【代表レポート】

新潟県柏崎刈羽原発3号機のプルサーマル
実施の可否を問う住民投票をめぐる現地報告

新潟県本部/自治労柏崎市職員労働組合連合会

1. 原子力発電をめぐる情勢

 原子力発電所は1960年代以降、右肩あがりの経済成長にささえられ、国民の不安や現地住民の反対運動にもかかわらず次々と建設され、現在52基が運転されている。日本の原発初期の段階で国の主張は、「原子力の平和利用であり、石油に代わる次代のエネルギー」であり、「原発現地の地域振興と地域の発展に貢献する」というものであった。また、原発は発電単価が安く経済的で、電力料金の抑制にもなると良いことづくめであった。日本の軽水炉は、福井・福島で本格運転を始めてから30年をむかえているが今日、原発のほころびは覆いようもない深刻な状態である。
 その第1は、全国の原発で使用済み燃料が溜まり続け、燃料プールが満杯で運転に支障を来す直前の状態のある。やり場のない使用済み燃料は毎年900トンずつ溜まっている。
 第2は核燃料サイクルの破綻である。原発で使用済みになった核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で使用すれば炉内で燃えないウラン238がプルトニウムに変わり、日本は永久にエネルギー危機から開放されるといわれていた。しかし日本を除くすべての国が高速増殖炉路線から撤退しており、もんじゅ以後の見とおしはまったく立っていない。既に海外で再処理したプルトニウムに国内分を加えると保有量が30トンになり、海外から潜在的核保有国との批判が出てきている。このうえ更に六ケ所再処理工場を稼動させるとプルトニウムの保有量が増え、漁業の宝庫である周辺環境が汚染される恐れがある。
 第3は高レベル廃棄物の処分と廃炉の問題である。日本は地震国であり数千年以上安定的に高レベル廃棄物を保管できる地層などあり得ない。原子炉の寿命は運転40年といわれている。運転30年をむかえた原発が出てきて廃炉の処分という難題が現実のものとなってきた。建設費の倍以上の費用が必要といわれ、電気の恩恵を受けない人たちが負担だけを求められる時代はそこまできている。
 第4は国や電力が国民に対して嘘をつき続けて来たことである。原発の電気は、火力や水力に比べて発電単価が安いから国民のために推進すると宣伝してきた。ところが最近になって電力業界が嘘だったことを認めた。それは使用済み燃料や廃棄物の処理処分、廃炉の処理費用が意図的に見込まれていなかったのである。原発を推進することで産業界が潤い、政治家がその利権にあずかり、官僚は登用の道が広がった。原発推進の30数年は、権力による詐欺行為がまかり通ってきたことになる。
 第5は世界的には確実に脱原発に向かっていることである。スウェーデン、デンマーク、イタリア、オーストリアは原発廃止を決め、ドイツも廃止を目指している。アメリカもスリーマイル島原発事故以来新規建設はない。電力が自由化され原発は値下げ競争に対応できないためである。
 第6はテロ事件との関連である。昨年9月の米・同時多発テロ事件以来、柏崎刈羽原発の正面ゲートには県警機動隊が24時間体制で警備、沖合いの海上には巡視船が停泊し物々しい状態にある。原発はテロの攻撃対象であることが分かり、周辺住民は大きな不安をいだいている。原発がミサイル攻撃されると核兵器を使用されたと同じになることを意味する。日本列島に52基ある原発は、こうした危険性を常に持っていることを認識しなければならない。

