【自主レポート】 |
第37回土佐自治研集会 第3分科会 どうする? どうなる? これからの自治体 |
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1. はじめに 青森駅前再開発ビル株式会社が、なぜ設立され、商業施設(名称:アウガ)が誕生、15年を経過し、なぜ使命を終えなければならなかったのか、当時の青森市の現状や、市議会での議事録を参照するとともに、私の視点から報告します。 |
2. 再開発前の青森駅前
多くの闇商品(米等)や食料品は青森駅に集約され、ここから、市内各地へ食糧がいきわたり、駅前市場は卸売市場の役目を担っていました。 青森駅周辺は、戦後混乱期のため、所有権が建てたもの勝ちの状況で、道路に空き地に小屋が立ち並び、様々な商売がなされていました。 当時の資料に青森駅前の再開発の必要性について、「この青森駅前再開発の計画地区は、海産物市場を中心に生鮮魚菜塩乾物、りんご、その他の物品販売店舗及び飲食店が混在し、早朝から賑わいを呈してきた地区ですが、近代化のおくれから商業の地盤が沈下の傾向にあります。老朽化した木造建築物が密集しており、防災上、衛生上からも早急に再開発を行なわなければならない状況にあります。」と記載されています。
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3. 再開発に関わる国・県の動向 (1) 国の経済対策 (2) 青森県の経済対策 (3) 新幹線計画の影響 |
4. 青森駅前の再開発計画の推移 ① こうした、国・県の経済対策により、全国に新幹線の整備が進み、1965(昭和40)年当時は東北新幹線も将来、青森までの開通が見込まれ、青森としての玄関口(青森の顔)の青森駅周辺を整備するために、青森駅前再開発計画が持ち上がりました。 |
② 当初の再開発計画の概要 |
当初計画の完成建築模型
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③ しかし、再開発の協議が整わなかったのか、1988(昭和63)年「サンフレンドビル」が建設され、当初計画は不透明になりました。 |
5. ビル会社と青森市との関係 (1) 関係図
(2) アウガの経営体制(取締役会)
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6. アウガのオープンからの収支内容 市の資料参考 (1) オープン時から開業前計画と実績が乖離
そのため、協議が整わず再開発が遅れた経過があり、早急に再開発を進めたい青森市は、権利を所有する人たちに譲歩せざるを得ない状況があって、支出に合わせた収益目標が設定されたことが、その後の経営に大きな影響を与えています。 地下1階から地上4階の商業フロアは、地権者(18者)が52%、ビル会社が44%、市が4%を共有し、ビル会社が全てを借り受け、テナントに賃借料を頂き貸し出す仕組みになっています。 簡単な計算をすると、ビル会社は地権者の権利比率52%に沿って(1坪7千円/月)約995万円/月(年間約1億1千9百万円)で借り上げ、各テナントに貸し出す仕組みになっています。 また、土地9,020m2は地権者、ビル会社、金融機関等の20社が一筆共有しているため、青森市が土地を利用するために支払っている地代は年間4,700万円、バブル期に比べ路線価が4分の1になっている現在も、オープン時の管理規約があり是正できない状態にありました。 取り扱う商品にも、制限があったと聞きましたが、明らかに来ませんでした。 (2) 経営への青森市の支援策 |
7. 議会での議論
2000(平成12)年、第4回定例会からアウガの経営見通しについて議論されていますが、オープン後の青森市からの支援策と捉えることができる、床の買い取りの議案についても、あくまでも青森市の施策の一環との答弁を繰り返していました。 (1) 経営改善計画(再生計画、5カ年経営計画) (2) 議論の活性 (3) 特別委員会(2017(平成29)年度3月議会、アウガ特別委員会を設置) (4) 百条委員会(アウガの経営内容を審査するため設置) |
8. アウガの特別清算 (1) 清算に向けた手続き (2) 青森市の債権放棄額
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9. 終わりに
商業施設「アウガ」は、再開発という利権が渦巻く中で、大変厳しい船出をしました。アウガ丸は泥船と表現された担当部長もおりましたが、これまでほぼ208億円もの巨額の費用をつぎ込んできました。 |