【代表レポート】

合併から11年、北上市の合併効果を検証する

岩手県本部/北上市職員労働組合

1. はじめに

 全国で市町村合併の議論が盛んになっているが、合併特例法の期限である2005年3月まであと3年をきり、総務省は今年を「正念場の年」と位置付け、協議を早急に進めるよう要請している。また、合併後の財政優遇措置と、小規模自治体には不利になる地方交付税の段階補正見直しという「アメとムチ」の使い分けで合併を強権的に進めている。本来、市町村合併は個別の自治体や住民の必要性から進められるべきことであり、期限付きや、メリット・デメリットという点ばかりが問題になっていることと、「地方分権=合併」という流れが真の地方自治を追求する姿なのか疑問を持つものである。
 北上市は、長年にわたる議論を経て合併を行い、合併後12年目を迎えている。連日、全国の自治体関係者が視察に訪れるが、昨今の期限付きという制約や損得勘定合併の動きについて考える素材として、北上市の合併の経過を報告し検証を行う。

2. 北上市合併までの経過

 1991年(平成3年)4月1日、旧北上市、旧和賀町、旧江釣子村が対等合併して新しい北上市が誕生した。
 旧三市町村は、古くから経済圏・生活圏が一体化しており、東北地方の交通の要衝として、人々の交流も盛んであり共に発展してきた。特に近年高速交通体系の整備によって先端技術関連企業や流通サービス業の立地が進み、住民の日常生活圏が市  町村の境を越えて広域化し、これに即応した住民サービスが求められてきていた。
 このような中で、1986年(昭和61年)に、三市町村議会で構成する三市町村開発協議会から合併提言を受け、以来住民・議会・行政が一体となって合併に向けた真摯な検討が続けられてきた。議会が先鞭をつけるに至るまでは、20年以上の時間をかけ、住民の共通認識の醸成を培ってきた経過も見逃すことはできない。

(1) 略 歴
  ・昭和の大合併では、県から2度にわたり合併勧告がなされたが合併には至らなかった。
  ・1967年、北上市、和賀町、江釣子村で構成する和賀中部行政連絡協議会を設立。
  ・1974年、北上市の働きかけにより3市町村の合併が検討されたが、見送りとなる。
  ・1984年、3市町村の議会議員全員による開発協議会の中に、合併調査特別部会を設置。
  ・1986年8月、3市町村の有権者の10%にあたる5,625人を対象に住民アンケートを実施。
   回答1,681人(29%)のうち、71%が合併に賛成の意向。
  ・1986年11月、開発協議会から合併に積極的に取り組むよう提言を受ける。
  ・1990年6月、法定合併協議会設置。
  ・1991年4月、3市町村の合体(対等)合併により、新北上市が誕生。

(2) 合併協定書と新市建設5ヵ年計画
   三市町村の首長・助役・議長・副議長・学識経験者あわせて21名による合併協議会は、8回にわたる議論を経て、1990年(平成2年)12月3日、25項目にわたる合併協定書に調印した。
   また、並行しながら3市町村から派遣した12名の職員で合併協議会事務局をつくり、合併までの準備を行うとともに、各担当課及び各係ごとに随時事務調整を行い、合併後の住民サービスを明確化させた。
   合併協定では、住民サービスを低下させないため、支所を置くことや住民負担は軽いほうに合わせ、サービスは高いほうにあわせる事が基本となったほか、具体的な整備は新市建設5ヵ年計画で明記したが、一番問題になったのは新市庁舎の建設についてであった。
   合併協定では、新市の事務所の位置を当分の間、現北上市役所とし新庁舎は上江釣子に置くとされ、新市建設5ヵ年計画では合併3年目から建設を行うことになっていた。
   しかし、財政事情やその他の諸事情により、新庁舎建設は実質的に頓挫している。また、支所は合併5年後に廃止され、使用料・手数料も見直しにより負担増となった。

(3) 人口の推移

(各年10月1日)(単位:人) 
 
