【レポート】

第39回静岡自治研集会
第7分科会 まちおこし ~持続可能な地域づくりの取り組み~

大友氏遺跡を活かしたまちづくりについて
―― 近年の実践例の紹介 ――

大分県本部/大分市職員労働組合・自治研「歴史・芸術・観光部会」

はじめに

 大友氏遺跡の保存整備事業は、事業開始から20年以上の歳月をへて、2019年度末に短期整備が終了した。翌2020年度に大友氏館跡庭園が一般公開され、現在は、2030年の大友宗麟公生誕500年の完成にむけて、整備が進む大友氏館跡を軸に、遺跡の周辺のハード整備やソフト事業が行われている。
 本報告では、大友氏遺跡歴史公園整備事業の近況と、遺跡を活かしたまちづくりの実践例を紹介し、大分市中心の東端において、人々が行き交い、交流する新たな場が生まれていることについて周知を行う。

1. 大友氏遺跡とは?

 今から450年前の大分川河口付近、今の長浜町から元町一体には南北2.1キロ、東西0.7キロの範囲に「府内」とよばれる町があった。
 府内は、全国でも名高い戦国時代の巨大な都市で、また、ポルトガルをはじめとするヨーロッパまで知られた国際的な町。そのまちの中央、現在の顕徳町3丁目には、戦国大名大友氏が築いた大友館があり、1998年より、大友氏館跡という名称で発掘調査と歴史公園としての整備が進んでいる。
 現在は、大友氏館跡を含む、旧万寿寺地区、推定御蔵場跡、唐人町跡、上原館跡の5つの遺跡が、「大友氏遺跡」として国指定史跡となっている。
 ちなみに、大友氏館跡は2001年8月に国指定史跡となっており2021年は史跡指定20周年にあたる。

2. 近年の大友氏館跡

(1) 主な出来事
① 2018年9月30日 大友氏館跡内に南蛮BVNGO交流館がオープン
② 2019年6月 大分市歴史的風致(ふうち)維持向上計画 策定
 大友氏遺跡から府内城周辺一帯が歴史的風致重点区域の一つに位置づけられる。


③ 2019年10月31日 「線路敷ボードウォーク広場」完成
④ 2020年3月31日 大友氏遺跡整備基本計画(第1期)改訂版 策定
⑤ 2020年6月12日 大友氏館跡庭園の開園

(2) 史跡の活用
① 南蛮BVNGO交流館来館者(2019年4月から2020年2月まで)

 

2020年度

2019年度

増加率(%)

備考(2020年度)

4月

休館

836

 

コロナのため休館

5月

470

1,732

-72.90%

5/16~再開

6月

2,044

1,075

90.10%

庭園公開

7月

998

643

55.20%

 

8月

1,870

1,388

34.70%

夜散歩 おもてなし

9月

1,507

1,170

28.80%

 

10月

2,620

1,875

39.70%

 

11月

3,075

1,363

125.60%

宗麟 館で待つ

12月

1,107

987

12.20%

クイズラリー

1月

1,124

1,305

-13.90%

大友みくじ

2月

838

939

-10.80%

 

3月

1,394

608

129%

府内古図でまちあるき

17,047人

13,921人

22.45%

 
             
② 遺跡を活用した主なイベント
 ア 大友氏館跡庭園イベント「夜散歩」(2020年8月)
  内容:夏ならではの楽しさと涼を求め夜間の庭園公開を行った。庭園は和の雰囲気にライトアップし夜の庭園を楽しんでもらった。来場者:1,142人(2日間合計)
 イ 大友氏館跡イベント「宗麟 館で待つ」(2020年11月)
  内容:「大友氏館跡の魅力を再発見」をテーマとして、FUNAIジュニアガイドによる庭園の解説や史跡ボランティアガイドによる歴史講座。西洋音楽発祥の地にちなんだコンサートのほか、庭園のライトアップなどを行い、庭園完成後の大友氏遺跡の魅力を発信した。来場者:1,177人(2日間合計)

(3) 主な広報
① 市報 2020年10月1日号 大友氏館跡庭園特集
 「今号の特集は、今年の6月に一般公開を開始した大友氏館跡庭園です。遺跡の発見から発掘、調査、研究、そして復元まで、その工程はとてもドラマチックで、発見された事実はとてもダイナミックなものでした。
 地中には、22代の栄華を誇った大友家と、21代当主宗麟の功績が地層のように重なり、発見されるのを待っていたのです。450年もの歴史を遡って復元された戦国時代末期最大級の大庭園、その詳細を紹介します。」

3. 遺跡のサイン整備とその活用の紹介

(1) 動 機
 大友氏は大分県全体を400年もの永きにわたって治めた大大名であり、府内のまちはその本拠地としての歴史的価値は大変大きい。大友氏館跡だけに留まらない、町全体の魅力もぜひ知ってもらいたい。

(2) 素 材
 戦国時代の府内の町を描く「府内古図」
 江戸時代のはじめに描かれた「府内のまち」を描いた絵図。大友館を中心に40余りの町の名前や道路、たくさんの寺社仏閣が記されている。
 西大分の春日神社から大分川河口までが描かれる。

(3) 手 段
 ステップ1:看板を複数設置し戦国時代の遺跡や文化財を周知する
 ステップ2:設置したサインをめぐってもらい実際に大友氏館跡来訪者のスケールを知ってもらう