2. プルサーマルの背景

 プルサーマル計画は1960年代から原子力開発利用長期計画の中で核燃料の有効利用として打ち出されていた。しかし急浮上してきたのは97年2月、政府が実施を閣議了解したことに始まる。その後政府は福井、福島、新潟の3県知事に計画実施の協力要請、99年福井・福島で、00年柏崎原発での実施に向けた動きとなった。
 これは95年12月に起きた福井・敦賀の高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故で運転できなくなったためプルトニウムの消費にメドが立たなくなったことがあげられる。海外での再処理委託と東海再処理工場で再処理して、取り出されたプルトニウムは当時で20トン前後あり、国際社会からは核兵器の潜在的保有国との批判が出ていて、一刻も早くプルトニウムの消費のメドをつけることが求められていた。
 プルサーマルとはプルトニウムとウランの混合酸化物燃料(MOX燃料)を一般の軽水炉で使用することをいう。軽水炉はMOX燃料を使用するようには設計されていないため、原子炉の挙動が不安定になるとか、制御棒のききが悪くなるなど危険であることが指摘されてきた。また、事故が起きた時はウラン燃料の場合と比較して距離で2倍、影響範囲は4倍になるといわれている。さらにプルトニウムは超猛毒の核物質であり1gで10万人以上の人をガンや死に追いやるものといわれている。
 プルサーマルを推進する政府や電力会社は、プルサーマルを実施すれば資源の有効利用になるという。しかし、たった1%のプルトニウムを取り出すための再処理は、厄介な放射性廃棄物を発生させ、後始末のために環境への負担や無駄なエネルギーの消費が行われる。プルサーマル計画の実施で将来のエネルギー問題の解決にならないことは明らかである。
 こうした多くの問題があるプルサーマル計画は、当初予定した福井、福島、新潟のいずれの地域でも今だ実施されていない。福井では燃料製造元のイギリスBNFL社が製造データを改ざんしていたことが明らかになり中止となっている。福島では県が事前了解を出しているものの、JCO事故とその後の原発を取り巻く状況の変化で慎重な姿勢に変わり、検討委員会での議論が続いており実施にはいたっていない。
 柏崎刈羽原発では福井・福島とは違い住民の反対運動によって実施が見送られている。
 以下、現地における経過について報告したい。

3. プルサーマル住民投票にいたる経過

(1) 柏崎市、刈羽村における第1回目の住民投票条例制定にむけた取り組み
   97年2月の閣議了解以降柏崎刈羽では、2年近く反対運動による集会や住民宣伝、国・県・市・村などによるシンポジュウムや講演会などが開催された。住民の関心も高まり、反対の声が従来になく盛り上がった。
   こうした背景の中で、従来の反対の枠を越えた運動が求められることをみんなで認識しあい、医師、歯科医師、商店主、芸術家、主婦が参加できる運動体の立ち上げを目指した。これらの人たちに従来の反対運動も参加して「プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク」を立ち上げた。これが主体となって99年1月7日から2月7日の間、柏崎市と刈羽村でプルサーマルの可否を問う住民投票条例制定の直接請求署名を行った。
   署名は柏崎市刈羽村とも今までの署名や各種選挙などから見た予想をはるかに上回る人たちが参加した。この署名は両市村の選挙管理委員会で審査縦覧を受け、3月12日に同じく両市村へ住民投票条例制定の直接請求を行った。しかし両議会とも反対多数で条例案を否決した。
   署名の集約結果は次のとおりであった。
   柏崎市            刈羽村
     有権者数  69,610名     有権者数  4,100
     署 名 数  26,690名     署 名 数  1,345
     参 加 率    38%     参 加 率   32.8%
   柏崎市労連の署名獲得数は次のとおり
     署 名 数   3,245名  全体の12%

