1. 青森県平川市の概要
青森県平川市は、青森県の西部に広がる津軽平野の南端に位置しています。2006年1月に、旧平賀町、旧尾上町及び旧碇ヶ関村が合併して平川市となり、人口は2021年度末現在、約3万人となっています。
平賀地域は、毎年夏に行われるねぷた祭りが盛んで、高さ約12メートルを誇る世界一の扇ねぷたが有名です。尾上地域は、古くから植木の町として知られ、国指定名勝「盛美園」をはじめ、各家庭にも立派な庭や生け垣を見ることができます。碇ヶ関地域は、豊かな温泉資源に恵まれ、江戸時代から関所のある温泉宿場町として繁栄してきました。
基幹産業は農業で、米、りんごをはじめに、施設ハウス栽培のトマトなど多くの農産物を生産しており、これらの特産品を返礼品としたふるさと納税では、多くの寄付をいただいています。
また、自然が豊かで四季の移り変わりが美しく、市区町村別の住みよさランキングでも評価を得ており、平川市長期総合プランに掲げる「あふれる笑顔 くらし輝く 平川市」の実現に向けて各種施策に取り組んでいるまちです。
2. 市内企業の「カットりんご」との出会い
青森県平川市碇ヶ関の「株式会社アップルファクトリージャパン」(大湯知巳代表)では、りんごの果肉が変色することなく鮮度を保つ独自技術を確立し、日本における「カットりんご」のパイオニアとして、りんご経営の6次産業化や商社との連携による全国販売を展開しています。
青森県碇ヶ関村(現平川市)に生まれた大湯氏は、二男であることから高校卒業後に他産業に就職したものの、兄が就農しなかったため21歳で就農しました。20代の頃は、青森県やりんご協会の主催する研修会の他、アメリカなどへの海外研修にも積極的に参加し、28歳のとき「青年農業士」(次代の中核的農業経営者を目指す優秀な農業青年)に認定されました。
農業に関する知識や技術を身につけ、経営移譲された32歳(1991年)のとき、いよいよこれからという中、青森県内のりんごの被害数量38万トン、被害額741億円という史上希にみる被害をもたらし、後に「りんご台風」と呼ばれることとなる台風19号が青森県を襲いましたが、その翌年に大湯氏自らトラックでりんごの移動販売を行ったことで、「自ら販売することで利益を生み出すこと」を知り、このことが「生産から販売へ」と視野が広がるきっかけとなりました。
その後、大湯氏は39歳のとき、青森県農業士会の講演会で、りんごの変色を起こさない技術を聞き、また、若いころに出稼ぎでカット野菜工場に勤務した経験もあったことから、「りんごを食べやすいサイズにカットし、時間が経っても変色しない加工品が作れれば、新たなビジネスチャンスに繋がるのでは?」と考え、翌年(1999年)、仲間の農業者とカットりんごを製造・販売する会社を設立しました。ところが、当時の技術は未熟なところもあり、切り口が茶色になる褐変が相次ぎ、仲間と設立した会社は2年で解散に追い込まれることとなりました。
3. 高品質な「カットりんご」の誕生
一筋縄ではいかなかったカットりんごですが、青森県学校給食会が、地元の特産品であるりんごを給食で児童・生徒に食べさせたいと品質の改良を待ち望んでいたことから、褐変防止と鮮度保持の技術開発に取り組むことを決め、会社の解散から半年後には、「道の駅いかりがせき特産品直売所」内の加工室でカットりんごの製造を再開しました。
その後、さまざまなアドバイスを受けてカットりんごの技術を確立したことで、製造・販売が順調に推移しはじめたことから、新たに加工場(現在は倉庫として使用)を設けて製造量の増加に対応したところ、学校給食会だけではなく小売会社などへの販売実績も着実に伸びていきました。
一方で、カットりんごを日本全国に広める夢を持っていた大湯氏は、「一農業者としての全国レベルでの販路拡大」に対するハードルを感じていました。
時を同じくして、製造技術は無いものの、高品質なカットりんごに商品としての将来性を感じ、青果物専門商社として全国展開できる販売力を持つ「エム・ヴイ・エム商事株式会社」(兵庫県神戸市)と共同して事業展開する話が持ち上がりました。なお、エム・ヴイ・エム商事株式会社の代表が、アメリカにおけるカットりんごの広まり(ソルトレークシティオリンピック(2002年開催)の会場や、肥満予防などの健康志向の高まりを受けて大手ファストフード店などで販売されるなど)を知ったことが、商品としての将来性を感じることとなったきっかけです。
そこで、エム・ヴイ・エム商事株式会社と大湯氏がそれぞれ出資し、お互いの長所(販売力・製造技術)を活かすこととして、2008年に「株式会社アップルファクトリージャパン」が設立されました。
