【代表レポート】
六ケ所核燃料サイクル施設の問題点と原子力防災
青森県本部
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はじめに
六ケ所村の核燃料サイクル施設は、日本の原子力政策だけでなく、プルトニウム政策ひいては、アメリカの核の傘の下で平和を享受している日米安保条約にもかかわる重要な問題である。
日本の未来のために、核兵器を廃絶するためには、アメリカの臨界前核実験だけでなく、フランス・中国そしてインド・パキスタンによる核実験がときにより続けられていることに強く抗議するとともに、沖縄・三沢をはじめとする在日米軍基地問題も解決しなければならない。
高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏出燃焼事故、東海村再処理工場の廃棄物固化施設の爆発事故に続いて、99年9月30日の東海村JCOウラン転換工場の臨界事故は原発のみならず、原子力関係施設の危険性を具現化したものである。日本における52基の原発が、いつスリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故に匹敵する重大事故を起こしても不思議でない状況にある。そのことは昨年11月から今年にかけての相次ぐ中電・浜岡原発の事故によっても証明されている。
世界はすでに脱原発の段階に入っており、アメリカは79年のスリーマイル島原発事故以後、1基も新規の原発が稼動しておらず、今後103基の原発が40年の操業許可が過ぎ、延長が認められても60年が過ぎれば順次廃炉にされることになっている。使用済核燃料の再処理をしないアメリカは、MOX燃料を使用するプルサーマルも高速増殖炉計画もない。今後の最大の問題は、新エネルギーの開発と風力・太陽光などの自然エネルギーの活用と実用化となっている。フランスを除くEUの各国は、ドイツ・イギリスをはじめとして、いずれも脱原発か新規原発建設を凍結している。
日本においても、もんじゅ事故による高速増殖炉計画の頓挫と新型転換炉「ふげん」の廃炉と商業炉の中止決定によって、プルトニウム需給バランスがくずれ、明らかにプルトニウム過剰状態にある。しかも、国内の軽水炉型原発でMOX燃料を使用するプルサーマル計画も、福井県をはじめとする立地県の同意が得られていない。
こうした状況下にあって、核廃棄物の集中化がなされている青森県六ケ所村の核燃料サイクル施設問題にも、はっきりと引導を渡すべきと考える。そのために問題点を整理し、核燃サイクル施設の凍結・封鎖の必要性を明確にすべきと考える。
1. 核燃料サイクル基地
日本はエネルギー政策の中心に原発によるエネルギー供給を掲げ、積極的に原子力政策を推進してきた。その影で、放射性廃棄物の処理・処分の問題と使用済み核燃料の再処理によるウラン・プルトニウムの利用の問題をセットで集中的に立地しようと計画してきた。そして、その結果が六ケ所村の核燃料サイクル基地計画となった。
新全総の「むつ小川原巨大開発計画」という六ケ所村に石油化学プラントを中心とする工業基地を建設する計画があっさり頓挫したときから、いずれこの地が核のごみ捨て場と化することを危惧した人は多かったが、突然かのごとく電気事業連合会(電事連)から要請を受け、青森県や県議会は待ってましたとばかり、「他にさしたる振興策が見当たらないのだから、しかたがない」といともあっさりと受入れてしまった。
六ケ所村と青森県は、原子力発電所から発生する放射性廃棄物の最終処分の問題が未解決であり、使用済み核燃料再処理工場の危険性とプルトニウムが核兵器の原材料であることを知っていながらも、海外から返還される高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵(30年から50年)という長期貯蔵も含めて、核燃料サイクル基地というこの21世紀への最悪の贈り物を県民投票や六ヶ所村の住民投票すらすることなく、犯罪的に受入れて未来の希望の星である子供たちに負の遺産として永久に残すこととなった。
1983年には「むつ小川原開発計画」で設立されたむつ小川原開発会社の累積赤字が千数百億円ともいわれ、その六ケ所村内の開発用地の売却のために核燃料サイクル施設の誘致に県側が奔走していたともされ、1984年正月に新聞紙上で明らかになったときにも、シラをきっていたのに対し、7月になって正式に立地要請されると、一転して国策に協力するという弁明を繰り返して、県民の不安の矛先をかわしてきた。
