はじめに
この度、那覇市消防職員協議会のボランティア活動の一環として那覇市内の河川沿い28か所におぼれている人を救助する際に使用すること、また、保護者などの発見者がおぼれている人を救助するために自ら入水することにより引き起こされる2次災害を防ぐことを目的とした簡易救助器具を設置いたしました。この簡易救助器具はもともと海上保安庁の職員によって考案されたもので、2リットルのペットボトルを3本つなぎ合わせた、安価で効果の高いものとなっています。
1. 那覇市と那覇市消防の現状
我々那覇市消防職員が勤務する那覇市は39.23平方キロメートルに約14万世帯、約32万人が在住する沖縄県の県庁所在地となっています。市内には空の玄関口となる那覇空港や、国際通りなどの繁華街や首里城など沖縄県の観光の目玉となる箇所が存在し、国内外から年間570万人以上の観光客なども大変多く訪れます。
本市が2013年度から中核市へと移行したことをうけ、2014年度には那覇市消防本部も那覇市消防局へと移行しました。那覇市消防局は、局の他、2署、6出張所に警防隊、救助隊、救急隊の総勢270人が勤務しています。しかし、総務省が定めた消防力の整備指針によると、那覇市の人口に対して必要とされる消防職員は456人となっており、現時点では充足率約59パーセントにとどまっています。人員不足は長年の課題であり、市民サービスの低下を招かないよう、各職員尽力しているところであり、協議会としましても人員増の要求を長年訴えてきました。
本市の火災出動は年間100件前後で推移していますが、救急隊の出動は毎年増加傾向にあり、現在は年間1万7,000件以上の出動件数をわずか6隊でまかなっています。また、市内には波の上ビーチの他、安里川、安謝川、国場川の3つの水系、6河川が二級河川として指定されており、海、川を合わせ毎年20件前後の水難事故が発生しています。数年前には小学1年生が川で溺れて亡くなるという痛ましい事故も発生しました。
2. 突然ですが
突然ですが皆さんの中に、おぼれた経験がある人はいますか? また、実際におぼれている人を見たことがある人はいますか?
では、人がおぼれていると聞いてどのような場面を想像しますか?
多くの方は、人はおぼれると大きく腕をばたつかせ、「助けてくれ!」と大声をあげるとイメージするのではないでしょうか? テレビドラマや再現映像でよく見る映像だと思います。
多くの方が抱くこのようなイメージと実際に人がおぼれた場合の違いがよくわかる話があるので紹介したいと思います。
いかりを降ろしたボートの近くで遊泳していた夫婦のもとへ、ボートの船長が服を着たまま水へ飛び込み、すごい勢いで駆けつけました。水をかけあって遊んでいた際に妻が叫び声を上げたため、「君がおぼれていると勘違いしているんじゃないかな」と夫は笑い、「大丈夫だよ!」と叫んで船長を追い払おうとします。
しかし、夫婦の間をすり抜けた船長が救助へ向かったのは、夫婦の後ろわずか3メートルの位置で静かにおぼれていた9歳の娘でした。船長の腕で救助され、初めて少女は「お父さん!」と泣き声を上げたそうです。
元ライフガードである船長は遠くからでもおぼれる少女に気付くことができたのですが、夫婦はすぐ近くで娘がおぼれていることにまったく気付いていませんでした。こうした事例は珍しくなく、テレビや映画によって「おぼれる人はこう見える」というイメージをすり込まれている人が、実際におぼれている人に気付かない場合は多いそうです。
3. 実際におぼれている人は
人体の構成上、呼吸を持続し肺に空気が入った状態だと体の約2パーセントが水面から浮くといわれています。つまり、助けを呼ぶため両腕を大きく振りかざそうと水面から出すと、両腕部分だけで体の2パーセント以上ありますので、顔から下は必然的に水面下に沈んでしまうのです。そうです、口が水中に沈んでいるため、大声で助けを呼ぶこともできないのです。そのため、顔を水面に出そうと自然と手は水中をかくようになります。しかし、声を出そうとすると肺にためた空気が口から出てしまい浮力を失い沈んでしまうため、声も出せず、ただ水面下にある手足をばたつかせることしかできないのです。今まで抱いていた「おぼれている人」のイメージとは大きく違っているという人は多いのではないでしょうか? おぼれ始めてから約20秒から60秒ほどで人は静かに沈んでいくといわれています。
実際におぼれている人は頭が水に沈みかけていて、口が水面付近にある、過呼吸や喘ぐように呼吸をしていることなどがサインといわれています。また、騒がしく遊んでいた子どもの声が急に聞こえなくなった、静かになった場合などは異変があったと注意する必要があるでしょう。
4. 泳力を身につけている方でも溺れることがある
普段は学校の水泳の授業である程度の泳力を身につけている方でも溺れることがあります。原因はいくつかあるでしょうが、足が底に着かない、つかまる場所がない、すぐに陸地に上がれないなど、学校のプールとの違いが影響していると考えられます。授業では足の着くプールの端から端まで泳ぐということをしますが、川などでは足がつかず、泳いでも陸地に上がれる場所がないなど、予想をしていない、もしくは、予想を超える状況に陥ることがあります。「あそこまでいけばゴールだ」や、「きつくなれば立てばいい」といった学校の授業とは違い、「あれ、足がつかない」、「どこに行けばいいんだ?」と言ったあせりからパニックを起こし、ある程度の泳力を持った人でさえもおぼれてしまうのです。
また、おぼれた人を勇敢に助ける映像や成功例をたたえるニュースをご覧になったこともあると思います。しかし、実際には大人同伴で川遊びをしていて、ひとたび事故が起きると、「三分の一のケースで同伴していた大人、あるいは近くにいた大人が二次災害に巻き込まれ、しかも約80%の確率で重体・死亡・行方不明」という統計が出されています。成功例は確かにありますが、現実にはそれよりもはるかに多い2次災害が発生しているのです。
5. 大きな大人がおぼれている小さな子どもを助けるのは難しい?
