1. はじめに
少子高齢化や人口減少、地方経済の疲弊、更には行財政改革による地方交付金の削減や現業自治体職員の削減など公共サービスが2000年代に入り、需給調整規制の廃止により、憲法25条で定めてある「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」の意義をしっかり捉えておかなければならない。
地域公共交通の維持、確保については、2000年3月に施行された「鉄道事業法の一部を改正する法律」と2002年2月に施行された「道路運送法及びタクシー業務適正化臨時措置法の一部改正する法律」の成立以降、退出要件の大幅な緩和に起因して、地方鉄道や地方乗合バス・タクシー事業者の撤退が進行した。近年は都市周辺部においてもバス路線の休廃止が相次ぎ高齢者や障がい者の通院、買い物、通学生の足にも影響が生じるなど「移動権」が大きな社会問題になっている。
国は、地域公共交通の維持に困難を生じているこのような社会情勢から地域住民の自立した日常生活及び社会生活の確保や活力ある都市活動の実現、観光、地域間交流の促進を図る観点から2007年5月に「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」を制定させた。同法に基づき国土交通省は、「地域公共交通確保維持改善事業費補助」制度を創設し、毎年300億円程度の予算化を行っているが道路関係予算と比べてみるとわずか1.8%に過ぎず、地域公共交通の安定した供給が図られる予算の拡充を求めたい。
また、2013年12月4日、第185回臨時参議院本会議において、「交通政策基本法」が可決・成立した。このことで地域公共交通に対する各種施策の期待がなされている。特に、自治体に対し、「自然的経済的社会的諸条件に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」と規定されており、全国的に条例策定を促していることから、公共交通の重要性の認識が高まることに期待したい。
本稿では、2000年代に入り規制緩和後の地方の公共交通が疲弊した現状を認識し、更に運転士不足による地域公共交通が維持できない状況下にある中「このままでは、地域住民の足は守れない……公共交通の新たな挑戦」をテーマに利用者の切実な願いを交通施策に取り入れることで過疎地域の交通システムを作り育てるための取り組みや課題を紹介し、一人でも多くの移動制約困難者である交通弱者の足を守るための施策を探る。その過程で、地域住民、事業者、行政が密接に関わり、共有化することで「絆」を深め、地域幸福量の最大化を追求しながら持続可能な地域社会を求めたい。
幸福量へ繋ぐ施策1:「地域公共交通の現状と課題を活かす取り組み」では、高齢化社会による社会保障費の拡大や老朽化に伴う下水道の財政負担による財政赤字に加え、路線バスの維持するための補助金の支出など、どこの自治体も同じような問題を抱えているなか、いち早くジャンボタクシー(10人乗)を活用し、地域のコミュニティを確立した熊本県玉名郡長洲町の「きんぎょタクシー」を紹介し、財政的課題から交通施策を「オーダーメイド」と捉えるまでの考え方や取り組みを紹介し、地域公共交通の再生を探る。次に、幸福量施策2では、熊本地震から2年が経過し、復興も道半ばであるがいち早く、通学生の移動権の確保の働きかけを行った所、2日目にはタクシーによる個別対応が可能となった。何が個別対応を可能にしたのか、「ひとりの通学生の足を守る取り組みから見えてくる公共交通の便益的な価値」を考察したい。最後に2018年4月自治研でも取り上げられた「幸福度とまちづくり」を参考に熊本県内の震災前震災後の幸福量を検証しながら熊本地震から2年が経過する中、多くの自治体は復興予算の財源が乏しく、地域住民への公共サービスの低下による、地域住民の不安・不満が生じており、求められるサービスの多様化などによる幸福量の数値の変化や家族の絆、地域での絆、による、県民幸福量(AKH)の数値を検証し、地域満足度を高められるための工夫とは何かを探り、考察する。
2. 幸福量施策1:「地域公共交通の現状と課題を活かす取り組み」
(1) オーダーメイドで仕立てた熊本県玉名郡長洲町のきんぎょタクシーの施策とは
