【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第2分科会 まちの元気を語るかよ~町ん中と山ん中の活性化~

 大分県竹田市では全国で初めて「農村回帰宣言市」を標榜し、都会でリタイアした団塊世代だけでなく自分らしいライフスタイルを求める若者の「終の棲家」として、全国から竹田市への移住を促す政策を展開している。
 本レポートでは、竹田市に移住し活動している「地域おこし協力隊」について、活動実態と任期後の動向について報告する。



地域おこし協力隊による地域活性化の可能性


大分県本部/竹田市職員労働組合 後藤 雅人

1. はじめに

 竹田市は、大分県南西部に位置し、熊本と宮崎の県境に接しており、周囲をくじゅう連山、阿蘇外輪山、祖母傾山系など九州を代表する山々に囲まれた緑豊かな地域である。
 また、滝廉太郎の名曲「荒城の月」のモチーフとなった岡城阯と400年以上の歴史をもつ城下町、大パノラマの広がる久住高原、大分県の母なる川・大野川の源流にあたる白水の滝、日本一の炭酸泉といわれる長湯温泉など、他に誇れる豊かな地域資源や自然環境を有していることに加え、トマトやかぼすなど農業粗生産額大分県一の農業地帯でもある。
 しかし、全国の農山村と同様に少子・高齢化の影響で空き家が目立ち、地域コミュニティの維持が難しくなっている集落も見受けられる。こうした課題に対峙するため、竹田市では全国で初めて「農村回帰宣言市」を標榜し、都会でリタイアした団塊世代だけでなく自分らしいライフスタイルを求める若者の「終の棲家」として、全国から竹田市への移住を促す政策を展開している。今では「チャレンジしたい若者におすすめの田舎」部門第1位にランクされるなど、注目される移住希望地の一つになっている。
 本レポートでは、竹田市に移住し活動している「地域おこし協力隊」について、活動実態と任期後の動向について報告する。

2. 定住への取り組みについての経緯

 本市は、移住、定住の促進戦略として全国に先駆け「農村回帰」を宣言し、2009年12月に100万人のふるさと回帰をめざす「ふるさと回帰支援センター」と全国初の相互協力協定を締結した。本市の持っているポテンシャルを全市民で共有するとともに、まだなお竹田に眠っている魅力に気づき、竹田をもう一度見直して(回帰して)、その魅力を日本全国へさらに世界へ情報発信し、都市で生活している皆さんの農村回帰を促す「内に豊かに外に名高く」をコンセプトに本市への移住や定住の相談、田舎暮らし体験、空き家の調査・提供などの受付窓口の一元化、移住支援サービスの充実など農村回帰の受け皿として「竹田市農村回帰支援センター」を2010年6月に設立した。
 市役所の機構改革により2010年4月1日付で企画情報課内に設置された農村回帰推進室(現TOP戦略推進室)および荻、久住、直入支所いきいき市民課(現地域振興課)に農村回帰担当を配置し、庁内の推進体制を整え、移住定住への本格的な取り組みを開始した。
 しかしながら、移住定住については、市民の理解と協力が必要不可欠であることから、移住者への細やかなサポートを全市民で行う体制づくりのため、市議会をはじめ、自治会長会など地域、農業、経済、観光など主たる市内の17団体で組織する竹田市農村回帰支援センターを設立したもので、当センターが竹田市の移住定住施策の最大の推進組織である。

※ 竹田市農村回帰支援センターのしくみ 添付資料①参照

3. 人材の活用と地域振興

 過疎化、高齢化、少子化が進行する本市において、この施策により人口の社会増をもたらすということは重要な要素ではありますが、ただ単に人口が増えればいいというものではない。移住した方が地域でどういう役割を担い、地域コミュニティの再生にどう関わるかという農村回帰の本質を常に念頭に置くことが重要であると考えている。
 この農村回帰の運動を効果的に推進するために、地域おこし協力隊制度を積極的に活用し、これまでの流れを基本に様々な施策とリンクさせながら移住・定住を推進している。

※ 地域おこし協力隊員は、一定期間(おおむね3ヶ年)地域に居住し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援や、農業等への従事、住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着をはかる取り組みである。

4. 竹田市地域おこし協力隊の概要

 現在43人の地域おこし協力隊員が竹田市で活動している。2010年度から1期生として埼玉県から移住した女性を1人雇用。彼女は農作業の傍ら年4回、フリーマガジンを発行(行政に頼らず商店主からの掲載料だけで発行)するほか、ブログで竹田市の魅力を情報発信し、自らの体験をもとに移住者の相談にも応じるなど、竹田市の農村回帰を積極的にサポート。2012年度で任務は終了したが、定住し引き続き移住のサポートをしている。
 さらに、2014年度から毎年度募集を行ってきた。市の公式ホームページをはじめ、JOINなどで広く募集している。各年度の応募者、採用者の状況は以下のとおりである。

