【自治研究レポート(個人)】

命を大切にするまち

奈良県本部/奈良県職員労働組合・磯城支部・桜井保健所分会・獣医師 江端 資雄
奈良県本部/奈良県職員労働組合・磯城支部・桜井保健所分会 泉  幸宏
奈良県本部/奈良県職員労働組合・磯城支部・内吉野保健所分会 藤井 敬子

はじめに

 日本中を震撼させた平成9年の神戸での児童連続殺傷事件、その後も続発する少年たちの犯罪。彼らに動物虐待の前歴が次々と明らかとなるにつれ、少年凶悪犯罪と動物虐待の連鎖について、多くの人々が気づき、その社会的対応を求める声が強まっている。
 しかしこの部分は、かつて日本社会が直面したことのない領域であり、教育─行政─司法間の問題意識は低く、これに迅速、臨機応変に対応できるシステムはない。
 こうした状況の中、我々は地方自治を担う自治体労働者であると同時に、人と飼育動物の福祉の向上を職責とする公衆衛生獣医師として、若干の問題提起と提案を行いたい。

1. 子どもたちに何が起こっている?

(1) 子どもたちの住む世界
   前から気になっていたのだが、幼児期の男の子の遊びが、すっかり変わってしまった。
   近所の年上のお兄ちゃんの後についてまわり、草野球や虫取り、戦争ごっこ、日が暮れるまで夢中になった日々。カエルを生き餌にザリガニ釣り、パチンコで雀も撃った。
   そこは、年長のガキ大将が仕切るオスの群社会。多少ハラハラするようなやり方だったけれど、この時期に「弱い者いじめ」や、生き物に対する「やり過ぎ」に関して、犯してはならない一線、生き物としての社会性を身につけていったと記憶している。
   世をあげての競争社会、親たちは学力の向上を強い、偏差値重視の流れは幼児期の早期教育に行き着いた。TVでは、幼児が英語のレッスンを受けるCMが毎日のように流れ、名門幼稚園の"お受験"は、すでに日常的な出来事となった。
   短い遊び時間はもっぱらTVゲーム。そこでは自分が絶対専制君主。ボタン1つでキャラクターは消去、気に入らない展開はリセット、痛みも、苦しみも感じない仮想現実の世界。
   男の子たちは、オスの群社会に属することなく、生き物としての社会性を持たないまま、静かに母親の繭(母子カプセル*1)の中で育っていく。

(2) 神戸の少年A「酒鬼薔薇」
   平成9年、神戸で起きた児童連続殺傷事件。想像を絶する残虐性と犯人の残した不可解なメッセージ、冷血な犯行と稚拙なゲーム感覚の異常さに日本中が凍りついた。その後の捜査の結果、被疑者が中学生であったことが大きな衝撃とともに報道された。
   ここには信じがたいほどの生命の軽視があり、苦痛や、悲しみを感じる心が欠落している。生き物の「死」に尊厳を認めようとする姿勢すらもない。こうした子どもを生み出す背景は、一体何なのか。日本の社会が、根深い部分で相当病んでいることを思い知らされ、後味の悪い不安と、云いようのない恐怖が、人々の心に黒々と広がった。

(3) 暴力と動物虐待の連鎖
   少年Aには何度も動物虐待の前歴があり、ネコの舌を瓶詰めにして持ち歩いていたとも言われている。西鉄バスジャック犯の少年はインターネット上で、「キャットキラー」というハンドルネームで、ネコの虐殺の情報を誇らしげに書き込んでいた。
   古くは、少女連続殺人のM被告、最近では大阪池田の児童大量殺戮事件のT被告にも動物虐待歴があったとされている。

(4) 動物虐待は暴力・凶悪犯罪のシグナル
   犯罪先進国アメリカでは、少年凶悪犯罪(圧倒的に少年期の男子)や幼児虐待、DV(ドメスティック・バイオレンス)等の暴力と、その裏側に潜む動物虐待との連鎖について、犯罪捜査の面からも精神病理学の面からも精密に分析、論証されている。その結果、動物虐待は暴力・凶悪犯罪の前段階、見過ごせない重要なシグナルと受け止められるようになった。
   HSUS(全米人道協会)のL・ロックウッド氏は、「同様の現象は、背景となる文化や民族の違いを越え、世界中のどの地域でも見られる。」と語る。最近では、地域社会に対する被害を最小限に止めるために、家庭─教育─医学─行政─司法等が連携、アンテナを張りめぐらして、迅速に対応するシステムが構築されている。
   一方我が国では、あれほどの事件を経て、動物愛護法は改正されたものの、動物虐待に対する警察の反応は鈍く、法を主管する環境省の腰は重い。現場の公衆衛生サイドの姿勢も、一様に及び腰と言わざるを得ない。

