【自治研究レポート(個人)】
日本型グリーンツーリズムを考える
群馬県本部/中山間地域を考える会
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1. はじめに
グリーンツーリズムは、ヨーロッパ諸国に於いて、緑豊かな農村が育くんで来た自然、生活、文化を広く都市住民に開放し、都市住民が人間性を取り戻すために行われていた。
そして、農村休暇型の余暇活動が定着し、グリーンツーリズム、アグリツーリズムなどの名称で定着してきた。近年、わが国の農山漁村に於いても、農林水産業の衰退や中山間地域の過疎化、高齢化など様々な問題が発生している反面、I・J・Uなどの新規参入者の増加や、都市との交流など新しい動きが生まれている。国に於いては、平成4年に農水省内にグリーンツーリズム研究会が設置され、さらに平成7年には「農山漁村滞在型余暇活動のための基盤の促進に関する法律(農村休暇法)が制定され、農林漁業体験民宿などの推進方策が定められた。(この法の目途は主に条件不利地域としての中山間地域の活性化にあるため、本法に於けるグリーンツーリズムの概念は、上記のような元来の概念とは必ずしも符合しない。)
しかし、国内ではヨーロッパ諸国のように成功している例が少なく、具体的な取り組み手法等が少ない。そこで、中山間地域の森林や自然・農村田園景観の保全のための遊休農地対策等を包括し、やすらぎや自由・リラックスといった精神的な要素も充分演出し、一方自然のサイクルの中で人間の存り方をも考えるような、環境を提供出来る「日本型グリーンツーリズム」の整備及び、地域の活性化が図られる方向を模索すべく活動を行った。
2. グリーンツーリズムを取り巻く状況
「物の豊かさから心の豊かさへ!」21世紀の日本は、転換しようとしている。確かに人心の安定は物的豊かさを基調にするが、本当にそう言えるのだろうか? 石油をはじめとした地下埋蔵資源などほとんどゼロに等しい一方、地震や火山噴火、洪水などの自然災害が頻発する狭小な国土。そこに、1億2千万の人口がひしめくこの国には、「心の豊かさ」を語れる状況など、未だかつて存在せず、今後もおそらく訪れることはないのではないかと思われる。
しかし、「物」と「豊かさ」の指ししめす内容は大きく変わりつつある。「物」については、万人受けするよりも、特定の価値観や趣味、生き方をもった者のみに受容される物品や場所、状況が、高い価値をもつようになってきている。多量生産された最新の製品を追い求めるのではなく、自らの嗜好や要求にぴったりとはまったカスタムメイドの物を求める時代に変わりつつあると思われる。
観光にも同様のことが言えよう。シャンデリア輝く大型観光ホテルから客足が遠のき、人里離れた隠れ家のような旅館が、限られた人のみが知る「穴場」と珍重される時代となって来た。そうした観光のあり方が、今後はますます増えるのではないだろうか。
また、急速な少子高齢化により、国内観光はかつて主流だった団体旅行の時代から、家族単位の小グループが主体の時代に推移している。しかし、今後ますます少子化が進み、子供連れの世帯の割合が減る中では、今後、老夫婦あるいは高齢者による小団体が国内観光の主体となっていくものと思われる。
なお、観光行動も社会のあり方を如実に反映され、「ファミリー向け」「お年寄り向け」といったカテゴリ一分けでなく、変わって「アクティブスポーツ派向け」・「ナチュラリスト向け」・「グルメ向け」といったカテゴリー分けが主体となると思われる。
こうした観光行動の変化は、一面ではニーズの多様化や変化にあわせて、常に施設やサービス内容を変化させねばならないという課題を観光地に投げかけていると考える。
3. 日本型グリーンツーリズム取り組みに向けて
(1) 欧米の農家民宿との違い
グリーンツーリズムというと、まずは欧米諸国における取り組みが紹介される場合が多い。確かにドイツやイギリスの農村を風景を見ると、絵のように美しい田園景観の中に、瀧酒なたたずまいの農家民宿が点在している。そうした民宿の宿泊棟の多くは、もとは納屋や家畜小屋であったものが、きれいに改築され、また清潔に維持されている。さらに、主人の細やかな心遣いが随所に感じられるために、純粋に宿泊施設としてみても、チェーン展開をしている都会のホテルなどよりも、快適である場合が多い。欧米の農家民宿に滞在した日本人の多くは、日本にも是非こうしたツーリズムをと願う。しかし、表面的な美しさ、清潔さに魅了されるばかりでなく、その背後にある成立要因に目を向けて見ると、日本への導入はそう容易ではないことが分かる。
