【自主レポート】

大久保・歌舞伎町で考える
─ 第3回多文化探検隊を終わって

東京都本部/新宿区職員労働組合 嘉山 隆司・井出由美子・川原 栄一

はじめに

 2年前、第1回新宿歌舞伎町・大久保多文化探検隊の取り組みを報告し、地方自治研究賞などという過分な賞まで頂いてしまった。全国的に先進的な取り組みが数ある中での受賞は、今後もっとがんばれという激励の意味でのものであるとしてありがたく頂いた。
  この記録はその後の取り組みの報告である。

1. 第2回新宿・歌舞伎町・大久保多文化探検隊(2001年8月)

(1) 「花の祭り」との提携
   第2回の新宿多文化探検隊は2001年8月14日から9月1日まで開催された。昨年は、喜納昌吉氏が提唱して行った「花の祭り」と連携してオープニングが行われた。
   「花の祭り」は、21世紀を戦争の無い世紀にしていくには8月15日の終戦記念日に東京で祭りをやろう! ということから始まった。「多文化探検隊」は、この「花の祭り」が「ボランティア国際年」と「反人種主義国際年」に連帯することを掲げ、「多様性」と「寛容」を呼びかけたことに共感し協力することとなった。新宿に隣接する渋谷区代々木公園において、8月14/15日の2日間にわたり8,000人が参加したコンサート、原宿・渋谷を席巻した「ええじゃないかパレード」などが行われ、成功に終わった。「多文化探検隊」は、ブースを出して、パスポートを販売し、「多文化探検隊」の取り組みを訴えた。またコンサートの席上でオープニングを宣言した。今年も「花の祭り」は港区の増上寺で行われる予定だが、引き続き協力することで話が進んでいる。数千人を超える大規模なコンサートであり、協力できることに限りはあるが、同じような理念を掲げるイベントとして協力していきたいと考える。

(2) 2001年多文化探検隊の特徴
   前年の多文化探検隊の取り組みの反省から、新宿5丁目に事務所を3ヵ月弱借り、そこを拠点にさまざまなイベントに取り組んだ。前年は辛淑玉(しん・すご)さんの超人的な頑張りにまわりが引っ張られていった感があったが、2001年は香科舎の社員の方や自治労都本部、新宿区職労やその他のボランティアが実行委員会を形成し、会議をもちながら進めていった。しかし石原都知事の「三国人」発言1周年糾弾の都庁包囲行動の取り組みなどもあり、実行委員会をたちあげるのが6月と遅くなり、押せ押せの状況となった。そのため、前年よりもツアーや講座の数を減らす形となった。しかし30数本の講座では、前年にできなかった沖縄・琉球料理を食べておしゃべりをする会や日本語学校の見学会、韓国語&日本語の手話の講座など、新たな企画も打ち出して好評をおさめた。
   新宿区職労としても、2000年11月の第71回定期大会において決定された運動方針で「多文化探検隊の取り組みに積極的に協力します」とし、事務局への派遣・新宿区の後援認定の援助、財政的負担などで協力した。「多文化防災実験」でも要員派遣し、成功にむけて努力した。
   2001年の「多文化探検隊」は防災実験をのぞいても500人以上が参加し、参加者に多文化共生へのきっかけづくりになったのではないかと考える。
   ただしすべてに順調にいったわけでもないのは事実である。この年大きな問題となった「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書を検証する講座においてこの教科書を「あぶない教科書」と表現したことにクレームがついた。復古的な歴史観を根底におかれて執筆されたこの歴史教科書が、侵略や植民地支配を受けた経験を持つ国から「かつての日本軍国主義の再来につながる」と反発をうけたのは当然であり、多文化・多民族共生を願う人々と相容れないことである。しかし直接的に「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書採択に反対する運動体ではない「多文化探検隊」としては、表現に細心の注意をはかるべきであったと考える。前回のレポートで「正しい人が正しいことを言い続けるだけでは勝てない」と辛さんの発言を紹介したがもう一度この言葉をかみしめたいと考える。
   また組合員の結集という点で、前年に比べて働きかけが弱く参加者が少なくなったことも課題として残った。