・2014年度(2期生)18人
 移住・定住、観光、社会教育、地域振興の一般枠4分野とチャレンジ枠で10人の募集。
 募集 43人応募 内定者19人(うち1人辞退)
・2015年度(3期生)14人
 観光、スポーツ、酪農業、農業分野の一般枠4分野とチャレンジ枠で10人の募集。
 募集 35人応募 内定者14人
・2016年度(4期生)14人
 地域づくり、農業、畜産業、観光、創業の5分野に5人程度、企画提案分野で5人程度の募集。
 募集 44人応募 内定者16人(2人辞退)
・2017年度(5期生)14人
 一般枠は、農業・畜産、文化振興、観光、温泉活用、移住・定住の6分野に6人程度、企画提案分野に4人程度を公募。
 募集 28人応募 内定者14人

 2017年6月1日現在、43人が在籍。
 性別は男性が半数以上の24人で女性は19人である。年齢に関しては30代が最も多く、平均年齢は35歳だった。従前の住所地は、九州が最も多かった。次いで関東、関西となった。北海道、東北、北陸などは協力隊の地域要件もあって対象者がいなかった。

※ 竹田市地域おこし協力隊の属性 資料添付②参照

(1) 活動内容
 現在、竹田市地域おこし協力隊の活動内容は23ジャンルあり、それぞれの配属先で活動をしている。配置先とサポート体制は次図のとおりである。それぞれ応募時にこれまでの経歴や自身のやりたいことから希望部署を選択していただき、それを基に選考を行っている。さらに担当部署の職員によって面接をし、配置先を決定する。実際に活動を開始した後に気をつけなければいけない点は、配置先と希望業務のミスマッチである。ここで重要な点は、隊員と担当職員とのコミュニケーションが取れているかどうか。隊員の不安や悩みをいち早く気付いてあげるとういうのも担当者の必要なスキルである。
 また、隊員が孤立することなく活動するために協力隊同士の情報交換も大切である。現在行っている月1回の定例ミーティングは隊員自らが提案をし、協力隊同士のコミュニケーションを取っている。当市は協力隊の人数が多いため、このような場は重要であり、活動に対しても良い効果を表している。

※ 地域おこし協力隊 配置及びサポート体制 添付資料③参照

(2) 任期後の状況について

 2期生18人のうち1人は大学院進学のため1年間の活動であったが、残りの17人は3年の任期を終え、次の進路に進んでいる。
 17人のうち6人は市外で就職をしたが、11人は引き続き市内に定住している。注目すべき点は、11人のうち半数以上の6人が起業をし、新たな産業を創出していることである。
 国においては、地域おこし協力隊の起業に向けた取り組みを支援するため、起業支援補助金制度を整備、予算化したのを受け、竹田市でも交付要綱等の整備と予算化を行った。
 地域おこし協力隊の斬新な発想とパワーを活かし、地域課題に即した「竹田ならではの生業」として、商工団体や各関係機関が連携をして支援していく仕組みを整えていくことが今後も重要になってくる。

5. さいごに

 2009年度に始まった「地域おこし協力隊」制度であるが、2016年度に3,000人という目標のもと着実に数を伸ばし、実際に2017年度3,978人に達した。竹田市においても全国最多の44人の隊員が活動している。ただ、全国で地域おこし協力隊が実際に増えると、成功例もあるが、失敗例も出てくる。何をもって成功か失敗なのかの定義も曖昧な状態ではあるが、定住率は一つの指標になる。
 総務省は任期終了後の協力隊員の定住率を出しており、同一市町村内に定住した割合は47%である。ちなみに、竹田市の2017年度の定住率は65%であった。ただ、これはあくまで3年間の任期を終えた隊員が対象であり、任期途中で辞めた隊員は集計の対象になっていない。
 協力隊は定住だけが全てではないという意見もあり、その意見を全面的に否定するつもりはないが、地域住民は「派手な企画とか目に見える実績よりもともかく定住してもらいたい」というのが本音であろう。
 何十年もかけて今の状態になった過疎の地域が、たった3年間でどうにかなると思うのは無理がある。しかし、協力隊の3年間の成功・失敗は、地域と協力隊の信頼関係を築けたかどうかであり、地域活性化の本番は任期終了後であろう。受入自治体として、協力隊の定住のために地域との架け橋になり、支えていくことが今後の制度成功の鍵になると考える。

添付資料①

添付資料②

添付資料③