【自主レポート】
熊谷での「水」への取り組み
埼玉県本部/熊谷市職員労働組合 島田 直是
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1. はじめに
私は、自治研集会に参加するに当たり、具体的な取り組みのなかからレポートを出せないだろうかと考えた。
自治研集会には、宇都宮、横浜そして山形と3回参加させていただいている。私の生き方に大変影響を与えたし、ここで無理を承知で自主レポートを提出することにより参加したいと思っている。
2. 熊谷地域の位置と概要
熊谷市は埼玉県北部の人口約15万6千人の、どちらかといえば群馬県に近い市である。面積は85.18k㎡で市の南部に一級河川荒川が流れている。
関東平野の北西部に位置し、平坦な地形を有する。遠くに富士山や筑波山を望み、榛名山、赤城山、男体山、秩父連山、谷川岳等で2面を囲み、冬には上州名物と謳われている「赤城おろし」が吹きおろす。夏は非常に暑く、また冬は寒く、東北や北海道の北国から来熊(らいゆう)した人々は冬の寒さ(赤城おろし)には驚かされる始末である。
しかし、熊谷地域の地形の特徴は、平坦で変化が少ないが、自然災害もかつての荒川の氾濫以外大きな災害は少なく、日照時間の長さも全国有数であるなど、住み易い地域と言うことも出来うる。
私はこの平坦で平凡な地形から生ずる、有名人が比較的少なく、楽に暮らせ、災害のすくないところが少々否であった。しかし55歳にもなると新しく雪国や南国でいちから始めるには無理があるのではないか? むしろここ熊谷は日本で一番住み易い所ではないだろうかと近年思うようになってきた。
熊谷市の南部には、秩父連山の甲武信ケ岳(こぶしがだけ)に源(みなもと)を発して貫流する一級河川荒川が東西に流れている。
荒川は「人々の潤いの川であり、また昔は洪水により甚大な被害を与え続けた川である。
急勾配の荒(あ)れ川から名前が「荒川」となったとも言われている。勾配が寄居町を過ぎると少し緩やかとなる。ここより下流、熊谷へと、扇状地が形成され扇端(せんたん)は扇のように熊谷市内できれいに円弦が描かれているのが判る。
扇端部では何年か前まで、綺麗で豊富な湧水(ゆうすい)が随所で見られた。この地方では「ごすんぼ」と言われていたのである。
3. 地域の特性
2.で述べたとおり、平坦で平凡な地形と荒川によって形成された扇状地により、市内は概ね用排水路が放射状に形成され、どちらかと言うと水田の多い、裏作には麦(小麦)の沢山穫れる所である。
河川は市南部を一級河川荒川、市外であるが埼玉県と群馬県の県境を西から東へ流過している一級河川利根川(坂東太郎ともいう。)が流れている。また荒川の支川である一級河川の和田吉野川と和田川があり、利根川の右支川である一級河川の福川(ふくがわ)(菱川(ひしかわ))が流れている。また利根川水系であるが中川流域である一級河川元荒川、星川(ほしかわ)と忍川(おしかわ)がある。
準用河川は市内に2河川有り、中川水系の一級河川星川の上流部に『新星川』と一級河川福川の右支川である『新奈良川』がある。
ここで準用河川新奈良川について概観してみる。
準用河川新奈良川は、公共下水道別府幹線の流末地点である熊谷市大字玉井と上奈良の境界である熊谷市大字東別府地内を起点とし、北東に流過し、第3調節池付近で北に流向を変えながら、第2調節池より第1調節池の中流部は妻沼町との行政界を東に流過し、第1調節池より下流部は妻沼町地内を北に流過した後、一級河川福川に合流する、延長5,515mの準用河川である。
新奈良川の河川計画は、3箇所の調節池により洪水調節を行うことによって、下流端の計画流量を暫定計画10m3/sとすることを前提としている。
調節池名
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地 点 名
