1. はじめに
(1) 現代社会をとりまく情報技術の変遷と現状
情報技術は凄まじい速度で進歩しており、現在ではITという言葉は標準語として、私たちの生活には欠かせないものとなってきた。
2000年にはIT基本法が成立し、インターネットの普及と合わせてITという言葉が世間に一気に広まっている。現代社会では子どもから大人まで、誰もがスマートフォンやタブレット端末などのデバイス機器を持ち、気軽にインターネットやアプリで楽しめる時代になった。特にコロナ禍の今、ステイホームという意識が広がり、家庭内で楽しめるインターネットを使ったサービスは無くてはならないものとなってきている。
そんな中でも特に昨今サービスが拡充されてきたのがSNSである。TwitterやFacebook、Instagram、特にLINEなどは使っていない人を探すのが難しいほどの普及率である。SNSを使用すれば、距離や時間関係なく、好きな時に好きな人とネットワーク上でつながることができる。
このようにインターネットを使ったサービスが私たちの生活に溶け込んできた昨今、「ICT」という言葉をCM等でも耳にすることが増えてきた。実際、さまざまな企業や分野で導入が検討され、多くのサービスが提供されはじめている。
ICTとは、「Information Communication Technology(インフォメーション コミュニケーション テクノロジー)」の略語で、直訳すると「情報伝達技術」となる。ITの類義語にあたるが、ITとの違いは「Communication(コミュニケーション)」という単語が含まれている点にある。ITにCommunication(使い方)を含め、活用方法と一緒に新しいサービスを考えること。それを指してICTという言葉が使われている。
(2) 労働組合のおかれている現状、パンデミック
現在、日本における労働組合を取り巻く状況は良いものとは言えず、決してその基盤は万全ではない。労働組合の組織率は1949年に55.8%を記録した後、1950年代からは低下の一途をたどっている。
自治労においても近年同様の現象が起こっており、2011年には80万人を超えていた組合員も、現在では75万人を下回る数字となっている。自治体としての採用抑制の影響も少なからず関係していると考えるが、社会的に若年層の労働組合に対する先入観の悪さが多分に影響していると考察でき、現に自治労で7割近くあった新規採用者の組織率が、2019年には約6割まで低下している。
併せて、組合の次世代を担う役員不足や組合活動の情報不足、活動のマンネリ化などによる停滞感が、労働組合の社会的意義、存在意義を見えづらくしており、執行部と組合員の温度差は広がる一方である。
このような状況の中、新型コロナウイルス感染症の蔓延というパンデミックにより、定期大会や中央委員会、はたまたオルグや福利厚生イベントに至るまで通常通りの開催が出来なくなってしまった。
2. 労働運動のICT化に向けて
(1) ICT推進委員会の発足
このパンデミックにいつ終わりがくるのか見当もつかない中で、事態が収束するのを待っているだけでは、労働運動は衰退していく一方である。労働組合として一番重要な「コミュニケーション」をどのような形で復活させるか、もしくはどこまでコロナ禍以前に近づけるかを検討していかなければならない。
そこで、ITを活用して執行部と組合員の情報共有が図れないか、もしくは組合員同士の交流を行うことができないか検討するために、松江市職員ユニオンの若手執行部9人で「ICT推進委員会」を立ち上げることとした。
(2) ICT化の目的は何か、誰のためか
「ICT推進委員会」が立ち上がり、2020年10月末から全5回の委員会を開催してきた。第1回目の委員会においては、まずは委員それぞれの視点で我々執行部に何ができるのか意見を出し合ったが、実はこの第1回目で早速、ICTの推進に対して違和感を抱き始めることとなる。
ICTを活用することで出来ることとしてまず挙がったのが、「ビラ」の配布をメールやホームページに掲載することだった。松江市職員ユニオンには専用ホームページが開設してあるが、うまく活用できず、更新されていない状況だったため、ICTの推進に併せ、これを上手く活用していきたいという狙いもあった。
現状、執行部は組合員が読みやすいように情報を記載し、またデザインを工夫するなどして、時間をかけて紙のビラを作成している。これを時には朝立ちをして手渡しで、もしくは回覧で組合員の手元に届けているが、一部の組合員は読むことすらなく捨てている。作成している側から考えると、これほど悲しいことはないし、読まない組合員が悪いと切り捨ててしまいたくなるのだが、我々執行部側は情報を伝えなければならない立場なため、これを続けていくしかないのが現状である。
例えばこれをメールに添付して一斉に送信した時のことを考えてみる。おそらく、紙が手元に届いても読まない組合員は、メールは開いたとしても添付ファイルは開かないであろうし、はたまたこれまで紙で読んでくれていた組合員も、添付ファイルを開かない人が出てくるだろうと容易に推測できる。記載されている内容は紙であろうがデータであろうが同じであるにもかかわらず、手元に届く手段が変わっただけで、組合員に情報が届かなくなる恐れがある。これはホームページにビラを掲載したところで全く同じ話であり、組合員が開いてくれなければ情報は届かない。
このように考えると、ICT化の目的は何なのかが分からなくなってしまう。我々執行部は組合員の利便性が上がり、さらに情報がタイムリーに楽に届けることが出来ると期待して検討を始めたわけだが、情報が届かなければ本末転倒である。ICTのコミュニケーションの部分が通じ合いではなく、一方的な押し付けになってしまい、労働組合が大事にしてきたキャッチボールのコミュニケーションと全くの別物となってしまうのである。
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【第2回ICT推進委員会時の資料】 |