むつ小川原開発で造成した工業用地2,873ヘクタールのうち、98年までに売れたのは国家石油備蓄基地と核燃サイクル施設など1,100ヘクタールで、全体の6割にあたる1,700ヘクタールが未売却のままとなっていた。残りの工業用地の売却が、青森県の財政にとっても必至となっていた。しかも、第三セクターであるむつ小川原開発会社の累積債務は2千3百億円に膨らんでいる。むつ小川原巨大開発の残すものは、核燃サイクル施設とその関連企業施設の建設と莫大な累積債務だけである。核のごみ関連施設と売れ残った開発用地と借金だけが残るのは誰の目にも明らかである。そのことが、青森県の国際熱核融合実験炉(ITER)の誘致狂奔につながっている。
98年から2002年にかけては、使用済核燃料の冷却貯蔵プールの早期供用開始と再処理工場の建設が急ピッチで進んだのは事実であった。しかし、再処理工場の操業開始が予定よりはるかに遅れ、予定通り年間8百トンの処理能力を発揮できる見通しはいまだ立っていない。しかも、軽水炉でのプルサーマル計画が実施されない場合には、使用済み核燃料の再処理自体が完全に必要なくなってしまう。そのことが、日本の核燃サイクルの計画中止と原子力政策の変更、すなわち脱原発の新しいエネルギー政策への転換へと直結する。
2. 立地要請
① 構想具体化………1984年1月3日(新聞紙上で発表)
② 正式立地要請……1984年7月27日
3. 受入れ決定
① 六ケ所村……1985年1月16日(村議会全員協議会)
② 県……………1985年4月9日(県議会全員協議会)
③ 五者協定……1985年4月18日(県・村・漁業団体・事業者・電事連)
4. 場 所
① 青森県六ケ所村……むつ小川原巨大開発区域内の650ha
5. 施設の概要
① ウラン濃縮工場……年間150トン~1,500トン(SWU)の処理能力
当初申請……600トンSWU/年
変更申請……1,050トンSWU/年(1992.1.30)
(150トンのセルを3基増設)
最終予定……1,500トンSWU/年
※注釈
1,500トンSWU/年は、100万キロワット級の原子力発電所約12基が1年間運転するのに必要な燃料を賄える規模に相当する。
したがって、600トンで約5基分、750トンで約6基分の燃料を濃縮していることになる。
② 低レベル放射性廃棄物貯蔵施設……年5万本、100~300万本
ドラム缶換算で最終的に300万本で管理期間は30年~315年
当初申請……5,000本×40基の埋設坑(ドラム缶20万本相当)…1号廃棄物埋設施設
現在計画……100万本相当
(このうち20万本分が2号廃棄物埋設施設)
③ 再処理工場……800トン、3,000トンの貯蔵プール
当初計画……最大再処理能力800トンU/年、使用済核燃料
3,000トンの貯蔵プール(93年4月建設着工予定)
使用済核燃料の受入開始予定96年4月頃
将来構想……MOX燃料用の第二再処理工場の併設操業開始予定
2000年1月頃
④ 海外返還高レベル放射性廃棄物管理施設(高レベル廃棄物ガラス固化体)
当初申請……ガラス固化体(キャニスター)1,440本
30~50年一時貯蔵(最終処分地未定)
最終計画……再処理工場発生分も含め最大規模3~4万体収納可能
⑤ その他の施設
・ウラン転換・再転換工場(天然・回収ウラン)
・海外返還プルトニウム・回収ウラン貯蔵施設
・フッ素製造・核燃料加工工場(MOX燃料を含む)
日本原燃は2000年11月20日、MOX燃料加工工場の事業主体となることを受諾し、再処理工場の隣地に建設予定
09年稼動予定 年間最大加工能力 130トン
・使用済核燃料長期貯蔵施設
・TRU廃棄物処分場
・環境科学研究所(TRU消滅処理)93年3月末完成
・原燃技術開発センター(核融合等の実験研究所)
・原燃環境管理センター(放射能環境影響調査)
・国際熱核融合炉実験炉(ITER)
⑥ 六ケ所村近隣(下北半島)の核施設
・原子力船「むつ」母港;むつ市、原子力船「むつ」解体、92.12.28
・原子炉設置変更許可、母港にむつ科学技術館を建設し、96.3までに解体原子炉保管展示
・東通原子力発電所;下北郡東通村約910ヘクタール、東北・東京電力が110万kW沸騰水型軽水炉原発4基を98年同時着工予定
東通原発1号機;96.8原子炉設置許可申請書提出。96.11第二次公開ヒアリング実施。98.8原子力安全委員会が「安全」答申。98.12着工。05年7月運開予定。
・大間原子力発電所;下北郡大間町、電源開発KKが60万kWの新型転換炉(ATR)実証炉を96年4月着工、2002年3月運転開始予定。電事連が1年8月にATRを断念し、改良型沸騰水型軽水炉(フルMOX燃料使用138万kW)に変更する申請を発表。電源開発が漁業補償額を両漁協へ提示。大間漁協22億5千万円。奥戸漁協13億5千万円。98.12電調審へ計画上程予定が延期。
着工に向けた安全審査の無期延期を電源開発が申請。
・むつ市が使用済核燃料の中間貯蔵施設の誘致に乗り出す 2000.12
6. 建設・操業状況
① 事業許可申請……ウラン濃縮工場(1987年5月26日)
・低レベル放射性廃棄物貯蔵施設 (1988年4月27日)