熊本県玉名郡長洲町は、熊本市の中心市街地から北西に向かって、JR鹿児島本線で45分、クルマで50分足らず、有明海に面した北西部に位置しており、人口1万6,000人、世帯数6,800世帯が暮らし、町面積は、19.44平方キロメートルで熊本県内でも嘉島町に次ぐ小さい町で高齢化率が約30%と高くなっている。(図1)
きんぎょタクシー導入前は、4路線のバス路線があり、長洲町民の大切な足として担っていたが、年々バス路線からの利用者の減少に歯止めが掛からず、廃止も含めて検討された。(図2)(図3)
また、長洲町は、下水道整備による赤字が21億円あり、財政の立て直しを図り、更に高齢社会に対応できる交通システムの構築をめざすなかで、職員自らの創意工夫で「空気を乗せて走るバス」から「地域住民の心と絆を運ぶ」きんぎょタクシーが生まれた。平成23年9月までは、産交バスが4路線運行されていたが補助金の大きかった2路線(①健康福祉センター環状線が895万円、②長洲・荒尾環状線が618万円)の合計が1,500万円あり、解消する目的で長洲・荒尾地域活性化協議会や町独自の住民アンケートを実施した結果、56.5%の住民の方が路線バスを必要であると回答し、約80%の方々が財政負担を伴わない公共交通の改善と維持を求められた。(図4)
更に地域住民や町議員から出された意見を集約した結果、クルマを持たない移動制約者の足を最優先に確保するとし、特に高齢者や通学生の通院・通学・買い物や習い事などの移動手段として、最大限供給に対応すべきと結論づけられた。また、既存のバス2路線の見直しについては、1,500万円の補助金を長洲町が負担していたことから、その金額以下で検討、高齢者からは、できる限り家から利用できる要望等が多くなされ、フルデマンド型の予約型の乗合タクシー(10人乗)の運行が平成23年10月から2台で開始された。
(2) 運行概要
運賃は、長洲町内であれば「家から家」「家から病院」「家からスーパー」「家から学校」など1乗車200円。また、長洲町は隣の荒尾市と経済圏を共有しており、大型ショッピングモールや市民病院、警察署など住民の生活ニーズにあわせて、1乗車400円。ちなみに路線バスは、430円である。
運行時間は、午前中が8時、9時、10時、11時。午後が1時、2時、3時、4時の8便を2台で運行している。
予約は、午前8時の便のみ前日の午後4時半までに事前に電話予約が必要で、そのほかの便は、利用の30分前までに電話予約で乗車できる。
電話予約システムは、NTTと長洲町独自に開発され、事前登録すれば電話をかけると地図システム上に利用される家が出て、目的地をルート化され、同じ時間帯に予約したすべての利用者の運行ルートをコンピューターが一番効率の良いルートを計算し、オペレーターが迎えに行く時間、目的地までの到着時間を再度説明する仕組みになっている。(図9)
(3) 運行状況
登録者の推移を見てみると運行から10か月間で2,621人が登録されており、世帯数で割ると全世帯の4割の方が登録されていることになり、関心度、利用度の高さが窺われる。(図5)
年間別利用者数を見ると10代の利用者が一番高くなっている。理由は荒尾市にある支援学校に通う学生が利用せれており、通学生の貴重な足になっている。次に、80代、70代の高齢者が通院、買い物、金融機関に利用されている。(図6)
(4) 利用状況・経費内訳
廃止された路線バスの年間利用者数は、約8,000人であったが、きんぎょタクシーは、年間約12,000人とこれまでよりも約1.5倍の利用者増となり、当初目標にしていた5年後に10,000人を1年で達成している。(図7)
経費についても、長洲町の財政負担は結果的に1,500万円から900万円の負担に軽減され、600万円の経費削減と新たな運賃収入350万円を加えると1,500万円から550万円に削減され、約1,000万円の経費削減に繋がった。(図8)
中逸長洲町長は、きんぎょタクシーの見直しのコツを地域特有の文化や特色を始め、利用者が、何を求めているのか時間をかけ、地域住民からアンケート調査や直接聞き取り・意見交換を行っている。この様な地道で地域住民の本音を聞き出すことが最も重要であり、長洲町を仕立て服に例えるならば、お一人おひとりから切実な意見を聞く(寸法を測り)、オーダーメイドで仕立て、その地域にあった色合いとして10人乗りのジャンボタクシーを選択された。(図10)