(2) 刈羽村における第2回目の住民投票条例制定にむけた取り組み
  ① 村長選、村議補選による政治状況の変化
    2000年11月の村長選挙出馬のため品田、西巻両村議が辞任、村長選挙に合わせて村議の補欠選挙が行われた。村長選挙には現村長と同じ主流派の品田、反主流派の西巻と反原発の元村議武本に加えさらに2名が出馬、村始まって以来の選挙戦となった。
    選挙結果は次のとおり
      品田 宏夫  1,246
      西巻 俊一  1,050
      武本 和幸   709
      加藤 幸夫   444
      近藤  昇   175
    同時に行われた村議補選の結果は次のとおり
      近藤 容人  1,367
      広川 優子  1,161
      石垣喜一郎   660
      長谷川泰雄   206
      小黒 武美    67
    この結果、村長は従来から村政を支配してきた主流派から選出された。しかし品田の得票結果を見ると有権者4,170名の過半数の得票に満たない。むしろ反主流派候補と反原発候補の得票が品田を大きく上回ることになった。
    もう一方の村議補選では反原発の近藤と心情的脱原発の広川が当選、村議会は推進派2名の欠員が反対・慎重派で占められ逆転するきっかけとなった。
  ② 村長選、村議補選以後の2陣営の協調
    選挙後を待っていたかのように開会された12月議会で、村長選をたたかって敗北した西巻陣営の村議と、反原発の村議、広川などの協調で「プルサーマル住民投票条例」が議員提案され、賛成多数で可決された。
    しかし、村長はこれを再議に付し、村議会では3分の2の賛成を得られず廃案となった。
    こうした議会での反主流派の動きを、当初マスコミも村長選の遺恨と批判したが、その後の住民投票に勝利し今日までこの協調体制が続いている。
  ③ 直接請求による住民投票へ
    村長の再議による廃案という結果を受けて、もう一度住民投票条例の直接請求署名を取り組もうという機運が盛り上がり、2001年1月下旬から署名運動をはじめる。前回2年前の時もそうだったが、今回もまた新潟では気象条件の一番厳しい吹雪吹き荒れる寒い時期の取り組みとなった。
    また、柏崎刈羽原発3号機用MOX(モックス)燃料はフランスのシェルブール港を1月20日に出港しており、3月下旬原発専用港へ到着予定というギリギリの時期の取り組みとなった。
    署名の集約結果は次のとおりであった。
      有権者数  4,172名
      署 名 数  1,562名
      参 加 率   37.4%
    前回、2年前より200名も署名参加が増えた。
    この署名を添えて3月29日、品田村長に住民投票条例の本請求を行い、4月18日には村議会が条例案を可決した。この段階でもう一度村長は再議に付すのではないかといわれ、再議を断念させるための取り組みを原水禁中央、県平和センター、地元反原発団体、全国の市民団体が連携して行った。
    刈羽村品田村長は、住民投票条例の施行か2度目の再議かの選択の日である4月25日をむかえた。大方の予想では村長は再議に付すだろうといわれていた。しかし村長の判断は条例の施行、住民投票の実施であった。
    この結果、全国で初めてプルサーマル実施の可否を問う住民投票が5月27日に行われることになった。
    運動期間中は、全国から多くの仲間のみなさんが駆けつけてくれ、大きく盛り上がる中でたたかいが進められた。村内の反対、賛成両派の主催で、資源エネルギー庁長官が参加した公開討論会も開催した。
    しかし告示直前驚いたことに、経済産業大臣名のチラシが日の出前の早朝に、アルバイトを動員して全戸配布された。後日国会で問題となったチラシは、経費を含めると1枚当り2千数百円と常識では考えられない高額のものであった。一方東京電力は従業員に直接指示を出して運動に駆りだすなど、住民投票への介入があったが、大きな成果を上げることはできなかった。
    全国初のプルサーマルの可否を問う住民投票は、予想通り反対多数という結果で勝利することができた。
    住民投票の結果は次のとおりであった。
      有 権 者       4,092
      投 票 率       88.14%
      プルサーマルに反対  1,925
         〃   賛成  1,533
             保留   131
             無効    6
    後日漏れ聞こえてきた話によると村長は4月25日住民投票を実施すると判断した当日、新潟県知事に電話で実施の判断を伝えた。知事は再議に付すべきだと主張したが、村長は住民投票をやれば勝てるといって実施に踏み切った。後日村長の判断は推進側の内部でも批判の対象になったようだ。

4. プルサーマルは延期

 住民投票直後の6月1日、県知事、刈羽村長、柏崎市長の三者会談が開かれた。この席で事実上のプルサーマル実施の延期を確認し、再度7月16日に三者会談を県庁で開催して最終的に延期を確認した。
 この結果を県知事が7月25日、経済産業大臣、東京電力社長に伝えたことで当分の間プルサーマルの実施は延期となった。
 しかしこの1年間、国や東京電力は住民投票結果を骨抜きにしようと画策してきた。国は投票直後の6月5日には「プルサーマル推進各省連絡協議会」を設置初会合を開いた。その後資源エネルギー庁担当者が柏崎市刈羽村両議会に説明に来ており、原子力委員会も市民参加懇談会を刈羽村で開催して「反対の意見も聞いた」と既成事実づくりをした。また、資源エネルギー庁の柏崎駐在事務所を設置するなど地域への介入を強めている。
 東京電力は住民投票の結果を、刈羽村民はプルサーマルに対する理解が足りなかったと、広報担当者を増員して村内全戸訪問をやっている。また、村内に「ふれあいサロン」をつくり住民の意識の中まで入り込もうとしている。村内各地で伝統的に行われてきた祭りにまで顔を出して原発に物言う人を無くそうとしている。
 東京電力は今年3月、プルサーマル用MOX燃料の2回目装荷予定分を製造開始したと発表した。初装荷予定のものが住民投票で拒否されているのに、そのことを無視して次の燃料の製造に入る。これが東京電力の地域住民に対して持っている本質である。

