1. はじめに
(1) 住みたい街吉祥寺と井の頭恩賜公園
東京駅からJRで25分の吉祥寺は、多くの商業ビルとトレンドカジュアルやコスメ雑貨などの店が集まり、「おしゃれ」なイメージで毎年、住みたい街上位に選ばれている。その吉祥寺駅から歩いて5分、七井橋通りの雑踏を抜けると、日本初の郊外公園として開園した都立井の頭恩賜公園(以下、「井の頭公園」)がある。初めて江戸にひかれた神田上水、今は神田川の源流である井の頭池の水面にせり出すサクラの独特な美しさはたとえようもなく、初夏の新緑、秋の紅葉と井の頭公園は四季折々に訪れる人々の心を癒やしている。
(2) "井の頭公園の露店"と呼ばれた若者たち
1990年代、都心の駅前や広場でギターやバンド演奏等ストリートミュージシャンが流行した頃、井の頭公園にも楽器演奏やジャグリング等で投げ銭をとる大道芸とともにポストカードやアクセサリー等の手づくり品を園地に並べて販売する若者たちが出現した。彼らは"井の頭公園の露店"と呼ばれ、口コミ(当時SNSはない)で広がり、好天の週末には100人を数えることもあった。
いずれも都立公園条例で禁止されている無許可営業行為にあたるため、公園管理者である東京都西部公園緑地事務所では発見次第、注意して帰ってもらっていた。"露店"の若者たちは、公園職員の注意には従うものの「売らなくてもいい、作品を見てもらいたい」と主張する。手づくり品を通じて来園者との会話を楽しんでいるようにもみえる。
静かに公園散策したい方々から「人だかりによる通行の支障」「騒音」と苦情が寄せられる一方で、彼らを楽しみに訪れる来園者から「認めてやればいいじゃないか」と公園職員が抗議を受ける場面も起きるようになった。彼らは何度注意されても井の頭公園に通ってくる。行政の基準だけでは"露店"の若者たちを止めることはできなくなっていた。
2. 100年実行委員会と井の頭公園アートマーケッツ
(1) 井の頭恩賜公園100年実行委員会
吉祥寺周辺でも郊外の都市化が進み武蔵野の面影が失われつつある中で、豊かな水と緑が残る井の頭公園は貴重な「都会のオアシス」である。しかし、いつのまにか湧水は減少し、水は濁って外来種ばかりの池になっていた。水質浄化と水辺の再生は、井の頭公園を所管する東京都西部公園緑地事務所の積年の課題であった。
2006年7月、井の頭池の復活をテーマに画期的な試みが始まった。東京都西部公園緑地事務所が事務局となり武蔵野市、三鷹市、地元商工会やライオンズクラブ等関係団体で井の頭恩賜公園100年実行委員会(以下、「100年実行委員会」)が立ち上がり、2017年の開園100周年をめざして、地域連携・都(市)民協働による様々な事業を展開していくことになった。
100年実行委員会事業の二つの柱は、かいぼりを中心に井の頭池の水質改善や生態系の回復に取り組む「水と緑部会」と賑わい創出のイベントを手がける「賑わい部会」であり、「賑わい部会」のメイン事業が、手づくりアート&パフォーマンスに公園を提供する「井の頭公園アートマーケッツ」であった。
(2) 井の頭公園アートマーケッツ
2006年8月、"露店"取り締まりから一転、新たな制度を創ることになった。公園職員は発想を転換して、同年10月から毎週末、"露店"の若者たちと来園者との交流に着目しながらヒアリング調査を行った。
彼らは、吉祥寺と井の頭公園への愛着とこだわりをもっていた。また、テキ屋や仕切人はいない。このことは制度づくりをするうえで重要なことである。
作品は手づくりのアクセサリーやポストカードが多く、中には驚くほど精巧かつ繊細な作品や美術的に優れた絵画などもある。モノづくりの面白さを熱心に語る彼らに来園者は目を輝かせて聞き入り、会話を楽しんでいる。大勢の子どもを喜ばせ、熱心なファンに支えられた上級者のパフォーマーも誕生していた。そこには、井の頭公園が大好きなヒトたち同士のふれあい交流があった。
アートマーケッツの仕組みは、100年実行委員会が事業主催者となり、表現者(アートキャスト)の募集、登録、運営を行い、東京都から占用許可を受けて実施する。100年実行委員会は、運営経費として年1万2千円の登録料を徴収する。年間登録制としたため、アートキャストは一度登録すれば、年間の土日祝(概ね110日)、何度でも出展できる。条例の禁止行為(販売・投げ銭)を含むため本庁との調整に時間を要したが、100年実行委員会事業として時限的に実施することで了承を得た。
2007年1月、井の頭公園アートマーケッツがスタートする。
(3) アートマーケッツの理念
アートマーケッツの理念は、公園がアート表現者に一定のエリアを提供し、表現者と来園者にはアートを介してふれあい交流が育まれる。そしてその交流が賑わい創出の原点となり公園の活性化につながるというものである。表現者と来園者と公園(管理者&実行委員会)の協働でおりなすアート表現の場であることから、事業名は複数形にし、語呂がよいので「恩賜」はつけないで"井の頭公園アートマーケッツ"と名づけた。