1985
(S60)
(合併前)
1990
(H2)
(合併前)
1991
(H3)
(合併初年度)
1995
(H7)
2000
(H12)
2002年6/30現在
H2とH12の
比較
面積
単位k㎡
北上市
80,248
82,902
83,844
87,969
91,560
92,490
8,658
437.55
旧北上市
56,741
58,779
59,352
62,946
65,657
66,552
6,879
146.03
旧和賀町
15,063
14,777
15,054
14,590
14,682
14,545
△95
273.95
旧江釣子村
8,444
9,346
9,438
10,433
11,221
11,393
1,875
17.57
 
(国勢調査)
(国勢調査)
(住民登録)
(国勢調査)
(住民登録)
(住民登録)
       

   合併前の予想では、2000年には100,000人を想定してすべての積算を行った。経済情勢や少子化などで予想値に達しなかったが、市当局は順調に推移していると評価している。しかし、周辺部と言われる旧北上市東部や旧和賀町西部で人口減少に歯止めがかからない状況にある。

(4) 新市建設5ヵ年計画の実施状況
   新市建設計画は、実施時の事業内容変更や事業費高騰などで、5年間の事業件数は実施率73.7%、事業費比較92.4%となっている。また、その後の事業も含めてこの10年間での実施状況は、実施率80.2%、事業費比較153.0%となっている。

      
計 画
実 施
実施率
平成3年度~7年度までの実施状況
事業件数
事 業 費
278件
73,635,313千円
205件
68,251,260千円
73.7%
92.4%
平成8年度~12年度までの実施状況
事業件数
事 業 費

18件
44,424,323千円

10年間の合計
事業件数
事 業 費
278件
73,635,313千円
223件
112,675,583千円
80.2%
153.0%

 

3. 合併のメリットと言われた項目の成果と課題

(1) 合併に向けて示された6項目の合併効果(1989年7月の資料から)
  ① 行政運営の効率化が図られ、福祉や教育文化、生活環境などの充実に振り向けることができる。
  ② 地域の総合力が高まり、三市町村個々では成し得ない大きなプロジェクトが可能となる。
  ③ 産業活動がスムーズになり、効果的な産業振興策が可能となることで、経済の飛躍的な発展が期待される。
  ④ 高度で充実した住民サービスの提供が可能となり、より豊かな市民生活が実現される。
  ⑤ 岩手県第二の都市を形成することで、岩手の活性化をもたらす。
  ⑥ 北東北のクロスポイントとしての役割を担うことで、東北の均衡ある発展が可能となる。

(2) 市当局発表の合併の効果
  ① 人口増加率のアップ。
  ② 産業生産額では、農業粗生産額は第1位から第2位になったが、工業製品出荷額などは第1位となり、県内の中核都市に成長した。
  ③ 地域の総合力が向上し全国規模の大会、イベントが多く開催されるようになった。地方拠点都市に指定された。夏油高原開発など大規模プロジェクトが推進された。
  ④ 専門職員による高水準の行政サービスの提供が可能となり、住民サービスの向上が図られた。
  ⑤ 行政運営の効率化が図られた。議員の削減により年額1億4,500万円、職員67名の削減で人件費5億円節減。委員会、付属機関等の委員の大幅縮減。学校、保育園などの統廃合。庁舎間のLAN(住基・財務)構築。