全国で先駆けて走らせた「ムーバス」は、幸せを運ぶことをコンセプトに故岡並木氏が企画・設計された。その後、全国にコミュニティバスが次々と誕生している。誕生することは、歓迎するものであるが、多くの地方都市から誕生したにもかかわらず、きちんと地域の寸法を測らず、既製品で賄おうとすることから、うまくいかず数年で撤退する自治体があり、残念でならない。旧都市交時代、岡先生と懇意にさせて頂き、福祉と公共交通を学ばせて頂いた。特に高齢者などの交通弱者に対する深い愛情には感銘を受けたものだが、きんぎょタクシーには、地域愛が感じられ、地域住民の利用者が自分の体の一部の足として利用されている。また余談になるが引きこもりだった、支援学校に行く子どもがきんぎょタクシーのおかげで今では元気に通学されており、外に出やすい環境を整えることで高齢者の女性が10年ぶりに化粧して、買い物に出かけるようになり、生きがいを感じている。この様なことが幸福量に繋がり、医療費の軽減、寝たきり老人の減少、町の活性化、家族の送迎への負担を軽減するなどクロスセクター効果があらわれている。
まさに、国が進めようとしているまちづくりの尊重がこのきんぎょタクシーであり、何よりも自治体・事業者や利用者の負担から言えば、運賃が値上げされても仕方ない状況にもかかわらず、行政の補助金が半分に減り、事業者も納得した上で利用者とも上手くいっている成功例である。
3. 幸福量施策2:熊本地震からの軌跡「ひとりの通学生の足を守る取り組みから見えてくる公共交通の便益的な価値」を考える
熊本地震は、震度6弱以上が7回、震度7以上が2回発生し、余震は15日間で1,028回観測されるなど歴史上に例がない震災だといわれている。震度6弱に見舞われた人口は、熊本県の総人口の実に83%に及び、県民の約10%、18万3,000人が避難する事態になり、これは阪神・淡路大震災の約2倍にあたる。被害状況も図1~図6で分かるように甚大な被害を及ぼしたため、誰もがこれまで通りの日常生活ができることをあきらめていたように思える。
震災から2年が経過する中、行政・自治体・地域でのささえあいは、次第に弱者に対する配慮に代わり、着実に一歩ずつ復興を成し遂げようとしている。とりわけ、公共交通の復旧・復興からみた、移動権の重要性を取り上げ、小さいことの積み重ねが行動に移り、これからの教育思想にも多大な影響を与えたことから「交通と教育」とのかかわり方を阿蘇地域から熊本市内方面へ通う生徒たちを通じて考察したい。
熊本地震では、多くの地域において、生活路線が寸断された。特に、阿蘇地域においては、阿蘇大橋、立野橋等が大きな被害を受けたほか、JR豊肥線、南阿蘇鉄道が甚大な被害を受けたことにより、高校生の通学生だけでも約250人以上が通学できない状況に陥った。
熊本県教育庁は、通学生の足を確保するため、高森町、南阿蘇村からの通学生については、震災から約20日間後の5月9日から臨時バスの運行に加え、産交バスの「高森号」の再開とあわせ、一応の通学手段が確保された。しかしながら、迂回ルートを走行するため、家族も生徒も午前4時30分頃起きなくてはならず、更に熊本市内の定時制の高校に通う生徒は、昼間は働き、夜学校が終わる頃には、帰る便がない状況であるがため、下宿するか退学するしかない状況が生じていることの相談を熊本県高等学校教職員組合から受け、熊本県自治研センターの坂本 正理事長(熊本学園大学元学長)と熊本県教育庁へ要望を行った所、わずか2日後には、タクシーによる個別対応への実現に繋がった。(図7)(図8)
(1) なぜ、2日後に個別対応できたのか
熊本県教育庁では、2016年4月の熊本地震発生後、現状の把握と学校の被災状況にどう対応するのかを被災経験がない状況のなかで手探りの状況から、先生・生徒の安否確認を行うなかで、「学校をいつから再開させるのか」、「避難所に指定してある学校の対応をどうするのか」準備を進める上で被災していない学校や再開可能な学校については、5月10日を目途に各課との協議の末、再開させることを決定した。
準備を進めているうちに阿蘇地域から熊本市内に通う生徒は、最大公約数でバス路線を確保することで通学路の経路の検討が進められていた。進めているうちに定時制に通う生徒の帰宅できる便がないとの相談が学校・職員からもあり、教育庁としては、個別対応には、なかなか判断ができかねないとしており、ジレンマを抱える中、若い担当職員だけは、「これは、絶対見捨ててはならない」という思いで、いつでも対応できるよう準備をしていた。