2. 「新宿アジア祭り」に参加

 9月1日に2001年の「多文化探検隊」の日程が終了した後、9月下旬に総括会議を持ち、「継続こそ力である」ということで、地域のイベントに参加していこうという方向性を確認した。その一環として11月17日に新宿駅南口にある天竜寺で行われる「新宿アジア祭り」に参加することとなった。「新宿アジア祭り」は曹洞宗を基盤とするシャンティ国際ボランティア会(以下SVA)が中心となって行われたイベントで、タイを中心としたアジアの文化の紹介や屋台の出店、こどもの教育支援を行うSVAの事業紹介が行われるものであった。多文化探検隊も、過去2年間の事業の紹介と来年に向けての運動資金のための出店を行った。しかしその準備をしている最中、とんでもない差別発言が起きたのであった。

3. 小野田新宿区長「三国人」発言に抗して

 「テロ、狂牛病などの社会不安の元、環境衛生協会のみなさんが果たす役割は、安全を求める区民の立場からも重要である。特に、今新宿は恐い街だとの評判がたっていて困っている。この要因を作っているのは新宿での犯罪の7割を占める「三国人」犯罪である。新宿警察も努力しているが、留置場不足があり如何ともしがたい。今、警視庁が渋谷で大規模な留置場計画を進めているが、渋谷には内緒だけれど是非進めていただきたい。また、歌舞伎町の街に防犯カメラを50台設置することになっている。違法駐車対策も含め活用していただきたいと申し入れている。」
 2001年11月13日にホテル海洋(新宿区大久保)で開催された「新宿区環境衛生協会連合会」の定期総会で、名誉会長の小野田隆新宿区長が行った発言である。その場に居あわせた都議会議員からの連絡で事実をつかんだ人々が、短期間であるがe-mailで呼びかけられた申入書に「多文化探検隊」に参加した人間をはじめ230人にのぼる人々の賛同が集まった。
 11月19日、辛淑玉(しん・すご)さんをはじめとする外国籍住民、および在日外国人と連帯する運動に取り組んできていた人々が、下記の申入書を携えて申し入れを行った。

申   入   書

 21世紀を迎えて日本社会は、多国籍・多民族社会に入ろうとしています。東京では、国籍数にして180ヵ国以上、外国人登録者数では29万6,823人、都民総人口の2.46%が外国籍となっています(2000年末現在)。これに短期滞在の外国人を加えたら、東京は、さまざまな国籍と民族に属する人々が出会い、学び、働き、家庭をつくり、生活する、「多文化都市」となってきているといえます。
 しかし、その「国際都市」東京では、「外国人は恐ろしい」という風潮が、デマと一緒になって広がっています。
 11月13日に、小野田隆・新宿区長は新宿区環境衛生協会連合会の定期総会で、「いま新宿は恐い街だとの評判がたっていて、困っている。この要因を作っているのは新宿での犯罪の7割を占める三国人犯罪である」という旨の発言をしました。
 昨年4月9日の石原慎太郎・東京都知事による「三国人」発言は、今年3月に開催された国連の人種差別撤廃委員会でも取り上げられ、同委員会は、「三国人」発言が人種差別撤廃条約に違反することはあきらかであり、日本政府に対して行政上または法律上での是正措置をとるよう、厳しく勧告しています(国連文書 CERD/C/58/Misc.17/Rev.3)。
 「三国人」発言に対して内外から強い批判が出ているにもかかわらず、公的機関の立場にある者によって、地方選挙権も与えられていないマイノリティにむかって繰り返されるこのような発言に、強いいきどおりを感じます。
 今年9月11日以降、世界は、敵意と憎悪による「戦争とテロリズム」の時代に突入したかのようです。「正義」(マジョリティの正義)をかかげた戦争行為は、国内外でマイノリティを排斥し、その存在を抹殺しようとしています。
 しかし私たちは、1923年関東大震災時の大量虐殺の悪夢も、15年にも及んだアジア太平洋戦争の悪夢も繰り返してはなりません。敵意と憎悪に満ちたすべての排外主義的言説をきっぱりと拒否しなければなりません。なぜなら、私たちと私たちの未来の子どもたちは、日本人であり在日コリアンであり在日中国人でありさまざまな国籍であり、移住労働者であるからであり、そうだからこそ、さまざまな民族とさまざまな文化が「共生する」社会の豊かさを確信しているからです。
 私たちは、以下のことを求めます。
1. 小野田隆・新宿区長は、11月13日の発言のその根拠を明らかにしてください。
2. 小野田隆・新宿区長は、この発言によって傷つけられた人たちに対して、謝罪の記者会見をおこなってください。
3. 小野田隆・新宿区長は、このような発言が繰り返されないための具体的な方策を示してください。
 以上の三点を申し入れますが、この三点について、すみやかに十分な対応がなされないとすれば、私たちは区長としての資質に欠けていると判断せざろうえませんので、辞任を求めたいと考えます。
 2001年11月19日