(3) 市民の実感としての合併効果はどうか
  ① 住民サービスは、合併前のきめ細やかさが失われ、不便になったところも少なくない。支所については、5年後に分庁制に変えた。何度かの機構改革を経て、現在は教育委員会と農林部は和賀庁舎、建設部は江釣子庁舎、本庁には企画調整部・財務部・生活環境部・保健福祉部・商工部・水道部などと分散し、用務毎に別々の庁舎で手続きすることになり不便を感じている市民が多い。3庁舎それぞれに窓口を設けておくのは確かに効率が悪く、職員の削減ができないため、合理化とあわせて機構改革を行ったが、「きめ細かい住民サービスを維持する」こととは、いくら電算化が進んでも避けがたい矛盾を抱えている。
  ② 住民負担は、当初は低いほうにあわせたが、徐々に使用料・手数料の値上げが行われた。合併で無駄が省かれた分、市民負担が軽くなると言われていた効果は実感しない。
  ③ 財政基盤の強化については、確かに財政力指数では人口が増えたこともあり、平成3年度0.51から平成12年度0.58と少しずつ上昇した。しかし、大規模プロジェクトなどの事業拡大もあり、公債比率は平成3年度14.2%から平成12年度16.3%となり、公債費が一般財源に占める割合が年々増えている。合併が自動的に財政基盤の強化をもたらすものではないことを表している。
  ④ 財政規模が大きくなることで、第三セクターの経営不安が解消されると思われていたが、   経済低迷の影響や経営体質の甘さから、どの第三セクターも苦戦を強いられている。多額の支援に市民の不満は多く、まちづくりの一体感の醸成に悪影響を及ぼしている。
  ⑤ 福祉・教育関係では、施設の統合整備が進み充実したと言われているが、学校・保育園の統廃合で過疎化に拍車がかかることになった。さらに給食センターの統廃合も進められており、安全でおいしい給食が提供できるか効率化に疑問を持つ市民も多い。

4. 財政等の指標

(1) 予算規模の推移(当初予算比較)

              (単位:千円) 
  
1990
(H2)
(合併前)
1991
(H3)
(合併初年度)
1995
(H7)
2000
(H12)
2002
(H14)
H3とH14
の比較
北上市
22,894,000
27,799,325
29,788,000
32,862,000
38,361,000
10,561,675
(伸び率)
  
21%増
7%増
10%増
16%増
38%増
旧北上市
旧和賀町
旧江釣子村
14,540,000
5,805,000
2,549,000
備考:H14年度は、文化交流センター建設事業に約50億円を計上しており、2ヵ年事業となる大型公共事業である。今後の財政運営が危惧されている。

 

(2) 自主財源比率の推移(当初予算比較)

            (単位:千円) 
  
1991(H3)
1995(H7)
2000(H12)
2002(H14)
H3とH14の比較
予算額
12,184,300
12,974,279
14,865,950
15,809,086
3,624,786
構成比(%)
40.3
43.6
45.2
41.2
(29%増)

 

(3) 義務的経費の推移(当初予算比較)

             (単位:千円) 
  
1991(H3)
1995(H7)
2000(H12)
2002(H14)
H3とH14の比較
予算額
10,552,271
12,303,475
13,089,438
13,429,700
2,877,429
構成比(%)
34.9
41.3
39.8
35.0
(27%増)

 (義務的経費:人件費、扶助費、公債費の合計)
  備考:H13年度は38.2%であったが、H14年度は、文化交流センター建設事業のため率が低くなったもので、合併しても義務的経費が節約できるとは言えない。

 

(4) 投資的経費の推移(当初予算比較)

             (単位:千円) 
  
1991(H3)
1995(H7)
2000(H12)
2002(H14)
H3とH14の比較
予算額
9,816,941
7,293,773
7,359,438
11,586,614
1,769,673
構成比(%)
32.5
24.5
22.4
30.2
(18%増)

  備考:H14年度は、文化交流センター建設事業50億円が伸び率の大半を占めている。

 

(5) 一般会計の起債残高(当初予算比較)(各年度末見込額)

  
1990(H2)
(旧北上市)
1991(H3)
(合併初年度)
2000
(H12)
2001
(H13)
2002
(H14)
H3とH14の
比較
一般会計の残高 (百万円)
13,180
28,828
38,518
40,659
45,797
16,969
人口1人当り
(円)
224,085
283,682
419,536
439,807
495,379
211,697

   合併後、新市建設事業をはじめインターハイ関連事業、市街地再開発事業、文化交流センター建設など大規模プロジェクトを実施することにより起債も倍増した。また、国の臨時経済対策に地方自治体がつき合わされ、「後で交付税算入」という約束のもとに起債による事業を進めてきた。最近の交付税削減の動きは、財政計画が根底から揺さぶられるのではないかと危惧される。
   合併は、財布が大きくなり大型事業を実施できるスケールメリットと、借金というデメリットも裏腹に伴うものであり、一概に財政基盤の強化をもたらすとは言えない。経済団体が合併を推進するのは、大型公共事業を含む経済活動を推進するためと疑念を抱かれるのも当然である。