東京都はアートマーケッツ事務局を担い、アートキャストと一緒にルールづくりを行うことにした。このため、定期的にアートキャストミーティングを開催、話し合いの場を設けた。公園管理者の論理も踏まえつつアートキャストの主体性を大事に育てて協働していくことで、やがてはアートキャスト自ら管理運営に参画するようになることをめざしていた。
3. アートマーケッツの成果
(1) 公園管理の適正化と活性化、そして協働を学ぶ
「公園管理の適正化と活性化」を図るアートマーケッツが始まると、無秩序だった"露店"の集団は整然と「ART*MRT出展登録証」を掲げて、一定のルールを守るアートキャストに転化した。登録者数は、年々増えて400人を超え、遠方、他府県からの登録者もいる。
アートマーケッツの知名度が上がり、週末の井の頭公園の風物詩として定着すると多くの来園者が訪れ、心温まるふれあい&交流が育まれ、賑わい創出とともに公園が活性化されている。アートキャストがいることで迷子や事故、遺失物の案内もできるし、無断出展や違法駐輪、ごみの投棄等を防ぐ効果もあった。
また、井の頭公園が「手づくり文化の発信基地」になり、アートマーケッツを登竜門にしてテレビ出演するようになったキャスト、二科展の特選賞受賞者や井の頭公園の公式キャラクター「ひゃくさいくん&ひゃっこちゃん」等を描いたイラストレーターなど優れた芸術家もいる。
東京都西部公園緑地事務所職員は、無許可営業行為の規制という役人的な発想から視野を広げ、事務局として懸命に制度づくりを行った。100年実行委員会、アートキャストとともに協働を学びながら、相乗効果による賑わいの創出が新たな文化、価値の創造につながることを体験することができた。
(2) 「井の頭恩賜公園100歳記念ウィーク」と「井の頭100祭」
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井の頭公園公式キャラクター ひゃくさいくん&ひゃっこちゃん |
井の頭公園は、2017年5月に開園100周年を迎えた。5月1日から7日まで東京都西部公園緑地事務所は100年実行委員会と共催で「井の頭恩賜公園100歳記念ウィーク」を開催した。小池都知事をひゃくさいくんがお出迎えで始まり、地元武蔵野市、三鷹市、ジブリ美術館、映画会社PARKS、近隣大学等と地域連携により実施した1週間のイベントは36万人の来園者を迎えて大成功した。アートキャストも企画から参画し、パンフづくり、ワークショップやステージ演奏等で大いに存在感を示している。
一方、毎年、秋に東京都西部公園緑地事務所とアートキャスト有志とで「井の頭100祭-Countdown to 2017-」を継続開催し、2017年で8回目を数えた。アートキャストは無報酬で年20回を超えるミーティングに参画し、企画・立案からポスターづくりまで地元有志、近隣大学生のボランティア等と連絡調整を行うなど、「井の頭100祭」は手づくり感あふれる協働イベントとして開催されてきた。2017年、フィナーレとなる「井の頭100祭2017」は雨天順延を乗り越えて、4万人の来園者とともに紅葉真っ盛りの井の頭公園で幕を閉じた。「100歳記念ウィーク」と「井の頭100祭」では、協働のパートナーとして成長してきたアートキャストの姿をみることができる。
4. 井の頭恩賜公園100年実行委員会の終焉
(1) 井の頭恩賜公園100年実行委員会の解散とアートマーケッツの終了
100年実行委員会は、2017年5月の開園100周年記念行事と秋の「井の頭100祭2017」、「かいぼり2017」の終了後、その目的を達成して解散する。本来、2017年度末で解散予定だったが、精算業務等のため2018年度まで存続することになり、アートマーケッツも暫定的に1年延長している。
従って、井の頭公園アートマーケッツは、2019年度から事業主催者を失うことになる。本庁との調整でも「100年実行委員会の解散とともに終了」する約束だった。
(2) アートマーケッツ存続を求める声、声、声
2015年、アートキャスト有志から「アートマーケッツをつなぐ会(アート部門)」そして「アートマーケッツ存続の会(パフォーマー部門)」結成とともに、切なるアートマーケッツ存続の要望が事務局に寄せられた。また、来園者の「続けてほしい」というメッセージに加えて今でも新規登録希望の問い合わせは数多く、100年実行委員会構成団体からも「継続すべきではないか」と応援の声が届けられ、複数の議員要望も聞こえてきた。