辛淑玉/他230人

 小野田区長は所用のために面会できなかったが、代わりに対応した総務部長は「不適切な発言であり、陳謝する。申し入れについては、区長につたえる」ということであった。申し入れに参加した人々は、「代理人が代理人に謝っても問題の解決にはならない」「区長には差別とたたかう側の人間になってもらいたいのです」「区長がした発言は人種差別撤廃条約にてらすと犯罪にあたるのです」と訴えた。
 この申し入れや多くの人々の訴えの結果、次のようなコメントが発表された。

新宿区環境衛生協会連合会定期総会における区長発言について

 平成13年11月13日新宿区環境衛生協会連合会定期総会において、名誉会長として祝辞を述べた際、私の不適切な発言がありましたので、その発言を取り消すとともに、関係者の皆様にお詫び申し上げます。
 発言の内容は、歌舞伎町における火災と安全に対する区の対応をお話しし、今後は警察や消防など関係機関との連携を強化したい旨を発言しました。歌舞伎町での、不法に滞在する外国人による犯罪の増加について聞いておりましたので、根拠なく「歌舞伎町の犯罪の7割は三国人」と発言してしまいました。
 私としては、翌日以降、当日参加された方々に発言の取り消しと、誤解を与えたことに対する陳謝をおこなったところです。
 新宿は多くの外国人と共生するまちです。
 私の発言は、在日在留外国人の皆様の心を不用意に傷つけるものであり、心からお詫びするものです。
 今後は、「三国人」というような外国人の皆様の心を傷つけるような言葉を一切使わないようにいたします。
 あらためて、関係者の皆様にお詫びするとともに、発言を取り消させていただきます。
 平成13年11月19日

 新宿区長 小野田 隆

 このコメントは新聞等に発表されたものであり、直接当事者である「三国人」と呼ばれた在日韓国・朝鮮、台湾人に対し謝罪したものではない。また、なぜこのような発言がなされ、今後どのように外国籍住民と共に生きていくのかということの具体性もない不十分なものであった。なお小野田区長と辛淑玉(しん・すご)さんなど外国籍住民の面会も予定されたが、未だ実現していない。
 「多文化探検隊」のイベントを2回行っても、区のトップの頭にこびりついた思いこみさえとるにはいかなかったのが現実だったことに、厳しい総括が必要である。私たちが外国籍住民や市民とともに「多文化探検隊」の実践を積み重ねていても、上滑りなものではなかったか。外国人の隣に住んでいる市井の人々一人ひとりの胸に届く言葉と方法を考えていかなければならないのだ。もう1度この厳しい現実にたちかえって「多文化探検隊」の取り組むことを確認したい。

4. 2002年の「多文化探検隊」

(1) 主な特徴

大塚モスクを訪れ食事を共にする参加者

   3回目を迎えた今年の「多文化探検隊」は、これまでのように香科舎の社員の方が専従体制を取るのではなく、ボランティアが分担して事務を担っていこうということで4月から準備を始めた。その中心となったのが、過去2回の多文化探検隊に参加し、ボランティアとしてがんばった20代の若者である。前回のレポートでも指摘したが、彼らは私たち労働組合運動を行ってきたものとは違い、柔軟な発想を持っている。むろん経験という点では何十年も運動を行ってきた私たちの方があるが、4ヵ国語のパスポートを作る語学力などやパソコンを駆使してさまざまな人たちと連絡をとり提携していく行動力には敬服してしまうものであった。
   この若い人たちを中心に、平和団体や区職労、続けて協力してくれる連合東京ボランティアサポートチームの方などを加え、準備を進めていった。
   今年は前区議会議員の方が格安の事務所を紹介してくれたり、昨年「多文化探検隊」に参加した方がパスポートのデザインを引き受けてくれたり、新たな人の縁ができている。
   8月10日にスタートした第3回多文化探検隊は、20本の多文化探検ツアーを中心に行われた。その中では新たに神奈川県の鶴見区や文京区にあるイスラム教の寺院大塚モスク、新宿区内にある清国留学生の史跡見学するなどの企画も行い、日本が従来から単一民族国家ではなかったし、今後ますます民族・文化的にも多様化していくことを認識する一助になったのではないだろうか。