2. 動物は命の架け橋

(1) 動物が与えてくれるもの
   アメリカの著名な愛護団体であるマサチューセッツ虐待防止協会は、「もし子どもたちに、動物にやさしく接することを教えることができれば、彼らはきっと人間に対しても親切になっていくに違いない。」と発言している。また、ペット研究会「互」を主宰する山崎恵子氏は、「犬や猫などの身近な動物たちは、我々人間にとって“命の架け橋”ではないか」と述べている。元々、犬やネコを飼育する最大の目的はこのあたりにあり、動物とふれあうことで、子どもたちが得るものは、計り知れないほど大きい。

(2) 今、学校では……(「動物とのふれあい教室」の熱烈歓迎)
   学校ではウサギやニワトリ等の何らかの動物が飼育されている。しかしそれは、動物との共生や、命を学ぶプログラムにはなっていない。健康管理や、繁殖の管理は予算化さえされず、厄介な問題として放置されている。現在、全国的に獣医師会がフォローアップする体制をとりつつある段階で、我々公衆衛生獣医師もその方向で模索している。
   奈良県では平成8年より、啓発犬メグ(成犬♀)と譲渡用子犬を使って「動物とのふれあい教室」を、県下の小学校低学年生を対象に実施している。内容的には、どこにでもいるような、従順な雑種犬と子犬とのふれあいであるが、子どもたちは熱烈に歓迎してくれる。メグや子犬を迎える子どもたちの瞳は輝き、表情は本当に生き生きとしている。この反応に教師も保護者も、一様に驚きの声をあげる。しかしこれは、いかに子どもたちが動物とのふれあいに飢えているかという証拠でもあろう。

3. 命は大切にされているか

 我々は子どもたちに、命のぬくもりを伝えることはできる。人も動物も「生きてる仲間」だと教えることもできる。しかし果たして、命の大切さ、尊厳を教えられるだろうか。
 我々の社会が動物の命を大切にしていると、本当に言い切れるのだろうか。子どもたちに命の大切さを言う前に、放置してきたこの問題を克服することが先決ではないか。

(1) 無責任(無関心)な飼育は命の軽視
   多くの人が「かわいい」、「可哀想」という気持ちだけで飼育を始める。そうした人たちは、責任を求められる場面になるとすぐ逃げてしまう。毎年の全国の自治体での犬・猫の殺処分頭数は、それを如実に物語っている。引っ越しや、しつけの失敗程度で、家族同然のはずの動物を手放す人に、果たして動物を飼う資格があるのだろうか。
   平成12年度の犬の推定飼育頭数1,000万と、登録頭数577万 【資料1】 との差も同じ次元といえる。法を守らない人が、責任やマナーを守るはずもなく、400万頭余りの犬の飼主をどう指導するか、もっと言えば、いかに減らしていくかが、大きな行政課題である。
   地域の猫にエサだけを与える行為にも人の責任、動物の福祉という視点が欠けている。どの猫も慢性疾患に冒され、毛づやが悪い。ウイルス感染による目ヤニ、いやなクシャミをするものが目につく。そんな状態でも繁殖を繰り返し、痩せ細り、衰弱し、短く苦しい一生を人知れず終える。しかし、エサを与える人はそんなことに気づく様子もない。

(2) 年間55万頭の殺処分の十字架(動物愛護センターの光と影)
   全国の自治体では、平成11年度に55万頭の犬・猫を殺処分した。(ALIVE他の調査 【資料2】
   年々減少傾向にあるとはいえ、これは逃れようのない現実である。この数字を見る限り、どうにも我々の社会は、動物と共に生きるということが下手な社会としか言いようがない。
   これだけ多くの動物の殺処分の中には、理不尽な死、あるいは無意味な死、納得のできない死が混在する。こうした状況が、子どもたちの周りに日常的に存在することが大きな問題である。「この猫、助けてあげて」と訴える子どもに対し、親も、教師も、獣医師さえも納得できる答えを示せない状況が、何十年も続いている。
   この間、我々自治体労働者は、全国的に動物愛護センター建設の取り組みを進めてきた。そこでは、公園化した環境の中で、動物とのふれあいと最新式の教育機材をそろえた啓発が行われている。確かに明るいイメージが溢れ、職場環境は改善されたものの、行政が行っている「殺処分」を説明でき、納得させるというところまでには至っていない。

