【代表レポート】

埼玉・所沢のダイオキシン問題 その後

埼玉県本部

1. はじめに

 いま、地方分権の時代を迎え、法律が変わるとともに基本的な制度も大きく変わりつつある。自治体は国から与えられた自治ではなく、本来の地方自治、住民本位のいわゆる市民自治の確立を、企画・計画から具体的な政策の実行というかたちで実現していかなければならない義務を持ったといえる。自治労は地方分権改革、市民参加を基本とする自治体改革に取り組んできた。それは当局指導ではなく市民の視点からの自治体のあり方を模索し、市民運動とのネットワークを広げる中で、権限と財源と人間の確保するたたかいであり、さらに適正な人員、快適な職場づくりとあわせて、仕事のあり方を変えていく取り組みを強めることであるといえる。
 私たち埼玉県本部は、自治体改革の取り組みとして、「環境自治体づくり」を設定し、県本部の重要なたたかいとして取り組んできた。1998年には自治労本部の指導と協力のもと、埼玉県所沢の地における「“NO! ダイオキシン”埼玉行動」を開催し、埼玉からダイオキシン削減に向けた声を、労組・市民が共同で全国に発信してきた経過もある。その後4年間、さまざまな課題を取り組む県内の自治体での、ダイオキシン削減をはじめとした廃棄物対策、環境自治体づくりのいくつかの取り組みについて、出来たこと、出来なかったことを含めてレポートしていく。

2. 所沢のダイオキシン問題について

(1) 1990年代、埼玉県とりわけ県西部地区の所沢市、三芳町、大井町などに、首都圏から30キロ程度の距離で、比較的農地や宅地でない山林(雑木林)があることなどからか、産業廃棄物処理業者が集中し、野焼きなどによる環境汚染、特にダイオキシン汚染が住民の健康を蝕んできた。このことは95年12月にこの地域の雑木林(通称くぬぎ山)において高濃度のダイオキシンが検出されたとマスコミが大きく報道して以降大問題化した。また一般廃棄物に関しても、97年9月に所沢市の清掃工場がダイオキシン濃度などのデータ隠し問題を起こし、市当局が住民から厳しい追及を受けたことなど、西の豊島(香川県)と並んで全国から環境問題で注目されてきた地域である。
(2) また99年の2月、一部のマスコミで、所沢産の野菜が高濃度のダイオキシンに汚染されていると報道され、所沢産のほうれん草などがスーパーなどから締め出され、大暴落するという事件も起こっている。
(3) この所沢周辺一帯での産業廃棄物処理は、'70年代後半から始まっている。関越自動車道の開通により所沢インター周辺で、主に東京から流入する産業廃棄物を処理する業者が操業し始めるようになった。さらに'90年代に入るとインター周辺が満杯状態になり、さらに周辺の「くぬぎ山」まで産廃施設が建つようになってきた。

