【代表レポート】

「文化のまちづくりと地域再生」
― 平成大野屋の取り組みについて ―

福井県本部/大野市職員組合 大久保克紀

1. 北陸の小京都 越前大野

大野盆地全景

 大野市は、福井県の東部に位置し人口約4万人で、北方と東方を1,000メートルを越える大起伏で石川県南部に続く加越山地、西方を数百メートルの中起伏の越前中央山地、南方を越美山地に囲まれた盆地で標高170から232メートル、面積約540平方キロメートルあります。気候は、夏は高温多雨、冬は寒冷多雪と内陸盆地方特有の気象で、年間を通じて降水量は比較的多く、清らかな水に恵まれた地域となっています。また、盆地内には、東から九頭竜川、真名川、清滝川、赤根川が南から北に併流しており、北端で九頭竜川にすべて合流しています。これらの川は、長い年月の間に山や谷をけずり、土や砂を運んで扇状地や河岸段丘を形成し、流域は古代から多くの人々が住みやすい場所となっていました。
 当市の市街地の起源は、天正元年(1573年)朝倉氏の滅亡後、織田信長の家臣、金森長近が大野盆地の西側に位置する亀山に越前大野城を築き、京都に模して碁盤の目状(南北6すじ、東西5すじ)の城下町を建設したことから始まっています。その区割りは、400年以上経った今も、顕著に残っており、大野市は、時の流れを感じることができる歴史あるまちと言われています。
 このように大野市は、「地形とそれに気候や植生などを含めた自然」とこれをベースとした「時代時代の営みの蓄積である歴史的遺産」がうまく絡みあって発展してきており、「北陸の小京都・越前大野」として呼ばれ、親しまれています。

2. 平成大野屋事業の始まり

 平成に入ってから、当市では、市街地を中心に歴史と文化を生かしたまちづくりの整備を始めました。400年近い歴史と伝統を守ってきた朝市の立つ七間通りや20以上の寺院が並ぶ寺町通りなどを石畳舗装にし、また観光客向けの無料休憩所を周りのまちなみ景観に合わせて整備するなどして、城下町の風情を向上させ回遊性の高い「まちなか観光」を確立することにより、観光客の入り込み数の増加を図ってきました。
 そのような中、平成7年度から「市長へのメッセージ」事業が始まります。これは、市政の推進方策などについて広く市民及び当市出身者の皆さんからアイデアを提案いただき、その中からヒントを得て、当市の事業に活用していこうとするものでした。
 第1回目は、当市のイメージアップと知名度を高める方策についての募集でした。多くの市民から様々な提案が応募され、その中の1つに「当市と同じ姓を持つ全国の大野さんを大野市に観光に来てもらい、大野市をPRしてはどうか」という提案が採用されました。
 この提案をヒントに、当市は全国に大野を知ってもらう方策を考えることになり、平成8年度に「全国の大野氏活用事業」を実施することになります。これが、現在も継続されている「平成大野屋事業」のきっかけとなっています。

3. 全国の大野氏活用事業

 この事業は、全国の大野さんに2泊3日という行程で大野市に来ていただき、当市の観光名所や特産品の紹介、市民との交流を通して、当市の理解とイメージアップを図り、それぞれの地元に帰っていただいたら、大野をPRしてもらおうとする目的で実施されました。また、この頃、福井県出身の作家、大島昌宏氏が書き下ろした幕末の大野藩を舞台にした長編歴史小説「そろばん武士道」も出版されたことにより、本事業は、大野の史実も生かしながら進められることになります。
 江戸時代末期の大野藩は、全国の諸藩同様、天保飢饉以来の財政難にあえいでいました。そこで、時の藩主、土井利忠が、内山七郎右衛門良休を登用し、藩政改革を行いました。この藩士が刀を算盤に持ち替え、北海道や大阪など全国37ヵ所に煙草や生糸など藩の特産品を販売するチェーン店「大野屋」を開店し、80年はかかるといわれた藩の借金を約20年で返済し、この窮地を救いました。また、最新式の洋式帆船「大野丸」の建造にも着手し、北海道や樺太などの遠方への流通も確立し、大きな功績をあげたとされています。
 この史実に着目し、全国の大野さんに現代版の大野藩直営店「大野屋」=「平成大野屋支店主(以下、支店主)」として委嘱し、大野市の情報発信の役割をお願いすることになります。
 本事業の募集は、全国の報道機関への掲載依頼や電話帳によるダイレクトメールなどにより実施されました。その結果、200人を超える応募があり、うち1都2府22県、計35名の大野さんを当市に招待し、支店主に委嘱することになります。平成9年度からも引き続き、全国から支店主の募集を行い、現在(平成14年7月1日現在)、北は北海道から南は佐賀県まで1都1道2府28県に53名の支店主が誕生しています。

