1. はじめに
本論文は、市町村で働く非正規公務員の家庭児童相談員と子どもの支援、特に子ども虐待との今後の向き合いかたについて、法改正の趣旨や厚生労働省の指針にも触れながら、その役割と機能、専門性について考察するものである。家庭児童相談室・家庭相員(大阪市では家庭児童相談員)が市町村に設置されることとなった経過や、その過程で大阪市家庭児童相談員労働組合が結成されるに至った切迫した理由については、過去の兵庫・宮城自治研集会のレポート(ⅰ)を、また非正規公務員の大阪市的な課題については佐賀自治研修会(ⅱ)の筆者のレポートを参考にしてほしい。
2. 法改正の趣旨
(1) 市町村の責務について 主な改正点
今回の法改正では、市町村(大阪市では区保健福祉センター)・都道府県(=児童相談所 大阪市では子ども相談センター)・国、地方公共団体の役割を明確にしている(児童福祉法第3条の3の1及び2)。
特に、市町村では①在宅支援の強化(児福法第10条の2)、②要保護児童対策地域協議会(要対協)(ⅲ)の機能強化(児福法第25条の2の6及び8)を強調している。加えて、都道府県(児童相談所)の権限強化によって(児福法第3条の2、第27条の1の1及び3)、子ども虐待のリスクの高い家庭への支援に力を入れるためにも、これまで児童相談所が対応していた比較的軽微な事案や、一時保護解除後や措置解除後の見守りの機関として、市町村が児童相談所からの事案委託や送致を受けるということが出てくると予想される内容を含んだ改正となっている。
このように、市町村の子ども家庭支援は、子どもの身近な生活の場で子ども虐待の発生予防と継続的な支援が図られることを期待されている。今後ますます対応件数が増え、複雑多岐化していくと予想される子ども家庭支援のために、専門性をもった職員の配置が必要となるのは想像に難くない。
そのため、要対協の調整機関として子どもの支援にあたるためには、家庭児童相談員を含めた、子ども家庭支援に関わるすべての自治体職員の専門性を高める必要がある。今回の児童福祉法の改正では、要対協の調整担当者は、専門的な知識及び技術に基づき業務にあたれる者とし、厚生労働大臣が定める基準に適合する研修を受けなければならないとしている(児福法第25条2の6及び8)。
市町村の子ども家庭相談に関わる職員の人材育成や専門職化は児童相談所よりも遅れており、今回の児福法の改正によって、ようやく、調整機関研修や児童福祉司の配置が推進されるようになったばかりだ。
実際に、大阪市でも、2017年度より要対協調整機関担当者研修や、児童福祉司の資格のない職員は区職員児童福祉司任用前研修を受講することで、専門性の向上に努めている。私たち家庭児童相談員も、区の要対協の調整機関である「子育て支援室」に所属する者として、非正規公務員や正規職員といった「身分」に関係なく、一緒に研修を受講し専門性の向上に努めている。
ちなみに、厚生労働大臣が示した 要対協の調整機関の専門職研修カリキュラム(ⅳ)は、各研修の議題を全て「子ども」としている。例えば、「児童虐待」ではなく「子ども虐待」、従来の「児童家庭相談」ではなく「子ども家庭相談」などである。これは筆者の予測だが、従来の「児童」ではなく「子ども」とすることによって、乳児・幼児・少年と18歳までのすべての子どもを指すことを明確にし、市区町村の重要な責務として妊娠期からの子育て支援「特定妊婦」を含めた総合的な「子ども」への支援に取り組むという、包括的な意味になるよう意識しているものと思われる。加えて、2019年以降に児童福祉法第10条の2に基づき、市町村に、子どもに必要な支援を行うための拠点「子ども家庭総合支援拠点(以下「支援拠点」という。)」の設置が努力義務とされており、その専門職のひとつを「子ども家庭支援員」と名付けており、児童相談所との差別化を図っていくことも予測される。
3. 法改正と市町村の関係
(1) 子ども家庭支援の機能と専門性
児福法の改正にあわせ、市町村の業務の指針(ガイドライン)が厚生労働省から出されている。原則的にはそれに添って、各自治体が実情に応じて、子ども家庭支援を行うことが期待されている。今回の指針では、市町村に求める機能と専門性について言及しているので、以下、筆者が指針を要約したものをまとめておく(表1)(ⅴ)。
表1 |
「市町村子ども家庭支援指針」(ガイドライン)2018年7月20日 p13~18 筆者作成
1 市町村に求められる機能
(1) 拠点づくりとコミュニティを基盤にしたソーシャルワークの展開
(2) 子ども家庭支援員等及び組織としてのレベルアップ
(3) 資源をつなぐ役割等
