【論文】

第37回土佐自治研集会
第7分科会 すべての人が共に暮らす社会づくり

 日本の医療保障は、国民健康保険制度が中心的な役割を果たし、国民皆保険が成立したとされているが、実際は全国で389万世帯が国民健康保険料を滞納し、保険者証を受給できない無保険者が存在し問題となっている。そこで国民皆保険の成立過程と意義を踏まえたうえで、国保制度の構造的問題点とその背景にある国の社会保障制度改革の特徴とその限界を指摘したうえで、国家責任としての国民健康保険制度のあり方を考えたい。



国家責任としての国民健康保険制度のあり方


高知県本部/高知市職員労働組合 津嘉山 周

1. はじめに

 日本の医療保障は、公的医療保険において国民健康保険(以下 国保とする)が中心的な役割を果たし、国民皆保険が確立されているとされているが、実際は全国で約389万世帯が保険料を滞納し、保険者証を受給できない無保険者が存在している。
 この背景には、現在も国が押し進めてきている社会保障制度改革があり、この改革の特徴を端的に言えば、国の責任を縮小する一方で、負担を地方自治体と、住民の自助・共助に頼るものである。当然、国保財政は全国的にも厳しいことから、国保制度を維持するための改革は必要であるが、現在の改革は、応益負担による保険原理の強化に主眼が置かれているため、保険料を払うことができず、無保険者を生み出す構造を生み出している。これは、国民皆保険の理念の空洞化に他ならず、国民が持つ医療を受ける権利を侵すことになっているのではないだろうか。
 本稿では、国民皆保険の成立過程とその意義を踏まえ、現在の国保制度の問題点を述べる。そのうえで、現在の国保制度が成立した背景にある国の社会保障制度改革の特徴とその限界を指摘したうえで、国保制度のあり方について考えたいと思う。


2. 国民皆保険の成立過程と意義

 日本の医療保険制度が成立した経緯を振り返ると、1922年の健康保険法の成立にさかのぼる。当時、労働者が疾病した場合、国全体の労働力が低下するとして、健康保険制度が労働者を対象に始まり、後に同法の改正によって、労働者の家族まで適用範囲が広がった。労働者以外の農村や住民に対して医療保険制度は、1938年の国民健康保険法(旧国保法)によって実現し、相互扶助の意味合いから地域住民が国保組合を組織することになった。
 その後、太平洋戦争後の混乱により、相互扶助として国保制度の基盤が崩壊し、全国的に無保険者が社会問題化したことを受けて、1948年には保険者が地域住民の組合から市町村運営を原則として改正された。
 1952年のサンフランシスコ講和条約後に日本は主権を回復し、戦後復興から経済成長を実現するためには、健康な勤労者を養成するという観点から、すべての国民が医療保険に加入する国民皆保険への期待が高まった。財源については、運営主体の市町村及び世論の声を受ける形で1953年に助成交付金の名目で国保への国庫負担が実現した。
 1958年に新国民健康保険法(新国保法)が成立したことで、旧国保法において医療保険制度は相互扶助を理念としていたが、新国保法では生存権を具現化した社会保障として、その位置づけを大きく転換することとなり、国保は市町村区域内の全住民を強制被保険者とみなしたことで、1961年に国民皆保険が成立した。
 ここで国民皆保険の意義を考えるために、日本の同盟国であるアメリカと比較したい。現在のアメリカにおける医療保険制度を例に考えると、同国は日本のような公的医療保険制度が完備されていないため、各自が民間の医療保険会社と契約することで疾病に備えている。当然、民間医療保険会社と契約するためには、一定の保険料を支払う必要があるため、貧困層は医療保険に加入できず、国民の約7人に1人は無保険者である。この課題を解決するため、バラク・オバマ前大統領は、医療保険制度改革法案(オバマ・ケア法)を成立させ、公的医療保障の確立をめざしたものの、現在のドナルド・トランプ大統領は、同法の廃止を掲げているため、同国における公的医療保険制度の情勢は極めて不安定である。このようにアメリカでは経済状況によって医療を受けるハードルが高い一方で、日本では国民皆保険が基本となっているため、誰でも医療保険制度に加入することができ、一定の医療を受けることができる。
 国民皆保険が確立した日本において、初期は相互扶助の意味合いで生まれた医療保険制度であるが、新国保法の成立によって相互扶助ではなく、生存権を具現化して社会保障としての権利に変わったことの意義は非常に大きい。


