【自主レポート】 |
第37回土佐自治研集会 第12分科会 新しい公共のあり方「住民協働」理想と現実 |
市民協働のまちづくりが全国各地で進められています。東松島市でも、2005(平成17)年から市民協働のまちづくりを進めてきました。東日本大震災後の防災集団移転のまちづくりも同様に進めようとしましたが、はじめは、移転者との間に深い溝ができ、まともな話し合いができませんでした。しかし、しだいに信頼関係を取り戻し対話ができるようになり、魅力あるまちづくりにつながっていきました。その経緯をレポートします。 |
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1. はじめに 2011(平成23)年3月11日(金)、東日本大震災により本市は大きな被害を受けました。
2. 新しいまちづくり (1) 集団移転団地ごとに協議会を設立 (2) ワークショップや懇談会などにより話し合い 移転団地内の道路や公園、集会所の位置・間取り、景観(街並み)を維持するためのルールなどについては、ワークショップや懇談会、意見交換会で話し合いを行いました。これらの話し合いは、多様な方が参加できるように、場所(仮設住宅集会所や新しくできた小学校の体育館など)や日程・時間帯などを変えて実施するなど工夫しました。また、徹底的に議論し、使い勝手を最優先として、特徴があり地域の魅力・シンボルとなるように整備していきました。 (3) 入居区画決め 入居区画決めも移転先によって手法が異なりました。一番特徴的だったのは、あおい(東矢本駅北)地区です。話し合いを前提とし、抽選は最後の手段として極力話し合いで区画決めが行われました。もちろん、単純な抽選より時間が掛かりましたが、大きな副産物がありました。ひとつ例を出して説明しますと、認知症を持っている家族がいる世帯が、家がわからなくなりにくい歩行者専用道路沿いの区画を希望しました。希望は数世帯が重複していましたが、ほかの希望世帯が事情を勘案してくれて譲ってくれたのです。これで、それぞれの世帯同士に良好なコミュニティが生まれることになりました。 話し合いでは、区画決めはなかなかまとまらないのではないかと危惧していましたが、心配とは裏腹に、思いやりを持って進められ、意外にも円滑に区画決めが進みました。円滑に進んだ理由を分析すると、ひとつの区画に固執していた世帯は少なく、2~3区画のほぼ同程度の希望を持った世帯が多くあったということでした。そのことで、譲り合う気持ちが芽生えたのだと思います。また、街区ごとに集まって話し合いが持たれたことで、顔合わせができ、どのような人が一緒に暮らすようになるかも見えることになり、コミュニティ形成促進の一助にもつながったのでした。 (4) 公共施設などの検討 ワークショップから出てきた意見などをもとに、部会が設けられ検討が進みました。この検討が、一番難航しました。移転者から出た意見は、ふるさとを失った喪失感を埋めるため、多種多様でそのほとんどが高水準の暮らしを求めたものでありました。一方、災害復旧費を財源としたものは、災害前にあった機能の復元が基本で、移転者の希望をはるかに下回るものでありました。移転者からの意見は、理想のまちをめざしてどんどんエスカレート、それに対して行政側は、あれもできませんこれもできませんという回答しかできず寄り添うことができませんでした。協議をしてもまったくといっていいほど進展がなく、怒号も飛び交いながらの協議の場となってしまいました。いつしか、このままでは何も進まないとの危機感が双方から生まれ、その段階でどの程度の予算や規模で事業がやれるのか教えてほしいとの意見が移転者側から出て、ありのままの予算や制約、期限などについて行政側が具体的に説明をすることになりました。説明により、移転者もその中で協議を進めなければならないと腹を括ってくれました。その後は、移転者も行政もめざしているところは、くらしの復興・ふるさとの復興であるとお互い気づき、目線を合わせて本音での話し合い、対話ができるようになりました。行政側は、素案を早めに提示し、修正可能な時期も提示、できること・できないことを明示することも心がけました。できないとの回答の場合は丁寧に説明もするようになりました。移転者も、真に必要なものの取捨選択とともに優先順位の付与、代替案の提示を行うようになり、住民同士も対話し総意形成にも取り組むようになっていきました。 これにより、使用用途によって間取りを工夫した集会所(三つの自治会でシェア)、季節が感じられるシンボルツリーがある公園、日本一の健康遊具数が備えられた公園、コンセプトがあり子どもが選択して遊べる特徴のある遊具がある公園などが誕生し、調整池の有効活用(太陽光パネルを調整池上に設置、非常時には地区の非常電源となる)も図られることになりました。 (5) 災害公営住宅の検討 災害公営住宅についても、様々な検討が行われ、移転者の意見を多く反映した住宅を建築しました。その災害公営住宅を私は「セミオーダー式災害公営住宅」と呼んでいます。戸建ての住宅では、アンケート調査を踏まえ、高齢世帯が多く望んだ平屋を増加することになりました。また、2階建て住宅には、当初設定のなかったベランダを、布団などを容易に干すことができるように追加設置することにしました。集合住宅では、エレベーターの向きを変更して、エレベーターホールスペースを生み出し、集いの場として使えるようにしました。 様々な意見を反映したのは、愛着の持てる住宅として将来の払い下げ促進や、公営住宅への切り換えを見越して魅力のある住宅にしておくべきとの意図もあったからでした。 3. 新しいまちづくりを支える体制 (1) 庁内の組織体制
(3) 情報共有の徹底 4. まとめ 住民と対話して事業を進めることは一見、とても時間が掛かってしまうように思えますが、急がば回れとのことわざがあるように、トータルで考えると実は最短の方法であると考えます。実際に、ほかの被災自治体では行政主導で進み過ぎたことで、被災住民から事業開始直前になって行政が作成した計画に対しての反対意見が大きくなり、事業が一時ストップしてしまったところもありました。 |