第一に、欧米の農家民宿の経営主体が、必ずしも農家とは限らないことである。例えばイギリスでは、長年都会に暮らした家族(あるいは夫婦)が、離農する農家の家屋を譲り受け、修繕・改築した後に民宿を経営しているケースもある。日本における脱サラ経営のペンションのようなものであり、農村にありながら都会的に洗練された、宿泊空間が実現されていることの背景には、こうした事実がある。
第二には、農家民宿の多くがいわゆる「bed&break fast」、すなわち宿舎と朝食を提供する場であって、夕食を提供していないことが多い。夕食は村の中心にあるレストラン、あるいは自炊である。日本で“観光”といえば、良い風呂と豪華な夕食は必須条件であり、ただし、これらを提供するには、必然的に大きな施設やその維持のためのコストが伴う。
簡素なバスルームと簡単な朝食の提供だけで済む、欧米の農家民宿は、経営を始めるにあたっての初期投資が、日本に比べて相当に安く上がるものと考えられる。
第三には、施設全体に外観だけを着飾った様子がなく、きめ細かく管理され、素朴ながらも、快適な施設として維持されている。日本の民宿に泊まると、表向きは豪華なのに、裏にまわると様々な配管がむき出しになっていたり、資材が散乱しているケースも多い。表面的な豪華さだけで、裏の生活の貧しさを感じさせてしまう。素朴だが粗末ではない快適な施設の実現のためには、まず生活そのものを変えてゆく必要があると思われる。
以上のような欧米の農家民宿の特徴は、わが国におけるグリーンツーリズムを考える場合、私たちが観光に対して従来からもっていた、通念のなにを変えなければならない、何かを暗示しているとも言える。すなわち、農家民宿だからといって農村的価値観をふりかざすのでなく、経営や接客はあくまで「都会的」であること、「豪華な」食事に依存しない価値を創出すること、表向きの豪華さではなく、日常的な生活の豊かさを魅力とすることではないかと思う。物見遊山を基調とした従来型の観光の対極にある観光のあり方を、いかに洗練された姿とともに際立たせることができるかが、グリーンツーリズム成功のカギはあるのではないかと思われる。
(2) 福島県山都町宮古集落「そばの里」づくり
福島県山都町宮古集落における「そばの里」づくりは、わが国における数少ない日本型グリーンツーリズムの成功例のひとつといえる。福島県の西部、新潟との県境い近くの山間に、山都町宮古という小さな集落がある。山都町の中心からでもクルマでさらに30分。かつては冬になると完全に雪に閉ざされ、下界との往来が途絶することも珍しくなかったという、豪雪地帯のなかの寒村である。
この集落が今や、「そばの里」として全国的に知る人ぞ知るところとなっている。確かに、非常に美味な蕎麦が供されている。しかし、ただ蕎麦が旨いだけなら、夏場でも東京から5時間以上もかかるような地に、人々は足を運ばないであろう。宮古が「そばの里」として成功を収めた要因を考えて見たい。
第一に、宮古では蕎麦を供するための新たな施設を一切造らなかった。そのかわり各農家が、母屋の座敷に客を招き入れ、そこで蕎麦を供した。「食堂」という、村民の日常とは切り離された外向けの空間ではなく、母屋の座敷という日常的で、プライベートな空間に招かれて蕎麦が供される。客はあたかも、農家に個人的に招待されたかのような気分のもとに、蕎麦を味わうことができる。こうした演出は、おそらく意図されたものではなく、「そばの里」として村おこしをする際の、初期投資を最小限に食い止めるための苦肉の策だったと思われる。しかし、結果的には「蕎麦打ち体験館」だの「蕎麦交流センター」といった、生活感のない空虚な施設を造らず、農家の母屋という既存の資源を上手く活用したことが、蕎麦に大きな付加価値を与えたと考えられる。
第二には、「集落全体が蕎麦屋」ということである。実際には、全世帯のうち蕎麦屋を経営するのは半数に満たないが、それでも集落内に蕎麦屋が点在し、それぞれが味を競っている様は、集落全体が蕎麦のテーマパークのようにも感ような統一感がある。日常的な生活と集落の営みを区別するのではなく、集落全体をテーマパーク化してしまったことが、蕎麦に大きな付加価値を与えと考えられる。