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面 積
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備 考
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新奈良川第1調節池 |
1.00k地点右岸側 |
4ha
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完成(暫定) |
新奈良川第2調節池 |
3.14k地点右岸側 |
5ha
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ほぼ完成(暫定) |
新奈良川第3調節池 |
4.54k地点左岸側 |
9ha
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整備中(暫定) |
上表の各調節池のうち、第1調節池については、暫定計画で完成している。
また、第2調節池については、東側の排水路の付替用地が一部未買収のため、周囲提が未完成である。
第3調節池は、現在、埋蔵文化財の調査と施設整備を並行し鋭意整備中である。
新奈良川の河川計画は、暫定(W=1/1)及び将来(W=1/3)について、河道改修と3箇所の調節池が位置付けられている。
さらに、本川である福川の水位が新奈良川の計画高水位(H.W.L)を上回ると、内水となり、自然排水樋管を閉鎖し、排水機場により福川へ強制排水することとなる。
流域の湛水状況を考慮して、この排水機場の必要ポンプ容量を算定している。
流域の概要について述べると、準用河川新奈良川は、熊谷市西部地域の市街化区域公共下水道(雨水)流末処理としての根幹施設と圃場排水施設としての河川である。すでに上流部は急激な都市化により、雨水の流出量は増大し、湛水浸水氾濫被害を繰り返し、辛うじて水路等に頼り、排水していた。
さらに、都市整備事業として別府、籠原中央第1・第2、玉井在家土地区画整理事業の進捗により流出量はとしを追って増大し、現状用水路の排水能力不足が生じ、氾濫被害が拡大されることは明らかであった。このことからも早期の河川整備が望まれるものである。
項 目
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諸 元
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流域面積 |
10.98k㎡ |
準用河川延長 |
5,515m |
平均地勢勾配 |
1/1,000~1/500 |
土地利用 |
住宅地 |
6.56k㎡(59.7%) |
水田 |
3.81k㎡(34.7%) |
畑、その他 |
0.61k㎡( 5.6%) |
市街地区域 |
6.09k㎡(55.5%) |
最後になるが、一級河川や準用河川の他に普通河川と言われている用排水路が放射状に流れている。熊谷市内の用排水路の管理については、管理がはっきりしていないものが多数あり、現在大里用水路土地改良区連合と熊谷市で管理主体等について話し合いが続いているというのが現状である。
4. 上下水道の現状等
(1) 上水道の現状等
熊谷市は、埼玉県の北部に位置し、市の南部を西から東へ流れる荒川の伏流水により恵まれた地域であったため、水道事業の創設は比較的新しいものである。
ちなみに、日本全国の都市のなかで人口10万人以上の都市で上水道への取り組みが最後の都市であるともきいている。
しかし、西部地域(三尻)の一部は高台で地下水位が低く井戸の数も少なく、生活に不便をしていたこと、昭和20年代に入って下痢患者や伝染病が発生したことなどにより、地元で水道の必要性を願う声が高まり、本市初の本格的な『三尻簡易水道』がスタートしたのは1957(昭和32)年9月であった。
(2) 熊谷市の水道水はおいしい?