3. 98年「NO! ダイオキシン埼玉行動」について

(1) 私たち埼玉県本部は、ダイオキシン汚染問題について、自治研活動のなかで以前から学習会などの取り組みを進め、自治体改革闘争という自治労本体の運動として、ダイオキシン削減の取り組みを98春闘の課題として設定した。県本部の春闘討論集会でも提起し、討論を重ねた結果、本部の協力を得ながら、全国でも注目されている所沢の地でダイオキシン削減を全国に呼びかけるような行動、いわば環境問題の決起集会を開催することとした。自治労が91年からすすめている「環境自治体づくり」については、自治体改革闘争の1つとして重要性が理論的に理解できるものの、その具体化にあたっては腰の重くなる課題である。
(2) 自治労組合員は、職務の上では住民団体と対立しかねない立場に置かれる場合がある。とりわけ環境・廃棄物問題は地方自治体、特に市町村にとってきわめて重要な職務でありながら、住民との対話が十分に行われてこなかった傾向があり、各地で問題化していた。自治労という労働組合も、住民から見れば「役人の利害のための組織」と見られかねない。組合の視点で仕事を見直すという自治体改革闘争の意味を自治労の側でもしっかり理解する必要があった。そういった意味で、このダイオキシン削減の取り組みは、自治労が住民の意見をしっかりと受け止め、地元の住民団体との連携・共同の行動として行うことが最重点の課題であった。
(3) 当時埼玉県当局はダイオキシン削減に対して動き始めていた。97年にダイオキシン類削減検討対策委員会を市民・学識経験者などで発足させ、98年2月にはその答申として報告書が知事宛てに提出され、具体的な対策が始まっていた。また所沢市でも同様の動きがあり、ダイオキシン削減に向けた独自の条例を策定した。
(4) 98年の行動は住民団体と自治労を中心に可能な限り幅広く実行委員会への参加を呼びかけ、「止めようダイオキシン汚染さいたま実行委員会」、「アースデイ日本/環境自治体会議」、「首都圏ネットワーク」、「ごみ問題さいたまの会」などに加え自治労や連合埼玉などが参加した。そして形式的な労組と住民団体との共闘でなく、集会名称やプログラム、発言内容まで実行委員会で議論して決定し、労働組合の都合を押し付けることのないように配慮した。
(5) 集会後、実行委員会から埼玉県へ要望書を提出し、要望書に基づく県との協議は98年7月に開始された。そのなかで県は当面3つの具体策の実行を約束した。それは、①事前協議とマニフェストによる産廃流入規制、②現在規制対象外である国基準以下の処理量の焼却炉にも規制をかける、③県警との連携による野焼きの摘発というものである。これらは県独自の50kg/h以下の小型廃棄物焼却炉に対する規制の上乗せなどとして条例化され、また野焼き摘発は県警と市町村との連携で実施されてきた。さらに県本部としては、ごみの分別の徹底などをはじめ、自治体当局に提言を行う中で、自らの業務の見直しを行うとともに、さらに総合的な廃棄物の削減を目指してきた。

4. 99年関東甲地連「関東のごみはどこへ」の取り組み

(1) 98年の「NO! ダイオキシン埼玉行動」をうけて、自治労関東甲地連は成果を引き継ぎさらに発展させるため「ダイオキシン削減・環境自治体推進委員会」を発足し、全単組での実施を目標に、自治体環境チェックリストの作成・集約、それに基づく提言などを行ってきた。また99年5月には、「関東のごみはどこへ」というテーマで福島県本部に協力を求め、関東各都県の一般廃棄物の最終処分が東北各県において行われていることや、産業廃棄物が関東で問題化していく中で東北各県に流出し、不法に投棄されている現状を学んできた。
(2) この行動で見学した一般廃棄物最終処分場は、民間処分場としては最高レベルの施設と維持管理のものであった。しかし後10年程度で施設は満杯となり、その後は遮水工事をして閉鎖し埋め戻される。したがってその後の長期にわたっての管理はされないに等しくなる。最高レベルの業者であっても完全はあり得ない現実を知ることとなった。またここで処分される焼却灰は90の自治体から運ばれるとのことであるが、関東の県からの割合がかなりの部分を占めるということであった。
(3) この行動で浮き彫りにされたのは、ごみを出す側受け入れる側という地域間の問題である。これは原発立地と電力消費地という関係にも似たようなことが言えるのであるが、それぞれの地域事情だけでの運動は、住民運動にはありがちなことではあるが、自治労という全国ネットの組織を生かした、全国的な議論を元にした取り組みがあらためて問われているということである。