そのような時期に後押しをするかのように、要望書を我々が提出、マスコミ等に大きく取り上げられたことも後押しし個別対応へ繋がった。震災後、個々のニーズが多様化し、混乱している中で冷静かつ弱者に対する思いやりに結びつく行政、教育庁、学校現場、生徒、保護者、事業者と労働組合、マスコミが一体となって、ひとりの生徒を「必ず卒業させてあげなければならない」との思いを共有化したことは勿論のこと、多くの県民の良心がさせたものと信じている。
(2) 教育と公共交通は一体である
震災後、南阿蘇地区では、代替えのバス事業者の変更がなされた。その際、これまで運行されていたバス事業者の乗務員へ通学の生徒から感謝の気持ちとして花束が贈られた。通学している生徒は、毎朝4時半に起き、不便な生活をされているにもかかわらず、それでも、通学ができる喜びが増し、「感謝」としての表れになった。熊本県教育庁からもこの引継式に立ち会われた際、教育長からこの様子を直接見られ、涙ながらに「教育と公共交通は一体なんですね」とささやかれている。実は、被災を跳ね返しているのは、むしろ通学生の「心の行動力」だったのかもしれない。
また、なぜ、阿蘇地域から大津や熊本市内の高校に通わなければならないのか、それは、高校の科目であるとか進路の問題から進学校をめざしていることが要因として考えられる。阿蘇地域には、阿蘇中央高校と高森高校があり、空き教室を有効に活用、新たなカリキュラムを作り、阿蘇地域に住んでいても熊本市内の進学校に行かなくてもしっかり学び、めざす大学に進学できる環境を整備することも検討されている。
このように、公共交通は社会のツールと言われているが、幸福量を最大限に高め、「絆」を育む「地域社会のもっとも大切な装置」であると言える。阿蘇地域の復興は、着実に進んでおり、時間が経過すれば、先人のこのような、支えあいの精神や気持ちも忘れ去られていくだろう。しかし、このレポートを通じて、阿蘇地域の通学生の足を守ることで幸福量の糧となったことを歴史に刻んでおきたい。
4. 最後に 「熊本地震から2年……県民幸福量(AKH)の数値を検証し、地域満足度を高められるための工夫とは何かを探る」
熊本県しあわせ部では、平成24年度から県民アンケート「県民の幸福に関する意識調査」をし、調査結果に基づいて「県民幸福量(AKH)」を算出し、次年度からの推移、地域別や年齢階層別に分析を行っている。このAKHは、蒲島県政の基本理念である「県民幸福量の最大化」の考え方を県民と共有し、効果的な施策につなげることを目的として、熊本県が独自に作成する指標である(Aggregate Kumamoto Happinessの略称)。幸福の要因を「夢を持っている」「誇りがある」「経済的な安定」「将来に不安がない」の4つに分類し、それらをどの程度重視するかという「ウエイト」や各分類に属する項目の「満足度」を県民アンケートで測定し、それぞれを掛け合わせて合計する仕組みがとられている。ここでは、熊本地震から2年が経過し、節目として震災前の平成27年度と震災後の平成29年度を比較し、クロス集計結果の移り変わりから、各地域において地域住民とのかかわり方を考察する。
(1) 全体集計結果
① 全体の県民幸福量は、平成27年度68.2だったものが、震災から1年後の数値(平成29年度)は、68.9で平成24年度調査以降、震災に見舞われたにもかかわらず、過去最高の数値を記録している。
② AKHに占める「4つの分類」ごとの数値(満足度×ウエイト)の割合は、平成27年度は「夢を持っている(26.1%)」⇒「誇りがある(25.5%)」⇒「経済的な安定(24.5%)」⇒「将来に不安がない(23.9%)」の順になり、「夢」「誇り」が「経済」を上回った。震災後の平成29年度は、「経済的な安定(26.0%)」⇒「夢を持っている(25.3%)」⇒「将来に不安がない(25.0%)」⇒「誇りがある(23.7%)」の順位にかわり、「経済」が「夢」「誇り」を上回る結果になっている。
③ 「満足度」の数値は、平成27年度「誇りがある(11.7)」⇒「将来に不安がない(10.0)」⇒「夢を持っている(9.9)」⇒「経済的な安定(9.5)」の順で平成29年度「誇りがある(11.5)」⇒「将来に不安がない(10.3)」⇒「夢を持っている・経済的な安定(9.9)」と満足度の順位はほぼ変化は見られない。