大きな大人がおぼれている小さな子どもを助けるのは難しいのでしょうか?
水難救助の正しい知識や救助に使用する泳法、溺者救助の仕方、水難救助に関する総合的な知識と技術を習得するため、日本赤十字社が主催している「赤十字水上安全法救助員養成講習」では、満18歳以上の男女で講習全日程出席可能な方、クロール・平泳ぎともに100m以上(いずれか一方は500m以上)横泳ぎ25m以上、潜行15m、飛び込み1m、立泳ぎ3分程度の泳力がある方。という条件をつけて講習を実施しています。
救助を専門とする我々消防職員でさえも、水難事故発生時の出動の際は浮力を持ったウェットスーツを着用し、ゴーグルにシュノーケルを着け足にはフィンを履き、おぼれている人が捕まるように救命浮環などを持って2人以上で救助に向かいます。このことからも、相当な泳力と専門的な知識がないとおぼれている人を安全に救助することができないことがわかると思います。
このように、多くの皆様が持っているイメージと実際とのギャップを埋めることが水難事故防止の第一歩なのかもしれません。
119番通報を受けてから我々消防隊員が現場に到着するまでに7分から8分を要し、その間におぼれた方が泳ぎ続けて待つということは非常に困難で(逆にいうと、7分から8分浮かび続けることができる人はおぼれているとはいえないでしょう)あり、実際に我々が到着するころには心肺停止の状態で発見される方が多いことも事実です。もしも自分の子どもが、大切な人が目の前でおぼれていたら、そのときに助ける手段がなかったら、消防隊の到着を待てなかったら。自分の命も危険にさらされるかもしれないと分かっていても自ら飛び込んで助けようとすることは自然なことのように思えます。
そのような場合に身近に誰でも使える救助器具があれば被害の防止につながると考え、今回の簡易救助器具の設置を提案するに至ったのですが、そのきっかけとなったキーワードが「着衣泳」という言葉です。
6. 水難事故そのものを減らせるような活動を小学校や自治会に広げる
出動要請を受けてから出動する我々ですが、水難事故そのものを減らせるような活動を行いたいと、職員数人で、「着衣泳」という衣服を着たまま水面で浮いて救助を待つという、水難事故から命を守る技法を指導する講師資格を取得しました。
「着衣泳」というと、「衣服を着たまま泳ぐ」ということを連想すると思いますが、おぼれている人が衣服を着たまま泳ぐということは大変困難であり、動き回ることで逆に体力を失ってしまいます。そのため、以前は水中での動きの妨げになると衣服や靴を脱いで泳ぎやすいようにするという指導が主流でしたが、この講習では「泳ぐ」というよりも衣服や靴などの浮力を活かして消防隊などによる救助活動が行われるまで仰向けになり、ラッコのように浮いて待つということを主眼とした実技を学びました。
また、おぼれていることに気付いた周囲の人は自ら飛び込み入水し、救助しようとするのではなく、身近にある浮力のあるものをおぼれている人に投げて渡すということも学びました。身近にある浮かぶものの例としてペットボトルやランドセルなどが紹介され、大の大人も2リットルのペットボトル1本あれば十分に浮かんで待っていられることが分かりました。
講習後には我々が講師となって市内の小学校や自治会の子どもたちに着衣泳の指導を行いましたが、最初は顔を水につけることもできなかった子どもたちも、最終的にはペットボトルがなくても水面に浮かんでいられるようになるなど短い時間で大きな成果が得られたと感じました。
このような内容は学校の水泳の授業では学ばないのが現状であり、少しでも広まっていけばと考えています。
7. 簡易救助器具を活用した活動を消防協で
簡易救助器具もこの着衣泳の講習をとおして知りました。もともとは海上保安庁の職員が考案し、体重100キロの男性でも上手に活用すれば水面に浮いていられるというものです。海上保安本部がある各地域の方言などで親しみやすい名前がつけられ、港や防波堤などに設置されていたようです。
当初は消防業務の一環として設置を実施したいと考え、消防本部(当時)の上層部にかけあったのですが、今までにない取り組みであり、消防の業務として行うべきものかどうか判断が難しいとの回答を受けました。次に、水難事故が発生しやすい市内二級河川を管理している県南部土木事務所に掛け合ってみたところ、河川沿いの転落防止用のフェンスに設置することは許可できるが、南部土木事務所として行う活動ではないとのことでした。
提案してみたものの、新たな取り組みということで実際に主となって責任を持って行う機関がないというのが現状でした。
それでは、公的機関の取り組みではなく、一団体のボランティアとしての活動として行えないかと考え、消防職員協議会の会長に相談したところ、消防職員として市民の命を救う可能性がある活動であるとして快く引き受けていただきました。
