【代表レポート】
東京・日の出処分場への対応
東京都本部/市町職部会・副部会長 藤岡 一昭
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1. はじめに ―広域公共事業の開始―
1980年(昭和55年)11月、東京多摩地域26市1町(人口約370万人)の各自治体は東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合(以下「処分組合」という)を設立した。一般廃棄物最終処分場の設置と管理を目的とした地方自治法284条に基づく一部事務組合である。
東京のベッドタウンとして人口急増を続け、おりしも大量消費時代を迎えて、各自治体は廃棄物処理、それも焼却残さ(燃えかす・灰)や破砕した不燃ごみのいわゆる最終処分に頭を悩まし始めた時代である。
処分組合は東京都日の出町の谷戸沢、二ツ塚の森林雑木を伐採し、約40haの最終処分場を建設し、埋め立て処分を開始した。これに対して、環境保護や浸出水(埋め立てごみに触れた雨水)の成分データ開示、環境アセスなどをめぐって建設反対運動が巻き起こり、大きな社会問題となった。トラスト運動なども起こるが、東京都収用委員会は土地明け渡しを採決し、第2期工事分の二ツ塚処分場も建設され、現在埋め立て処分が開始されている。
廃棄物の最終処分場建設という公共事業と森や湧水などの環境保護という対立構造の中で、自治労組合員でもある日の出町職員が、この問題をどう受け止め、対処したのか、またこれからどのような立場と考え方で臨もうとしているのかを検証してみる。
2. 絡み合う問題の背景
ところでこの問題の背景には、①廃棄物の最終処理方針、②地域環境の保全、③処分地を提供する当該自治体である日の出町の行・財政状況、……などがある。そして最終処分地を確保しなければならない自治体、森林保全を求める環境保護グループ、深刻な財政事情を抱える処分地提供側の自治体、といったそれぞれの立場が、ある種の絶対条件となって絡み合う(対立し合う)ことになる。結局この絡み合いから、統一された政策が検討されることは無く、どちらかといえば「最終処分場ありき」を前提にそれぞれの問題をどう擦り付ける(妥協する)のか、といった具合に展開し、現在に至っている。
そもそも公共事業と環境保全という相反する問題に、関係自治体の財政問題が絡むケースは多くあり、一般に環境派は分が悪くなる。今回のように、ごみの最終処分という「誰かがやらなければならない高い公共性」があればなおさらである。
しかし自治体(職員)にとって環境保全は、一度失ったら取り返しがつかない重要課題であることは間違いない。庁議で政策を議論する際も、環境保全は大きなうウェイトを占めているはずだ。とくに日の出町は、行政面積の71.5%が森林であり、その森林を守り、育てることは町の基本理念とも言える。分かりやすくいえば、森林という自然環境の大事さを最も体感し、苦労して育ててきたのが日の出町民であり、町職員なのだ。
一方、自主財源に乏しく町民1人当たりの行政コストも高くならざるを得ない町財政は、職員にして「町が、いつつぶれてもおかしくない」と言わしめる状況が続いている。もちろんこの根底には、都市部に集中する人口構造といびつな補助金行政、結果として東京都従属型の施策を遂行せざるを得ないという東京西多摩町村の現実がある。
こうした背景を持ちながら、渦中にあった自治労日の出町職組合員(職員)の目線で再考する事は単なる苦労話ではなく、対立構造を乗り越えて自治・分権を思考しつつ公共事業を進める上で、貴重な経験となった。
3. 確実に発生する廃棄物の最終処分量
可燃ごみ、不燃ごみ、粗大ごみとも出来るだけ資源化し減量するためには純度の高い分別が求められる。しかし最終的には、可燃ごみを焼却処分したあとの残さ(燃えかす・灰)、細かく破砕した不燃ごみは最終処分場に埋め立てることになる。多摩地域の最終処分量の推移は下図のとおりである。
処分組合に埋め立てられた最終処分量の推移
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焼却残さ
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不燃ごみ
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合 計
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1993年(H5)
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90,571(124,242)
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97,912(129,967)
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188,483(254,209)
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1994年(H6)
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90,549(134,960)
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91,065(96,732)
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181,614(231,692)
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1995年(H7)
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102,304(135,243)
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83,090(69,413)
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185,394(204,656)
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1996年(H8)
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91,913(123,884)
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63,956(53,584)
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155,869(177,468)
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1997年(H9)
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88,903(114,558)
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54,442(44,984)
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143,345(159,542)
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1998年(H10)
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93,399(122,279)
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53,200(42,416)
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146,599(164,695)
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1999年(H11)
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84,995(111,276)
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58,665(46,773)
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143,660(158,049)
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2000年(H12)
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82,886(108,515)
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53,869(42,949)
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136,755(151,464)
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単位:立方メートル
(カッコ内:t)
約260万立方メートルの埋め立て容量があった谷戸沢処分場は1998年に埋め立てが終了し、現在は容量250万立方メートルの二ツ塚新処分場に搬入されている。その二ツ塚処分場も、計画ではあと13年で埋め尽くされる事になっている。そこで処分組合は、最終処分場の延命策を講じることになる。「廃棄物減容化計画」がそれであり、各自治体の搬入量に制限を加えることになる。また廃棄物の組成チェックも厳しく実施された。計画搬入量を超えたり、組成チェックにひっかかる自治体には、ペナルティとして罰金が課せられる。現実的に自区内処理ができない東京多摩26市1町は、最終処理段階の厳しい関門をくぐる為、ごみ発生源での分別資源化の徹底を余儀なくされる。
こうした努力が、搬入量の減少につながっている。とくに上記の表で、不燃ごみの減少は際立っており、重量ベースで1993年と2000年を比較すると、7年間で3分の1程度に減少している。これを資源化量とその内訳から見ると、分別収集からの資源化が大きく貢献していることがよく分かる。(下表)つまり最終処分場の延命策が各自治体のごみ減量・分別、資源化率の引き上げ効果となって現れたことになる。
もちろんごみ減量、分別・資源化はこうした他律的な要因だけでなく、自治体や地域住民の意識的且つ主体的な努力による部分も大きい。ちなみに1998年のごみ資源化率は区部で8.2%、多摩地域で22.8%に達している。20%を超える資源化率は全国ベースでも高い水準と言える。
資源化量の推移と内訳(単位:千t)
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集団回収による資源化量
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分別収集による資源化量
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収集後の資源化量