4. 平成大野屋事業の概要

 平成9年度からは、「全国の大野氏活用事業」を一層発展させるため、事業名を「平成大野屋事業(以下、大野屋事業)」に変更し、支店主を取りまとめる「平成大野屋本店(以下、本店)」を市役所内に設置しました。本店の組織には、市長を本店主とし、市内のまちづくり活動グループの代表8名と市の職員2名の計10名を番頭に、市担当課職員を手代という形で構成し、大野屋事業の推進を図りました。(平成14年度7月1日現在の本店は、本店主に市長、副本店主に助役、総務部長、産業経済部長、番頭に公募で集まった市民10名、手代に市商工観光課職員で構成されています。)

 市民で構成されている番頭会では、本店発足以来、月に1、2度のペースで「番頭会寄り合い」という会合を持ちながら、全国の支店主との交流事業やまちなかを活性化するためのイベントの企画、当市の情報発信に係る手法などを議論し、その運営に取り組んでいます。
 発足当初の平成9年度は、平成大野屋の基盤作りを中心に事業を展開しました。特に支店主は、それぞれ違った職種に就かれており、また県外ということもあり、絶えず情報交換をし大野の新しい情報を提供することが必要なため、ホームページ・電子メールの開設、年4回「平成大野屋本店かわら版」を発行することで、常に本店と支店との距離が遠くならないようにしました。これにより、市外から第三者の観点で大野を見つめてくれるため、私たち市民では気がつかない大野の良い所、悪い所を支店主から指摘され、自分達のまちを見つめ直すきっかけとなっています。
 また、幕末に活躍した「大野丸」をモチーフにした平成大野屋の商標を作り、看板や名刺などに利用し、大野屋事業のPRを行っています。特に、名刺は、商標以外に当市の情報や大野屋事業などが掲載されているため、番頭や支店主が地元の会合などの場で使用することにより、当市の宣伝にかなり効果をあげています。
平成大野屋事業の商標

 このように平成9年度には、本店の土台を作り、人と人との交流をメインに「ひとづくり」を主として事業展開しました。平成10年度からは、本店と支店主が協力して、まちが活性化するように「まちづくり」活動に取り組みました。
 その1つとして、平成大野屋まつり1998を支店主参加のもとに2日間かけて開催しました。このまつりでは、支店主が調達してきた特産品の販売や支店主の地元観光ポスターなどの展示、支店主に関するクイズなどを通して、市民が支店主と交流しながら自分たちの「我がまち意識」を高めました。大野市民がいかに恵まれた環境のまちに住んでいるかをさまざまな面で支店主(市外・県外の第三者)から指摘されることで、今まで感じたことのない自分のまちの良さを考える場の提供となりました。
 2つめに、市内各業種のお店の協力を得て「協賛店制度」が導入されました。この事業は、本店から支店主に配布された「手形(テレフォンカードのようなもの)」を支店主が各地元で配布し、その手形を持って当市に観光に訪れた方々がそれぞれの協賛店に訪れることで、その店独自のおもてなしを受けることができる制度です。現在、協賛店制度への加入店は61店です。近年、当市では、郊外に大きな店が立地し中心市街地の活性化が叫ばれています。また、冒頭でも述べています七間朝市を中心とした歴史的なまちなみをゆっくり散策しながら買い物をしていただく「まちなか観光」が当市の目玉の1つとなっており、この点から、大野屋事業を通じて「協賛店制度」を導入したことは、市街地の再生とともに商店街の市民一人ひとりが自分たちも楽しめる空間の創出やまちづくりへの意識を持ち、大野の魅力形成に寄与しているものと考えています。
 以上のようなことは、すべて番頭会で企画され、本店が協力して実施されています。つまり、大野屋事業という枠組みの中で、市民がまちづくりを行っている訳です。

