【要請レポート】

第37回土佐自治研集会
第8分科会 市民とともに「憲法」と「平和」を考える

佐世保市における反戦平和の取り組みと行政


長崎県本部/佐世保市役所職員組合・執行委員 山口 原由

1. 佐世保市について

 佐世保市は、日本の西端に位置し、現在の人口は約25万人です。
 「平成の大合併」で計六町と合併。一時期は26万人を超える人口となりましたが、現在は減少傾向にあります。
 佐世保湾は、そのヤツデの葉のような形状と、「佐世保」の文字から、「葉港」とも言われます(「佐→サ→草冠、世、保→ホ→木」→葉)。また、外海との出入り口が1箇所しかなく、湾内の水深が深いことから、「天然の良港」として旧日本海軍が1889(明治22)年に佐世保鎮守府を設置、軍港として活用され、発展。軍港建設に伴う人口増により1902(明治35)年に市制を施行。その後、軍都として栄え、第二次世界大戦の戦線拡大に伴い、海軍工廠は増員に次ぐ増員で、艦艇の新造や破損艦艇の修理、兵器爆薬の製造に全機能を傾け、軍港、軍需補給基地として、佐世保の街は完全に戦争一色に塗り潰され、疎開前の佐世保市の人口は30数万人、海軍工廠従業員も5万人を超えたと伝えられています。

2. 第二次世界大戦における戦争被害

 佐世保の軍港としての歴史はおよそ100年に及び、戦前はアジアへの侵略拠点としての位置づけがありましたが、1945年6月28日午後11時50分過ぎ、突如141機(米軍資料)のB29が2時間で千トン余の大量の焼夷弾を投下、市内中枢が文字どおりの焼け野原となりました。死者は1,200人以上、壊滅状態でしたが実は旧海軍施設はあまり爆撃されず、戦後米軍基地施設が置かれて湾の約8割が制限水域であり、ロシア・中国などへの米軍の戦略拠点となっている状況があります。

3. 戦後の状況

(1) 米軍基地とその動向
 戦後、米軍は旧日本軍の敷地を押さえ、現在は赤崎岸壁、前畑、針尾の弾薬庫、基地、住宅、ドックなどを占有しており、大分県日出生台の自衛隊駐屯地で行われる155㎜りゅう弾砲射撃訓練等の弾薬は佐世保前畑弾薬庫から運ばれています。
 有事法制によって、「有事の際には民間も協力する」ということから、弾薬を運ぶトラックは民間の運送会社のもので、海兵隊の移動も民間機、民間バスとなっているようです。なお、大分での訓練以外でも弾薬が前畑・針尾弾薬庫から運び出されているようです。
 米軍佐世保基地の特徴としては、アメリカ本土以外で唯一の強襲揚陸艦部隊の基地であるということ。強襲揚陸艦、掃海艦が配備され、隣の西海市にはLCACが配備されています。また、太平洋の燃料・弾薬の補給・中継拠点であり、第7艦隊の艦船約70隻を3ヵ月間稼働させることができるだけの約85万キロリットルの燃料と、約4万トンの弾薬を貯蔵していると言われています。
  佐世保配備の米軍艦艇
    強 襲 揚 陸 艦 ワスプ
    ドック艦揚陸艦 グリーンベイ、ジャーマンタウン、トーテュガ
    掃  海  艦 パイオニア、パトリオット、ウォーリア、チーフ
 ワスプは、ワスプ級強襲揚陸艦の1番艦で、改修によって短距離離陸・垂直着陸が可能なステルス戦闘機F35Bの運用が可能です。
 2011年の東日本大震災による福島原発事故の際、横須賀の第七艦隊の機能を佐世保に移転させる議論があったそうです。米軍の戦略拠点としての佐世保の位置づけが垣間見える内容で、新型強襲揚陸艦の配備などで佐世保基地は前方展開基地としての機能が強化されています。