・ 市町村の強みの一つとして、その地域で子育てに係る活動を行っている団体や子ども食堂等の居場所づくりをしている団体、民生委員・児童委員(主任児童委員)等様々な地域活動をつなげる役割を果たせることがある。加えて、乳幼児が集う居場所としての市町村保健センター、地域子育て支援拠点、保育所、幼稚園、小学校、中学校等の発達段階に応じた機関を有していることである。要支援児童や要保護児童を発見しやすく、また発見した場合にいくつかの機関を結び付けて支援を複合的に行うことができる
・市町村には、そのコーディネーターとしての機能を果たすことが求められている
第一に、発達の段階に応じた縦糸としての継続的な支援(=妊娠期から子育て期までの切れ目ない支援)を行う子育て世代包括支援センターを整備し、運営していく機能が求められる
第二に、地域における横糸としての子育てに係る地域の保育所、学校、児童館、医療機関、警察、児童相談所等の様々な機関を結び付けるネットワークの構築を行い、かつ、そのネットワークの中核として支援を動的につなぐ要保護児童対策地域協議会を運営していく機能が求められる
(4) 地域づくり
(5) 常に生活の場であること
・地域は、一時保護の後戻る場所、自立後も生きていく場所であること
2 市町村の子ども家庭支援の専門性
(1) 子どもの最善の利益の尊重・子どもの安全の確保の徹底
・虐待相談などでは、子どものニーズと保護者の意向とが一致しない場合も少なくないが、このような場合には、常に子どもの最善の利益を優先して考慮し、保護者の意向にとらわれ過ぎることなく、子どもにとってどのような支援を行うことが最も望ましいかを判断基準とすべきである。
(2) 子ども及びその保護者の参加の促進
・支援計画の作成及び支援の実行は、子ども及びその保護者との協働関係を構築すること、子ども及びその保護者自身の自己肯定感と問題対応能力を高めること、子ども及びその保護者の「強み」を知り生かすこと等を促進するため、可能な限り子ども及びその保護者の参加が可能になるようになされることが重要である。
(3) 保護者の養育責任の尊重と市町村の支援義務
・市町村は、子どもの保護者が子どもを心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任(養育責任)を負うこと、子どもの保護者とともに、子どもを心身ともに健やかに育成する責任を負う(児童福祉法第2条第2項及び第3項)ことを十分自覚する必要がある。
(4) 基礎自治体としての責務
(5) 秘密の保持
(6) 家庭全体の問題としての把握
(7) 切れ目のない支援
(8) 職員としての到達目標
・子ども家庭支援に携わる職員は、子どもの権利を守ることを最優先の目的としたソーシャルワークを実践し、その一環として関係機関の連携を促進し、役割分担の依頼、調整をすることができるように研鑽しなければならない。
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ここに書かれていることの中で、市町村に求められる機能として重要なことは、以下の3点となる。
① 支援拠点に代表されるような、人的・質的な体制の強化と、福祉的側面、心理的側面、医療的側面、法的側面等様々な専門的知見を蓄積し組織としての能力の向上という点、および従来の児童相談所が持っていた経験と知識を、市町村にも、同様の知識の蓄積が求められるという点。
② 社会資源を活用と必要なネットワークの構築、子育て支援の社会資源の開発と育成、子どもの権利を守る地域文化の醸成といった地域づくり。
③ 常に生活の場であるということを意識して、公的機関の役割を果たすこと。その敷居の低さを最大限に活用しながら、育児不安に対する相談から、子どもの命に関わる緊急で重篤な相談まで、多種多様な相談に、子どもの権利を意識しながら、気軽に相談、支援を求められる場所になること。
また、相談に来る人(=支援を求めている人、求めることのできる人)への支援だけでなく、相談にはこないが、支援が必要な人にどのようにアプローチするかが課題であり、ネットワークの構築や開発、地域文化の醸成が必要とされている。
次に、市町村に求められる専門性で重要なことは、以下の3点にまとめられる。
① 児福法総則の第1条と第2条の理念が如実に反映されていること。すべての子どもが適切な養育を受け、健やかな成長・発達や自立等を保障され、子どもの最善の利益を優先することにその専門性があることは、児童福祉に関わる全ての人にとっての理念でもある。
② 保護者の養育責任の尊重という、子ども及びその保護者との協働関係、保護者と共に支援を考える姿勢である。幸せの価値観が家族によってそれぞれに違うことにも意識が必要である。しかし、子どもの養育をめぐって保護者と自治体職員で相反する場合には、「子どもの最善の利益を優先する」いう理念に基づき、行動することの重要性であろう。過度に保護者の意向に影響されない判断力、バランス感覚が重要である。
