【自主レポート】 |
第37回土佐自治研集会 第3分科会 どうする? どうなる? これからの自治体 |
明治時代の森林の状況を把握するため、明治初期(1880~86年)に作成された迅速測図を利用し、日野地域と赤城南面地域でスギ林の面積割合を集計したところ僅か0.1~1%で、大部分は広葉樹林であった。 |
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1. はじめに 現在、群馬県の森林資源は充実し、群馬県の森林面積(国有林及び民有林)の42%(1)が、スギやヒノキ等の人工林となっている。昨年度、県内のスギやヒノキ等の植林に関する文献を調査し、群馬県では、山林への植林が明治初期から開始されたことを報告した。森林の状況はゆっくり変化するため、意識されることは少ないが、100年単位で見ると、実は大きく変化している。その事例として、昨年度、妙義神社のスギ林を紹介した。 2. 明治時代に作成された地図による森林状況の把握 (1) 迅速測図について
迅速測図は彩色図で、林地は、スギ(杦)、ヒノキ(桧)、マツ(松)等の樹種が記載され、その区域には境界線が描かれているため、樹種別の面積が集計できる。注意すべき凡例としては「荒地」で、背の低い樹木地域(4)を表している。 |
(2) 樹種別面積の集計方法について
また、明治時代と現在に比較的近い時代の森林の変化を把握するため、1979~86年に作成された植生図を利用した。なお、日野地域には、現在の植生図と比較しやすくするため、現在の道路情報を迅速測図に記入した。 |
(3) 100年間の森林の変化について
赤城南面地域(前橋市)の迅速測図と植生図の樹種区分を図-4、その面積割合を表-2に示す。迅速測図で49%を占めていた森林区域が、100年後、植生図では8%に減少していた。迅速測図では、ナラ(広葉樹林)が46%を占めていたが、植生図ではクヌギ-コナラ群集(広葉樹林)が1.5%に減少していた。当該地域は、群馬県の木であるクロマツの植林地が6%を占め、地域性のある場所となっている。
3. 富岡製糸場建設と吾妻方面から供給したマツについて
富岡製糸場の建設(1872年(明治5年))に使用するため、妙義神社や七日市藩内、その周辺のスギ、小幡の町から福島に至る道の両脇のマツが伐採(5)された。さらに、岩島村(現東吾妻町)誌(6)によれば、吾妻郡(旧)長之原町他の山から松が伐採され、長いものは約14mの丸太が、吾妻川に流され、五料(玉村町)で製材し、富岡まで運ばれた、との記載が残っている。 写真-1に示すように、マツの幹には曲がりが多い。曲がりの多い松の木が、梁や柱で利用できるのか、との疑問が生じる。そこで、(旧)岩島村の松林の幹の通直性について、現地調査を行った。
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(2) 霧上松について
(3) 富岡製糸場と霧上松について
4. まとめ 森林の状況変化は遅く、変化していないように感じてしまう。現在の森林は、100年前も同じような森林の状況であったと考えてしまう人が多いのではないだろうか? |
引用文献 |