熊谷は昔から地下水に恵まれた地域ですが、現在水道水の約74%をこの地下水で賄い残りの約26%が県営水道の水となっている。
地下水には適度にミネラル分が含まれ、水温も夏場には低いため、水がおいしく感じられ、地下水比率の高い熊谷市の水道水は、おいしい水として全国に知られている。
旧厚生省おいしい水研究会において、人口10万人以上の都市の中から、水道水のおいしい都市として選ばれている。
(3) 公共下水道計画の概要
熊谷市は、古くから東海道とならび往来の激しい中山道の宿場町として発展し、1888(明治21年)市町村制の施行に伴い、1989(明治22)年4月に熊谷宿と石原村が合併して熊谷町となった。その後、肥塚村、成田村との合併を経て、1933(昭和8)年4月に埼玉県下2番目の市制を施行した。戦前は佐谷田村、玉井村、大麻生村、久下村の各村と合併し、戦後は中条村、三尻村、別府村、奈良村、吉岡村、太井村の一部及び星宮村の一部と合併し、1955(昭和30)年に現在の市域が形成された。
熊谷市の下水道事業は、1956(昭和31)年に旧市街地(JR熊谷駅北西部を中心)の一部の下水排除(主に雨水)を目的に着手した。その後、1971(昭和46)年4月に荒川左岸北部流域下水道(関係都市5市1町)が埼玉県の事業として発足したため、熊谷市の下水道事業は、流域関連公共下水道事業として再出発することとなった。このため、1972(昭和47)年3月に上位計画に基づいて基本計画を策定し、その一部の地域について事業認可を取得、現在、鋭意事業を継続中である。
埼玉県は1970(昭和45)年9月に公害対策基本法に基づいて、荒川中流・下流、中川中流及び綾瀬川について、水質環境基準の類型指定が閣議決定されたのに伴い、1974(昭和49)年度に荒川水系の59市町村を対象に荒川流域別下水道整備総合計画(荒川流総計画)の策定を行った。
荒川左岸北部流域下水道は、荒川流総計画を上位計画として事業が進められてきており、1981(昭和56)年度の処理開始以来、関連公共下水道の整備の進捗と合わせて接続箇所、処理分区界の変更などを行い事業を進めている。
また埼玉県は、1978(昭和53)年度、1985(昭和60)年度に引き続き、1992(平成4)年度にこの荒川流総計画の見直しを行った。これは、県の長期計画である「埼玉県新長期構想暫定値(1989(平成元)年2月)」を基に、行政区人口、工業出荷額などの基礎フレーム(枠)を見直し、2010(平成22)年度を目標に荒川水系を5つの流域下水道と15の公共下水道で整備していこうとするものである。
汚水計画は、この流総計画の見直しに伴い、荒川左岸北部流域下水道がフレームの計画変更を行ったため、流域関連公共下水道である熊谷市の公共下水道も見直しを行い、現在、市街化区域のうち認可区域17.75k㎡(1,775ha)を取得して、下水道整備の拡充をはかり、併せて周辺地域の生活環境の整備向上と公共用水域の水質保全をはかっている。
また、雨水計画は、福川流域に別府排水区・さすなべ川排水区系統、中川流域に星川排水区・忍川排水区系統、荒川流域に荒川排水区系統、元荒川排水区系統がそれぞれ設定されている。現在既認可区域は、9.52k㎡(952ha)となっており、市街化区域のうち熊谷駅(JR高崎線、同上越新幹線、秩父鉄道)北西部の合流区域及び荒川第3排水区、工業団地の一部(荒川第2排水区)、JR籠原駅周辺の別府・さすなべ川排水区系統などとなっている。
(4) 公共下水道の現状等
熊谷市下水道の整備方針は、基本的には雨水と汚水を同時期に整備していくという原則がある。
しかしながら雨水については放流先(吐口)の状況が受け入れられないという区域が多々ある。一般的には受け入れ先の河川改修が進んでいないという現状である。したがって河川改修の進み具合を見ながらの下水道(雨水)整備とならざるを得ない。具体的に言うと準用河川新星川流域がある。新星川は国庫補助事業として1981(昭和56)年度新規採択となり、現在下流より改修を進めている。
ここで話がガラっと変わるが、熊谷市の大部分が中川流域の最上流部に位置し、洪水被害の少ない地域であったが為に、河川改修の遅れを来たしてしまったのである。