(2) 「在日米軍再編」の先取り強化
 米海軍佐世保基地はこれまでも燃料・弾薬・物資等の補給基地としての役割を担ってきましたが、その機能の維持・強化に、日本政府の「思いやり予算」がつぎ込まれています。最近では市民の要望を逆手にとった機能強化が進められ、民間岸壁との競合を避けるためとして長さ520mの新岸壁建設に約218億円、住民を危険にさらしている前畑弾薬庫を返還する、その機能を針尾島弾薬集積所へ集約近代化する計画もあり、その費用は1,000億円を下らないといわれ、外国軍隊のために弾薬庫を建設するなど近代史上例を見ないことです。このような構図は沖縄の負担軽減を口実に米軍の基地機能を本土に移転強化させようとするもので、佐世保では住民からの要望を逆手にとって「先取り的に」進められてきたといえます。

4. 米軍原子力艦船の寄港

 佐世保は、横須賀、沖縄と共に原子力艦艇が寄港します。横須賀は原子力空母ロナルド・レーガンの母港で、佐世保は原子力艦艇の母港とはなっていませんが、たびたび原子力潜水艦が寄港しています。

(1) 原子力空母の寄港
 佐世保に初めて原子力空母が寄港したのは1968(昭和43)年のエンタープライズです。エンプラ闘争として語り継がれていますが、日本国民を「慣れさせる」目的もあり、2014年8月まで15回の寄港があります。地区労は原子力空母寄港にあわせて九州ブロックまたは県内集会としての抗議集会を行っています。
 原子力空母は佐世保湾の中央に錨を降ろしますが、湾に入り錨を下ろすまでの間、海上闘争として組合員の漁船で海上デモを行い、空母の周囲を回ります。一方、湾を見下ろす場所では陸上闘争として抗議集会を開催し、寄港期間中は座り込みを行っています。
 海上抗議デモは、海上保安庁にも申請し、船の検査も受けていますが、米軍の警備艇が丸腰の抗議船団に銃口を向ける問題もありました。
 2011年4月にはワシントン、レーガンが計3回寄港しましたが、統一自治体選挙闘争の期間であり、陸上の抗議集会のみで取り組みましたが、このうちのレーガンは東北大震災への支援「トモダチ作戦」に参加していたため、「抗議に対する抗議」が地区労や社民党佐世保総支部、地区労加盟の単組に電話やファックス、メールで多数ありました。一方、トモダチ作戦に参加したレーガンが寄港した際、低レベルとはいえ放射性廃棄物を置いて行ったことは知られていません。当初外務省にも連絡はなく、その後中身を確かめることもできないまま、一部が処理されたようです。

(2) 原子力潜水艦の寄港
(原潜寄港回数)
回数回数
1964199723
1965199813
19661999
1967200014
1968200117
1969200220
1972200323
1973200417
1982200515
1983200616
1985200711
1986200811
1987200910
1988201010
19892011
1991201212
199211201311
1993102014
1994142015
1995201624
1996201726
 
 日本で初めて原子力潜水艦が寄港したのも佐世保でした。大きな議論となりましたが、現在でも寄港が続き、初回のシードラゴン以降、6月現在で通算345回の寄港です。原子力艦艇の安全性については様々に取り沙汰されていますが、2006年から2年間、原潜ヒューストンが放射能を帯びた冷却水を漏らし続けていたことを忘れてはなりません。その間、佐世保と沖縄に5回ずつ、横須賀に1回の寄港があったのです。安全神話がでたらめであること、管理体制がずさんであることが明らかになった事件でした。自治体の対応は中途半端で、当初は安全確認なしには寄港拒否との姿勢ではありましたが、なし崩し的な寄港が続いています。

(3) 原子力艦=原子力発電所
 米軍としては、佐世保が中国、ロシア、北朝鮮への抑止のために都合のよい場所にあることから、原子力艦艇の寄港など軍事的拠点としていると言えます。一方、被爆県長崎でもあり、核艦艇を佐世保に寄港させることは、市民の反応をうかがい、慣れさせる目的もあります。
 佐世保には原子力発電所はありませんが、米軍の原子力艦艇が寄港すれば、その瞬間、佐世保に「原発がある」ということになります。横須賀や沖縄も同様です。
 九州には佐賀県の玄海原子力発電所、鹿児島の川内原子力発電所の二つの原子力発電所があります。このうち佐賀県玄海町の玄海原子力発電所については、3、4号機が再稼働されましたが、福島原発と同様の事故が発生すれば、佐世保市北部は30㎞圏内に入り、50㎞圏内には市全域が入ることになります。また、風向きを考えれば、玄海原発からの放射性物質は日本全土を覆うことになります。
 国は原発事故の避難計画を各自治体や施設に丸投げしており、老人ホームなどからの避難は手段が確立していない状況なのに、避難計画は原発再稼働の判断には直接影響しないとされています。アメリカでは避難計画に実効性がなければ原発稼働は認められません。国が避難計画に責任を負わないのは「避難計画を位置付けた途端、日本では原発は建てられなくなる」からとの指摘もあります。

