【自主レポート】

第37回土佐自治研集会
地元企画分科会 「ふるさと」を次の世代へ~「犠牲者ゼロ」の防災まちづくり~

 高知県自治研究センターでは「3.11東日本大震災から高知は学ぶ」シンポジウムを2011年度から継続して開催してきた。筆者は本シンポジウムの企画及び運営を担当する中で、特に「事前復興」というテーマに着目してきた。なぜなら、「事後復興」では取り返しのつかないことが起こりうるという事を多くの出会いの中で学んできたからである。本レポートにおいてその内容を整理してみた。



自治研活動でつながる被災地と未災地の思い
―― もう1つの防潮堤の整備について思う ――

高知県本部/黒潮町職員労働組合 友永 公生

1. はじめに

 東日本大震災発災当時、私は町役場の防災担当をしていた関係で、「カツオ一本釣り漁」で黒潮町と親族関係者の多い宮城県気仙沼市に現地入り(3/17~3/24)し、親族の安否確認などを行うこととなった。被災した現場をつぶさに歩く中で「他人事ではない」と、胸が押しつぶされそうになったことを鮮明に覚えている。
 浦々の小さな漁村、風光明媚な地形、海辺の暮らし、自身が生活する町並みと似ている情景が無残に破壊されている様に「わが町が被災した」という錯覚に陥った。そして、ボロボロに傷ついた「ふるさと」を「抱きしめてあげたい」という不思議な感覚を覚えた。「地域」あるいは「ふるさと」を擬人化してとらえる感覚など、初めてであった。
 その翌年度、私は8年間携わった防災担当から異動となり、直接的に防災に関わることが無くなった。(後に全職員による「防災地域担当制」なる枠組みで地域の防災活動に携わることになるのだが……)
 そんな折、過去に別のテーマで自治研活動を共に進めてきた先輩から高知県自治研究センターが主催する「3.11東日本大震災から高知は学ぶ」シンポジウムの企画運営をしてみないかとの打診を受け、論無く引き受けた。
 自身が業務で関わった分野で、大きな宿題を突き付けられつつも直接的に向き合えぬ立場となり、ある意味消化不良な状態となっていたが、これを機に新たな役割として自治研活動のなかでその宿題に対峙することとなった。
 申し添えると、毎回レポートや論文を書き続けていることも、東北でもらった宿題を少しずつ片づけているようなものだと言えるかもしれない。

 第34回 兵庫自治研集会論文     "最悪"想定とどう向き合うか
 第35回 佐賀自治研集会自主レポート 「事前対口支援」に向けて
 第36回 宮城自治研集会自主レポート 東日本大震災と国の想定をきっかけにした黒潮町の新たなまちづくり

2. これまでの活動の経過

 これまでに7回のシンポジウムを開催した。
 県都である高知市だけでなく、中土佐町、黒潮町などに開催地を移し、より多くの県民に東北からの学びを得てほしい思いで企画・運営してきた。
 「3.11東日本大震災から高知は学ぶ」というメインテーマのもと、「逃げる」「事前復興」「災害と自治」「まちびらき」「7年目の復興」などをサブテーマとし、多くの講師やパネラーと意見を交わしてきた。
 ときには現地を訪ね歩き、「定点観測」しながら外形的な変容を追ったり、そこで暮らす方々の生活の変化、内にある思いなどに触れるうち「もっと事前にやるべきことがある」という思いが、「事前にやっておかないと取り返しのつかない道を歩むことになる」という気づきへと変わっていった。







 



3. 事前対策の必要性

 さて、「事前復興」とは、「高知県震災復興都市計画指針(手引書)【計画編】平成28年3月」によると、以下の定義がされている。

 ところで、私が見聞きした範疇だけでの整理であるが、大規模な被災後の社会は次のような課題を抱える。

① 地域の長や世話役が不在(死亡、転出、出稼ぎ)で、地域のまとまりが効率的でない
② 地権者が不在( 同上 )で工事等の用地の整理がままならない
③ 生業を失い、肉体労働の復旧作業に従事し、心身ともに疲労困憊し、会合に出る気力がない
④ 親族、資産を失い明日の暮らしが見えない中で、まちの中長期の将来像をイメージできない
⑤ ③、④の結果として、復興計画関連の会合を開いても参加者が少なく総意を図れない
⑥ 案件が多すぎ、学識「経験」者でなく、学者・識者や現場実績のない都市計画関係者が復興まちづくりのグランドデザインをリードする
⑦ 自治体職員も多く被災した場合、外部からの応援職員が町の将来像の決定をせざるを得ない
⑧ ニーズの変化と諸手続きの速度差により、国、県、市町村などの意図と住民の意向にズレが生じる

 これらは致し方ないことであるし、特に⑦など、すべてが悪い方に作用しているとは言わない。
 しかし、そこで暮らす人々が責任と誇りを持ち、主体的にまちづくりを検討し、推進していくうえの課題として認識しておくべきことだと思う。
 要は、事後ではできることが限られるし、労力もかかり、質も落ちることが多々あるという認識で被災後の地域社会を考える視点=事前復興計画などの要素が必要なのは明白ということである。


4. ふるさとはどうなる?

 ここで一つ問題提起をしたい。
 「私たちの町には美術館がありません 美しい砂浜が美術館です」
 このコンセプトで30年Tシャツアート展をはじめ、4kmのビーチを美術館に見立てたイベントを開催してきたわが町。写真の通り、海岸堤防が無く、自然の砂丘と松林が堤防機能を果たしている海岸である。
 さて、被災後、このビーチはどうなるのだろう? どういった復旧をなすべきであろう?
 同じ被害を受けないため、被災地に公共事業という名の雇用を生むため、様々な価値観が錯綜するであろう。
 また、陥没あるいは隆起により一時的に地形は変わり、砂浜は流失するかもしれない。
 こうした状況で、その時に人々は何を思い復興まちづくりを描くのだろう。

 
護岸構造物のない入野ビーチの未来はどうなる?   砂浜美術館で30年開催している「Tシャツアート展」

5. 世代責任として

 結びに、このように自治研活動を通じた交流や学びの中で、一つの答えにたどり着いた。それは、生命と財産に加え、先人から受け継いだ本質的な「地域の暮らし」を守るには、物理的でない防潮堤が必要だということ。ややもすると現世代の人間のエゴになってしまうのかもしれないが、今のうちにグランドデザインをしておくべきだということである。
 一つの方法が、事前復興計画としての位置づけであるし、もっと拘束力を持ちたいなら上位法との整理をしての条例化も案だろう。時代背景や人口規模、生活態様など、その世代にマッチする計画であるかはわからない。しかし、「ゼロ」よりはずっとましなのは言うまでもないし、現世代の思いや意図を再評価してもらうという意味も仕組みとして持たせられる。
 長い歴史の中で、あるひと時の情勢の変化や一つの出来事によって、取り返しのつかない将来を次の世代に渡さないために、暮らしの防潮堤、心の防潮堤を築くことが必要と思えてならない。
 とにかく、今できることを進めよう。それが私たちに託された役割であり、存在意義であるなら。