3. 国保制度の問題点

 国保の被保険者は、企業に属しない自営業者や農家のための医療保険というイメージがあるが、実態は無職者が大半を占める構造となっている。2017年の厚生労働省「国民健康保険実態調査」によれば、国保加入者の43.9%が無職、次いで協会けんぽや国保組合に加入できない派遣やパートといった非正規雇用の被用者が34%となっている。このように、国保は全体の7割以上が、不安定雇用で低収入もしくは無収入な層が多いために、保険料を徴収することが困難になりやすく、国保財政が不安定になりやすい。
 自治体は国保財政の安定化を図るため、保険料の徴収率向上をめざすとともに、国保料の値上げを通じて国保財政を維持しようと試みようとするも、国保の被保険者は低所得者層が多く、保険料を払えずに滞納することになるため、根本的な解決にはつながらない。なお、保険料を納付期限後1年以上滞納した場合、自治体は保険証に代えて、「資格証明書」を滞納者に交付する。この場合、交付された人は医療機関を受診した場合、後日申請すれば、7割返金されるが、いったん医療費を全額自己負担しなくてはいけないため、受診を抑制して重篤化するリスクが存在する。この資格証明書の発行されている世帯数は、2017年で約18.3万人であり、2001年が約9.6万人であったことから比較すると、その数はこの間に増加している。 
 このように構造的に赤字になりやすい国保財政について、地方自治体は一般会計から国保特会への法定外繰入を行っており維持しているものの、自治体財政に余裕はない状況であり、この国保特会への法定外繰入については、自治体の議会等でその妥当性に疑問や批判の声も少なくない。
 国保財政の悪化原因は、国保特有の構造的要因だけでなく、国庫負担の割合を減らし、自己負担と自治体負担に転嫁してきた国の政策的要因が極めて大きい。1984年では49.8%だった国庫負担率は、2008年には25%に引き下げられている。その一方で、1984年の健康保険法改正により医療費の1割が自己負担となったことを皮切りに、1997年には、バブル崩壊後の経済悪化等を理由に、再び健康保険法を改正し2割に自己負担が引き上げられ、さらに2003年には3割と患者の自己負担は増加していった。
 本来の医療保険は、受診時の経済的負担を緩和するための制度であるが、保険料を払うことができない世帯については、受診抑制につながる仕組みとなっており、これは国保の果たす医療保障の理念に反している。次に国保制度が現在の形に変容した背景にある国の推進してきた社会保障制度改革の特徴を整理したい。


4. 社会保障制度改革の動向と特徴

 1961年に成立した国民皆保険であるが、1973年のオイルショックを契機として、日本の高度成長から低成長の時代へと移行した。今後、経済成長が鈍化して税収の伸びが見込めない一方で、高齢化が進み医療費が増大していくという課題が生じたため、国が提唱したのが、福祉サービスを個人と家族で負担を分かち合うとする「日本型福祉社会論」である。この理念は「個人の自立・自助の精神に立脚した家庭や近隣、職場や地域社会での連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な負担のもとに福祉の充実」をめざし、「真に救済を必要とするものへの福祉の水準は堅持しつつも、国民の自立・自助の活動、自己責任の気風を最大限に尊重し、関係行政の縮減、効率化を図る」こととされており、これまで確立してきた公的責任を支柱としたものから大きく転換したものとなっている。さらに、バブル経済崩壊後の90年代では、医療や介護を対象とした社会保障制度改革が本格化し、その方針は、1995年の社会保障制度審議会の「社会保障体制の再構築-安心して暮らせる21世紀の社会を目指して」と題する勧告(95年勧告)で示された。同勧告は、「社会保障制度は、みんなのためにみんなでつくり、みんなで支えていくものとして、21世紀の社会連帯のあかしとしなければならない」と国家責任よりも社会連帯を社会保障の中心に位置づけ、「国民は自らの努力によって自らの生活を維持する責任を負う」として自己責任を強調している点が特徴である。
 2001年に発足した小泉政権で示された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針(骨太の方針)」では、社会保障は「自助と自立」の精神を基本とし、地域住民、NPO、ボランティアなどの共助で補うものとされ、国や自治体の公的責任について言及がなくなった。なお、医療に関しては「骨太の方針2006」において、毎年の社会保障への国庫支出を2,200億円削減することを基本に据え、後期高齢者医療制度を含む医療制度改革法が成立した。小泉政権下の社会保障制度改革の基本的な考え方は、骨太の方針からわかるように自助・自立を強調することで、医療費の抑制・削減が一層進められている。
 2009年の政権交代によって、政権が民主党に移ったものの、国保財政が依然として厳しい状態であることから、後期高齢者医療制度の枠組みは引き継ぐ形で、市町村運営の国保を都道府県単位に移行する、いわゆる国保広域化の議論が始まる。同時に、民主党政権で始まった「社会保障・税一体改革」においても、これまでの社会保障制度改革の路線である自助・共助を踏襲するとともに、社会保障の安定財源確保のために、「広く公平に分かち合う」という観点から消費税増税を掲げている。
 2012年12月の衆議院選挙によって、3年ぶりに民主党から自民党が政権に復帰し、現在の第2次安倍政権が発足する。「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の政策」を3本柱とするアベノミクスと称し推進しているが、社会保障分野については、「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律案(プログラム法)」「医療・介護総合法」を成立させているが、これらに共通する考え方は、やはり自助・自立・共助である。公助はあくまで自助を補完するものにすぎず、後退していることがわかる。
 ここまでの社会保障制度改革の特徴は、社会保障費の抑制という点で一貫しており、社会保障の国家責任が矮小化され、自助・自立が全面に押し出され、公的責任から自己責任となりつつ方向性が見受けられる。その結果、国保財政は国庫負担を引き下げ、自己負担と自治体負担に押し付けてきた。確かに社会保障制度改革の必要性は、高齢化に伴う医療費の増大から言うまでもないが、改革の中身はひたすら削減と負担増である。そこには財政事情のみ存在し、制度の理念といった点が欠けている。国家責任の捉え方によって改革の評価は異なってくるが、次に現在の国保制度の中心的な考え方となっている保険原理を踏まえたうえで、国保制度のあり方を述べたいと思う。