5. 自衛隊基地とその動向

 佐世保には海上自衛隊基地と陸上自衛隊駐屯地があり、海上自衛隊基地は、呉とともにソマリア沖派遣の自衛艦が出港する基地となっており、海上自衛隊の海外派兵の拠点となっています。

(1) 海上自衛隊の海外派兵の拠点
 2001年11月9日、米英のアフガニスタン報復攻撃を「後方支援」するために海上自衛隊佐世保基地から3隻の自衛隊艦船がインド洋へ戦時派遣され、これを皮切りにテロ特措法・イラク特措法・給油新法のもと、全国から延べ75隻の艦船が派遣されました。佐世保からは延べ27隻(延べ人員約5,200人)で全国最多。また「後方支援」の中心となる補給艦の派遣は延べ27隻でしたがそのうち佐世保からは延べ10隻で、佐世保基地が海上自衛隊海外派兵の最大の拠点となったと言えます。一方、三菱長崎造船所は、佐世保基地に配備されている護衛艦の点検修理を一手に引き受け、補完基地の役割を担っています。
 佐世保基地と呉基地に配備されている護衛艦のヘリ基地である長崎県の海自大村航空基地からは多数の哨戒ヘリコプターが海外派兵されており、大村地区労が抗議集会を開催し、県平和運動センターとともに佐世保地区労も参加しています。

(2) 日本版"海兵隊"部隊~西部方面普通科連隊から水陸機動団へ
 陸上自衛隊相浦駐屯地に、西部方面普通科連隊が創設されました。日本最初の「有事即応部隊」で、島嶼防衛を名目にしていましたが事実上、日本版"海兵隊"部隊となっていました。しかし、創設4ヶ月で3人の自殺者を出すなど、その過酷な訓練内容が問われ、国会議員の調査が入ったことがあります。
 その後、2018年3月に西部方面普通科連隊は水陸機動団へと編成されました。「島嶼防衛」とは、すなわち上陸作戦を可能としており、安倍政権は集団的自衛権の行使容認、戦争法、共謀罪など戦争できる国の法整備を行っただけではなく、実効力を持った部隊を所有し、実際に他国を侵略することが可能になっていると言えます。日米間の「動的防衛協力の促進」を具体化し、海・空に続いて、米海兵隊と陸自が海外で一体となって軍事介入できる準備が着々と進められています。
 水陸機動団の前身・西部方面普通科連隊は、年に1度、駐屯地の記念行事として三ヶ町、四ヶ町アーケードをパレードしてきました。パレードは当初は制服による国道パレードでしたが、その後アーケードに場所を移し、戦闘服に自動小銃を担ぐスタイルとなっています。「自衛隊の真の姿を市民に公表するもの」とされ、震災後のパレードでは3・11の救助、復旧に携わった隊員も参加しました。もちろん、災害救助や復旧に自らの危険を顧みることなく現地に赴いた隊員の皆さんには敬意を払うものですが、救助や復旧・復興に武器・銃器は不要です。また、名切町のスポーツクラブでの散弾銃乱射事件の後でも武装パレードは行われ、市民感情に考慮する気配はまったくなく、パレードの際に迷彩服を着て銃を担ぎ、無表情にまっすぐ前を見据えているさまは、背筋に寒いものを感じます。
 自衛隊の武装パレードに対して、その傍らで抗議集会を行いますが、自衛隊関係者もそばにおり、その中の自衛隊OBらしき男性が私たちの抗議集会に対して「平和ボケ」と毒づいた姿が印象に残っています。しかし、平和であることが一番ではないでしょうか。
 「水陸機動団」創設に対し、佐世保市長は「協力する」旨のコメントを発し、市内各地での住民との懇談会の場でも自衛隊の誘致によって人口が増える、市の経済にもプラスであるとの発言を繰り返しました。地区労は市に対して申し入れを行い、考えを質しましたが「自衛隊施設を有する自治体の長として協力する」という姿勢を言うばかりでした。
 中国や韓国の動向を注視し、尖閣諸島や竹島などを占領された場合に「奪回する」という、まさに海兵隊機能を有する部隊であり、自衛隊幹部の中でも「専守防衛の理念から逸脱しており、憲法違反である」との懸念があります。また、防衛省はオスプレイを導入するとしており、水陸機動団がオスプレイを運用することは明白です。このように様々な問題をはらむ部隊を招き入れる首長の感覚は問題と言えます。

