【レポート】 |
第39回静岡自治研集会 第7分科会 まちおこし ~持続可能な地域づくりの取り組み~ |
2019年(令和元年)、松江市所有の文化財で遊休不動産となっていた明治時代の建造物「松江市指定文化財 田野家住宅(旧田野医院)」の存在を市職員に知らしめ、その活かし方を考えるという趣旨で、松江市職員ユニオンが市担当部局との合同で、建造物の歴史や特徴を学ぶ研修会・清掃活動を開催したことを契機に、組合員の20~40歳代にわたる歴史好き・古いもの好きが集まって自主サークル「れきまちファンクラブ(※)」を結成。独自企画のまち歩きや古民家への宿泊、個人所有の歴史的建造物の清掃ボランティア活動などの体験と取材を通して、フリーペーパーを発行したり、SNSで発信したりと、組合員みずからが地域の魅力を掘り起こし、満喫し、市民や職員に「歴史まちづくり」の楽しさ・面白さを伝える活動を行っている。(※れきまち=歴史を活かしたまちづくり) |
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1. 松江市の歴史を活かしたまちづくりの概要 (1) 松江城天守の国宝指定、我々に課せられたもの2015年(平成27年)に「松江城天守」が国宝に指定され、松江市民は念願成就の喜びに沸いた。指定に至るまで、官民一体となった松江城国宝化をめざす「市民の会」も結成され、専門的な調査研究、熱心な環境保全活動や広報活動を行ってきたことが報われた瞬間だった。 しかしその一方で、松江城の調査研究から国宝指定に至るまでの恩人である専門家の先生からいただいた言葉、「……松江城天守の価値は、それ自身だけで成り立つものではなく、歴史を残す建造物やまち並み、そこに生きた人々の物語、今に残る伝統や文化を一体のものとして守り伝えていかなければ意味をなさない……」との指摘、遺言となったその言葉が、市長をはじめ我々関係者の胸に深く残っていた。 (2) 松江市の歴史まちづくり 松江市は、古代出雲の遺跡群、江戸城下町風情、明治の小泉八雲逗留地、日本で3番目の国際文化観光都市であることなど、歴史と文化を色濃く残す地方都市として知られてきた。 近年では、2011年(平成23年)に、全国でも早い段階で「歴史まちづくり法」に基づく「松江市歴史的風致維持向上計画(通称:歴まち計画)」の認定を受け、地域の核となる文化財(建造物)とそれに因む伝統行事を守り伝えるために、1期10年間の「歴史まちづくり」の環境整備に取り組んできた。この期間、文化財の維持補修や周辺道路等のハード整備、29地区ある公民館単位でのまち歩きマップの製作、まち並み保全のための歴史的建造物所有者への独自支援などを行い、出雲大社の大遷宮や松江城天守国宝指定のビッグイベントも重なったことから、観光客は年間800万人台から1,000万人を突破するまで増加し、来訪者へのアンケートでは、1番多くの人が訪問の動機を「歴史、文化、景観」だと答えるようになっていた。 2. 遊休文化財(不動産)「松江市指定文化財 田野家住宅(旧田野医院)」 市指定文化財である田野家住宅(旧田野医院)は、私が着任する以前から松江市が抱えていた課題のひとつで、「遊休文化財(不動産)の活用」が、議会や市民から求められていた。(1) 旧田野医院の概要 松江市役所の北側、市道を挟んだ苧町の一角に所在するこの建造物は、今から130年以上前の1887年(明治20年)に西洋医学の医師 田野俊平氏が開業した病院であり、その子孫により平成時代初期まで営業が続けられていた。 文化財の価値としては、わが国最初期の「病院建築遺構」であり、島根県内では最古の「疑洋風建築(※)」であること。(※当時の日本の大工が西洋の建物を見よう見まねで建築したもの) また、建物の特徴としては、伝統的な和の様式をベースとして、壁は白漆喰の土蔵造り、屋根は出雲地方特有の左桟瓦ぶきに来待石の棟石を使用、外観に洋のデザインを取り入れた半円形の大きなアーチ窓、壁の四隅に古代ギリシャ建築などにみられる石積み風に見せる色使いをしていることなどがある。 (2) 旧田野医院の遊休文化財(不動産)化 2014年(平成26年)、所有者から解体の意思が示されたことから、松江市が文化財的な価値を鑑みて保全する旨を所有者と話しあい、市が文化財指定したうえで建造物の寄附をうけることとなった。以後5年を目途に活用策を検討し具体化するという条件で議会でも了承された。こうして文化財は保存されたものの、その活用が大きな課題として残されたのである。 以後、市民見学会や、市民ワークショップの開催、元所有者との意見交換などを重ねながら、活用に向けた議論を行ったものの、2年目以降、耐震性の問題や改修費の財政問題、運営主体の問題などを解決して活用に向かう方針が出ないまま、4年目を迎え、その間、安全性の問題から一般開放されることはなく、遊休文化財(不動産)となって、最低限の維持管理のみが行われる状態となっていた。 3. 松江市職員ユニオン本庁支部による地域活性化の取り組み (1) 小さな市民ボランティアの輪を職員から担当部局である歴史まちづくり部では、4年間使われず、市民が気軽に触れることもできず、職員すらその存在を忘れかけていたこの文化財を、「松江市の大切な資源」として、市民ボランティアで守っていくことができないかと考え、「まずは少なくとも職員に触れてもらうことから」という、「小さな市民ボランティア活動」のはじめかたを模索していた。 担当者としては、「この廃墟と化した建造物に興味をもってくれる人がいるのか、ましてやボランティアでの清掃活動など……」という不安をかかえながらも、「若年層からベテランまで気軽に参加してもらい愛着を育んで欲しい」という気持ちから、松江市職員ユニオンに相談をもちかけた。 (2) 実際に募集してみると、こんな反響が! 本庁支部の協力を得て、職員ユニオン広報紙「ホットライン」を使って、組合員と管理職へ回覧をしたところ、本庁支部の若手役員はもとより、一般組合員からも20歳代から50歳代まで合計20人を超える応募があり、当日は12月の寒い天候にもかかわらず、興味を持って話を聴き、古い文化財に触れ、最後に3グループから活用の提言までいただくことができた。 実際、歴史まちづくり部担当者の不安を覆すような、若い世代からの喜びの声からは、職員のまちや地域資源への意識の高さを感じることができ、歴史まちづくりへの可能性を見出すことができた。 【第1回目】2019年(令和元年)12月21日(土)20人 講演会、清掃、グループワーク 【第2回目】2020年(令和2年)12月12日(土)21人 説明会、清掃、カフェタイム
4. 小さな市民活動のはじまり「れきまちファンクラブ」発足へ (1) 職員ユニオン活動から、組合員の自主活動、そして市民活動へユニオン本庁支部の「自治研活動」を契機の1つとして、古い建物や松江の歴史に興味を抱く職員同士のつながりが芽生え始め、職員有志の発案で、歴史まちづくり部へ「旧田野医院の清掃活動&ランチ&写真撮影会」開催の申し出があり、歴史まちづくり部と職員有志の協働による小さなボランティア企画が、2020年(令和2年)6月6日(土)の実現に至った。
さらに、このとき集まった有志8人をもとに任意サークルが発足し、歴史まちづくりに関する自主活動へ展開が広がっていく。そのサークルは「れきまちファンクラブ」と命名され、独自取材によるフリーペーパーの発行や、和服を身にまとってのまち歩き、リノベーション古民家での宿泊体験、個人所有の歴史的建造物への清掃ボランティア活動など、市民とも関わり合いながら、まちや人の魅力を自ら発見、発信し、松江のファンを増やす活動を続けている。 会員は市職員のみならず一般市民も巻き込んで増加し、現在は25人となっている。会員のクラブ活動への想いを聞いてみた。要約を以下に記すが、各年代の感性で、市民目線で、現場で活動する会員の発言には、「地域の日本遺産、文化財の保存と地域づくり」に取り組むうえで、我々が意識しておくべき考え方や、コンセプトづくりに欠かせないヒントが確かに存在すると思う。 (2) れきまちファンクラブ活動への想い 【Q1】 もともと、歴史や文化財、古いもののことをどう思っていた? どんなことがしたかった? (クラブ会員F/20代)広報部フリーペーパー作者 古いものが好き。松江が好き。個人的に好きなものは「文化財」というより「人や時間とともに今の姿になって、新しくは作れないもの、それに関わる昔の人のことを想像できるもの」。これを【れきまち好き】と言うのでしょうか……! 写真と言葉とデザインが好き。形にしたかった。Мちゃんと「何かやりたいね」「いつかフリーペーパー作ろう」と語り合っていました。 (クラブ会員М/20代)広報部フリーペーパー作者 もともと建築を学んでいたということもあり、県外を飛び回っては建物を見ることが趣味で(特に古いまち並み)学生の頃はよく京都に遊びに行っていました。そんな中、松江市役所に就職し、県内の人でさえ知らないであろう隠れたステキな場所をたくさん知っているFちゃんに出会い、写真撮影をするなどして遊んでいて、もっといろんなところを詳しく知りたい! とも思っていました。 【Q2】 職員有志で、旧田野医院のボランティア企画を考えついた、そのいきさつとは? (クラブ会員F/20代)広報部フリーペーパー作者 職員ユニオンの自治研活動とコロナ流行がキッカケ。自治研活動では掃除がメインだったので、もう一度、旧田野医院に入りたい! そのときは「じっくりゆったりあの空間を満喫したい」「建物と人を一緒に写したい」と思っていました。その後コロナの影響で、テイクアウトメニューを出すお店が増え「"美味しい"って、お店の空間も大事な味付けのひとつだったんだなあ」と感じ、「じゃあ、松江の素敵な空間で食べよう!」と公園や東屋を巡り歩いていたところ……閃き!「旧田野医院で食べたら"美味しい"も倍増、あの空間も満喫できる。最高! やりたい!」と思いついてしまいました! 私天才!! (クラブ会員М/20代)広報部フリーペーパー作者 コロナが流行してしまい県外に旅に出られない事態が起き(かなりストレス)……「せめて市内でいいから楽しいことをしたいね~」と言っていたことを私は妄想の範疇に過ぎませんでしたが、Fちゃんの積極的な動きにより実現することができました!! 行動力のない私、本当に本当にありがたい!! 清掃活動で、隅々までその建物を知ることができ、更に愛着が湧いてきてとても良い経験をしているなと思います。これは他の建物でも積極的にやったほうがいいですね……!!! 撮影会も、ステキに撮れることは間違いなしだと確信していましたが、夕日も相まって最高の作品がたくさん仕上がりました。 【Q3】 「れきまちファンクラブ」を結成しようと考えたのはなぜ? 何を期待した? (クラブ会員Y/30代)ファンクラブ部長 れきまちファンクラブを結成したのは2020年(令和2年)6月6日です。結成から遡ること2ヶ月前の4月に、私は人事異動でまちづくり文化財課歴史まちづくり係にやってきました。ちょうど新型コロナウィルスが蔓延し始めた頃で、全国を対象に緊急事態宣言が発出され、世界中の人が得体の知れない恐怖や不安を感じていました。仕事においても、人と会うことが制限され、本を読んだり、考えたり、未来を想像したりして、家の中や職場の中で過ごす日々が続いていました。 文化財など全く知識のない私は、初歩的な内容から勉強していました。「歴史まちづくり」とは何か。松江市の歴史まちづくりを進めるために、この部署の中で、私にできることは何か。「歴史まちづくり」がめざすもの……市民にもっと文化財等の歴史文化資源を愛してもらいたい。歴史文化資源を大切に思ってもらいたい。そのためには……市民がもっと文化財に触れ、身近なものとして感じてもらう必要がある。オフィシャルで「文化財友の会」を結成して、「れきまち好き」な人を集めて、ダイレクトにその人たちに情報や文化財と触れる企画を届けるのはどうか? そんなことを悶々と考えていました。 そんなときです。6月6日に旧田野医院での職員有志による清掃活動が行われました。私はその活動報告を聞いて、「これなのかもしれない!」と思いました。2019年(令和元年)12月と2020年(令和2年)6月という短期間に2回も続けて掃除をしたいほど、古い建物好きな職員が集まっている! サークルにして、この活動を広げてみてはどうだろう! そのひらめきを、同僚に話すと「いいねいいね!」と。さらには課長までも「いいね!」と。私は嬉しい気持ちでいっぱいでした。こうして、職場の後押しもあって、れきまちファンクラブ結成となったのです。