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合計
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1991年(H3)
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67
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27
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52
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146
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1992年(H4)
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71
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40
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50
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161
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1993年(H5)
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74
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54
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53
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181
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1994年(H6)
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81
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85
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49
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215
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1995年(H7)
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85
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97
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51
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233
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1996年(H8)
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88
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114
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54
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256
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1997年(H9)
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90
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150
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53
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293
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1998年(H10)
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93
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170
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60
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323
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1999年(H11)
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92
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177
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57
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326
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2000年(H12)
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92
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195
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64
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354
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4. 何を得、失ったのか
─ 日の出町の実相
日の出町の最終処分場建設用地は、当初日の出町が「スポーツの森」予定地として計画していた用地であった。処分場建設は近隣自治体の反対など紆余曲折がありながらも、町と処分組合は埋め立て後の跡地利用として「スポーツと文化の森」計画を策定する中で処分場建設へと動いた。さらに1983年、処分組合と日の出町は「地域振興協定」を締結し、谷戸沢処分場建設にともない「地域振興費39億円」が町の収入となった。
1978年度(S.53)の日の出町の決算状況は、一般会計歳入総額が約22億8千万、そのうち地方税5億3千万とその他の収入を合わせた自主財源が約7億5千万、地方交付税5億4千万、国・都支出金が約5億3千万、地方債3億4千万となっており、経常収支比率は99.3%である。一方歳出の目的別内訳では、総務費25%、民生費15%、教育費24%、農林水産費9%、衛生費8%、土木費6%、公債費5.5%と言った内容である。要するに交付税と国・東京都の支出金頼みで何とか基本的な行政サービスを賄っている状況である。
こうした財政状況で1983年(昭和58年)の「地域振興費39億」の歳入は大変なインパクトである。結果的に最終処分場建設にともなって日の出町は、16年間にわたり毎年平均5億、総額約80億の歳入が増えた。
ところでこれらの財源はどう使われたのか。日の出町に町制が施行されたのは1974年(昭和49年)、1980年処分組合が設立されるが、この間小中学校の新築、増改築、給食サービス、地域福祉・コミュニティ施設の設置、森林資源の維持と活用、などの行政課題に直面し、町財政は前述したとおり火の車となっていた。したがって当然にも処分組合にかかわる財源は、大久野小・中学校、平井小・中学校の校舎新・改築、プール建設、本宿小学校の新築、学校給食センターの建設、公民館・地域コミュニティセンターの新設、森林保全事業、公共下水の普及、処分場跡地を利用した「スポーツと文化の森」の整備などに充てられることになる。
つまり、大半が教育関係費、社会教育・文化施設等の建設費、下水道事業などインフラ関係である。また森林の維持管理にも活用されている。植林から間引きや枝打ちなど、採算ベースが成り立たなくなってきた森林保全事業である。森林を伐採して処分場を作った金で森を守ると言う構造が生まれているのである。本来森林保全は、日の出町の行政課題と言うより、広域または東京都の責任で実施されるべき事業のように思えるが、当該自治体として放置できない情況にあったと言う事である。
5. 行政評価とコーディネイト
公共事業の推進と環境保全、自治体財政の確立という問題が交錯する中で、日の出町は実利を選び、遅れていた公共施設整備を大きく推進させた。しかしそればかりではない。環境保全、安全対策も処分組合に依存することなく、むしろ注文をつけながら取り組んできた経過がある。本来、ごみの最終処分という問題の根源は、生活レベルでのごみ減量・分別システムの確立の問題であり、それこそが環境保全に直結している。
たしかに埋立地の汚水漏れ問題で、情報開示に消極的対応を取った処分組合の姿勢は批判されるべきである。しかし、限られた選択肢の中でしかも従属的な財政構造の中で環境保全も含めた日の出町の選択した施策は客観的に評価すべきである。次は時間をかけ、正確な行政評価(分析)を日の出町職の仲間としてみたい。
行政と市民の協働作業という言葉があちこちで使われている。協働作業の前提として、行政側は最大限正確な情報を開示し、選択肢を提示すべきである。今回の処分場建設問題は、広域行政課題と言う事でそのことが分かりずらくなった。分かりずらくなったと言うより、一部事務組合の閉鎖性、住民から離れた構造に原因がある。これからの広域行政と一部事務組合の役割りを考えると、これは自治法改正も含めて改革しなければならない課題である。さらに、協働作業に上下関係はない。むしろ市民が当事者だとすれば、行政(職員)はコーディネイト役に徹するべきである。この問題で日の出町(職員)がコーディネイト役を努める立場なのかどうかは難しさが残る。しかし対立構造は、無駄な時間と労力を費やす非生産的な行為であることは間違いない。
自治・分権、自治体改革を進めるべき立場にある自治労として、広域行政にも対応できるネットワークと、政策分析力持ちながら、粘り強い協働作業の実践者として日の出町(職員)の経験を共有していきたい。
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