【要請レポート】

第37回土佐自治研集会
第5分科会 人口減少社会をどう生き抜くか!?

災害と地方創生
―― 新潟県中越地震の教訓を地方創生に活かす ――

新潟/公益社団法人中越防災安全推進機構・統括本部長 稲垣 文彦

1. はじめに

 2015年6月30日に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生基本方針2015」では農山漁村に関わる事項として「小さな拠点」の形成(集落生活圏の維持)が示され、そこでは、地域住民による集落生活圏の将来像の合意形成として、「総合戦略」が対象とする5年のうちに、今後の地域の在り方、事業の取り組み方向について、集落生活圏単位で地域住民が主体的に参加し、地域の将来ビジョンを盛り込んだ地域デザインを策定し、事業に着手することが望ましいとされ、具体的取り組みとして、市町村のサポートや、ファシリテーターなど外部専門人材や地域人材等を活用し、地域住民が主体となって、今後の地域の在り方について学び考えていくワークショップの実施を推進する。その際、地域デザインの策定まで長期間を要し得ることを踏まえて支援することと示されている。
 地域デザインの策定に関連して小田切は(1)、地域実践のための「計画づくり」は、今ではどこでも行われている。しかし、ともすれば計画づくりそのものが目的化したり、逆に「計画慣れ」した地域が形式だけの計画をつくったりするケースも見られる。その点で、「計画づくり」は難問であり計画はその中身が常に問われると指摘する。
 中越地震により農山村の人口減少が加速した。震災前からの地域の課題が災害により顕在化した。これに対し様々な集落再生の支援がなされ、ここから「集落再生には段階がある」という考え方が導き出された。この考え方は、現在では震災復興に留まらず平時の集落再生の考え方にも影響を与え、小田切(2)は集落再生プロセス(概念図)を示している(図1)。その段階とは①住民の依存心や諦め感等を払拭し当事者意識を醸成する段階、②住民の主体性と共通認識が生まれる段階、③集落の維持活性化に向けた継続的活動を進める段階である。
図1 集落再生プロセス(概念図)筆者一部修正
 この考え方のもと新潟県では集落再生施策が展開され、その主なものは1段階を支援する「地域復興支援員」、2段階を支援する「地域復興デザイン策定支援」、3段階を支援する「地域復興デザイン先導事業支援」である。地域復興デザイン策定支援の目的は被災地域の自立的復興のため地域特性を活かした復興事業プラン策定に取り組む集落等に対してコンサルタント等の導入によるプランのイメージングを支援し、住民起業や地域連携の動きを加速させることである。ここで中越の集落支援の考え方と小さな拠点形成の進め方を先の集落再生プロセスの考え方をもとに整理する(図2)。ここから小さな拠点形成の進め方は、中越の集落支援の考え方に似ていることがわかる。
図2 中越の集落支援と小さな拠点形成の考え方の整理
 2016年度より地方版総合戦略が始動している。各地の農山漁村でも地域デザインの策定が進められるであろう。しかしながら小田切が指摘するように計画づくりは難問で、どのように進めれば良いか悩む関係者も多いだろう。そこで本稿では、中越の被災集落が取り組んだ地域復興デザイン策定の教訓をもとに小さな拠点形成に向けた地域デザインの策定をどのように進めていけば良いかを考えていく。