6. 水陸機動団創設・相浦駐屯地創設記念行事

 2018年3月28日に水陸機動団創設と相浦駐屯地創設記念行事を開催することとなり、その中での「戦闘訓練展示」の予行訓練が3月17日に行われました。
 この戦闘訓練展示は、水陸機動団による島嶼奪還作戦を模したもので、F2戦闘機でいったん制圧した後に水陸機動団が上陸するといった筋書きでしたが、予行訓練においてF2戦闘機2機が相浦町、大潟町上空を5回に渡って低空飛行しました。時間帯が給食の時間であったことから、その轟音で小学校では給食を吐いた児童がいたとのことです。また、クレーン作業現場では作業合図の音が聞こえず、人命を危うくする事故が発生してもおかしくない状況がありました。その他、大人であっても何かが落ちてくると恐怖したとのことです。
 このような状況から、地区労は社民党と共に急きょ自衛隊相浦駐屯地と佐世保市に対し、「記念行事当日はF2戦闘機を飛ばすな」との趣旨で申し入れ。自衛隊は申し入れに対して受け止める姿勢でしたが、佐世保市では副市長と基地政策局長が対応し、「市民が音に慣れていないから」「自衛隊は、当日は高度を上げ、出力も落として飛ぶと言っている」という他人事の対応。米軍オスプレイでさえもこのような飛び方はしていない、実際に相浦地区の多くの市民が迷惑を被った、給食を吐いた児童はもしかしたら喉に詰まらせて万が一の事態になっていたかもしれないというのに。市民の安心安全を守るという姿勢は微塵も示さない行政への不信感がより大きくなった出来事でした。
 記念行事当日は、F2戦闘機2機が駐屯地上空を飛びましたが、何故飛んだのかわからないほどの高度で、ずいぶんと控えめでした。しかし、「戦闘訓練展示」は水陸両用車や隊員が空砲とはいえ銃を「撃ちまくり」、戦争=殺し合いを感じさせるものでした。
 それにもましてショックだったのは、訓練を見に来ていた家族の反応です。おそらくは隊員の妻子で、銃を撃ちまくる様子を見た若い母親が1~2歳の子どもに「かっこいいねー。見てごらん」と言っていたことでした。本当に戦闘の場に自分の配偶者が向かうことになったら、そんなことが言えるのでしょうか。運動会を見に来た感覚で演習を見る、その様子は、むしろ平和であるからこその光景なのかもしれません。
 集団的自衛権の行使容認、戦争法など、自衛隊員が戦場に赴く・日本が戦争する、という状況が現実味を帯びています。他国の脅威が強調され、それに呼応し「日本もやらねば」といった考えの国民も少なくないようです。しかし、自分の家族や親戚、恋人が戦場に行くかもしれないというイメージを描けているのでしょうか。自衛隊員が行けばいい、という勝手な思いではないでしょうか。「自衛隊員の命を守れ」「隊員の家族の生活を守れ」と訴えるのは、もはや平和センター勢力でしかないようです。
 オスプレイの事故率について、当初から飛躍的に事故率が上がっています。それでも防衛省はオスプレイを導入するのでしょう。戦場では「役に立たない」と言われても危険な機体を高額で導入し、それに自衛隊員を乗せるということ。そのこと自体が隊員を危険にさらすことだと言えます。水陸機動団は、移動のときから命がけと言えるかもしれません。

