事前対口支援等は「困ってしばらく経った側」と「間もなく困る側」の相互支援の関係と表現することができる。 結びに、南三陸町職組と黒潮町職労との試みが一過性のものでなく、次への「備え」として生かせるよう、次の展開を模索し始めたことを申し添える。 |