③ 自治職員だけでなく、家庭児童相談員にも必須の専門性だが、子どもに生じる問題を、家庭全体の問題として把握する、視野の広さが重要である。親子関係、夫婦関係、きょうだい関係、経済状況、養育者の心身の状態、子どもの特性といった、種々な背景要因を理解し、家庭全体の問題としてとらえることが重要。
具体的には、その家庭を総合的にみるために、家族構成、転居の履歴、結婚や離婚歴の有無、手当ての受給状況や、医療の受診状況、健診の受診歴、子どもの発達状況、保護者の疾患、家族の成り立ちをジェノグラム(家族図)を活用して把握することや、その家庭の地域の中での立ち位置、保育所や学校での様子、利用している社会資源、保護者の収入や就労、子どもの虐待の通告状況や、DVの相談履歴など、区役所ならではの強みを生かしながら、その家族を立体的に把握してみることで、その家族の課題や支援の糸口や虐待のリスク評価を可能とすること。そのためにも、多機関との連携は必須となる。
(2) 子ども虐待の緊急的課題
3の(1)では、市町村の機能と専門性について言及したが、前述の指針(ガイドライン)は、2018年3月に香川県から東京都目黒区に転居した5歳の女の子が、継父から暴行を受けて死亡した事件を受けて、児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議において決定された「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」(2018年年7月20日児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議決定)を踏まえて、2018年7月20日に再度改正されたものである。
そこでは、死亡事案を出さないために、初期対応の重要性と、転居の場合にリスクを見誤る場合があるため、転居前と後の自治体が互いに十分な連携をはかること、警察との十分な情報共有と要対協実務者会議への参画の重要性や、一緒に動くことの必要性が強調されている。
この点については、児童相談所が緊急性を認識した家庭の転居は、原則対面で引き継ぎを徹底すること、子どもと面会できなかった場合、立ち入り調査を行うなど安全確認を徹底することとしており、市町村との対応の共通性がうかがえる(ⅵ)。
指針だけでなく、筆者が実務を通じて、個人的に実感するのも、目黒区の事件が決して「他人ごとではない」ということである。ある家庭が他都市から転入してくる、又は転出するという事例は一般的な事である。もし、自分の担当する自治体に転入してきたときに、どれだけ危機感を持って引き継いだ家庭の実態をつかもうとするのか、そこには自分や一緒に働くチームの感性と想像力と経験値、組織力にかかっているであろう。実際にその家庭の問題に最初から触れ、家庭の事情や家族の人柄を知り、近隣の情報や、社会資源をどれだけ利用していたのか、親族との関係はどうなのか等をイメージできるかどうかで、虐待のリスクを察知する感度は変わってくるのも事実である。例えば、火傷についても、それを体験した人がその痛みやこわさを人に伝えても、体験をしていない人にはその真の恐怖は十分には伝わらないであろう。それでも、痛み(=虐待のリスク)を人(転出先の自治体)に伝え、相手が想像できるよう根拠に基づいた表現力を磨くしかない。そのために、リスクを共通認識するためのリスクアセスメントを行い、今後、児童相談所からの委託や送致にむけ共通アセスメントツールを作成し、一般化することで補うことも重要なのだと思う。
4. 子どもの最善の利益と国民の責務
(1) ある市民の通告から学ぶ自治体職員の姿勢
以前、ある市民から、知り合いの子どもが父親から虐待をされている、という相談をうけたことがある。もう一人の職員と一緒に話を聞いたが、赤ちゃんを連れたお母さんだった。その市民は、実名と連絡先を迷うことなく教えてくれた。他にも兄弟がおり、忙しい身だと思うが、詳細を聞くために、改めて時間の都合をつけてもらうこともあると伝えると、一瞬のためらいもなく了承してくれた。こちらも通告者の情報には、細心の注意を払っており、通告された側に知られることはなくても、家族同士が知りあいならば、だれが通告したのか分かってしまうおそれもある。相手の父親から家族に、嫌がらせや危害を加えられるかもしれないという不安もあったと思う。しかし、そのリスクがあったとしても、勇気をもって相談してくれたことは、市民・国民としての責任を果たしてくれたのだと思う。