第三に、宮古集落のロケーションをあげられる。宮古集落は先に述べたように、山都町の中心からも遠く、隔絶した山間に位置するこうした地理的な隔離は通常なら不利になると思われるが、「蕎麦のテーマパーク」としてはむしろ、隔離されていることが来訪者にとって、日常世界を離れ非日常的な世界へ入っていく格好の演出となっていた。
4. 課 題
(1) 接客業としての認識
いかに素朴さが売りのグリーンツーリズムであっても、観光客という「客」を相手とした接客業であるとの自覚が必要であると思う。資源性の評価、市場動向分析、施設・サービス水準の設定、地域全体の推進計画や外観等の統一基準の設定、事業採算性など、一般の観光事業として考えれば、当然の調査・検討が求められる。表面的な豪華さだけを取り繕ったような整備のあり方、あるいは粗野な接客態度は、それだけでリゾート地としての資格を失うと思われる。
毎年約1,600万人が海外旅行に出かける時代となり、海外のリゾート地を経験した人々も年々増加している。グリーンツーリズムといえども、ターゲットとなる客層は、そうした経験豊かな人々であるとの認識をもつ必要もあるだろう。
(2) 公的機関の長期的な支援
グリーンツーリズムを、デカップリング政策の一環として公的機関が支援することは、初期段階にあっては極めて重要であると思われる。しかし、わが国の公的機関による施策の大きな問題のひとつは、資金をはじめとした様々な助成が、初期の施設などのハード整備に過剰に集中し、ハードの維持管理をはじめとしたソフト面を含むアフターケアまでをフォローしきれていない点にあると思われる。この結果、様々な助成金を得て豪華な施設がつくられながら、ものの数年で廃墟と化すといった事態が、随所で見受けられる。
宮古集落の事例が示すように、グリーンツーリズムの成否のカギは、大々的なハード面での整備よりは、むしろきめ細かな施設の維持や、継続的なイベントの導入といったリゾートとしての管理運営にあると思われる。公的機関は、そうしたグリーンツーリズムの特性を理解した上で、「細くとも長い」支援を行う必要があるだろう。また、支援内容も、助成金などの資金面での援助とともに、最新情報や経営ノウハウの提供といったソフト面での援助が今後、多く望まれると思われる。
(3) 心豊かな生活の改善
グリーンツーリズムの主な顧客である都会人(現在都会に暮らす人ばかりでなく、かつて都会に暮らし、現在は農村に暮らす人をも含む)が農村に求めるものは、「緑に囲まれた、素朴ながらも豊かでゆったりとした農村の暮らし」の疑似体験である。確かに農村側にしてみれば“それは都会人の勝手な思い入れであり、そんな農村など幻想にすぎない”と反論すると思われるが、サービス業という観点に立てば、そうした顧客のニーズに応えることが、事業成功の必要条件となると思われる。そして、ただ表面を取り繕っただけの演出では、昨今の目の肥えた顧客を満足させることはできないだろう。
必要なのは、より根元的な問題として、普段の生活そのものを「素朴ながらも豊かでゆったり」と言ったイメージに沿ったものとしていく姿勢であると思う。それは、決して、多額の費用を伴うものではなく、細やかで徹底した管理のもとに生活を改善していく緊張と労力が大切であると考えられる。
(4) 教育的要素の取り組み
大人向けの農村の演出とは異なり、子供に対する演出を考える、教育的要素を取り入れた、体験型テーマパークも1つの方法であろう。(例えば、子供達を対象に2週間、「死なないこと!」を唯一のルールとして、ミズナラの森の中で合宿をする取り組みも行われている。子供達は合宿を通して、森と人とのかかわり・動物的な感性を確かめ、「人間は自然の一部」であることを体感できる。)このように、子供向けのテーマ性の高い取り組みも、1つの方向性を示すと思われる。
5. おわりに
わが国には以前からグリーンツーリズムに含んだ良い観光が存在していた。たとえば、都市近郊農村における観光農園や、農山漁村における民宿は、典型的な日本版グリーンツーリズムと思われる。市民農園も、日常性が高いとはいえ、グリーンツーリズムのひとつのあり方と考えられる。「日本型グリーンツーリズム」は、宿泊型の観光のみならず、こうした日常型の観光をも視野に入れながら、地域ごとの“農村”を強力にアピールできるような、テーマを見いだしていく必要があると思われる。
また、公的機関としては、長期的な視野に立ち、地域の風土と人を造り・育てるような、ソフト面での援助に重点をおくことが大切であると考える。
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