【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
第7分科会 すべての人が共に暮らす社会づくり

 障がい者差別をなくす条例の成立によって何が変わったのか。障がい当事者と家族の働きかけと協力によって条例をつくった大分県と別府市の条例づくりと成立後の取り組みを報告する。「親亡き後」「学校・幼稚園訪問授業」「防災」などの取り組みが行われている別府市、「障がい者権利擁護・差別解消推進センター」が設立された大分県。障害者や家族や市民が積極的かつ継続的に関わることで自治体の可能性が広がっている。



障がい者と自治体をつないだ条例づくり
―― 市民としての障がい者の可能性 ――

大分県本部/大分県地方自治研究センター・社会保障専門部会 小野  久

はじめに

 大分県では2013年別府市、2016年大分県、2017年杵築市、2018年日出町で障がい者の差別をなくし、障がいがあってもなくても安心して暮らせる地域づくりをめざす条例が制定された。その底流には、国連障害者権利条約による「社会モデル」定着の世界的な流れととともに、地域における障がい当事者による取り組みがあった。
 障がい当事者の動きは、条例制定後も「防災」「親なき後」など、具体的な課題の解決にむけて協働を進める取り組みにつながっている。一方で自治体職場のなかには「条例の策定は負担が大きい」「条例を制定しなくても十分対応できる」という声も聞かれる。障がい者と家族が抱える課題と自治体職場が抱える課題がかみ合っていない現実がある。
 私は19年間、市民の立場から「障がい」という問題に関わってきた。それは何より障がい当事者と家族の声を聞いて共有することだったが、同時に市民のあり方を考えることであり、自治体行政のあり方を考えることでもあった。障がい当事者が自ら発信することは少ない。市民の多くは障がい当事者のことを知らない。自治体職員も多くは知らず、知っていても窓口に申請や相談にきた障がい者や家族のことしか知らない。それは対立状況を生みやすい。しかし、条例づくりに障がい当事者や家族らと自治体職員が一緒に関わることによって、理解が生まれ協働の可能性が広がった。
 「障がい」という問題、「条例づくり」、そして自治体職員の抱える課題の一端にも触れながら、障がい当事者参加による条例づくりの意義について考えてみたい。

1. 「障がい」はだれの責任か―「社会モデル」の意味すること

(1) 心中事件を防げなかった
 条例づくりのきっかけになったのは在宅障害者支援ネットワーク(以下、在宅支援ネット)だった。在宅支援ネットは1998年に大分市で起きた心中事件をきっかけにつくられました。70代になって病気をして「障がいのある子を1人残していけない」と思い詰めたお母さんが子どもと一緒に死のうとする。お母さんは偶然生き残り、市民から「お母さんは悪くない」と同情が寄せらる。市民の脳裏には亡くなった子どもの存在はなく、事件を防ぐことができなかったことへの悔いも見られなかった。そのことを市民として考えようと、裁判を担当した徳田靖之弁護士の呼びかけでシンポジウムが開かれ、参加した私は在宅障害者支援ネットワークの設立に参加し、事務局を担当することになった。
 私はそれから、たくさんの障がいのある子のお母さんたちに出会った。お母さんたちは口々に「私も子どもと一緒に死のうと思ったことがある」と話した。それは私にとっては衝撃だった。「夫の親から『うちの家系には障がい者はいない』と言われた」、「親の育て方が悪いと言われた」…… 障がいがお母さんの責任にされる構図があった。それは社会が、障がいを本人と家族の頑張りに任せていたからだと感じられた。

(2) 障がい者と家族の声+「社会モデル」=条例
 今は、国連障害者の権利条約(1996年)に基づいて「障がいをつくるのは社会」という考え方(社会モデル)に変わっている。本人や家族の責任ではないことが原則として示されている。しかし、その考えは法律(障害者差別解消法)ができてもなかなか浸透しない。「障がい者や家族には『まわりに迷惑をかけないように』という気づかいがあり、そのため病気をすることもある」「精神障がいは、差別というより、偏見、無理解、無知だ。まわりに気を遣いすぎて名を出せない人が多い」などの声も聞いた。
 つらい現実を伝えられない、理解されない現実があった。障がいは障がいがない(と思っている)人には他人事だからだろうか。このため、障がいがある人やその家族は理解を得られないと感じ、自分たちで抱え込む傾向がある。そうすると適切な支援を受けられず、孤立することになる。
 「社会モデル」の考え方が浸透すれば、障がいのある人も家族も普通に生きられる可能性が広がる。そのための手段として条例は有効ではないか。千葉県など数県で条例がつくられ成果も期待されていた。自分たちの住む地域で、障がいのある人が参加して、「障がい」の考え方を変える条例をつくることができる―「自分たちの手で大分県に条例をつくろう」という声が広がってきた。
 条例づくりにむけた集まりでは、「交通事故で高次脳機能障害になり2年間施設に入所した。支援を受けて自立生活を始めたが、支援が十分ではない。朝起きる時間、眠る時間は自分で決めたい。私たちの理念が入った条例をつくりたい」「災害の避難場所が少ない。早めに誰もが避難できる場所をつくってもらいたい」「合理的配慮が重要だ。今は会議の会場に行けないこともある。また店も誰でも入れるようにつくることが必要だ」「精神障がいがあるが、普通に働き家庭も持ちたい。このことも条例で配慮してもらいたい」などの声が聞かれた。