こういった「自分が身近に知っているあの子を助けたい」という、密告ではなく「愛のある通告」に出会うことは、異なるものを排除したり、監視する意図とは違う、国民として子どもの最善の利益を守る責任を全うする市民に触れた瞬間でもあった。他にも、私の働く自治体には、おもちゃ図書館や、ボランティア、発達障がいの親の会、自分の業務を超えて、利用者の人の相談にのってくれる相談支援事業所やデイサービス、先生、親同士のつながり等がたくさんあり、一人ひとりの顔が思い浮かぶ。「最近あの子が元気ないね、大丈夫かな」「お母さんの体の調子が悪いみたい。代わりに買い物に行ってあげたよ」といったように、ある家庭の様子が、共通の話題に上るなかで、やさしい目でその家族に関わろうとする人たち。人の関係が希薄になったといわれるなかでも、地域社会のつながりがまだまだ生きている。
それぞれの生活があり、忙しく、それぞれの悩みも抱えているかもしれない。そのなかでも、誰かのためになりたいという思いに触れたとき、確かに、私は非正規公務員で待遇も悪く、しんどいことがあっても、行政という一定は守られた枠の中で、オフィシャルにこの仕事をできることは、恵まれているな、幸福なことだなと思えることがある。今の非正規公務員のおかれた立場の悪い面や、しんどい面、児童相談所や役所の相談業務の大変な面ばかりを強調するのは、物事の一側面しか語っていない。
その点で、私達の組合に直接的支援をしてくれた京都市ユニオンらくだのニュースレターの2018年7月の近藤烈さんのコラム(ⅶ)は圧巻だった。近藤さんは、京都市の児童相談所の職員だった頃に、ある施設の施設長から入所児童への性的虐待が疑われた事件(後に施設長は逮捕・起訴された)を早い段階で察知し、京都市へ公益通報したところ(この制度は通報者の身元が明かされないのが原則)、近藤さんの身元が担当の弁護士から明かされてしまい、相談記録を閲覧・流出させたことで処分され、現在係争中である。
コラムでは、(こんなことがあっても)児童相談所でもう一度働きたい、働いていた当時のことをこのように語っておられる。
「児童相談所での日々は肉体的にも精神的にもハードでしたが、仕事で何度も涙を流す経験は、後にも先にもありません。ちなみに、怒りの涙であったり、憐憫の涙であったり、感動の涙であったり」
近藤さんの感情は素直で、行政で子どもの相談にのることの意義や、働く意味を素直に表現していると思う。子どもや保護者に直接的に関わることは、大変興味深く、人の感動を揺り起こすものがあるという側面も、もっと語るべきだと思う。
しかし、こういった経験をするにも、自分の感性を鍛える余裕や、正規・非正規の身分や専門性を問わずに先輩後輩たちとの助け合いや、議論、苦労を共に経験するといったなかで、鍛えるしかない。失敗することや試行錯誤することも受け止めてもらえる土壌が職場の中に必要だ。子ども同様「安全な場所」づくりは、職場の中でも大切である。これは、今のように、情報や知識が簡単に手に入る中で、今後は他者と協力する「ソフトスキル」や批判的思考、課題を発見する思考を身に着けることの重要性とも関連している。
同じ非正規で集まって、正規職員の悪口をいって溜飲を下げることや、非正規にしかなれなかった自分は能力が低いのだと自分を責めることから、私は解放されたい。同じ職場で、正規・非正規で一緒に協力して働くことの大切さとともに、労働組合を活用しながら団体交渉をする術や、職場で仲間をつくって相談すること、批判や否定だけでなく実際的な解決策をさぐり交渉する、理不尽な扱いには抵抗する術を身につけること、そして相手の良さにも気づく、そういった自分にできることを、実践していきたい。
前述の閣僚会議では、児童福祉司を今後4年間で2,000人増やす案を策定するとなっているが(ⅷ)、同時に市町村の専門性の向上も緊急的課題である。専門性の蓄積のためには、じっくり人を育て、経験値を養えるような仕組みが必要であるし、それは支援拠点が設置される際の人員配置において、現状のような労働条件のままの非正規の配置を前提とすることの見直しを含むものでなくてはならない。まずは、今現場で働く家庭児童相談員のような非正規公務員が安心して働ける体制をつくり、大幅な待遇改善をすることが急務である。これは、2017年5月に地方公務員法、地方自治法が改正され、2020年4月に新たに「会計年度任用職員」制度が施行されることにあわせて、非正規公務員の待遇や雇用安定を図ることもセットにして、総務省と厚労省が連携して市町村の子ども家庭支援の専門性の向上を図る努力が必要となる、ということを意味する。
