1. 多様性社会と性的マイノリティ
(1) 多様性社会と日本
① 多様性社会とは
ダイバーシティーという言葉を最近よく聞く。なじみ深い言葉ではないが直訳すれば「多様性」という意味であり、こう聞くと何となく耳にしたことがある。
この言葉はもともと、アメリカで起きた社会的マイノリティや女性への差別を取り払い、就業機会の拡大をめざす動きのなかで使われ始めた。近年、ビジネスの場ではあらゆる違い(性別、人種、宗教、国籍、年齢、性格、学歴、価値観などの違い)のある人たちに積極的に職場を提供することで、企業としての社会貢献を果たしながら社会的地位も向上させる効果を持つ経営戦略の意味で使われている(※1)。
② 日本における多様性
ダイバーシティーの発祥地アメリカは多民族国家であり、人種や宗教、価値観が異なる人々が集まる国家である。そのような国家であれば「違い」による障壁は様々な面でマイナスの効果を生むことからこのような考え方が派生したと考えられる。また、世界には多民族的国家は多くダイバーシティーの考えが広く受け入れられている。
一方、日本はどうだろうか。人種や価値観、宗教といった要因による争いは極めて少ないといえる。しかし、それがかえって別の面での差別を誘引しているのではないか。部落差別や障害者差別、社会的性差や性的マイノリティに対する差別など「作られた差別」が人権問題として根深く存在している。こうした状況を国家も容認しているわけではないが、日本国憲法の三大原則である「基本的人権の尊重」の精神には及んでいないことからも、さらなる社会的、特に政府による環境整備が急務と言えよう。
(2) 性的マイノリティとは~LGBTとSOGI~
① 「LGBT(Q)」(注2)とは
ここまで、性的マイノリティという表現を用いてきたが、一般的にはLGBT(Q)という言葉の方が認知されている。しかし、この言葉は性的マイノリティを総称するものではなく、区分の一つとされている。かつては同性愛者という言葉(この言葉自体が差別という意見もある)で社会的に流布されていたが多様性の考えの広がりによってLGBTが一般的となった。
具体的にはL=レズビアン(女性として女性が性的指向の対象) G=ゲイ(男性として男性が性的指向の対象) B=バイセクシャル(自身の性別と同性又は異性が性的指向の対象) T=トランスジェンダー(生物学的な性別と自らの性自認が一致しない) Q=クエスチョン(性的指向や性自認が不確定な人の総称) と言われている(※2)。
② SOGIとは
一方「SOGI」という言葉を聞くことがある。この言葉は「Sexual Orientation and Gender Identity」の頭文字をとったもので日本語に訳すと「性的指向(好きになる性)と性自認(心の性)」という意味になる(※3)。この考え方はすべての人に当てはまる概念であり、それぞれを分類した場合に少数の分類を性的マイノリティと称し、さらに細分化したものがLGBTと呼ばれている(実際にはもっと細分化される)。
特に、性的マイノリティの方やその支援団体はSOGIという言葉を用い「性のグラデーション」という考え方を持ち「人が10人いればSOGIは10通りある。だから自分たちは特別ではない」というものだ。この考え方が今以上に広がれば性的マイノリティの方や同性カップルに対する偏見の解消につながっていくと期待する。
2. 性的マイノリティについて考える
(1) 性的マイノリティの現状
① 日本における性的マイノリティの浸透
日本において性的マイノリティへの認知の広がりはマスコミによるところが強く、作品としてのものや報道として伝えるものと手法は異なるがいずれも一定の効果がうかがえる。
前者については「オネェ芸(能)人」のTVへの出演やLGBTを扱った映画やドラマが代表的だ。具体的にはマツコ・デラックスさんやIKKOさんの影響、ドラマ等では社会現象化した「おっさんずラブ」もその代表例であろう。後者については、海外の有名俳優やスポーツ選手、政治家などのカミングアウト、さらには国連やオリンピックの対応などがニュースとして大きく取り上げられるようになったことが影響している。