2. 条例づくり

(1) 市民の会発足
① 障害者・家族の思い
「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」結成総会
(2011年6月3日・大分市)
 条例についてはいろんな考え方があった。障害者や家族の中にも「条例をつくっても社会が変わるとは思えない」「もっと他のことに力を注いだ方がいい」という声もあった。それに対して「私たちの思いが書き込まれた条例をつくりたい」「条例をつくる過程が大切」「条例ができた後まで取り組めるようにしたい」などの声が出され、「できるだけ障がいのある人や家族の声を集めて、そこから条例案をつくっていこう」ということになり、2011年6月に「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」がスタートした。
 県条例づくりの動きを受けて、別府市でも福祉フォーラムin別杵速見実行委員会の障がい当事者を中心に市条例をつくりたいという声が起きて「誰もが暮らしやすい別府市条例づくりをすすめる会」が翌2012年に発足し、二つの動きは協力し合いながら条例づくりを進めていく。

(2) 障がい者参加の条例づくり
 大分県条例をつくる会の条例案づくりは、障がいがある人や家族を含めたアンケートのまとめ班のメンバーを中心に行われた。前文を中心的に執筆したのは、大分県条例をつくる会の結成総会で「今日、この場に立たせていただいたのは、生まれつき脳性マヒという障がいを持ち、言葉も不自由でうまく話すことができない。片言しか話せないから低く見られたり、軽い扱いを受けてきた。そういう人の存在を皆さんに知ってもらいたかったからです」と発言し、その後、会の共同代表の一人として中心的な役割を果たしている宮西君代さんだった。宮西案の一部を紹介すると「障がいがある夫婦が妊娠した時、まわりから『おめでとう』と祝福されず『自分の事も一人でできないのに、自分で育てられない子を産んだらいけない』と親になることも許されない。『働かないものは死ね』などの存在価値を否定される扱いを受けたり、精神や内部障がいなど外見では分からないため理解されない苦悩。『自立、自立、頑張れ』と激励されるが何をどう頑張ればいいか分からない、あるいは限界があり家に閉じこもりがちになる。『恋愛をしたいが禁止される』、『施設や親元を離れて暮らしがしたいが反対される』等、人としての夢や希望も、障がいがあるが故にあきらめさせられることが多くある」と切実な思いがそのまま書き込まれ、「一人ひとりの存在価値が尊重され、だれでも『必要な社会の助けを借りて自分らしく生きていく』ということが当たり前のこととされ、障がいがあろうとなかろうと、ともに生きていく理解と支援を惜しまない社会を皆で築くことが切に求められる」と結ばれている。この思いを実際の条例にどう盛り込むか、行政との間で大きな対立点になった。
 別府市条例は、市長選挙で「条例制定」を公約した市長が当選したことから、障害福祉課が自立支援協議会の中に24人の委員の約半数が障がいがある人と家族をメンバーにした条例制定作業部会を設けて骨格案策定作業を行った。当初は、障がいがある人や家族の声は軽視されるのではないか、という不安の声もあったが、一緒に作業を進めるなかで、市の担当者の真面目さや行政能力を知り、障がいがある人や家族の声を知ることによる変化も伝わってきて信頼関係が生まれてきた。