現状は、正規・非正規の異常な待遇格差、1年更新でいつ雇止めになるかという不安を抱えた不安定就労のなかで、人材育成されずに、結果を出すことを求められ、キャリアアップする道もない法律的な枠組みのなかで、多くの相談員が不安をかかえているというものである。事実、北九州市の区役所で働いていた子ども・家庭相談担当非正規公務員の女性が、パワハラ・過重業務でうつ病を発症し退職後に自死した事件の記事(ⅸ)は、同じ非正規の相談員として衝撃的な内容であった。このような悲劇が、二度と繰り返されないためにも、組合交渉や職場での実践とつながった適切な法改正と、それにもとづく制度と意識と実務の総合的な変革が求められている。
5. さいごに
(1) 「組織にいて、個人はどうするのかという問題」
筆者は、「自分の仕事はここまで」とか「非常勤だし」と思って、一歩踏み出す勇気がなかったり、行動する前に怖気づいたりと、自分で自分に縛りをかけていることがある。もっと創造的に、自由な発想をもって仕事ができたらいいなと思う。なぜなら、どんな組織や肩書きがあろうとも、相談に来た人に向かい合うのは「今そこにいる私」という個人の人間性にかかっているからだ。
一方で、組織のなかでの協調性、チームで協力して仕事をすることが、子ども虐待の業務が増える中での成功のカギだとも思っている。一人で責任を抱え込むことは、自分にとっても、対象となる家族にとっても得策ではない。支援者同士、それぞれ足りないところはあったとしても、いろんな人がいろんな形で「あなたの子育てを応援してるよ」と勇気づけることが大切だと感じる。そういう意味で、組織として、支援者同士が協力し合う関係は大事だと思う。一人の力でできることは、本当に限られている。
だが、時として、実際の仕事の中で「個人と組織」の間で板挟みになることもある。そして、そのことにこそ、子どもの支援をする際においての、大事な問いが隠されていると思う。つまり、私が時として非正規職員として対峙する「組織(職場)」と、支援を要する子どもと保護者が対峙する「地域社会」には共通性があるからである。素敵な人との出会いもたくさんあるが、目には見えない、組織や地域社会での同調圧力や序列化や前例主義、「適応できないのは当事者が弱いからだ」という烙印をおす視点などである。圧倒的に主流派の意見が通る社会の中で、非正規や、支援を必要とする子どもや保護者は、力関係の下部に立たされることになる。
支援する立場で、一定は守られた枠内にいる公務員の筆者でさえ、そう感じるのだから、実際に虐待リスクの高い子どもとその保護者が社会に対して感じるプレッシャーとストレスは、並々ならぬものであろう。ましてや、その家族は「完璧な家族」ではなく、それぞれの背景と事情があり、認知の偏りもある。そんな家族が、子ども虐待という事象を通じて、地域社会で他者との協力関係を築くのは本当に大変だと思う。
虐待をするような保護者は、決して特別な人ではなく、断罪することでだけでは片付かない現実がある。その後の人生に関わること、地域で「共存」するにはどうしていけばよいのか? そのときに、私が指標としていることばがある。トラウマ治療に関わっておられる精神科医の宮地尚子さんが「レジリエンス再考:虐待サバイバーとレジリエンス」という論文(ⅹ)のなかで、「レジリエンス」とは、「めげない」「めげるけど立ち直る」「へこたれない」に「しぶとい」「懲りない」という言葉を付け加えたいと提起している。「レジリエンスとは、リスクや逆境にも関わらず、良い社会適応すること(庄司順一2009)」という言葉を引用しつつも、「良い社会適応とはどういうものなのか」「どんな社会に適応するのか」がもっとも重要だからこそ「支援する援助職や専門職の側が、どれだけ優等生的、正統的な規範から自由になれるかということにも関わっている」と指摘されている。適応する社会というものを、私たち支援者がどれだけ豊かな発想で、かたち作れるのかが大切だろう。それは、日々の支援のありかたに関わっている、つまり筆者自身が日々問われているのだ。
小児科医の池宮美佐子先生も、「家族の『転機』と『決定』に注目することの大切さとともに、『一般』『普通』『常識』的対応からのズレには家族なりの『理由』があり、その『理由』は『事情』であり、そこへの共感と理解が大切」ということをおっしゃられていた(xi)。そのことばにも、宮地さんと同じまなざしがあると感じている。
つまり、「地域社会」「職場」という大きな組織に、子どもや保護者、そして筆者自身が、個人としてどう向き合うのか? ということが問われている。組織も、社会や制度もすぐには変わらないが、目の前の子どもや保護者が少しでも幸せになることや、よい社会への適応をつくっていくことに携わるなかで、その結果として少しずつ、「よい社会」が熟成されていくことを願っている。
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