4. まとめと、3つの提案

 子どもたちに起こっていることは、日本社会が抱えるとてつもなく大きな問題の結果であろう。環境破壊、生活環境の変化、進む都市化、核家族化、少子化、会話の少ない家庭、学級崩壊、日本経済の破綻、構造的なものの影響下にあり、克服の道は遠く困難に思える。
 しかし、1つ言えることがある。子どもたちにとって、動物は命の大切さを学ぶ架け橋であり、動物とのかかわりをつうじて、自分以外の生き物を同じ命として認め、尊重する心を育んでいく。であるならば、子どもたちが命の大切さを実感できるような環境を地域社会が総がかりで作ってみてはどうだろう。そして、命の大切さを学ぶプログラムを学校教育に取り入れてはどうだろうか。同時に、異変の前兆である動物虐待に機敏に対応するシステムと組織体制を用意しておく必要があるのではないか。
 我々公衆衛生獣医師は、「動物の死」というレンズ越しに、人と動物を見つめてきた。飼育者の無責任な態度や無関心によって、動物がごみ同然に扱われるケースがいかに多いか、その周辺で子どもたちが、どれほど心を痛めているかを見てきた。一見、迂遠にも思える「いのちを大切にするまちづくり」だが、それが大人たちの自信を回復させ、子どもたちの心をつなぐ架け橋になりはしないか、そうした期待の下に以下の提案をしたい。

提案1 動物愛護センターの整備、バージョンアップを
 サンフランシスコでは、行政が収容した動物を社会復帰させる取り組みに挑戦(殺さない街宣言)し成功を収めている 【資料3】。その社会復帰施設(アニマル・シェルター)では、譲渡に向けたプログラムに子どもたちを含めた地域社会が参加しており、そこに大きな意義がある。
  日本でも、こうした命を大切にする取り組みがぜひとも必要である。宗教的背景や生活文化の違いから、我が国ではこれは行政がリードしていかざるを得ないであろう。全国的には、ほとんどの自治体で動物愛護センターが整備されており、これにシェルター機能を付加すれば、「命を大切にするまちづくり」の拠点となり得る。そして、全国の動物愛護センターに、シェルター機能が標準装備されれば、「命を大切にする国」が国民的な取り組み、運動となって広がっていくことも期待できるのではないか。

① 動物愛護センターのバージョンアップ
 a アニマル・シェルターの付加(動物の社会復帰、意味のない死の排除)
   殺処分を前提とした捕獲から、動物福祉を行うためのレスキューへの移行。
   動物の飼育適性を評価、適性のあるものを地域ぐるみで社会復帰させる。
   この基準を明確化、公表することで、より多くの人々の納得と安心が得られる。
 b 動物の社会復帰(シェルター・ワーク)の国民運動化
   無責任飼育の縮小と、適正飼育の普及、啓発を進める。同時に社会復帰を進め、最終的な「処分0」の社会を目標とする国民運動を喚起。シェルター・ワークをボランティア、一般に開放。動物虐待経験者等のリハビリの場とすることも可能。
 c 麻酔による安楽死の実施(処分を作業から獣医療に移行)
   ドリーム・ボックス*2による大量同時処分を廃止。飼育適性がないものについて、動物の尊厳をより尊重して個体ごとの麻酔死とする。

② 全国ネットで「命を大切にする国」づくり
  全国のセンターがシェルターを備え、これをネットワークすれば、大災害時、多頭飼育破綻時等の危機的状況にも、迅速で広域的な対応が可能となる。

提案2 学校教育に「いのちの学習」の導入を
 子どもたちが人としての枠組みを形作る幼児期から児童期にかけて、詰め込み式の早期教育は見直すべきであろう。(これには親たちの自制と、教育現場の意識の改革が不可欠)
 この時期に、学校の飼育動物や、動物愛護センターで社会復帰をめざす動物を、生きた教材とした「いのちの学習」が必要なのではないか。それも、単発の「ふれあい」に終わるのではなく、小学校高学年あるいは中学校段階までの継続的なプログラムとし、子どもたちの成長と共に、動物の健康や繁殖の管理、やがて来る老いと死をも見届けさせるべき。
 他の生き物を愛すること、愛するものの喜びや、悲しみ、痛み、苦しみを体感し、受け止めることから、本当の意味での「命の大切さ」を理解することができるはずである。

対 象  小学校1~6年生あるいは中学生まで
内 容  ①いのちのぬくもり、愛することの喜びを体感する。
     ②人が動物と共生する歴史と知恵を学ぶ。(しつけ・繁殖制限等)
     ③ 人が負う責任、動物福祉について学ぶ。
     ④ 生と死について学び、自分で考える。
学ぶ場  学校、および動物愛護センターを中心に実施
必要事項 「いのちの学習」のカリキュラム化
     学校飼育動物に関する予算化
     担当教師の育成(動物愛護センターでの研修、支援)
     開業獣医師、トレーナー等のボランティアの参加、支援

