【論文】

第37回土佐自治研集会
第12分科会 新しい公共のあり方「住民協働」理想と現実


生活レベルでの労働者同士の連帯で、
労働者が大事にされる社会の実現を

福岡県本部/福岡市職員労働組合 井上  健

1. 長引く公務員バッシング

 20世紀後半の高度成長期には景気が良く、そのため人事委員会も大幅な給与引き上げを勧告し、冬のボーナスが2回あるような気分だった、と聞いている。しかし21世紀になってからは、公務員バッシングが続いている。始まりは国家公務員キャリア組に対しての「天下り」批判や田中真紀子外務大臣(当時)による「伏魔殿」発言などだったと思うが、いつのまにか地方公務員を含む公務員一般へのバッシングにすり替えられ、今日に至っている。その間には、地方公務員の福利厚生事業への公費投入がやり玉に挙げられるなど、昔の国労潰しにも似た自治労潰しが窺われる動きもあった。
 1980年代末に労働戦線統一が果たされ、民間労組公務員組合からなる連合が発足した。今日、官民分断が企図されているとか、連合と未組織の非正規や中小との分断が狙われている、といった憶測もなされている。必ずしも景気が悪いから公務員が妬まれるということではなく、全体的に労働分配率が下がり、非正規労働者が増えたことが、安定した職と目される公務員批判の要因となっていると思われる。「お役所仕事」という言葉に象徴される公務員観も一因ではあろうが、PSIによる「質の高い公共サービスキャンペーン」だけでなく、個人情報保護制度、行政手続法、情報公開法の制定など外圧による行政サービスのありようの変化、職員研修への外部講師の多用、また、時代の変化に応じた職員の意識の変容などによって、昨今は「お役所仕事」は死語になりつつあると思われる。

2. お客様は神様か

 かつて三波春夫の「お客様は神様です」というフレーズが流行した。ステージに立つ者にとって、聴衆、観衆は神様のようなものだという趣旨だそうだが、この言葉はサービスや物を売る側にとって客は万能の神だ、なんでもいうことを聞け、といった趣旨で使われることも多い。ネットでも話題になり、この誤解が日本を駄目にする、という趣旨の本も出ているようだ。
 クレーマーやモンスターペアレントと言われる人たちはおそらく後者のようにとらえているのだろう。サービスや物の対価として金を払う。ただそれだけのこと。対価以上のサービスや物を提供する義務はない。オマケをもらったり、対価以上のサービスを受ければ気持ちが良いかもしれないが、それは求めるものではない。そもそも、物やサービスを買う側も提供する側も共に労働者。お互い様の精神で対等に付き合う風潮が必要だ。客になった時には居丈高になり、サービスや物を売る側になると卑屈になる。こんな風潮が蔓延している今日、その関係性はエスカレートしていく。労働現場での鬱憤を客になった際に晴らそうとすることになる。
 私は大学で英語の単位を落としたため第一外国語はフランス語だ。今でもラジオでフランス語講座を聞いている。多くのフランス人が放送で共通して言うことがある。タクシーに乗ったりお店で買い物をしたりする時、先ずは「ボンジュール」から、ということ。日本ではほとんどそんな光景は見ないけど、フランスではそれが当たり前なんだということ。ストライキは現在でも(民間では)可能なのに今の日本では久しく耳にしないが、フランスでは今日もストがよく行われている。他者の権利行使や権利の実現は容認すべきだという意識とともに、「お互い様」の感覚が身についているからのように思えてならない。
 「働き方改革」と称する「働かせ方改革」が進められている。国民の多くは労働者。労働者を粗末に扱う事業者・企業は生き残れない、そんな社会的風潮を作り上げなければ、働くことを軸とする共生社会は実現しないのではないだろうか。

3. 運動は人が変わり自分が変わること

 私は就職して最初の職場で部落解放運動と出会った。同和対策事業特別措置法が制定されて十数年後のことで、この法律はその後地域改善対策特別措置法(地対法)と地対財特法と名前を変えて、2002年まで続いた。部落解放運動は、社会から部落差別をはじめとする一切の差別をなくそうという社会運動だ。義務教育で部落問題学習が取り組まれるようになった初期の頃の中学生だった私だが、被差別部落の存在は自分にとって現代のものという意識にはならなかった。そこで一生懸命学習を重ねる中で触れたのが標記の言葉だった。
 戦後の日本で借り物に過ぎなかった民主主義を定着させ、平和を守り、プログラム規定とされてきた生存権を具体的権利に変えてきた労働運動。なかでも自治労は、自治研活動の中で公害問題を告発し、市民運動や社会運動と連帯して社会の変革に取り組んできた。全国的に実践されているごみの分別収集も自治研から始まったとも聞いている。連合という枠組みの中で公民連携に取り組むだけでなく、日常生活レベルでの労働者同士の連帯を確たるものにすることが今、求められていると考える。

4. 公契約条例制定要求と労働者相互の連帯

 地方自治体が外注する委託事業で、受注した事業者の従業員に一定水準の賃金を保障する公契約条例。私達の単組でも要求項目に挙げているが、なかなか前進しない。首長が理解のある人物でなければ実現しないとも思われる。この条例、安ければ良いというものではない、そこで働く労働者の生活保障をもめざすものだ。私たちは労働者であり要求する立場だが、一方で納税者でもある。委託事業者の従業員に十分な賃金が支払われることに自分たちの税金が投入されることを求めている。他の納税者もそれを容認してほしい、と訴えているものだ。その私たちは、日常生活で、飲食店等々を選ぶ時に料金の安さを主眼にしていないか? 少々高くても従業員にそれなりの賃金を払っている事業者を選ぼうとする姿勢が必要だろう。自分がしないことを人に求めることは説得力に欠ける。仕事も労組としての要求も、私生活での実践が伴って初めて説得力をもつものだと思う。差別意識を持ちながら仕事だからと啓発事業に取り組んでも、住民には届かない。

5. 終わりに

 部落差別や外国人差別、障害者差別、女性差別を平然とやる人間が、残念ながら今日もいる。しかし、時代の空気は少しずつだが変わってきている。複数の自治体で同性同士のカップルにパートナーシップ宣言を発行したりする取り組みもなされている。福岡市でも性的少数者に関わる人権啓発だけだったが、2018年4月からパートナーシップ宣誓制度が開始された。当事者たちの粘り強い訴えが共感を呼び、社会を変える力になったと信じたい。私たちもお互いに労働者、客と提供者という立場の違いはあっても対等な人間同士、お互い様という社会をいつか実現できる、そう信じたい。