現在の地図と戦国時代の府内のまちの諸施設

(4) 大友氏遺跡周辺のサイン(看板)整備
① 目 的
 大友氏館跡を中心とした周辺の遺跡のことをもっと知ってもらうこと、江戸時代のお城である府内城や大分駅といった観光資源とをつなぐ相互の回遊性向上などを目的に2019年度から2020年度にかけて設置。
② 設置場所
 大友氏館跡をはじめ、「府内のまち」があった現在の錦町3基、長浜町に1基、上原館跡という大友氏のもう一つの館がある上野丘西に1基、大友氏が鎌倉時代に築いた旧万寿寺跡の所在地である大字大分(現在大友氏遺跡多目的広場として活用されている場所)に1基を設置。
③ サイン(看板)の内容 大友氏館跡を例に
写真 大友氏館跡 サイン
 発掘調査で明らかになった大友氏館跡の概要や遺跡の意義、たとえば、有名なフランシスコ・ザビエルがここ大友館で大友宗麟と会見し、これがきっかけとなって「府内のまち」にはキリシタンが増え、ポルトガル船が度々来航し、国際的な都市として発展したこと、発掘調査時の状況や出土品の写真などを表示。現地のサインを見ながら、東西200m、南北200mもの広大な遺跡のスケールを現地で体感できる。また、その他のサインでは、戦国時代の町の名前や道路の場所を現在の空中写真に重ねたものを表示し、説明サインの場所に立って周囲をみてもらうと450年前のまちのどのあたりにいるのかがわかるようになっている。サインをめぐることで、戦国時代のまちなみを想像して、大分のまちの歴史的な奥行の深さを感じることができる。
④ サインのデザイン
 大友氏の遺跡に関連するサインは深い緑色がテーマカラー。サインの色はこちらで統一。またサインの柱頂部のデザインを工夫。2種類のデザインがある。
 大友氏遺跡のサイン:400年もつづいた名門大友家の高い格式をイメージして「金色」で大友家の家紋を表現。
 府内のまちにあるサイン:「華南三彩」とよばれる中国でつくられた陶器の模様をモチーフにしたデザイン。

⑤ 各部署と連携した特色ある整備
フットライトに表示された
戦国時代の町「稲荷町」
 錦町にある3つのサインは市道錦町長浜線という新しい市道のポケットパーク(歩道に隣接する空き地)に立つ。この道路建設に先立って遺跡の発掘を行っており戦国時代の道路跡や町跡が発見された。新しい道路は戦国時代の道路の上に作られる計画であったことから、せっかくみつかった道路の痕跡をまちの魅力や個性として表示しようということになった。
 現在、道路の歩道部分に茶色のタイルで戦国時代の道路の場所が約250mにわたって表現されており、サインをみながら宗麟公も通ったかもしれない道路を歩くことができるようになった。
 また、歩道には深い緑色のフットライトとよばれる足元を照らすライトが設置されている。このライトの歩道側には戦国時代の町の名前が記されており、夜になると幻想的に光る仕掛けになっている。

(5) 「府内古図」でまちあるきマップの配布
① 内 容
 「府内古図」をもとに、整備したサインに連動させて、楽しく館跡周辺を散策できるマップを制作し府内古図を楽しいイラストにしたクリアファイルとともに配布する。クリアファイル裏面には、府内古図に縮尺を合わせた現在の大分の地図を載せ、「府内古図」が現在の大分市のどのあたりにあたるのかが分かるような工夫を行う。「府内古図」を見ながら現在の町を散策することで、町歩きの楽しさだけではなく、大友宗麟や息子義統(よしむね)が作ったまちを身近に感じ、歴史ファンを増やす。
 2021年3月20日~5月5日の間、限定1,000枚で南蛮BVNGO交流館にて配布した。

まちあるき クリアファイル(表面)

② まちあるき実施者のアンケート結果
 「まちあるき」を行った感想として、「楽しかった」が8割強、「普通」が15.7%、「楽しくなかった」の回答はなかった。


 まちあるきを「楽しい」と感じた方が8割(84%)。まちあるきの狙いであった「府内のまちを身近に感じることができた」方が、ほぼ全員(95%)という、非常に満足度の高い結果となる。また、自由回答欄の意見を大きく分類すると「歩く楽しみ」「知る楽しみ」「歴史(ロマン)を感じた」の3つに分けることができた。その中でも、一番回答の多かった回答が「歴史(ロマン)を感じた」というもの。現在の街並に当時の面影が感じられないことを心配したが、「古地図通りに現在の場所に立って、当時のことを想像するのは単純に楽しい」という回答者の言葉に見られるように、想像力を膨らませて散策をすることにより、何もない道にも今と昔のつながりやロマンを感じる方が多かったと思われる。

4. おわりに

 全国の自治体で、地域の基盤となる歴史・文化を活かした多様で個性的なまちづくりが行われ、これに連動した法整備も進んでいる。
 大分市においても、ここ20年の発掘調査や研究の蓄積から何気ない路地や土地の境の一部は、実は戦国時代の道や町割りを踏襲していることがわかってきた。つまり、戦国時代のまちの姿は現在のまちに遺されているのであり、大分の重要な歴史的資源がまちなかに何気なく存在しているのである。このことは、文化財課の専門職員にとっては周知の事実であったが、他部署と情報共有する機会はほとんどなかった。
 大友氏遺跡を核としたまちづくりを本格的に進めるにあたり、2015年頃からまちの歴史的な特性を関係部署の職員と共有し、都市整備の計画の策定を行う他、道路整備や照明整備に活かすようになったことは、文化財を活かした個性と魅力あふれるまちづくりの大きな前進といえる。さらにサインを整備し、マップを配布し、現地を散策してもらうことで、歴史的な背景をふまえた奥行きのあるまちの魅力を、一般の市民に実感してもらっている。
 「知って興味を持ってもらう」ことは、「その価値を未来に繋げる」ことの第一歩である。そのためにも「大分のまちは、実はとても歴史深い場所」という事実をまずは市の職員全員に知ってもらいたい。


大友氏館跡