(2) 大久保地域にこだわった防災実験など
   また今回の多文化探検隊のイベントで従来と異なることは、区内でもとりわけ外国籍住民が多住している大久保地域にこだわったことだ。10年にわたり大久保地域で外国籍住民との共生をめざす活動を行ってきた共住懇の山本さんのバックアップをうけ、昨年まで西新宿の寺院で行っていたシンポジウムと防災実験とフェスティバルを今年は大久保地区で行うことができた。
   シンポジウムは、新宿・大久保地区の職安通り沿いにたつキリスト教会で行われた。冒頭阪神大震災以後の神戸・長田区における多民族の人々での街作りのビデオを見た後、前述の山本さん、同じく大久保在住で阪神大震災のボランティア活動を行った関根さん、日系ブラジル人が多く住む群馬県大泉町の職員糸井さん、新宿区の行政から危機管理室長の倉持さんをパネラーとしてシンポジウムを行った。会場からの発言を含め、時間がオーバーするくらい白熱した意見が交わされた。その中で、都会特有の地域コミュニティの希薄さが、いざ震災となった時に障害となるのではないか。地域の拠点としての学校を多民族・多文化的視点から開いていくことが重要ではないかという発言が、議論のキーポイントになったように感じた。
新大久保駅前で行われた多文化共生防災実験
   防災実験は、新大久保駅前の空き地を新宿区の好意により貸し出して頂いた。引き続き連合東京ボランティアネットワークと新宿消防署の協力により消火器訓練や救護訓練、炊き出し体験など従来行ってきた内容に加え、今年は起振車による地震体験や避難所ツアーを行った。大久保地区は、神戸の下町同様細い路地が多く、災害時の避難所の小学校までの避難の困難さが予測された。また場所柄道を歩く人の多くが外国籍住民であるが、避難所の小学校では多言語による表記を発見することができなかったなどの問題点を見いだした。今後報告書を作成する中で、災害時における外国籍住民も日本籍住民も生き残れるような防災のあり方を探っていき、来年に向け生かしていきたい。
   フェスティバルは、サッカーW杯で韓国を応援する日韓のサポーターの熱気であふれた新宿・職安通りで駐車場を開放し大画面での応援を行ったことがテレビで放映され一躍有名になった韓国料理店「大使館」の駐車場で行った。心良く貸し出してくれた「大使館」と協力していただいている在日本韓国人連合会(韓人会)の皆さんに感謝したい。屋台も「百人町屋台村」の協力で何種類もの料理を出してくれた。
   ステージでは、日韓それぞれの歌手によるジョイントコンサートや元ちとせで注目を浴びた奄美の島歌などを歌うシーサーズ、エイサーや朝鮮の農楽などが行われて盛り上がった。

5. まとめ

 今年も数多くの団体・個人から協力を得て成功にむけ努力してきた。まだこのレポートを書いている時点では、まだ第3回多文化探検隊は終了していないが、たいしたトラブルもなくほとんどのプログラムを終わっている。2年前に始まった小さな試みは、定着しようとしている。「多文化共生」という言葉は美しいが、中身をどうやって作っていくかということは永遠に続く課題だ。「多文化探検隊はきれいごとばかりで、本当に切実な外国人の医療問題などに向かい合ってない。」「現実にある外国人との軋轢にふれないで、表面的に興味本位でしか見ていない」などという批判も寄せられている。これらの批判に対しては、多文化探検隊に関わったすべての人間がこれからの日々の生活の中で実践していくことで答えていきたい。世の中は有事法制だ、イラク攻撃だときな臭い話が起きている。隣にいる違う文化の人々と「殺し合わない」ようにするための取り組みがこの「多文化探検隊」だ。さきほど寄せられた批判など今年の総括をふまえ、来年以降も引き続いて行っていきたいと考えている。