(3) 障がい者と自治体の協働
 大分県条例では、議員も会派を問わず障がい当事者の"生の声"を受けとめてくれた。特に親亡き後への不安の声などには心から理解を示し、自治体職員もつくる会が集めた1,200人の声を重視した。しかし、条例にまとめていく作業では法律の枠、そして条例の形式、他の部局との調整、各種団体の意見など多くの壁にぶつかった。
 つくる会が寄せられた声からまとめた「7原則」― ①基本は「社会モデル」、②「合理的配慮」をしないことが差別、③「自立」には手助けが必要、④「親亡き後」の解決を重視、⑤「性・恋愛・結婚……」を盛り込む、⑥障がいがない人も暮らしやすく、⑦"災害"に今から対応 ― は、つくる会条例案ではそれぞれ独立した条文になっていたが、最終的には「県の責務」の項で「県は、障がいのある人の性、恋愛、結婚、出産、子育て、親等生活を主として支える者が死亡した後の生活の維持及び防災対策に関する課題その他の障がいのある人の人生の各段階において生じる日常生活及び社会生活上の課題の解消に努めるものとする」とまとめられた。
 宮西さんの前文案も大幅な変更を余儀なくされ「私たち大分県民は、全ての県民が、障がいの有無によって分け隔てられることなく、教育や就労をはじめ、恋愛、結婚、妊娠や子育て等人生のあらゆる場面において、それぞれの選択を尊重するとともに、相互に助け合い、支え合う社会を実現することを願う」という文章になった。
 つくる会の障がい当事者と家族らは、思いが削られていく度に不満や不安を感じ、担当した障害福祉課の職員は意見の違いのなかで右往左往した。しかし、最終的にはつくる会としても障害福祉課の担当者が努力して思いを受けとめてくれたことに感謝した。そして、その後も協力関係は続いている。

3. 条例制定後の取り組み

(1) 別府市の取り組み
障がいのある人と地域が一緒に取り組んだ防災避難訓練
(2017年1月・別府市)
 2014(平成26)年4月に条例が施行された別府市では、行政が条例にもとづいて「別府市共生社会形成プラン」策定、①障がい当事者による講師団を結成し啓発活動を行う、②小中学校で障がいに対する理解を深める教育を実施する、③「親なきあと等の問題解決策検討委員会」を設置、④ニーズ調査の実施-などの方針のもとに具体的かつ積極的な施策を開始した。
 この取り組みは今も続けられており、2017年度には条例に基づいて「条例研修会(地域)」「新採用職員研修会」「職員研修会」「小学校・幼稚園訪問授業」「災害時要支援者防災」等の事業が行われ、「親亡き後」問題についても2016年の問題解決策検討委員会の報告書提出を受けて具体化の取り組みが継続されている。
 「ともに生きる条例について理解する研修会」は地域の自治会を対象に行われ約50人が参加、条例の概要と地域の人に求める障がいのある人への配慮について説明された。「ともに生きる条例」について理解する職員研修は4回行われ、159人の職員が参加。条例についての説明とともに、条例で設置された障がい当事者による講師団が障がい当事者が置かれている状況や必要な配慮について説明した。「市職員として絶対に受けなければいけない研修」などの感想があった。新採用職員を対象にした研修会には17人が参加、アイマスク体験なども行われた。
 防災については障害福祉課で個別支援計画作成にむけた取り組みが行われるとともに、防災危機管理課が条例を活用して障がい当事者を中心にした団体である「福祉フォーラムin別杵速見実行委員会」と協働して、地域で障がい者や家族、福祉関係者、自治会が一緒に避難訓練を行うなど全国に先駆けるモデル事業を展開している。
 親亡き後については、条例に基づいて「別府市親亡き後等の問題解決策検討委員会」が設置され、障がい当事者や家族を含めて2年間検討を行って提出された「報告書」に基づいて、課題を解決するための取り組みが着実に行われている。
 条例の制定を働きかけた「誰もが暮らしやすい別府市条例づくりをすすめる会」は制定後に解散したが、その母体となった福祉フォーラムin別杵速見実行委員会は積極的な取り組みを継続しており、障がい当事者講師団に参加し、防災事業の主体になるとともに、「小学校・幼稚園訪問授業」を企画から講師派遣まで担当して「子どもの頃から障がいに触れあうことができるように」という条例制定時の願いを実現している。
 障がいがある人とその家族を中心にした市民の取り組みは、自治体との「協働」作業のなかでお互いに成長してきたように思われる。条例づくりは、地域に必要なものは市民が連携して自治体と協働して、自らつくっていくことの重要性と可能性を教えてくれていると感じる。


(2) 大分県条例に関わる取り組み
 県条例による協働事業等は、障がい当事者の発案による「条例お知らせパレード」や研修会以外に目立った取り組みは見えてこない。県条例が市町村条例と性格が異なり地域の具体的な取り組みにただちには結びつきにくいことにもよるかもしれない。
 しかし、条例に基づいて設置された「大分県障がい者差別解消・権利擁護推進センター」には初年度、年間1,000件を超える相談が寄せられた。これは条例に対する期待の大きさを示す数値と考えられるが、対応が課題として浮かび上がった。「差別事案はない」というのがセンターの判断だった。これに対して、「条例を絵に描いた餅にしない」と制定後も取り組みを継続することを決めた条例をつくる会改め「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」(以下、つくる会)は相談の受け止め方に問題があると指摘した。
 一例を挙げると、「選挙の投票に家族と一緒に行った知的障がいのある人が投票を断られた」という相談が支援者からセンターにあったが、回答は「差別ではない」として選管の対応説明をそのまま伝えられた。この対応に疑問を感じた相談者はつくる会に相談し、つくる会として当該選管に質問状を出して話し合いを行った。選管の姿勢は誠実で、障がい当事者や福祉関係者の声を聞き、同じようなことが起きないように職員への周知や障がい者・家族への広報、対応の改善などを行うことになった。この動きは新聞にも大きく報道され、県内各自治体の投票所で障がい者等への対応が改善されるという成果につながった。県としても、相談への対応を改善するためにセンターへの相談内容を県が把握することに変更した。
 このことは行政がダメだと言うことではなく、条例制定を実効性あるものにするためには、障がい当事者の声を謙虚に聞く姿勢を持つことが必要だということを示している。行政の立場から考える場合、条例制定時にできた障がい当事者とのつながりを継続して活用していくことが有効であるように思われる。