かなり以前から「同性愛」についてはメディアで扱われることはあったが当時は「ネガティブ」なイメージがあったように感じる。このイメージを払拭したのが前述の「おっさんずラブ」と言えよう。ドラマ放送は2016年に単発放送、2018年にシーズン1、2019年にシーズン2、同年8月には映画も公開された。偶然かもしれないが表-2の数字の増加時期と重なる。
「おっさんずラブ」現象の後もドラマや映画で性的マイノリティが題材として扱われたことで、日本においての認知と理解が進んでいったことは紛れもない事実と言えよう(表-1)。
一方で、メディアによって創造された作品から情報を取り入れることで「作られたイメージ(イケメン同士の恋愛や異性愛者への叶わぬ恋、女装を好む指向など)」が先行し、実態が見えづらくなり彼らへの理解を阻害しているように感じる。
② 性的マイノリティの割合
マイノリティには「少数」というイメージがある。その割合は調査にもよるが日本の人口に対し概ね8~10%と言われている(注3)。日本の人口を1億2千500万人とすると1,000万人を超える人口となる。都道府県の人口でいえば大阪府や神奈川県より多く、東京都に匹敵する。この現状でもマイノリティと称すべきかには疑問が残る。
さらには日本人の名字トップ10の人口合計(※4)や左利きの割合11%ともそう変わらない数字とも言われており、大分県の人口で試算すると10万人近い数字となる。しかし、ランキング上位の名字の方や左利きの方に比べると出会う機会が極端に少ない。TV等では見かけるが本当に周りにいるの? というのが正直な実感ではなかろうか。
③ 日本における性的マイノリティの現状
こうした背景には (ア)コミュニティの形成 (イ)都市部への移動 (ウ)公表することの恐怖 の3つの要因があると考える。
「LGBT」の方には独自のコミュニティが存在する。TV等でよく紹介される「新宿2丁目」。全国各地にも同様の場所はあるもののその多くは大都市に集中している。
また、SNS等のネット上のコミュニティを利用することで同じ性的指向や性自認の方が都市に多く住むことを知る。こうした背景により地方から都市へ移動していく性的マイノリティの方は多い。移動するもう一つの背景に「バレたくない」という心理が強く働くことがある。この心理は当事者が最も気にすることであるとともに、不安に思っていることである。自分との関係が深い相手であるほど「バレたくない」という気持ちが強く働き、親や親戚、友人がいない場所へ移り住む要因と推察される。結果として彼らの割合は都市部ほど高く、地方ほど低くなることで「周りにいない」感覚に一層陥ってしまう。
(2) 性的マイノリティと人権
① 人権問題としての性的マイノリティ
近年、人権問題の一つとしてこの話題が加わった。昔から社会的認知や理解が乏しい中で少数者を差別してきたことは歴史が語っている。部落差別や障害者差別、女性差別に特定の病気に対する差別など枚挙にいとまがないが、その中で様々な運動を展開し差別を解消させる取り組みを行ってきた。性的マイノリティ差別についても、これまで当事者や支援団体による様々な取り組みが行われ社会的に認知され始めた。昔に比べれば随分差別や偏見も薄れてきたように感じるが、どうしても乗り越えられない人権問題「婚姻」の問題がある。
② 憲法と人権
日本国憲法は第13条で「幸福追求権」、第143条で「法の下の平等」(※5)を規定している。幸福追求権とは、政府等はすべての国民の幸福追求や生命、自由に対し公共の福祉に反しない限り最大限の尊重をすべきというものである。また、法の下の平等とはすべての国民が法の下に平等であり性別等を理由に、政治的、経済的または社会的関係において、差別されないというものである。日本国憲法は世界的にも先進的な人権憲法と言える。
3. 多様性社会の構築のために~まとめ~
(1) 性的マイノリティと婚姻の課題
① 性的マイノリティと婚姻の制限
先進的な人権規定を有す日本国憲法ではあるが、同性同士による婚姻は認められないとするのが一般的である。学説の主流は、第1項の「両性」、第2項の「夫婦」という文言から憲法は同性婚を想定していないという立場であるが、一部の説は、あくまで憲法の規定は異性婚については両性の合意が必要としているだけで同性婚を禁止しているものではないとするものもある(※6)。