【Q4】 クラブ活動を通してどんなことを感じている? これからやってみたい活動のイメージは? (クラブ会員F/20代)広報部フリーペーパー作者 "文化財"として価値が認められたものたちを、残して繋ぎ続けることは、これからも変わらず公の仕事として続いて行くと思います。れきまちファンクラブでは、「文化財を楽しく発信して、身近に感じてもらう」ことはもちろん、「価値を認められていないけど、れきまちを感じられるものの魅力に気づいてもらう」そして、れきまちを通して【松江に愛着を持つ人】が増えたら嬉しいなあと思っています!(松江沼へ引きずり込みたい)「松江は何もない。つまらない」と言う人たちは、「知らないだけ」かもしれない。まずは知ってもらう! そして、楽しんでいる私たちを見て【気になる】に。自分で楽しんでみて【好きになる】へ……と、繋げるコンテンツになれたらいいなぁ。 (クラブ会員М/20代)広報部フリーペーパー作者 元々、まちづくり(地区計画や都市計画)の研究をしていたこともあり、将来はまちの人の意見を聞きながらまちを創っていくような仕事をしたいと思ったことが公務員をめざしたきっかけでした。ただ入ってみると実際は思っていたことはなかなかできずモヤモヤしていた3・4年目。れきまちファンクラブに出会い、クラブを通してまちの人や同じ好きなものを語り合える人に出会い、さらにはこれも妄想の範疇にしか過ぎなかったフリーペーパーまで作れて、とても充実した毎日を送れています。感謝です。松江市を受験したのは元々まちに魅力があると思っていたからですが、れきまちファンクラブの方々に出会い、私が思っていた魅力は薄っぺらいものだと痛感している日々です。今後は、松江市の南部や旧八束郡にも手を出したいです。もちろん山陰圏域全般も! (クラブ会員Y/30代)ファンクラブ部長 部長権限で(笑)、クラブのみんなに、役割をつけました。会員もやること・やるべきことがあったほうが、クラブにいても楽しいでしょう? それが良かったのかなぁと思います。 【広報部】は、進んでフリーペーパーのファンクラブ通信を作ってくれています。どんどんアイディアが出てくるようで、通信を市役所中に発信すると、興味を持ってくれる人からの問い合わせがじゃんじゃん来ました。さらには、この広報のおかげで、部員がどんどん増えて今では25人に。最初は8人だったのに。嬉しくて嬉しくて! 市役所の回覧板で募集したのに、友達つながりで市役所でない人たちも入ってくれました。その人その人の特技や興味を活かした役をつければ、最強のチームになること間違いなし。みんなの「やりたい!」や「やってみたい!」を形にできそうです。 【総務・交渉部】は、家のことやいろんなことでバタバタな私を支えてくれています。感謝。 部員のみんな。いつもあったかいコメントをありがとう。「れきまちファンクラブの活動は癒される」「息抜きとなっている」「次の企画が待ち遠しい」、その言葉が私のエネルギー源となっています。 【歴史まちづくり】とは、こういうことなのかな、と考え始めています。 「古いものを大事にして、そこにある歴史や文化や昔の人の思いを感じ、それを今の人が共有する。今の人の心を豊かにし、未来へ進むための原動力へとつながっていく」 だとすると、【歴史まちづくり】は、「個々の人の中に植え付けるもの、あるいは、人の心の中に元々あるものを引き出すということ」なのかもしれない。「まちづくりは人づくり」というのはこういうことなのだなぁ。れきまちの心は、未来に向かって生きていくうえで、結構大事な要素なのかもしれない。だとすれば、この「れきまちファンクラブ」を創ったワタシ、ナイスだわ(笑) |