(6) 各種財政指標の状況(決算比較)

                  (単位:%)  
区 分
1990
(H2)
(旧北上市)
1991
(H3)
1995
(H7)
2000
(H12)
2000
類似団体平均
備 考
一般財源比率
71.9
69.3
67.1
67.8
65.8
 
自主財源比率
55.3
42.6
39.9
42.1
 
経常収支比率
70.0
68.8
70.8
76.4
79.0
都市部では75が妥当。大きくなるほど財政運営に余裕がない。
経常一般財源比率
99.9
105.4
99.5
102.5
101.0
100を超えるほど財源に余裕がある。
債務負担行為比率
21.4
29.2
23.3
12.5
 
地方債現在高比率
109.6
107.0
124.6
144.7
 
公債費比率
13.3
14.2
13.6
16.3
13.8
公共事業により増加。20で赤信号。17が注意信号。今後、起債償還等益々厳しくなる。
起債制限比率
11.9
11.8
11.6
10.9
10.0
繰上償還に努め減少傾向。20を超えると適正化計画を策定する。
財政力指数
0.64
0.51
0.54
0.58
0.74
1に近いほど財源に余裕がある。

 

(7) 地方交付税算定替えによる加算額

(単位:千円)
年数
年度
縮減率
加算額
1年目
1991(平3)
  
1,447,026
1992
  
1,565,819
1993
  
1,410,759
1994
  
1,442,281
1995
  
1,577,349
1996
 
1,589,549
1997
0.1
1,457,831
1998
0.3
1,064,289
1999
0.5
753,315
10
2000
0.5
742,806
11
2001
0.7
445,683
12
2002
0.7
445,683
13
2003
0.9
148,561
14
2004(平16)
0.9
148,561
  
合  計
  
14,239,512
   合併前の市町村毎に算定した額の合計額と、新市一本で算定した額を比べ多い方の額を交付するもので、「地方交付税の額の算定に関する特例」で規定されている。
   合併当時は5年間の加算措置となっていたが、1994年度と1999年度に自治省令が改正され、2004年度までの14年間に142億4000万円弱の加算額を得ることができた。(現在合併すれば15年間の措置)
   また、99年度開催のインターハイに向け総合運動公園整備事業等に、岩手県から約24億円の特別枠を確保することができた。

   交付税の加算により、合併前と同様の交付税を確保できたことは、新市の事業推進に大きな影響があった。しかしながら、新市建設5ヵ年計画事業(事業費約1,126億)、インターハイ関連施設整備事業(事業費約115億円)、文化交流センター建設事業(事業費約100億円)などによる起債も抱えることになり、今後は厳しい運営を迫られることは必至の状態。また、合併点では高度経済成長期を維持できるものと予測していたものが、不況・経済低迷の時代となり、税収の落ち込み、起債の償還、交付税の削減のトリプルパンチを受けることが予想される。
   「加算」と言っても合併しなければ本来受ける交付税であって、結局は減額されることになったにすぎない。4.-(5)の起債残高表からもわかるように「合併=財政安定」とは言えないことは明らかである。

5. 職員体制について

 合併による「効果」として、最も期待されているのが、人件費の削減であろう。しかし、その実態は、人員削減にほかならず、職員の労働条件、労働環境の変化は言うまでもなく、住民サービスへの影響も検証が必要である。

(1) 人員適正化計画と職員数の推移
   合併時策定された「定員適正化計画」では、合併前年度(1990年度)の三市町村の職員数831人を合併後8年間で112人削減するとし、退職者156人に対して採用者44人という大幅な人員削減計画が打ち出された。
   市職労は「人員適正化計画は不当であり、職場実態を無視したもの」と、計画の撤回を求めてきた。実際には、人口の増加もあり、「退職2分の1補充」とする手法がとられ、合併前(1990年度)831人、今年度(2002年度)754人と、計画で示された112人にはいたらないものの、すでに77人の職員が削減されている。
   これらの削減は、合併当初、旧市町村ごとに設置された支所機能の縮小・統廃合や業務の民間委託、毎年繰り返される機構改革とあわせ、進められてきた。また、99年度のインターハイなど大規模なイベントへの対応を理由に他の部門からの人員削減が進められた結果、業務量に見合った人員配置とはなっておらず、職員の労働強化によって成り立っている実態にある。
   また、4.-(3)(義務的経費の推移)にあるとおり、このような合理化によって住民サービスの低下は避けられない。