5. 保険原理の限界と今後のあり方

 保険原理の特徴は、受益の範囲に応じて負担をする応益負担と、月々の保険料の範囲でサービスを受ける保険の考え方である。保険原理は社会保障制度改革の理念においても中心的な役割を果たしてきた。社会保障制度改革の理念の先駆けとなったのは、先述の「95年勧告」であり、同勧告では「社会保険は、その保険料の負担が全体としての給付に結び付いていることからその負担については国民の同意を得やすく、また給付がその負担に基づく権利として確立されており、増大する社会保障の財源としては、社会保険料負担が中心となるのは当然である」と述べられている。
 日本の社会保障制度の中心は、社会保険制度であり、その社会保険制度の基礎を作っているのが国保制度であるが、保険原理の強化によって、無保険者を生み出し、安心して医療を受けることができない状況は、国保制度ひいては、日本の社会保険制度の持続可能性を危うくさせる。
 そもそも、我々の暮らしは憲法25条の中で、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定められており、それは社会保障によって実現されるものである。しかし、日本では社会保障を受ける権利意識というものが、生活保護の受給率の低さからわかるように希薄である。
 義務を果たさない者に権利はない、といった意見が根強く存在する。しかし、社会保障をはじめ、これらの権利は義務の対価ではなく、国民は誰でも無差別平等に受けることができるものである。保険料を払えない者には給付を制限するといった保険原理に基づく国保制度は、保険料滞納者、無保険者の存在からも限界である。今一度、社会保障の理念に立ち返った政策に見直しが必要ではないだろうか。つまり、現状の国保制度における問題点を解決する有効な手段は、国庫負担をかつての水準に戻し、国保財政を安定化させ、自治体や住民ではなく、国家責任として医療保障を行うことである。


6. おわりに

 本稿では、国保制度の抱える問題点について、社会保障制度改革の動向とそこから垣間見える特徴を踏まえたうえで、これからの国保制度のあり方について検討した。国保を含めた公的医療保険については、保険原理の側面を強化し、応益負担といった自己責任を重視している。国保をはじめ、社会保障の議論には必ずついて回るのが、財源論である。もちろん、財源論を軽視するものではないが、財政事情により、これまでに培ってきた国民皆保険の理念が失われる懸念を抱いている。財源論を考えるならば、社会保障費の削減、抑制だけでなく、国全体の再分配の見直しや法人税、所得税といった税制の枠組みも含める必要があるが、国には国際競争力の強化等を理由に議論が及ぶことはない。
 また、2018年の国保広域化によって、財政運営主体が市町村から都道府県単位で広域化した場合、地域住民の意見を反映させる仕組みが確保されるか懸念が残る。すでに先行して始まっている都道府県単位で運営されている後期高齢者医療広域連合の議会についても、形骸化されている印象を受ける。国保広域化の議論は、国保制度の新たな局面であり、その動向については注視するとともに、分析が必要となるだろう。
 最後に改めて確認しておきたいのは、自治体の国保特会への法定外繰入は国庫支出の削減が原因であり、その代替的役割を自治体が担わざるを得なかった事情がある。国保の構造的問題によって、自治体が厳しい財政状況ながらも財政投入を行わざるを得なかったということを理解しておかなければならない。なぜ、国保財政が厳しくなったのかという総括がなされないまま、国保広域化の議論に移行していることに違和感を覚える。市町村から都道府県単位に移行しても、国の責任を縮小し、地方に押し付けるままでは、結局は国保制度の抱える問題点の先送りに他ならないだろう。
 相互扶助として始まった国保制度が、社会保障として公的責任となり、度重なる制度改革によって再び相互扶助として戻りつつある情勢だからこそ、自治体と住民が連帯して、医療保障の根底をなす国保制度のあり方を模索したうえで、国に国保財政における責任を持たせる運動へつなげていくことが必要だと考える。