2. デザイン策定までの活動プロセスと評価の手法

 被災した60超の集落がデザイン策定に取り組んだ。しかしながら全ての集落でうまく進んだわけでもない。本稿では中でも策定がうまく進み2018年現在でも地域活動が継続する4集落の策定までのプロセスを紹介する。4集落の概要は図3の通りである。ここで注意してほしいのは集落規模が50世帯以下であることである。小さな拠点形成は集落生活圏単位であるので、この事例から導かれた時間や数値がそのまま当てはまらないことに注意してほしい(特に対象が複数集落となるため住民の共通認識が生まれるまでの期間は長くなると予想される)。
図3 4集落の概要
 5つの指標とは①外部者の関与の有無、②活動で住民の成功体験が生まれたか否か、③複数の住民の共通体験がある活動か否か、④活動で住民の主体性が生まれたか否か、もしくは住民主体の活動であるか否か、⑤活動で住民の共通認識が生まれたか否かである。この指標のもと有識者等が集落の取り組みを評価し、あった場合は0.1、なかった場合は0、阻害した場合は-0.1の得点をつけていく。図4は木沢集落の1年間の活動プロセスシートである。このシートをグラフ化したものが図5である。木沢集落以外のシートはここでは示さないが、同様の作業が行われている。なおこの評価は2005年1月から2008年3月までの活動を対象に行われている。ちなみに図8は住民主体の地域づくりがうまく進まなかった事例である。A集落は、コンサルタントが入り月1回程度の集落役員と行政担当者の会議を約半年間継続していた。その他の外部との交流や住民の地域活動はわずかであった(後にコンサルタントを変え、寄り添い型支援を行ったうえで、デザイン策定に取り組んでいる)。
図4 木沢集落の活動プロセスシート

図5 木沢集落の策定までの活動プロセス

図6 池谷集落の策定までの活動プロセス

図7 若栃集落の策定までの活動プロセス

図8 A集落の活動プロセス

3. 3集落のデザイン策定までの活動プロセスの比較

 3集落のプロセスを比較する。Ⅰ~Ⅲの期間が寄り添い型支援の期間にあたる。この期間ではどの集落も外部者の関与のもと住民の小さな成功体験や共通体験を重ねる取り組みが行われている。この間のⅡは現場担当者が参与観察する木沢での住民意識の転換点から推測した(積算値1.9)。担当者は当初の住民の話し合いで「役場はいつになったらあの道を直すんだ」といわれていた道は二子山遊歩道であった。村を訪れる大学生らに「(地域の宝である)二子山に登ってもらいたい」と考え、「自分達で直せばいいんじゃないか」と自力復旧した。以降木沢では内発的な取り組みが展開されたと述べる(3)。同様の1.9の積算値付近で他の集落でどんな出来事があったかをみると池谷では交流会の中でボランティアの「(この集落には)多くの宝物があったが地元の人々が何よりの宝物です」の発言に対し「こうして足を運んでくれる皆さんが我々の宝です」と住民が発言している(1)。若栃では初めて民泊の受入を行い、その振り返りで「新しい風が若栃に小さな成功体験をもたらし、いい顔にしてくれた」「もっと沢山の人と次もやってみたい」と住民が発言している(1)。3集落では同様に1.9の積算値付近(池谷2.2、若栃2.1)で住民の主体性の萌芽を感じさせる発言が確認できる。
 Ⅲ~Ⅳ+デザイン策定の期間が主体性と共通認識が生まれるまでの期間にあたる。3集落ではデザイン策定に取り組む前に住民(全員でなく、地域活動の主要メンバー)の共通認識づくりを意図したワークショップが、外部支援者がファシリテーターとなり複数回行われている。それが開始されたタイミングがⅢである。木沢ではこの取り組みから「体験交流事業を通した定住と永住の促進」という目標を設定し達成のためのルールがつくられている(1)。池谷では取り組みの中で、ある住民の「ほんとはこの村を残したいんだ」という発言に多くの住民の賛同が得られている(1)。若栃では取り組みから3つの理念(超進化し夢語る暮らし、人に温かく寄り添う暮らし、自然と共にある種まく暮らし)と活動方針・計画が生まれている(1)。その後3集落ではこの共通認識をもとにデザイン策定が進められ、より多くの住民との共通認識づくりや事業に精通する専門家を交えた話し合いによる事業計画のブラッシュアップ等が概ね2年間進められている。3集落では同様にワークショップにより住民の主体性が確認され共通認識が生み出され、言語化されていることが確認できる。