4. 自治体職員の課題

 私はこの10年間、大分県地方自治研究センターの理事として地域福祉専門部会に所属して自治体職員の皆さんと一緒に福祉のあり方や協働のあり方について、調査や意見交換を行ってきた。その報告は「市民と自治体職員のための福祉協働ガイドブック―ともにつくる地域福祉」(2014年・大分県地方自治研究センター発行)にまとめられているが、方向性は以下のようなものである。
① 住民には高齢化や過疎をはじめとして多くの困りごとがあり自治体に解決が求められる。しかしすべての課題を自治体が解決することは困難である。
② 一方、自治体にも財政難や人員削減をはじめとして多くの困りごとがある。しかし高齢化や過疎、福祉などの問題に対応するのは自治体の責務である。
③ この困難な問題を解決する有力な方法が住民参加による「協働」である。
 しかし、協働を担うことは簡単ではない。協働を実現するためにはニーズを把握しなければならない、住民の可能性を知ることも必要だ、手法も学ぶ必要がある。自治体職員は多くの仕事を抱えて忙しい。なかなか手がつかない現実があった。
 ところが県内にも「協働」の実践例はあった。担当者や協力者の話を聞くと、喜びや手応えがある。地域のあり方や未来を自分自身で考え、役割を果たしていく、それこそ自治体職員の本来の役割だという指摘もあった。また子育て支援のNPO法人と協力して事業化し、母親の仕事の場として広げていく取り組みのように、一つの取り組みでいくつもの成果を上げている事業もあった。
 障がい福祉の現場は総じて多忙であり、目の前の仕事をやりこなすことに追われる現実がある。だから、障がい当事者らが「条例をつくりたい」と言っても「できません」という対応になりがちだ。しかし、障がい当事者が積極的に働きかけているということの意味を受けとめることも重要だ。これまでの障がい福祉は、障がい者を助けるという発想だったように思われる。しかし、障がい当事者は今「自分たちは助けられるだけの存在ではない」「障がい者も社会をつくる一員だ」と発信し始めている。自治体としてこれを受けとめない手はないと私は思う。
 一緒に考え、一緒に社会をつくりましょう。地域には高齢化や防災などについてこんな困難な問題がある、自治体にも財政的や人の配置でこんな困難な問題があると課題を共有し、一緒に解決の方向を探っていくことで違った視点から可能性が見えてくるように思う。

おわりに

 「人には"ほっとけない精神"がある」と地域で支え合いを続けている人、障がいのある人と家族を会議のメンバーに迎え「思ったことを遠慮せず何でも話して下さい。必要なことは一緒につくりましょう」と呼びかけた自治体職員…。「親子だけで抱え込むと行き詰まる。支援者をうまく使って欲しい」と訴える支援ワーカーの思いも切実な願いだった。私は「障がい」に関わる19年間の取り組みのなかで、どこにも必ずあたたかい人がいるということ、そして人のつながりはあたたかさを広げていくことを知った。
 しかし、まだまだ障がいに対する差別や偏見はなくなっていない。その一つが「障がいのある人は子どもを産んではいけない」「生産性のない人はいらない」などという優生思想だ。そのような考え方が相模原事件を引き起こした。人のいのちが必要だとか不要だとか、誰が決めることができるのだろうか。県条例を働きかけた「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」は2回の「相模原事件を考えるシンポジウム」を開き、「いのちは平等」、そして「生きていること自体に意味がある」と確認し合った。
 条例づくりは、障がい者と家族、自治体、住民が「障がいをつくるのは社会」であることを確認し合い、安心して暮らせる地域をつくるためには「障がい」をみんなの問題として取り組んでいくことが大切であることを共有する過程だった。
 条例づくりに取り組んだ障がい者と家族は動き続けている。その声、その動きに触発されて、地域も自治体も少しずつ変わってきている。声を上げること、あきらめないこと…小さな取り組みの積み上げが地域を変えていると実感できるようになった。