しかし、公的機関とは違い、任意団体である消防職員協議会の活動では問題が発生した際の対応が困難であることから市職員労働組合の担当弁護士に相談をし、対応策を検討したところ、公的機関の後押しや子どもたちのいたずらを防止する対策をとることなどがあげられました。
8. 行政も巻き込んで
このことを受け、那覇市消防本部(当時)、那覇市市民防災室へ説明を行ったところ、活動の趣旨に賛同いただき、後援という形で名称の使用をさせてもらうことで公的機関の後押しを正式に受けることができ、設置が実現することになりました。
また、市の教育委員会をとおして市内の小中学校に簡易救助器具設置の周知を行っていただき、さらに、河川沿いを校区とする小学校や周辺自治会には我々からも直接電話をかけ、経緯を説明し、児童や近隣住民への周知徹底を図っていただきました。
9. 設置の工夫 設置個所の写真
実際の設置にあたっても多くの工夫を施しました。
まずは設置する箇所についてですが、河川の両岸に行き来できることや、いたずらがされないよう人通りが多く、人の目につき易い場所などの条件を考慮して市内を流れる二級河川に掛かる橋周辺の転落防止用フェンスに設置することにしました。河川を管理する南部土木事務所によると、転落防止用のフェンスは高さが1.1メートル程度であるということで小学生の目線の高さほどであり、取り出しやすく、なおかつ、注意書きなどが読めない幼い子どもには届かない高さとなるようにしました。
設置方法としては、人目につき易いように赤色にペイントした2リットルのペットボトル3本を繋ぎ合わせた浮具部分、それにつかまった人を引き寄せるように結び付けられた約20メートルのロープを収納するためのペットボトルの計4本でできた簡易救助器具を、フェンスに固定した金属製の網目状の板に伸縮性のあるネットで取り付けました。網目状の板とネットを使用したのは、沖縄県は毎年多くの台風被害があるため強風の影響を少しでも軽減できるようにとの理由からです。さらに、小さな子どもでも分かりやすいよう使用方法といたずら防止の注意書きを記載したイラスト入りの看板も併せて設置することとしましたがこちらも紫外線に強い印刷を施してもらい強風でも飛ばされないようにしっかりと固定し、簡易救助器具を設置したことによるいたずらや事故発生の防止に留意しました。
器具の作成や設置当日にはのべ60人近くの消防職員が参加し、その活動風景は県内マスコミをとおして県内外へと報道されました。設置活動中には市民から励ましの声をかけていただいたり、後日、放送をご覧になった那覇市内の住民のみならず市外や他府県からの問い合わせがあったりと、この活動が多くの人々に支持されていると実感しています。
簡易救助器具設置例 |
正面 |
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取り付け方法 |
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離れた位置から |
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※設置時注意点 |
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点線:橋の欄干は県道のため設置しない。
実線:川沿いの侵入防止柵。こちらに設置する。
設置許可は河川を管理する南部土木事務所から得ています。
そのため、あくまでも南部土木事務所所有である河川沿い侵入防止柵のみ設置可能です。 |
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10. まとめ 継続した取り組みを
簡易救助器具の設置は実現したのですが、それがこの活動の目標ではなく、水難事故発生の防止が最大の目標です。現在は定期的に見回りを実施し、異常がないか正常に使用できるかを確認し、また、先日大きな被害をもたらした台風8号の接近時には簡易救助器具を回収するなど、責任をもって保守点検に努めています。
設置当初は物珍しさからか、いたずらされたり、持ち出されていたりと先行きに不安を覚えたのですが、マスコミの報道や自治会の行事に参加しての広報、先ほどお話しした着衣泳講習会での周知活動などを行ってきた成果か、いたずらなどの件数が非常に少なくなってきており、次第に認知度が上がってきていると実感しています。設置された簡易救助器具は事故発生時の救助に役立つだけではなく、多くの人の目に触れることで水の事故というものが身近に潜んでいるということ、それを未然に防ぐ心構えをすることが大切だということを知らせることができているのです。
我々那覇市消防職員協議会が行った、いや、行っている簡易救助器具の設置が「目新しい、珍しいこと」から「身近なもの」へと変わり、それに伴って市民の水難事故に関する認識も「自分たちで防ぐことができる」と変わっていき、設置された簡易救助器具が使用されるような事故が起きないようになることを願います。 |