4. 震災前の地域づくりが震災後に与える影響の分析

 地域復興デザイン策定支援は復興の取り組みが先行していた法末集落の再生計画づくりが模範となり導入された。法末の策定までのプロセスを(図9)に示す。法末は1988年から旧小国町と農村生活総合研究センターにより推進された集落活動計画事業に取り組み、震災まで廃校を活用した都市農村交流等を継続していた。三橋は(4)、34か月に及ぶ活動をまとめ、その進め方について全世帯を対象とした意識調査を実施して10年後の将来像を住民の間で共有することを意図した。更にワークショップ方式による環境点検並びに座談会で集落空間に対する再認識等をうながした。そして最終的に策定まで至ったと述べる。
図9 法末集落の策定までのプロセス

図10 一例としての法末集落と木沢集落との比較

 震災前から地域づくりに取り組んでいた法末集落と取り組んでいない3集落のプロセスを比較する。法末は地域づくりの取り組み開始から10か月後にワークショップを始める。他は木沢23か月後、池谷17か月後、若栃16か月後である。また法末は積算値1.6でワークショップを始める。他は木沢3.7、池谷4.7、若栃2.9である。この比較から震災前の地域づくりの有無は、震災後の取り組みに影響を与えていることがわかる(図10)。そして法末の震災前の地域づくりは、積算値を地域力と読み替えるならば、他の集落との地域力の差を+1.3~3.1生みだし、それにより取り組みが半年~1年早く進んだと推測できる。ちなみに法末の地域づくりの取り組み開始は、法末振興組合長(集落活動計画事業により設立された組織)の「やまびこ(廃校を活用した宿泊施設)が復旧しなければ集落がバラバラになり過疎が進み集落の火が消えてしまうかもしれない」という危惧から(5)発せられた「やまびこが集落の元気の源である」の一言がきっかけとなり始まっている(1)

5. おわりに

 地域づくりの経験のない集落では取り組み開始から策定開始まで平均30か月、その後策定期間が概ね24か月、計54か月かけている。その内、取り組み開始から平均18.7か月は寄り添い型支援のみが行われ、推測では主体性の萌芽まで平均9か月かかっている。ここから策定には長い時間がかかること、そして寄り添い型支援が欠かせないことがわかる。その意味で創生基本方針の「総合戦略が対象とする5年のうちに」の記述はある意味妥当で、関係者は「5年のうちに」でなく「5年をかけて」と読み取り、小さな拠点形成に向けた地域デザインの策定を進めるべきだろう。また国はPDCAサイクルの確立が重要であるとする。創生基本方針の地域住民が主体的に参加し、地域デザインを策定し、事業に着手することが望ましいという考え方に沿うならば、どんな事業でいくら稼いだかの評価は後に必要となるが、まずは住民の主体性に重きをおくPDCAを考えるべきであろう。これには中越の評価の試みが参考になろう。仮にこの事例に基づき集落の地域デザインの策定数○箇所というKPIを設定する場合、○箇所に対し、取り組み開始から9か月後に住民の主体性の萌芽を確認し、30か月後に策定を開始し、その後24か月をかけ策定を進める計画を立て(P)施策を進め(D)進捗を積算値で確認し(C)齟齬があれば改善をしていく(A)サイクルが考えられる。関係者にはこれを参考に独自のPDCAサイクルを模索してほしい。またシートの継続活用で傾向が表れ、それをもとに住民の主体性を評価するKPIを作ることも可能となろう。




引用・参考文献
(1)稲垣文彦他(2014):震災復興が語る農山村再生 地域づくりの本質。コモンズ。pp.256-264、pp.64-150。
(2)小田切徳美(2014):農山村は消滅しない、岩波書店、p165。
(3)中越防災安全推進機構他(2015):中越地震から3,800日 復興しない被災地はない、ぎょうせい、p206。
(4)三橋伸夫他(1990):農山村集落における地域資源を生かした活性化対策に関する研究その1-新潟県小国町法末集落の事例、日本建築学会大会学術講演梗概集(中国)、pp.965-966。
(5)法末集落(2015):和 震災復興法末の10年、pp.16-17。