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カットりんご |
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4. 販路と雇用の拡大
会社設立に伴い資本の増強が図られたことから、新しい機械装置を備え、高度な衛生管理に対応可能な加工場兼社屋(約600m2、建設費1億6,000万円)を新設しました。なお、株式会社アップルファクトリージャパンは県外資本の誘致企業であることから、青森県の当時の優遇支援措置(設備投資の一部補助)を利用することができました。
その後も、製造効率の向上などを目的に各種設備を自己資金で導入したほか、2012年度には青森県の補助事業を活用して、自動計量器、分割機を導入しました。
また、2013年には、共同出資者であり全国に販売ネットを持つエム・ヴイ・エム商事株式会社が、カットりんごの高い品質を認めたイオングループなどの大手量販店にも販路を開拓し、全国での販売を更に広げていきました。
その間において、特に話題性をもった出来事は、2011年1月に東京メトロ丸ノ内線霞ヶ関駅構内に、日本で初めてのカットりんごの自動販売機を設置したことです。その後も自動販売機の設置を進め、現在では東京・大阪といった大都市に20ヶ所設置し、りんごの生果の購入層とは異なる方に向けた大きなアピールアイテムになっています。
原料のりんごについては、大湯氏自ら経営するりんご園のほか、地元の農協「津軽みらい農業協同組合」や近隣の農家から仕入れていますが、販路拡大に伴い、自ら経営するりんご園では地元の女性パート延べ1,000人ほどを4月から11月まで雇用し、増産に対応できるよう作業を行っています。同様に、株式会社アップルファクトリージャパンにおいても従業員の雇用を増やし、現在では、地元や近隣市町村から30人を雇用し、就業の場が多くはない碇ヶ関地域において、雇用の大きな受け皿となっています。
しかしながら、カットりんごの原料となるりんごは、収穫が始まる秋から翌春までの期間でなければ在庫がありません。そのため、原料のりんごが無い時期は、学校給食会などの要望に応える形で、マンゴー・キウイフルーツ・パイナップルなどのカットフルーツを製造することで、年間を通して安定した雇用を実現しています。
なお、マンゴーのカットフルーツの製造技術を確立する際には、現在も加工場の中で中心的な役割を担い、幼少期からマンゴーを食べて育ったフィリピン出身の女性社員の活躍がありました。
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加工場兼社屋 |
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大湯代表 |
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加工場の様子 |
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カットりんごの自動販売機 |
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5. 社会・地域との繋がり
このように、さまざまな課題を乗り越え事業拡大を進めた結果、2013年度には、青森県内の農業経営に優れた個人・団体をたたえる「青森県農業経営研究協会賞」(一般社団法人 青森県農業経営研究協会が実施)を受賞しました。
また、直近の2021年度には、生産技術・経営内容がともに優れ、他の模範となる果樹農業者・団体が選ばれる「全国果樹技術・経営コンクール」(一般社団法人 全国農業協同組合中央会などが実施)において、最高賞となる「農林水産大臣賞」を受賞しました。
その他、青森県平川市内にある「平川市郷土資料館」が2021年3月にリニューアルした際には、土器の展示台に使うりんごの木箱100箱以上を無償提供するなど、地域貢献にも力を入れています(リニューアルは平川市と弘前大学・学生が協力して行い、今後の展示の変更にフレキシブルに対応できるよう、展示台にりんごの木箱を使用することとなった)。
大湯氏は、「生産・加工業者と流通販売業者が、お互いの強みを生かして連携すれば、青森県の食産業にはまだまだ未来と可能性がある。技術は大きな武器に、そして力強い商品になる。」と熱く語ります。
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