(3) 組合員が知りたい情報と執行部が伝えたい情報
上記のように、情報が伝わらなくなる恐れがある原因を委員会で検討したわけだが、その最も大きな要因が、ネットワーク上の情報は受信する側の「選択的接触」に委ねられるという点にあると考えた。
「選択的接触」とは、自分が欲している情報や、自分に近い意見を意識的、あるいは無意識的に選ぶことであるが、ネットでは新聞やテレビに比べて、この選択的接触をかつてないほど徹底的に行うことができるのである。
このように考えるとICT化の推進は、組合員が知りたいであろう情報と、執行部が伝えたい情報で分けて考える必要が発生する。
組合員が自分に利益があると判断できる情報、例えば物資斡旋等で物を安価に買うことが出来る等であれば、自ら受信しに来るはずであるし、その逆で執行部が伝えたくても、組合員が自分に利益がないと考えれば、この情報に接触してもらえない。
では上記のように本当にICT化を進めて良いのだろうか。組合員が知りたい情報かそうでないかを、執行部で全て判断できるわけではないので、発信する内容で分けるには限界がある。となると、選択的接触を行わせないためにこれまでどおりビラや対面のオルグで情報は伝えた方が良いこととなる。
極論、ICT化は組合員の利便性向上のためでなく、執行部役員の負担軽減のためのものと考えて実施しないと、一歩間違えれば組織力の低下につながりかねない。
3. 労働運動と組合員の距離を縮めるために
(1) 執行部の伝え方ではなく、組合員の自分事意識の醸成
上記のように、ICT推進委員会ではICT化に向けた議論を重ねてきたわけだが、どこの単組も抱えるICT化以前の最も重たい課題に直面することとなった。
組合員が知りたい情報、知る必要がないと思っている情報、これらはいずれにしても我々執行部が伝えたいと思っているから出した情報であり、本来全て組合員の利益につながるための情報である。これが内容によっては組合員の選択的接触によって弾かれてしまうというのは、そもそもの労働運動としておかしいのではないだろうか。みんなで集まり、協力し合うことで組合を形成しているにもかかわらず、組合のことは執行部に任せておけばよいという発想、さらには執行部のことを「組合」と呼んでしまう状態になってしまっており、なぜ組合が必要なのか、なぜ闘争をしているのかを考えてもらえていないわけである。
これは決して一概に組合員が悪いというわけではない。私自身、一組合員であった時は組合の動員は面倒であったし、高い組合費を毎月払わなければならないことに対して不満はあったが、仕方のないこととして諦めていたのが正直なところであるし、もっと言えば執行部が何をしているのか分からなかった。情報紙を読めば多少は分かったかもしれないが、情報紙に書かれた情報以前に、なぜ組合が必要なのかを理解していなかったので読む気もしていなかった。
だからこそ、これから私たち執行部は情報の伝え方だけではなく、組合の闘争や運動がなぜ必要なのか、なぜこれまで続いてきているのかを組合員に考えてもらう機会、自分事として捉えてもらうための機会を提供すべきである。
(2) 組合員に自ら考えてもらうためのツール
松江市職員ユニオンでは、2019年に当時のユース部(31歳以下の職員の集まり)により「賃金確定闘争ゲーム」が開発された。これは6人程度の人数のグループで行う、模擬交渉ゲームである。グループの中から執行委員長、書記長の役を決め、与えられた条件(現状の給与水準、人事院勧告、当局からの通知など)を基に、グループ内で交渉に向けた話し合いを行う。その後、書記長役には実際に市長役の人と交渉してもらい、その結果を残った執行部に伝えに行く。思わしくない結果であれば、再度作戦を練ったうえで交渉に臨み、自分たちの目標をつかみ取っていくというものである。
2019年の新入組合員学習会では、実際にこのゲームを新入組合員に体験してもらっている。
結果としては、模擬交渉という「ゲーム」ではあったが、この年の新入組合員には、我々の賃金が何を基に、どのようなプロセスを経て決まっていくのかを、自らがその立場になって考えることで理解してもらうことが出来たと考えている。
実際に聞くところによると、実際の確定闘争時に出されたビラには目を通してくれるようになったことに加え、その内容を職場選出の執行委員に対して詳しく説明してくれる人もいたほどである。
松江市においては合併に伴う職員400人削減計画が終了し、基本的には退職者と同数程度の新規採用者が入庁することとなったため、毎年100人前後の新入組合員が発生している。彼らに対して、このようにゲームを通じて労働運動を自分事として捉えてもらうことは、少しずつではあるが組織力の向上につながっていくものと確信している。
今後は、賃金確定闘争だけでなく春闘や政治闘争をゲーム化することや、市役所35年間の人生ゲームなどを作成し、今よりも労働運動の必要性を自分で考える機会を提供していきたいと考えている。
4. あたりまえじゃないから始めよう
「労働組合は保険のようなものである」と本部の研修会で習ったことがある。普段の生活では特段必要ではないけれど、困ったときには助けてくれる存在という意味で教えられた言葉と理解している。
確かにその通りであり、困っている組合員がいれば執行部はどうにかして助ける術を考えるし、組合員同士でも助け合ってもらわなければならない。
しかしこれは、労働組合が正常に機能していればの話である。組合員が労働組合の必要性を感じず、運動に参加しなくなり、最悪の場合として脱退する事態が頻発すれば、当局との協議や交渉をまともに行うことが出来なくなり、助けることのできた組合員を助ける術がなくなってしまう可能性だってある。
今一度原点に立ち返り、今があたりまえじゃないことや労働運動の必要性を組合員自らで考えてもらうこと、実はこれがICTを推進するために一番必要なことなのである。
労働運動のICT化を進めるためにも、今一度「あたりまえじゃないから始めよう」。
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