2016年春、東京都西部公園緑地事務所・アートマーケッツ事務局は覚悟を決めた。「アートキャストとの協働で11年続いたアートマーケッツであるから、行政の論理で一方的に終了するのではなく、アートキャストとともに考えて答えをみつけること」。
しかしながら、本庁との約束(100年実行委員会解散とともに終了)もある中で、存続できるものなのか、どのようにして存続したらよいのか、ひと言では言い表せない苦悩の日々が続いた。アートキャストミーティング、「つなぐ会」や「存続の会」でキャスト有志と本音の話し合いを重ねていく。季節限定イベント(案)も提案してみたが、アートキャストの強い意思は、"年間登録制"のアートマーケッツの存続であった。
(3) 再び本庁との調整、地元両市と協働で存続の方向性
"年間登録制"で存続させるためには、100年実行委員会に代わってキャストを登録し、占用申請する「事業主催者」が必要である。いくつかの選択肢の中で①行政同士で新たな新機構をつくる。②両市の監理団体の主催事業とする。③キャスト自らNPO等をつくり実施主体となる案が、可能性として残る。
2017年夏、改めて本庁との調整に臨む。条例の禁止行為を伴うためハードルは高いけれども、「100年実行委員会のパートナーである地元両市がアートマーケッツ存続を希望すること」「アートマーケッツの存続が地元両市のメリットになる」等の条件を示しながら存続の方向に理解を示してくれた。
2017年秋、武蔵野市、三鷹市とともにアートマーケッツ存続の方策について協議を始める。両市から「アートマーケッツは吉祥寺、井の頭公園の貴重な資源」と11年の開催実績を讃える評価をいただく。事務局が考えていた以上にアートマーケッツの存在意義、価値を認めてくれていたのである。
行政の枠組みを超えて真摯に向き合い、検討を重ねた。②の監理団体は運営実態として困難、③は時期尚早で無理、①の行政同士の新機構づくりを具体化することになった。100年実行委員会で顔を合わせ、協働の下地があったとはいえ、アートマーケッツ新機構づくりと運営は、両市職員に新たな負担(仕事)をおかけすることにもなる。それだけに「一緒に街のつながりと新しい文化を発信していきましょう」と前向きな回答をいただいた時は本当に嬉しかった。両市と同じ価値観、方向性を共有することができた。
5. 新しい協働体「アートマーケッツ運営委員会」
(1) アートマーケッツ運営委員会
2017年12月、東京都西部公園緑地事務所、武蔵野市、三鷹市とで「アートマーケッツ運営委員会」の構想案をまとめる。将来的には地元両市のイベント等に出張アートマーケッツやワークショップ等への出展を期待するものとして、両市と協働で運営する新機構とする。本庁の了承も得ることができ、足かけ2年、アートマーケッツの存続が成就した。
両市から「アートキャストが個々バラバラでは市側で管理、協力は困難。責任を持ってまとまるべきではないか」と提案され、アートキャストを個人登録から団体登録に切り替えることにする。これまで、好き勝手に出展してきたアートキャストが、まとまることができるものかどうか。2018年3月、アートキャストに「自主管理グループづくり」を提案した。すると、次の話し合いでアートキャスト有志から「アートキャスト自治会構想案」が提出され、2018年4月のキャストミーティングでキャスト有志が自ら提案、満場一致で了承された。アートキャストが独り立ちするために始動していることを感じることができた。
2019年4月、NEWアートマーケッツがスタートする。
6. おわりに
"年間登録制"により、通年アート表現を行うことができる井の頭公園アートマーケッツは、全国の都市公園で初の試みであり、他に例がない。「アートマーケッツは心の交差点」「アートを通じて、心と心のキャッチボールが楽しい」というアートキャストの笑顔が素晴らしい。
アートマーケッツ成功の鍵は、モノづくり、ヒトとの交流を楽しむアートキャストのひたむきな姿勢と行政による課題解決の限界を乗り越え、新しい文化を生み出そうとした公園職員の情熱にある。
事務局としてコーディネータ役を務めた協働事業では、行政の通常業務だけでは感じることのできない感性や知見を得ることもでき、自治体職員として一歩高い次元に認識が改まったように思う。お互いを尊重し、立場の違いを乗り越えて協力、補完し合うことで信頼関係が醸成され、プラスαの事業効果を得ることができた。
アートマーケッツの継承は、東京都、武蔵野市、三鷹市そしてアートキャストによる新しい地域連携、協働のあり方を追求したものである。
NEWアートマーケッツは、両市エリアに根ざした手づくり文化を発信する協働のツールに進化を遂げ、吉祥寺と三鷹の街のつながりを再発見し、新たな魅力向上を図るユニークな事業として継承されていくものと確信している。
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