提案3 アンチ動物虐待のネットワークの構築を
 動物虐待が暴力の前兆であるならば、早い段階で感知、対処することは、地域社会を守るだけではなく、子どもたち自身のためにも、極めて重要である。暴力はエスカレートしていく。無関心や見て見ぬ振りは、さらに深刻な事態を招くことを忘れてはならない。
 家庭や、学校、地域で封じ込められる傾向の強かった動物虐待の情報が、命を大切にする取り組み、いのちの学習をつうじて、より早く感知することが期待できる。こうして得られた情報を、動物愛護センターを中軸として医学界、警察行政、司法、社会福祉行政に迅速に接続することで、的確で効果的な対応が可能となるのではないだろうか。
 ここで1つの問題がある。この速やかな初動調査は極めて重要であり、それは我々公衆衛生獣医師が担うのが自然な流れと考えるのだが、国及び各自治体が動く気配が全くない。「動物虐待は犯罪、警察の仕事。」そんな対岸の火事的な発想で、本当に良いのだろうか。
 さらに別の問題がある。それは、内容がデリケートなだけに、最大限の人権の尊重と、教育的配慮、プライバシーの保護が前提になくてはならない。これらを守りながらリードしていくようなキーパーソンの存在が不可欠であるが、それをも我々が担うのであれば、そうした観点の人材育成が急務である。
 いずれにしても、動物虐待は今日も日本のどこかで起こっていて、それはさらなる暴力の前兆かもしれない。1日も早いアンチ動物虐待のネットワークの構築は、市民生活を守る観点からも必要性、緊急性が高く、早急に議論を始め、結論を導き出す必要がある。

脚注 ※1 母子カプセル:都市化、核家族化の進行により、母親が一人で子育てする形態が増加。
      外界から隔絶したカプセルの中で母子が暮らす、密室育児の状態の総称。
   ※2 ドリーム・ボックス:犬・猫などの小動物用の殺処分機。約1.5m四方のステンレス製の箱。
      ここに動物を入れ、空気とCO2を置換することによって処分する。
      環境省の基準では安楽死と見なされ、ほとんどの自治体で使用している。

[参考文献]
「Relatio」 2001 Vol.8(チクサン出版社)
「殺意をえがく子どもたち・大人への警鐘」  三沢 直子氏著(学陽書房)
「First Strike Canpaign」  (動物との共生を考える連絡会第2回シンポジウム)
「可愛がってこそ子供を育てる動物たち」   日本小動物獣医師会 学校飼育動物対策委員会
副委員長 中川 美穂子氏

【資料1】 全国の犬・猫の飼育頭数、及び犬の登録頭数(単位:千頭)

調査年
犬の飼育頭数
犬の登録頭数
猫の飼育頭数
1995
9,805
4,224
7,237
2000
10,054
5,779
7,718
犬、猫の飼育頭数については
ペットフード工業会調べ
登録頭数は厚生労働省統計

【資料2】 平成11年度の全国の犬・猫の殺処分の状況(単位:千頭)

 
全収容頭数
殺処分頭数
317
280
275
274
 ALIVE他の調査より

【資料3】 サンフランシスコでの取り組み
 サンフランシスコ市では、公的機関であるSFACCと、非営利動物福祉団体SFSPCAが1994年にアダプション(譲渡)協定を結び、「殺さない街」づくりを宣言した。
 両者は、若干方向性が違うアニマル・シェルターを持ち、お互いに連携、補完して譲渡率を向上させ、処分頭数を圧縮させることに成功している。

施設名
SFACC
SFSPCA
設置者
公営
民間団体
資 金
公費
寄付
年間運営費
1,170万ドル
スタッフ数
43人
170人
ボランティア数
80人
2,400人
収容可能頭数
犬:50
不特定多数
年 間
収容頭数
7,800
犬:700
猫:3,000
譲渡率
77%

 

SFACC

S・F Animal Careand
Control department
ペット動物の保護、管理、ケアと共に人と人の財産の保護にあたる公的機関。シェルター・サービスとフィールド・サービスを提供する。後者にはレスキューの他に、動物虐待の調査も含まれる。

SFSPCA

S・F Society for the Prevention
Of Cruelty to Animal
公的資金を受けない非営利動物福祉組織。譲渡プログラムが基礎であるが、他に繁殖制限手術を含む20以上のプログラムがあり、市民が利用できる。

※全米の他の地域での状況は、様々な公的、民間のアニマル・シェルターが活動しているが、概ね50%程度の譲渡率となっている。