同上 大幅補正申請 (1989年10月27日)
・使用済核燃料再処理工場 (1989年3月30日)
これには海外返還廃棄物貯蔵施設の事業許可申請も含む
② 事業認可……ウラン濃縮工場 (1988年8月10日)
・低レベル放射性廃棄物貯蔵施設 (1990年11月15日)
・使用済核燃料再処理工場 (1992年12月24日)
・海外返還高レベル放射性廃棄物管理施設(1992年4月3日)
③ 操業状況
・ウラン濃縮工場(1992年3月27日操業開始)
RE-1A(1992.3.27)
RE-1B(1992.12.18)
RE-1D
RE-1C(1994.9)
150トンSWR/年の施設4基で600トン稼働中
搬入済み天然六フッ化ウラン……約800トン
92年度末までの操業実績;
製品濃縮六フッ化ウラン……約23.6トン
劣化六フッ化ウラン……約125トン
搬入済み天然六フッ化ウラン……約5,648トン(97年末)
97年末までの操業実績;
製品濃縮六フッ化ウラン……約538トン
劣化六フッ化ウラン……約3,448トン
RE-2(450トンSWU/年の建設工事着手)
1997年9月現在 RE-1の600トンと
RE-2A150トンの合計750トン/SWUで定格運転中。
RE-2Bは試験運転中。RE-2Cは工事進捗率86.5%。
1998年12月でRE-2C運転開始で1,050トン
2000年9月RE-1Aが運転停止のため900トン生産
年1,500トン体制は2020年に繰り延べ
2002年8月現在 RE-1Aが運転停止のため900トン体制で操業
2002年1月累積出荷量……1,028トンUF6
2002年7月累積出荷量……1,096トンUF6
劣化ウラン廃棄物…………………48Yシリンダー280本
98年末 ―― 431本
機能停止遠心分離機………………2,916台
2000年末8,437機
ウラン廃棄物………………………200ドラム缶1,947本
・低レベル放射性廃棄物埋設施設(92.12.8搬入開始)
正式名称を「低レベル放射性廃棄物埋設センター」という
第1期分として5万本ピット4基建設予定
5万本相当分工事完成(1992.11.30)
5万本ピット第2基完成(1994.12)
現在(97.9)第3基まで15万本分まで工事完成
操業開始後の搬入実績;
92年12月搬入実績……… 1,480本
93年2月搬入実績……… 2,680本
93年3月搬入実績……… 1,920本
合 計 ……… 6,080本
(94年度搬入計画 ………21,080本)
95年3月末搬入累計……49,600本
95年度中搬入予定………18,560本
5万本ピット第3基工事(95.4工事開始)
97年6月完成で合計15万本
97年12月搬入累計…… 102,376本
97年12月埋設累計…… 100,160本
00年12月埋設累計…… 130,211本
02年1月埋設累計…… 130,211本
02年7月埋設累計…… 134,083本
同 受入累計…… 134,083本
1号廃棄物埋設施設はあと6万5千本余の埋設後、処分終了
2号廃棄物(1号の5倍の放射能濃度)受入れ増設を申請
5万本ピット1基完成(00年8月)
00年12月埋設累計………… 360本
01年1月埋設累計……… 5,920本
02年7月埋設累計……… 7,880本
同 受入累計……… 9,762本
99年9月東電福島第1原発産のドラム缶2本から液ダレ
セシウム137の漏出
全国原発サイト保管の腐食ドラム缶15,440本補修搬入
高ベータ・ガンマ廃棄物の埋設処分(00年12月)
原子炉内廃棄物を地下50~100メートルに埋設する計画
・使用済核燃料再処理工場(1993年4月28日建設着工)
― 2003年1月操業開始予定(98年計画) ―
使用済み燃料貯蔵プール……工事進捗率約98%、完成
98年7月29日安全協定
締結(供用試験)
99年12月完成
安全協定00年10月13日
再処理工場設備本体施設建設進捗状況
00年11月末……………………約56%
01年12月末……………………82%
02年7月末……………………87%
99年4月工事計画変更………再処理施設操業;05年7月
総工費1兆8千8百億円
(当初)7,600億円
安全協定締結後………………試験用使用済み核燃料32トン(98年9月以降)
使用済核燃料本格搬入………00年12月
東電福島第2 ― 13トン
日電東海第2 ― 11トン
01年3月まで ― 97トン
01年度 ――― 350トン
02年度 ――― 400トン
03年度 ――― 400トン
04年度 ――― 500トン
02年1月末受入累計
BWR 1,422体;248トン
PWR 408体;178トン
02年7月末受入累計
BWR 2,050体;359トン
PWR 562体;246トン
・海外返還高レベル放射性廃棄物管理施設