現在は2004(平成16)年に開催予定の第59回国民体育大会秋季大会の主会場となるのが熊谷市である。
ご存知のとおり秋は台風の多く来る季節であり、もしも台風により少しの雨で国体主会場への主要な通りが通行止になっては大変である。
大雨ならいざしらず、少しの雨で大会会場へ行く道が通行止となれば交通麻痺を起こしては、大非難の大合唱となるのは明白である。
新星川流域の下水道は以上のような内容等から汚水のみの整備となるのはやむを得なかったのである。
現在の熊谷市の公共下水道の整備については2001(平成13)年度末で汚水の下水道普及率は47.6%(74,255人÷15,894人)となっており、全国と比して、あまり整備が進んでいるということは言えない。
また雨水整備については整備面積は同じく2001(平成13)年度末で、508haとなっており整備率にして53.4%となっている。(事業認可面積=952ha)
5. 自治労運動としての取り組み
(1) 地域生活圏闘争について
地域生活圏闘争という言葉を現在使用する方々は、たぶん少なくなっているのではなかろうか? しかし内容は自治労運動の変化点と言っても過言ではないと思っている。
なぜなら組合員の事を考えるに当たって、市民と手を携えていかないと本当の意味の運動になっていかないという考え方だと私は解釈しているし、その通りだと思う。しかし私が最初に地域生活圏闘争という言葉と内容を知った時は福島県磐梯熱海温泉での東日本春闘討論集会であったと思う。およそ20年位前ではなかろうか。
この討論集会に参加し、鮮烈であり、感動的であり、これから「熊谷で具体的な運動としてどうにかしよう」と思ったのが実感であった。
(2) 命の水を守れ、河川ウオッチング・水質調査行動
昨年で第11回目の環境行動となった「命の水を守れ、河川ウオッチング・水質調査行動」は埼玉県内では熊谷が最初であると記憶している。
地域生活圏闘争として取り組むために、調査地点近くの商店会や世界で熊谷の元荒川源流部にしか生息していないムサシトミヨを守る会に働きかけたが、参加をしてもらえなかった。参加者は市職労組合員やその家族に限られていると言わざるを得ない。
今まで、地域への働きかけを積極的にしてこなかったまま今日に到っている。
しかし毎年恒例となってきたため、「今年はいつ実施するのか」との問い合わせも組合員から出てきているのは成果と言えると思う。調査時期が小中学生の夏休みの宿題に適しているのも良い結果となっているのではないだろうか。
(3) 石けん等の販売
熊谷市職員労働組合の事務所で合成界面活性剤を使わない固形石けんや練り歯みがき等を販売している。特に宣伝をしているわけではないが固定した愛好家がいる。練り歯みがきを使うと普通市販されている練り歯みがきは異状に甘く感じられるという話もきいている。
今後も取り組み続けていきたいし、今後は廃油での石けん作りにも取り組んでいけたらと考えている。
(4) 自治労水週間
自治労水週間に合わせて自治労埼玉県本部公営企業評議会と連携し一般市民へのビラ配布や(2)で述べたが「命の水を守れ、河川ウオッチング・水質調査行動」を自治労水週間に合わせて実施している。
(5) 食・みどり・水と環境を守る熊谷市民の会
今年で3年目となるが全農林を中心とする食・みどり・水と環境を守る熊谷市民の会に熊谷市職労は積極的に参加している。「ふれあい農作業体験」として田植えや稲刈りを、また講演会を実施しているが、市職労は積極的に参加してきているし、年々全体の参加者が増えてきている。今後も強力に続けていなかければと考えている。
6. まとめ
これまで述べたとおりの取り組みではあるが、少しずつではあるが運動は前進して歩んできている。一朝一夕には出来ないが一歩ずつ確実に進めて行くしかないと思っている。
反省もするが自信を持って行動する事も必要であると思う。労働運動にあまり希望が持てない今こそ、環境に配慮した運動がより必要だと思っている。その事によって労働条件の改善や政策課題への取り組みなどが前進するのだと思っている。
今後も組合員や家族そして市民国民と手を携えて運動を展開して行きたいし行かねばならないと確信している。
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