 ○合併後の課・係・職員数の推移

年度
90
(合併前)
91
92
93
94
95
96
97
98
99
00
01
02
91と02の
比較
 
55
50
47
47
47
45
47
47
47
44
43
43
△12
 
138
129
123
118
116
113
111
111
109
106
104
104
△34
職員
831
821
821
811
802
794
795
792
789
779
771
758
754
△67
前年度
比較
  
△10
△10
△9
△8
1
△3
△3
△10
△8
△13
△4

  合併前(1990)と今年度(2002)の差は77人の減員

(2) 職員の労働条件
   合併前の三市町村では、賃金をはじめ職員の労働条件で異なる部分があったことから、合併以前から交渉を行い、賃金、休暇制度等、旧北上市を基準に、調整を行った。手法としては、この調整の期間においては、ワタリ改善等は行わず、旧和賀・江釣子の職員について、1990年4月から1993年3月までの期間で、特別昇給等により実施した。
   職務は、合併時を下回らないように格付けが行われたが、旧市町村ごとにバラツキがあったため、合併後の人事では、「Aさんはずっと係長」で、「Bさんは主査から係長、課長補佐」(追い抜き?)となっている実態もある。
   また、合併後の人員削減が団塊の世代による職員構成の不均衡に拍車をかけており、合併後の人事に不満を感じている組合員も多い。

(3) 自治研活動の経過
   合併前の三市町村単組は、同じ自治労中部支部内で活動しており、1986年5月に三単組で合併対策委員会を組織。1987年度から1993年度までは、ほぼ毎年の自治研集会テーマに「合併」を取り上げ、組合員はもとより、市民に対する問題提起、討論、さらに、合併後の検証に取り組んだ。
   合併について市職労は、明らかな推進・反対の立場はとらず、「議会、行政サイドの先行を避け、住民の関心を高める努力」を要請。1990年7月には、北上市長に対し、三単組連名による「新市建設計画策定に関する要請書」を提出し、「行政水準、管理運営形態の違いによる低位平準化、体制的合理化を招かない」よう求めてきた。

6. まとめ

 現在、国が進めているように、カネと時間に追い立てられるような市町村合併は、いい結果を生むのだろうか。合併は本来、住民どうしが地域の課題を話し合い、将来ビジョンを描いて合併に到達するのが基本で「徹底した議論が必要」というのは、当然のことである。
 そして、合併効果は、合併後いかに早く地域エゴを捨てて、スムーズに行政運営を行うことができるかが鍵になる。合併を実現した前市長は市民と職員に対して「融和と前進」を常に訴え、旧市町村の「心の垣根」を払う努力を呼びかけた。市民も職員も市勢発展を合言葉に努力し合ったが、一朝一夕にできたものではない。昔からの深いつながりや、広域連携の信頼関係があったからこそ協調できたものと思う。
 問題を抱えながらも、北上市の合併は、「盛岡一極集中打破」という大儀もあり、県内的にも意義はあった。県内外から「県内第2の都市」「発展する北上」として評価をされ、イメージ戦略上も含めて「総じて合併の効果はあった」と市当局は検証している。あくまでも「総じて」であり、今後の財政問題や周辺部の過疎化問題など個々の課題は山積している。
 合併をしてもしなくても、メリット・デメリットは必ずあり、住民ニーズも多様で限りなく、不満はつきまとう。財政的にも、合併が自動的に豊かさをもたらすものではないことも明らかである。克服する話し合いや、譲り合い協調しあう風土や土台を築く努力なくして合併効果は生まれない。