現実的には日本では同性婚は認められていない。結果として異性間のパートナーのように経済面や社会的立場での権利や利益を享受できない。特に問題が顕在化するのは「共同生活」においてである。
例えば、同性パートナーでは家族向けの住宅に入居できないことや、入院中に重篤な状態に至っても家族ではないので面会謝絶の対応を受けることもある。また、どんなに長く共同生活を送ってきたとしても、相続開始時に遺言書がなければ遺産を受けることができない。仮に遺産の多くをパートナーに遺贈する遺言書を用意していても法定相続人が遺留分を請求すれば優先される。およそ憲法が規定する幸福追求や経済面での法の下の平等とはかけ離れた状態にあるのが同性パートナーの現状だ。
(2) 同性パートナーシップと同性婚の今
① 日本における同性パートナーシップ
2015年、東京都渋谷区および世田谷区で日本初の性的マイノリティを対象としたパートナーシップ制度が開始された。当初は「東京だから」といった限定的な風潮があり、制度が拡がりを見せるかは当事者の間でも不安視されていたようである。しかし、当事者や性的マイノリティを支援する団体の粘り強い活動の甲斐あって、その後次第に全国にその波が広がっていった。2016年度以降も毎年どこかの自治体が制度化しており、九州・沖縄では2016年に那覇市、2018年に福岡市が制定、北九州市や熊本市、長崎市と各県内に制度を有する自治体が増え、2021年4月には大分県で初めて臼杵市が制度運用を始めた。制度を有する自治体は現在(2021年4月1日)100を超え(表-2)、人口カバー率は37.1%(推定4,650万人)と、この7年間で急速に制度制定が進んでいる。特に2019年以降制度導入自治体は激増し、2021年4月1日時点までで94自治体が導入していることで当事者からのニーズや社会的認知は大幅に増加したと考えられる(表-3)。
一方で、パートナーシップ交付件数は1,741組3,482人(2021年3月31日時点)となっており、カバー人口に対し0.008%と伸び悩む背景には制度の内容や当事者の心理に何かしらの懸念があることが推察できる。
② パートナーシップ制度の概要
パートナーシップ制度の類型は「渋谷区型」「世田谷区型」の2つに大別され、表-4の内容となる。全国的には、議会の承認を得ず、首長の判断で制度化や変更ができる世田谷区型が普及している。
パートナーシップ制度を利用した場合には(ア)生命保険の受取 (イ)家族として公営住宅への入居 (ウ)賃貸契約における理解 (エ)携帯電話の家族割やクレジットカードの家族カード作成 (オ)病院での面会や同意の機会が得られやすい (カ)夫婦間で利用可能な会社の福利厚生が利用できる などの効果(※7)が生じる(期待される)が、企業や制度を有する自治体の範囲に限られるといった制限がある。
③ 海外の同性婚
同性間の婚姻に関しては日本より海外の国の方が先進的である。具体的には同性婚を認める国等が29、登録パートナーシップを認める国等が23(同性婚と重複有)存在する。同性婚を世界で初めて認めた国はオランダで2001年に導入している。アジアでは2019年に台湾が導入しているが、導入国の多くはヨーロッパやアメリカに集中し、G7ではイタリアと日本だけが導入には至っていない。
導入に至っていない国では「宗教観」や「社会的慣習(道徳観とでもいうべきか)」が導入を阻害していると考える。例えばイタリアはカトリック信者が多い国家であり、教義で「同性婚」は禁じられている。同じく宗教でいえばイスラム教の国では同性間での恋愛や性交に対し死刑などの厳罰をもって対処する国等もある。カトリック派の総本山であるヴァチカンでは、2020年ローマ教皇フランシスコが「シビル・ユニオン(同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める考え)」を認めるべきとの考えを示した(注4)。しかし、2021年3月、教皇庁は「同性婚は祝福できない」との公式見解(注4)を示し、権利としての「シビル・ユニオン」は認めるものの儀式としての祝福はできないという教義上の苦しい判断と推測できる。