5. 強行実施に向けた動き台頭

 本年6月27日、刈羽村議会で突然「エネルギー政策推進決議」が議員提案で出された。この直後7月5日県知事、刈羽村長、柏崎市長の三者会談が開催され、そこではプルサーマルに対する村民の意識に変化はないとの理由で当面は事態を見守ることとなった。
 ところが刈羽村長は、村議会の決議を受けて7月8日からMOX燃料の健全性調査のため、ベルギーの燃料加工工場を訪問し、帰国後村内20集落で対話集会を開催して、村民がどのように考えているかを探りたいと発表した。三者会談でもこのことが話題となり、村民対話集会の結果を受けて、再度協議するということになった。この三者会談が8月下旬から9月上旬となっており、ここでゴーサインが出されるのではないかと危惧されている。村議会の決議は、こうした動きを誘導するために国、東京電力が周到に準備した策略だったと考えられる。
 プルサーマル・ノーが住民投票の結論であり、MOX燃料の健全性調査などまったく必要ないのにベルギーを訪問した。そして住民投票でプルサーマル反対と投票した人の半数も参加しない住民対話集会の後、投票結果を変更しようとしているのである。
 こうしたことがもし強行されれば、村長リコールなど新たな運動が展開されることになると思われる。

  プルサーマル計画と住民投票の動き

1997年  
2・4   プルサーマル計画を閣議了解
2・27   国が新潟、福島、福井3県知事に計画実施の協力要請
1999年  
2・24   東電が県、柏崎市、刈羽村に改革の事前了解願を提出
3・12   市民団体が柏崎市、刈羽村に住民投票条例案を直接請求
3・23   柏崎市議会、刈羽村議会が住民投票条例案を否決
3・31   県、刈羽村が計画受け入れを了解
4・1   柏崎市が計画受け入れを了解
9・14   高浜原発用MOX燃料のデータ改ざん発覚
9・30   茨城県東海村で臨海事故発生
11・11   柏崎市が東電に計画実施を2000年から1年延期を申し入れ
11・18   東電が県、柏崎市、刈羽村に計画延期を報告
2000年  
11・19   刈羽村長選で品田宏夫氏初当選
12・26   刈羽村議会で議員提案の住民投票条例案可決
2001年  
1・2   品田刈羽村長が住民投票条例案の再議方針を発表
1・5   刈羽村議会が住民投票条例案否決条例案廃案に
1・20   柏崎刈羽原発3号機用MOX燃料仏・シェルブール港を出港
1・27   刈羽村で住民組織による住民投票条例制定の直接請求署名はじまる。
2・26   福島県知事が東電福島第1原発での計画の当面凍結を表明
3・24   MOX燃料が柏崎刈羽原発専用港入港
3・29   刈羽村の住民組織が品田村長に住民投票条例の制定を本請求
4・18   刈羽村議会が住民投票条例案可決
4・25   住民投票条例施行
5・17   住民投票告示
5・22   刈羽村で国と反対派による公開討論会開催
5・27   住民投票・開票 反対多数となる
6・1   新潟県知事、刈羽村長、柏崎市長による三者会談
7・16   再度の三者会談
7・25   県知事が経済産業大臣、東京電力社長にプルサーマル計画の当面延期を申し入れる。

 

  柏崎刈羽原発の規模・経過

設置位置 柏崎市と刈羽村
用地面積 約430万㎡(柏崎市約320万㎡、刈羽村約110万㎡)
発電規模 1~5号機・BWR 550万kW(110万kW×5基)
  6~7号機・ABWR 271.2万kW(135.6万kW×2基)

経過

1969年 3・10
  柏崎市議会誘致決議(社会・反対)
6・18
  刈羽村議会誘致決議(全会一致)
9・18
  東京電力 柏崎刈羽進出を発表
1975年 3・20
  1号機原子炉設置許可申請(内閣総理大臣宛て)
1977年 9・1
  1号機原子炉設置許可
1978年 12・1
  1号機着工
1980年 12・4
  2・5号機第1次公開ヒアリング阻止行動
1981年 5・11   2・5号機設置許可申請(通産省宛て)
1983年 5・6
  2・5号機設置許可
10・26
  2・5号機着工
1985年 9・18
  1号機営業運転開始
1987年 4・9
  3・4号機設置許可
7・1
  3号機着工
1988年 2・5
  4号機着工
1990年 4・10
  5号機営業運転開始
9・28
  2号機営業運転開始
1991年 9・17
  6号機着工
1992年 2・3
  7号機着工
1993年 8・11
  3号機営業運転開始
1994年 8・11
  4号機営業運転開始
1996年 11・7
  6号機営業運転開始
1997年 7・2
  7号機営業運転開始

参考資料 (柏崎市)