【自主レポート】

甲奴町における平和・人権への取り組みについて

広島県本部/甲奴町職員労働組合 中垣 健一

1. はじめに

 我が甲奴町における平和・人権への取り組みについて語る時にジミー・カーターシビックセンターという施設を無くしては語れません。建設の発端となったのは甲奴町小童の正願寺の釣り鐘がはじまりでした。釣り鐘は第2次大戦中の1942年(昭和17年)に砲弾の資材として呉の海軍工廠に供出されましたが、兵器とならずに戦後数奇な運命をたどってイギリスからアメリカへ渡り、戦争の道具となるはずの釣り鐘は平和のシンボル「ヒロシマの鐘」として、現在ジョージア州アトランタ市のカーター大統領センターに展示されています。カーター大統領センターはカーター元大統領が退任後、一市民として「地球の誰もが平和に暮らせる」という理念を実現するために設立されたもので、飢餓・風土病根絶・人権擁護・紛争の平和的解決など、地球をもっと住みやすい場所にするための活動が展開されています。
 1990年10月、第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターさんが釣り鐘の故郷である甲奴町を訪問され、以来アメリカのカーター大統領センター及びカーター元大統領の出身地ジョージア州アメリカス市との交流が行われるようになりました。アトランタを中心とする南部ジョージアは、カーター元大統領や、マーチン・ルーサー・キング牧師を生んだ土地であり、いわばカーター元大統領の平和実現を目指す固い意志と活動や、キング牧師の人間平等の熱い思いと闘いを育んだ土地でもあります。

2. ジミー・カーターシビックセンター

 この施設は甲奴町の文化活動、学習活動の拠点でもあり、町づくりや町の活性化だけでなく「人権・平和・環境問題」についての情報発信地です。近年における自由時間の増大、情報の高度化・多様化、国際社会の到来に伴い、町民の学習ニーズは広がり、学習意欲は益々高まっています。また、家庭や地域における教育力の回復と強化、高齢化社会の到来に伴い、町民の生涯学習の場の提供が求められていたところ、カーター元大統領の訪問を契機に甲奴町の生涯学習の拠点施設を計画しました。かねてから近隣の町と人権センター建設の予定がありましたが、その計画も白紙状態に戻りかけていた時のことでしたので計画は早くに施行され1994年7月に完成しました。カーター元大統領の「人権・平和・環境に対する理念」にも共鳴することがあり、甲奴町の人権センターの役目も果たしていけるようにということから、施設の運営管理を教育委員会が行い、館長に甲奴町教育長、職員に社会教育課10人と学校教育課2人、人権教育推進室2人が現在配置されています。

(1) 平和学習センター
   ジミー・カーター氏の生い立ちから大統領時代、そして退任後の世界平和に向けて貢献されている内容の展示を中心にジミー・カーター氏の活動されている平和・人権等の問題解決や、人間としての生き方に学びながら、平和と一人ひとりの人権を大切にする場として設置され、来館者に対する啓発活動の拠点施設として機能しています。また、1994年の開館から「反戦・反核・反差別」を視点に部落差別をはじめとするあらゆる差別について資料収集を行い、年間3回~5回の企画展を開催しています。展示については関係団体の貸し出しパネル等を活用させてもらいながら展示を行うなか、自分たちで資料収集を行い、パネルを作成し展示を行っています。また、現在甲奴町と友好都市提携を結んでいるアメリカ合衆国ジョージア州アメリカス市との交流の様子も紹介しています。

(2) ピースベルホール
   一般公募によって名付けられた「ピースベルホール」は固定席405席で、童謡コンサート・ピアノコンサートや講演会・演劇・映画会など年齢、性別を問わず接していただける催し物を主催事業として行っています。また、各種団体の会議・講演会・発表会など幅広く利用されています。教育委員会では毎年このホールで「人権講演会」を開催しています。また、昨年は在日韓国人歌手の新井英一さんを招いて「人権コンサート」を開催しました。

(3) 今後の課題
   情報の高度化、ニーズの多様化、国際化していく中で、情報の収集・整理・提供やニーズに応えた学習の場の提供など多くのことが求められています。また、他の市町村や他館との情報の交換や資料の提供などの連携により、より効率的で充実した運営も考えていきたいです。
   また、市町村合併後のシビックセンターの管理・運営をどのような形で進めていくかは現在の大きな課題です。合併後はさらに広範囲な地域住民に利用されるような施設になると思われます。学習センターが平和・人権の情報発信地として今後どのような方向性を進んでいけばいいのか明確にしていくことが課題です。

3. 国際交流

(1) 現状について
   国際社会に生きる人材育成を目的とした「甲奴町人づくり振興基金」によるアトランタ市・アメリカス市(人口約1万5千人)への訪問交流も今年で12年目を迎えます。カーター元大統領が甲奴町を訪問された時に、町民との歓迎会や中学生との交流(タウンミーティング)が行われ、甲奴中学校生徒会は「アメリカの子どもたちと文通を通じて友達になりたい」という旨のメッセージを直接カーター元大統領に渡しました。さらにその翌年の1991年に町長・教育長がアトランタ市を訪問した際に、町内小中学校児童・生徒の写真や手紙が託されましたが現地関係者と協議のうえ、アメリカス市教育関係者に渡されることになり、このことがアメリカス市との交流の契機となりました。その年に「甲奴町内学校の児童・生徒の国際交流を推進し、異文化の体験と学習をし、国際社会にふさわしい人材の育成を図る」ことを目的とした甲奴町国際交流推進会議が発足しました。
   そして、小中学校教員・行政関係者9人とともに甲奴中学校生とを代表して生徒会執行部6人が事前調査団としてアメリカス市を訪問し、甲奴町とアメリカス市は「人権・平和・環境問題」を基底においての交流をテーマとした学校間での友好提携が結ばれました。また翌年には甲奴町とアメリカス市で姉妹都市友好提携が締結され、以後毎年甲奴中学校3年生がアメリカス市を訪問し、約1週間に渡りホームステイを行っています。市をあげた歓迎、温かいもてなしを受けたホームステイなどを通して貴重な体験をしながら異文化・生活習慣の違い、家庭の中での子どもの様子、他民族がお互いを理解しながら調和のとれた社会を築こうとしている様子を目の当たりにすることは生徒達の今後の生き方に多くの影響を与えると信じています。「サザン ホスピタリティー」(ジョージア州南部のもてなし)という心からの温かいもてなしを受けて、成長期かつ多感な生徒達は異国の様々な違いに直面し、その中でその違いを理解し、認め、尊重することのできる柔軟な心と生き方を少なからず学んでいます。そのことはまた将来に渡って、自分と「ふるさと甲奴」を見つめ直す力になるものと考えています。
   「アメリカス市と甲奴の子どもたちは互いに学びながら成長し、国を代表する平和の貢献者となって欲しいと思います。これらは私たちの友好関係がもたらす最も特別な贈り物です。さらに大切なことは我々が世界中の次世代を担う他の国の人々とも交流を深め、平和や友好に対する気持ちを持ち続ける大切さを理解させるための教育に取り組まなければならないということです。」とアメリカス市のサムター郡教育委員会よりメッセージをもらいました。

(2) 課 題
   やはり市町村合併後の交流をどういった形で継続していくのか大きな課題です。これまでの11年間は行政が主体の交流を続けてきました。合併後、行政に頼らない真の「草の根交流」を実現させるためには、地域住民の力で国際交流活動組織を立ち上げていくことが必要です。