一方、日本では「宗教観」自体は薄いと考えられる。では何が阻害しているのか。「日本的家概念」が阻害要因の一つと考える。日本における「家(家庭・家族)」は自分を中心に父母(祖父母)・配偶者・子(孫)によって形成されるという伝統的な考え方が根深く存在する。この考え方は同性婚の問題だけではなくジェンダーなどの他の問題にも根を伸ばしている。このことは先の国会におけるLGBT法案に対する自民党の対応(注5)でも明らかになった。
④ 同性婚を巡る司法の判断
同性婚を巡る裁判は、2019年2月14日、同性婚を求める13組の同性カップルが国を相手取り一斉提訴したのが初例である。現在も係争中であるが、他に先駆けて2021年3月17日に札幌地方裁判所で判決が言い渡された。判決では、「憲法24条1項は異性婚について定めたものである」とし、同条2項は具体的な制度構築を立法府の裁量に委ねており婚姻に関する民法、戸籍法の規定が同性婚を想定していないことが直接的に憲法24条に違反するものではないとの判断を下し、原告の主張を全面的に棄却した。その一方で、この判決では「婚姻によって生じる法的効果を同性愛者のカップルが享受できないことは、憲法14条の規定である『法の下の平等』に違反する」としたことが全国の同性カップルに希望を与えたことは記憶に新しい。
いずれにせよ、国際的にも国内的にも同性カップルへの理解は10年前に比べれば格段に進んでいると考えられる。
(3) 今、私たちにできること~互いを認め合う社会のために~
① 多彩な個性
多様性社会を構築する上で私たちがすべきことは何か。それは「違いを認めること」ではないか。ここでいう「違い」とは多数か少数かではなく「個と個」つまり「個性の違い」である。多様性という言葉には「いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。」の意味があり、まさに個性は変化に富み同じ人はいない。強いことや薄いことはあるかもしれないがそれも含めて個性である。他者と似たところはあるが、それも一部分でしかない。しかし、人間はそうした似た者同士でコミュニティを形成し多数派が少数派の権利を奪い抑制することが歴史上多々あった。
日本はどちらかと言えばそのような風潮を残してきた国であり、歴史的地理的風土に起因することが多い。一方で、グローバル社会を迎えたことや、東京オリンピックの開催を契機(注6)に、日本での当たり前が国際的には非常識であることに気づかされることが増えてきた。東京オリンピックの開催もその一つだったかもしれない(注6)。
いま私たちがすべきことは個性とは多彩なものであることを知り、それを認め合うこと。
② 労働組合(員)としてできること
私たち労働者にできることは何か。もちろん同じ職場で働く仲間の個性を認め合うことは言うまでもない。そのうえで、社会的にマイノリティに位置づけられてしまった仲間がいれば、その人が働きやすい職場を作っていくことが重要と言える。そのために助け合いの組織「労働組合」が存在する。仲間の声を聞き使用者に改善を求めることで、結果として誰もが働きやすい職場が生まれるのではなかろうか。
さらに加えるなら、自分たちの職場だけで終わることなく労働者のナショナルセンターである連合を通じて社会的制度の確立を求めることも可能だ。
③ 公務労働者としてできること
さらに私たち自治労の仲間は公務職場で働いている。人権問題としてマイノリティの問題を考え、自治体での啓発や施策の推進を図ることができる。個性について悩む住民の相談に乗ることもできよう。
そして、全国で浸透し始めた同性パートナーシップ制度の実現やその手続きのサポートもできる。そのためには、偏見を捨て、個性を認める気持ちを涵養していくことが不可欠ではないだろうか。このレポートがその一助になれば幸いである。
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