④ 「ウエイト」の数値は、平成27年度「夢を持っている(2.70)」⇒「経済的な安定(2.64)」⇒「将来に不安がない(2.44)」⇒「誇りがある(2.23)」の順から平成29年度は「経済的な安定(2.72)」⇒「夢を持っている(2.64)」⇒「将来に不安がない(2.51)」⇒「誇りがある(2.13)」と経済的な安定のウエイトが震災後、高い傾向になった。
⑤ 「直観的な幸福度」についてでは、幸せだと感じている県民の割合「感じている」「やや感じている」の合計は平成27年度73.5%に対し平成29年度は73.4%で0.1%下がっているが震災後の大幅なマイナスには繋がっていないことがわかる。
(2) 属性別のAKH(クロス集計結果)について
① 男女別では、平成27年度は、男性(68.5)、女性(67.9)で男性の方が高かったのに対し、平成29年度は、男性(68.5)、女性(68.9)と女性の方が高くなっている。
② 地域別の高い順位では、平成27年度は、「阿蘇地域(72.1)」⇒「球磨地域(70.2)」⇒「上益城地域(68.9)」⇒「鹿本地域(68.6)」⇒「天草地域(68.2)」と県の平均を上回っている。平成29年度では、「菊池地域(70.9)」⇒「阿蘇地域(70.8)」⇒「鹿本地域(70.2)」⇒「天草地域(69.7)」⇒「宇城地域(69.2)」が県の平均を上回った。
③ 年齢階層別を見てみると平成27年度は、20歳代が最も高く、50歳代が最も低くなっているのに対し、平成29年度も20歳代が最も高く、50歳代が最も低いのは変わらないが、20歳から40歳代、60歳代まで数値が上昇しており、50歳代、70歳以上が低下している。
(3) 熊本地震から見た地域幸福量の検証と課題
熊本地震を受け、震災前の平成27年度よりも平成29年度の方が幸福量が0.7増し数値が伸びていることに正直、驚いた。要因としては、4つの分類のウエイトのうち、「夢を持っている」「誇りがある」が伸びており、あくまでも私見であるが、県民の多くは、震災後の復興に対して、後ろ向きな方よりも前向きな考え方をする方が多く、更に復興が進むにつれて、地域の「絆」が芽生え、地域間の誇りへと繋がっているように思える。その中心的な輪に女性のコミュニケーション能力が充分発揮されて、女性の数値が高くなっている。
震災の被害が大きかった上益城地域は、平成27年度は高い地域であったが、今回の調査ではやはり低い結果となっている。阿蘇地域については、数値が下がったものの、全体の平均値を上回っていることから「地域によって求める幸福の形は異なる」ことが言える。また、今回は、被災し、生活再建のために(経済的な安定)が高くなっている。被災当時は、多くの住民が避難所生活を余儀なくされ、将来の住居を含む生活再建に不安が募っていたがある程度の再建への目途が立ち、安心感からの幸福度のウエイトを高めたと思われる。そこには、全国からのボランティアスタッフや支援物資などのお見舞い等に対する感謝の気持ちも含まれていると思われる。
今回の調査をもとに言えることは、「幸福の要因として、非経済的な要因が重要である」「地域によって求める幸福の形が異なる」ことから地域での幸福量を求める指標や目標も当然変わっていいと考える。
問題なのは、この熊本県の指標をもとに、各地域の自治体がこれまで経験したことのない少子高齢化社会を迎えるなかで、将来に対する社会保障費、年金、医療費の不安をできる限り払拭し、持続可能な地域社会の実現をするための自治体の責任を明確にしなければならない訳であるが、その地域で暮らす住民一人ひとりが互いを理解し、支えあいながら「笑顔」を絶やすことのないようにしなければならない。そのためにも求める幸福量の最大化、実践するまでの自治体と地域住民、事業者などのかかわり方を共有化し、「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」の精神で取り組みが地域間に広がっていくことを願う。
最後に、身内の出来事であるが、震災前に高校生の次女に命の次に大切なものは何か、尋ねたことがあった。次女は「携帯電話」だと答えた。震災後、同じことを尋ねると「家族」に変わっていた。熊本県幸福量が震災前よりも若干高くなったのは、各家庭において、同じ共有する時間を過ごすなかで、助けあい支えながら、バラバラに過ごしていた時間を共有化することで、家族愛が増し、全体の幸福量が高まったと推測する。
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