7. 行政の姿勢

 原子力空母寄港、オスプレイ飛来、自衛隊の武装パレード、水陸機動団設置式典の予行訓練での轟音被害など「問題」のその都度、佐世保地区労と社民党佐世保総支部が中心となって佐世保市と自衛隊相浦駐屯地などに申し入れを行っております。
 申し入れを受ける佐世保市の姿勢としては毎回「暖簾に腕押し」あるいは「われ関せず」といったところ。
 オスプレイ飛来に際しては、「米軍や国が安全と言っているから」、万が一の場合には「国が責任を負う」「米軍の訓練等に口をはさむつもりはない」。自衛隊の武装パレード等についても「手続きに誤りはない」「自衛隊がすること」「国防には協力する」。
 佐世保市長の方針としては、「市民第一主義」「市民の安心安全を守る」と言いながら、実際には「米軍第一主義」で「米軍と自衛隊の行動を守る」ことが優先されていると言わざるを得ません。特に水陸機動団設置式典の予行訓練でF2戦闘機が低空飛行を繰り返した轟音の問題については副市長対応でしたが、自分たちがその轟音を聞いていないにもかかわらず「市民が音に慣れていないから」と言うさまは腹立たしく、悔しいかぎりです。
 佐世保市の姿勢は「国に協力」「米軍には何も言うことはない」とするばかりです(その一方で、毎年行われる原子力潜水艦の事故を想定した防災訓練については「100%・絶対安全ということはない」「米軍の訓練参加を求めたい」と言う)。
 首長の姿勢や考えに対して幹部職員が何も反論せず、その部下職員は命令に従うしかない。といった状況が見えます。

8. 今後の方向性・課題

 2011年の原子力空母反復寄港のとき、市内の商店街で市民にインタビューが行われていました。原子力空母の寄港についてどのように思うか? という問いかけに対し、「いつもより大きい船が入ってきただけ……」という回答が印象的でした。また、脱原発の街頭署名に対し、原発が動かなければ停電になるから、署名はしないと言った若い母親。
 実際には、どうなのでしょうか?
 ただ大きい船が入ってきたのではなく、戦争の道具であり、原子力を動力とする艦です。また、原発が動かなくても、電力は火力発電所で賄えることが言われていましたし、太陽光発電も広がっています。少なくとも原発停止の間、計画停電が盛んに言われていましたが、1度も停電にはならず、テレビの深夜番組も止まらなかったのではないでしょうか。
 また、正しい情報を得ることの大切さが身にしみます(世界の報道の自由ランキングでは、日本は第67位です。新聞やテレビの報道が正確とは言えない状況があるようです)。
 反戦平和は日頃の生活に密着した話題ではないかもしれませんが、労働組合として、賃金労働条件の整備はもちろんですが、反戦平和等の教宣は欠かせません。
 秘密保護法、集団的自衛権行使容認、共謀罪、戦争法、水陸機動団創設、オスプレイ購入、イージス・アショア導入……。安倍政権の暴走はもはや止まる気配もありません。多くの国民が声を上げているにもかかわらず、「平和主義は崖っぷち」です。沖縄県内全ての市町の首長が参加し、10万人が集まってもオスプレイ配備は強行されました。毎週デモ行進が国会を取り囲んでも原発は再稼働される。安倍政権は国会内での数を背景に政策を押し進めています。
 国が近隣諸国との緊張を高め、武力に対して武力で対抗することしか考えないのでは「いつか来た道」に戻ってしまいます。国家間の問題は、武力ではなく外交的な努力によって解決されるべきです。
 戦後73年を迎えた2018年、これから戦後80年、戦後100年が訪れるでしょうか?
 「戦中」になっているかもしれません。
 20年後、30年後、日本はどのような社会になっているでしょうか? 「いつか来た道」を再び歩んでいるのではないでしょうか?
 私たちが、私たちの子孫にどのような社会を残し、どのような生活をさせるのか。
 徴兵制があり、米軍の戦争に巻き込まれ、地下には原発の放射能性廃棄物が埋められているような社会にならないように、方向性は今の大人である私たちのがんばり=選挙で勝つことで決まってくるのではないでしょうか。

ユネスコ憲章前文より
~戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。~