5. 2000年埼玉自治研集会で

(1) 自治労埼玉県本部は組織的な実情として、県内自治体労働者の約20%程度しか組織化が出来ていないという現実があり、全県をあげての自治研活動も非常に不十分であることは否めない。県本部の自治研集会も毎年開催が困難で、2000年に開催されたのが直近である。
   2000年の埼玉自治研では埼玉県職労より注目すべきレポートが発表された。それは、「雑木林はなぜねらわれる─産廃施設立地阻止は平地林の保全から」というもので、以下にその要旨を述べていく。
  ① 所沢ダイオキシン問題の舞台となった通称「くぬぎ山」といわれる雑木林=平地林になぜ産廃業者が集中したのか。1つには90年前後のバブル期に地価が高騰し、農家でそれなりに土地を所有していると、億単位の相続税が発生し、当然農業収入でそれを支払うことは困難である。そこで所有する土地のうち、宅地と農地以外の雑木林(地目は山林)を切り売りせざるを得ない状況が生じていたことにある。このような山林が不動産業者の手を経て産業廃棄物の中間処理場として利用されることとなる。
  ② もともと所沢周辺の平地林は新田開発のとき必要があって植林して作られたものである。防風林の役割と、落ち葉を堆肥として利用すること、さらに木は燃料となるということで、この地域の農地と一体となって存在してきたものである
  ③ さらに現代においては、首都圏30キロ周辺では数少なくなっている森林であり、武蔵野の象徴的なオオタカなど稀少な動物が生息する大切な自然ともなっている。
  ④ 県職労のレポートは2つの点を提言している。1つは自然公園として保全していく方向、もう1つは今問いなおされている有機栽培農業の発展という視点での方向である。
(2) 自治研レポートから約1年後の2001年4月、この所沢周辺の雑木林の散在する地域全体を総称して「三富地域」といっているのだが、埼玉県の協力で「みどりの三富地域づくり懇話会」というものが作られ、行政と住民(農家も含む)の連携で、自然環境を生かしながら平地林を保全し、地域活性化を図る提言が出されてきた。この中でも農家に対する相続税が問題の1つであることが確認されている。また、とりわけ有名になった「くぬぎ山」は、提言を受けて「くぬぎ山自然再生計画検討委員会」が発足し、2002年7月に第1回の検討委員会を開催してきた。検討委員会で、くぬぎ山にあった産廃処理施設のうち9施設が廃止、2施設が休止、3施設が稼動中という事が確認されている。
(3) さらに、所沢に隣接する狭山市では産廃施設が撤退した平地林を市が買い上げ、平地林の再生と都市近郊の緑地保全に乗り出してきている。

6. 2001年からの動きと課題

 所沢市周辺でのダイオキシン問題がマスコミ等で騒がれ出して早くも5年以上が経過した。これまで述べてきたように、着実に良い方向へと向かってきている。所沢市が今年(2002年)になって市民に配布したパンフレット2つを紹介し、対策の前進したことを確認したい。
(1) 「所沢市におけるダイオキシン対策と現状」というパンフレットは以下のように書かれている。

1. ダイオキシン対策のあらましとして
 ① 市民・行政の一体化した取り組み→「ダイオキシン汚染から環境と健康を守る所沢市民会議」が市内51団体により発足。国、県への要望活動と市民・事業者・行政が一体となって問題解決に取り組む体制ができる。
 ② 不適正な野外焼却の根絶→延べ846人の市職員を動員して実施。市民から選ばれた環境推進員とともに監視活動を昼夜行うことにより、悪質で大規模な不適正焼却は根絶される。
 ③ 条例の制定による排出抑制→「ダイオキシン類等の汚染防止に関する条例」を99年4月に制定。廃棄物焼却炉の規模に応じてダイオキシン類の排出基準を厳しく定めることにより、施行後各施設の処理設備が高度化するなど、大幅な改善が見られた。
 ④ 激減した廃棄物焼却炉→廃棄物焼却炉の撤去費の一部を補助する制度を設け、また家庭用小型焼却炉の無料回収を行うことにより、焼却施設そのものを減らした。廃棄物焼却炉はピーク時の17%まで激減する。
 ⑤ 市清掃事業所における率先行動→清掃事業所のダイオキシン類の排出値を国の基準の10分の1のレベルまで下げる。また市民の協力でごみ減量化・再資源化に取り組む。

2. ダイオキシンの現状として
 ① 環境中の濃度→所沢市の大気・水質・土壌に係る環境基準は全項目で基準を満たしている。特に大気中のダイオキシン類濃度は97年から比較すると76%も減少している。
 ② 野菜に含まれる濃度→99年に問題化した所沢産の野菜のダイオキシン類濃度は、その後の調査で全国の調査結果と同レベルであることが判明。
 ③ 健康への影響→一生涯摂取し続けても健康に有害な影響が出ないレベルまでであることが、サンプルデータにより明らかになっている。

3. 循環型社会をめざして(私たちがすべきこと)
 ① 発生抑制→買う前に必要かどうか考える。レンタル品の利用、マイバックでの買い物など。
 ② 再使用→修理して使う、要らなくなったら人に譲る、詰め替え商品を買うなど
 ③ 再生利用→リサイクル可能なごみの分別の徹底など