5. ソフト事業から第三セクター(株)平成大野屋の設立へ

平成大野屋洋館

 大野屋事業が市民や支店主を主体として進められる中、さらに当市の活性化を図ろうとする市民の機運が高まり、経済活動部門を新たに独立させた「株式会社 平成大野屋(以下、(株)大野屋)」が平成11年6月に設立されました。この会社は、市と公募による市民や法人、支店主(131名)の出資による資本金3,000万円の第三セクターの会社です。
 (株)大野屋が主として行っていることは、①地場産品の全国販売や新商品の掘り起こし、②市民と観光客の交流とネットワークづくり、③軽食喫茶、④出向宣伝、⑤市民団体などが主催するイベントへの協力、⑥市からの事業の受託、⑦大野ファンの拡大、⑧総合観光案内などの事業です。特に、地域おこしを目的として行っている地場産品の販売については、これまで市内における特産品(米、里芋、豆腐など)や土産品(けんけら、里芋まんじゅう、丁稚ようかんなど)を一同に会して販売する店がなかったため、(株)大野屋が各店の情報発信も兼ねて物産販売をしています。また、物の質が良くてもPR不足などにより、埋もれていた商品などについても、(株)大野屋が販売の協力をしています。
 その他、(株)大野屋は、大野屋事業も市から委託を受けています。これまで、この事業の主体は、本店(行政)主導であったため、交流事業を行っていくにはある程度の制約がありました。しかし、(株)大野屋(民間)主導による事業の実施により、イベントなどにおいて、柔軟な対応ができるようになりました。また、全国の支店主との継続的な交流活動の基盤ができ幅広く展開されることになりました。幕末の大野屋は、地元の特産品チェーン店という機能を持っていたわけですが、この(株)大野屋が設立されたことで、全国の支店主の役割が大野屋の機能に近づいたと言えます。

6. まちなか観光拠点施設「平成大野屋」

平 蔵

 (株)大野屋が設立された約4ヵ月後、昭和初期に織物検査場として使われ、平成10年に国の登録文化財に登録された木造瓦葺二階建ての建物をまちなか観光拠点施設「平成大野屋洋館(以下、洋館)」として市が整備しました。また、平成12年度には、洋館の後ろに建設されていた蔵を「平蔵」として、洋館と平蔵にあるスペースを「中庭」として市が順次整備しました。
 これは、当市が市街地中心部において、市民や観光客が共に利用しながら交流を深めてもらうことを目的に整備したもので、物産販売や軽食喫茶、観光情報の発信、イベントホール、休憩などの機能を兼ね備えています。
 洋館においては、(株)大野屋と(社)大野市観光協会が入り、それぞれの運営を行っています。また、大野屋事業も本施設を活動拠点として、支店主との交流やイベントの実施などに活用しています。市民による利用も多く、特に平蔵は、半世紀の倉庫を改装したものであり、約130平方メートルの小スペースに、170インチの大型スクリーンや可動ステージ、音響、照明施設が備わっているため、使い勝手の良いコンパクトな広さが好評を博しています。整備されてから2年間、延べ150団体余り、約13,000人が利用し、音楽コンサートや展示会、映画上映、朗読会など様々な方法で利用されています。こうした活用の広がりから、市民による実行委員会が組織され、定期的にコンサートが実施されるなど、まちなかの活性化に寄与しています。また、この拠点施設一帯は、まちなか観光のルートにもなっており、多くの観光客が訪れるスポットにもなっています。

7. 幅広い交流のネットワークを目指して

 このように、平成大野屋の始まりは市民からの提案でした。その提案に当市の歴史と文化を取り込んで実施された交流事業が、多くの市民を巻きこんで盛り上がり、そして第三セクターの会社の設立と施設の整備へと結びついています。この結果が評価され、平成13年度には、総務省で地域づくり総務大臣表彰を受賞することができました。
 交流事業とは、年月を重ねながら成果が生まれてくるものですが、大野屋事業も7年目を迎え、これまで全国の支店主を通じて、学生同士の交流やスポーツ競技での交流、各種イベントへの参加、インターネットによる情報交流などその輪が確実に広がりつつあります。また、「平成大野屋本店かわら版」によって、大野の情報を送り続けていることで、多くの方が支店主から情報を得て、当市に足を運んでくれています。
 これまでの平成大野屋の広がりには、大野屋事業が軸にあり、この軸に(株)大野屋や施設が付随して、いろいろな相乗効果を生んでいます。
 今後も、人と人の交流を土台に継続的な活動を展開することにより、魅力ある「まち」と「ひと」が形成され、平成大野屋が発展していけばと考えています。
 皆さまの地元に、大野さんがいらっしゃいましたら、是非、平成大野屋本店にご紹介くださいますよう、お願いします。

 お問い合わせ
   〇平成大野屋本店(福井県大野市産業経済部 商工観光課)
      住所 〒912-8666 福井県大野市天神町1番1号
      TEL 0779-66-1111
      FAX 0779-65-8371
      E‐mail syoukou@city.ono.fukui.jp
      HP: http://www.city.ono.fukui.jp/

   〇株式会社 平成大野屋
      住所 〒912-0081 福井県大野市元町1番2号
      TEL 0779-69-9200
      FAX 0779-69-9201
      E‐mail  onoya@h-onoya.co.jp
      HP: http://www.h-onoya.co.jp/