― 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター―
(1995年4月26日操業開始)
建設着工……1992年5月6日
操業開始予定……1995年2月予定
(フランスが94年中の早期返還希望2,000体)
一時貯蔵開始日……1995年4月26日
95年4月搬入実績……ガラス固化体28本
今年度中搬入予定……さらにガラス固化体96本
今後の返還予定……ガラス固化体3千数百本
95年4月搬入のガラス固化体の放射能検査中、8月16日までに28体目から基準値以上のセシウム137検出
97年12月搬入実績……ガラス固化体68本
98年3月13日搬入……ガラス固化体60本
累計128本
01年1月末累計搬入……累計272本
01年2月20日搬入……ガラス固化体192本
02年1月受入累計本数……616本
02年7月受入累計本数……616本
同 収納累計本数……493本
ガラス固化体貯蔵容量……1,440本
将来的受入本数……2,880本
最終計画受入れ量……3千数百本
実受入れ量……6,700×0.7=4,690本
海外再処理委託量6,700トン
トン当りガラス固化体0.7本
7. トラブル・事故状況
① ウラン濃縮工場
・1992.1.26 ウラン濃縮工場、慣らし運転中断(停電事故でトラブル)
・1992.2.24 ウラン濃縮工場試験で電源設備に異常警報(2回目)
・1992.6.17 ウラン濃縮工場、事故で緊急停止
・1992.10.25 ウラン濃縮工場、落雷のために運転停止
・95年3月までに遠心分離機が36機停止
・1995.9.13 ウラン濃縮工場、操作員の人為ミスで運転を停止
・95年度 遠心分離機459台停止(累計495台)
・96年度遠心分離機1,116台停止(累計1,611台)
・97年末遠心分離機1,305台停止(総計2,916台)
・1997.12.31 ウラン濃縮工場の放射性固体廃棄物は累積1,947本
② 低レベル放射性廃棄物埋設施設
1989.10.27 原燃、放射性廃棄物貯蔵センターを大幅に設計変更。
貯蔵から埋設施設に変更になった
③ 高レベル放射性廃棄物貯蔵施設
1995.8.28 フランスから返還された高レベルガラス固化体より基準値以上のセシウム137が検出され、収納管への搬入延期
1997.12.31 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターの放射性固体廃棄物の発生累積は232本
④ 再処理工場・使用済み燃料冷却プール
・2001.7 冷却プールで漏水事故
8. 対県交渉・原子力防災
自治労青森県本部は、六ケ所村の核燃料サイクル施設のうち再処理工場が原子力防災の重点施設に指定されたことから、連合青森とともに対県交渉を実施してきた。連合青森とは核燃サイクルの是非についての不一致点はそのままとしながら、建設操業が進んでいることから、①安全性の確立、②情報公開、③原子力防災の具体的推進、の3項目を中心として政策委員会の原子力部会で自治労方針の具体化を求めてきた。
この間、対県の事務交渉を繰り返しながら97年と2000年の2度にわたって知事交渉を実施し、原子力防災計画の改訂、原子力専門課の県職員採用と原子力防災機能の充実、県の原子力行政の一本化と六ケ所核燃サイクル施設での住民参加の防災訓練の実施の準備などを実現させた。しかし、改定された県の防災計画はこれまでの国の原子力防災指針の枠を超えるものではなく、事故の初期対応について独自体制を築けなかったことなど問題点も残された。
2001年4月から六ケ所村のオフサイトセンターの供用が開始されたことから、今後はオフサイトセンターの機能充実にむけた交渉を行わなければならない。
まとめ
いくら核燃料サイクルの安全性の確立に努め、原子力防災の充実に努めたとしても、原子力の根本的な危険性を回避できるものではなく、日本の原発や原子力施設の危険性は増すことはあっても減ることはない状況が続いている。それだけに、日本の核武装化に手を貸すことにつながる使用済み燃料の再処理政策を放棄すべきである。
一方、昨年から続いている再処理工場の使用済み燃料冷却プールの漏水事故の原因究明が進まないなかで、再処理工場そのものの必要性を疑問視する多くの声が起こっている。こうしたなかで、自治労県本部は全国の仲間とともに再処理の中止を求めて100万人署名行動も展開している。
原子力行政を進めるにあたって、国策を強調するあまり、住民自治という地方自治の本旨にかなう選択が青森県ではなされてこなかった。それだけに、これからは地方自治の原点にかえって、六ケ所の核燃料サイクル施設問題を再検討し、住民自治によって白紙撤回させる時期に来ている。
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