4. 「真の問題解決のために」(パンフレットよりの引用文)
 …………………………
  ダイオキシン類は、主に「ごみ」の焼却に伴い、意図せずに生成されてしまう物質です。私たちの身の回りにある便利で快適な様々な「もの」は、やがてそのすべてが「ごみ」になってしまいます。
  家庭や仕事場で私たちが生み出した「ごみ」は、ライフスタイルの変化により膨大な量となっています。ごみ処理には、莫大な費用とエネルギーが費やされるばかりでなく、ダイオキシン問題など環境に大きな負荷を与えることとなります。
  ダイオキシン問題の真の解決には、大量生産・大量消費・大量廃棄の社会から脱却し、環境負荷を限りなく小さくする社会が必要です。
  つまり、私たちが取り組んできたダイオキシン問題には、ダイオキシンの排出量を単に削減するということだけではなく、ごみ自体を減量し有用な物の資源化を図るなどの「循環型社会」を形成するという課題が含まれているのです。………………

(2) もう1つのパンフ「廃棄物焼却炉の排出基準について」では、2002年から適用される焼却炉の基準について詳しく述べられている。

① 所沢市においては国基準を上回って、市条例により50kg/h未満の焼却施設においても届出の義務と排出基準が設けられ、2002年12月から適用となる。つまりすべての焼却炉が届出対象であり、規制がかかる。届出の違反については罰則がある。なお、既存の施設においても新たな排出基準が設けられ適用される。
② 焼却炉の維持管理について、例えば30㎏/h未満であっても一定の測定装置をつけるなどの規制がある。
③ 産業廃棄物であっても、木屑、紙くず、繊維くずで市内で発生した物に限っては、所沢市の清掃工場で比較的低い手数料で受入れを行っている。

   以上、所沢市の発行したパンフレットであるが、途中に挿入された文章など行政の作成したものとしては極めて水準が高いものとなっている。住民運動を市が積極的に受け入れ、共に作り上げた成果の1つといえるのではないか。

7. 終わりに

 所沢のダイオキシン問題が表面化し、マスコミを賑わすようになってから8年近くが経過してきた。所沢においては、これまで述べてきたように住民と行政それに業者も巻きこみ、産廃施設を大幅に減らし、ダイオキシン類の汚染を減少させてはきている。
 では、産業廃棄物そのものは所沢で17%まで焼却炉が減少したように、絶対量も17%も減少したのだろうか。現実はそうではない。青森・岩手で産業廃棄物の不法投棄が新聞報道されたように、規制の厳しい地域から処理施設が移転したり、不法な投棄が人目につきにくいところで行われたりと、ごみ問題、自治労の「環境自治体づくり」という課題はまだまだ始まったばかりなのかもしれない。
 自治労埼玉県本部としても、98年に行った「NO! ダイオキシン埼玉行動」以降、個別単組的や個人的な取り組みはあったものの、県本部を挙げての組織的な取り組みは行われていないし、その後の状況の検証や全国への訴えもまったくできていないのが現状である。これは組合運動のパターンが、要求を掲げ行動するが、その要求を実施するのは当局であり、組合という組織として実施の主体とはならない。つまり環境自治体づくりも、実行の段階では自治体が実施することであり、組合員は職員として職務で廃棄物行政や環境保全の職務を行い、労働組合という立場から実行段階での組織的参加ができにくいし、その結果や経過について、組合員が仕事として実施しているので批判的な意見を出しにくいという側面が見えてくる。
 しかし、それを乗り越えていかなければならないのも取り組みの過程で自覚しつつある。要求すれば仕事が厳しくなる、だからこそ人員と予算をという、労働組合としては極めて原則的な運動を繰り返し繰り返し行うことが重要である。人が増えないから仕事を減らせは許されない。住民サービスの低下は私たちの望むところではないのだから。
 また、自治労として公務員制度改革や市町村合併など新たな課題が出てくるとそこに組合の運動が集中されることになり「環境自治体づくり」がおろそかになってしまう傾向はあった。しかし、今回のレポートをきっかけに、再度この間の取り組みを検証し、長期にわたるたたかいである環境自治体づくりの次のステップへと改めて運動を開始していかなければならないと考える。