広域市町村圏概要図
長野県における地域総合行政
長 野 県 職 員 労 働 組 合
自治研部長 篠 田 冨 雄
はじめに
基礎的な自治体と言われている「市町村のあり方」が問われている。
今の日本において人口でいえば300万人以上の大「市」から、数百人の小「村」まで多様な形態で存在している。そしてもちろん、地形、気候などの自然条件も異なり、当然行ってる業務内容も地方自治法などの法令に規定されつつもさまざまである。
今次、地方分権一括法の施行に伴いこの基礎自治体の区分について「特例市」が新設された。これまで主として人口に着目し「政令指定都市」「中核市」という区分がされていたが、さらに小さい区分として人口20万人以上の市を格上げしたわけである。ちなみに、長野県内において中核市指定は「長野市」が受けており、特例市指定は「松本市」が受けることとなっている。そして、「政令指定都市」は該当がない。
ところで、広域的な行政を行うということで出発した「広域連合」についても全国各地で誕生しつつある。とりわけ長野県においては2000年7月に全県をカバーした全国にもまれな「きちんとした」体制が完成した。
このような中で、国と市町村の中間に位置する「都道府県」についても新しい役割が求められると言われている。
この小論文は長野県の地域総合行政について、これまでの経過をたどってみようというものである。
1. 長野県とはどういう県か
(1) 日本の屋根~長野県
長野県について、自然環境を中心にその特徴を挙げてみれば
① 本州のほぼ中央に位置し、東西約120キロメートル、南北約212キロメートルという日本で4番目に面積の広い県である。
② 3,000メートル級の山が16山もそびえ立ち、あたかも屏風のごとき県土を囲んでいる。それゆえ、市町村役場所在地も標高1,187メートルの川上村から286メートルの栄村まで存在する。長野県庁も標高372メートルで県庁所在地としては日本一高いところにある。
③ 急峻な山岳地帯ということから、日本一長い千曲川(367キロメートル)をはじめとした700本を超える河川が流れており、この数は北海道についで全国で2番目に多い。
④ 人口は1990年より増加しており現在約220万人である。(全国16番目)。
⑤ 隣接する県の数は8つあり(群馬、埼玉、山梨、静岡、愛知、岐阜、富山、新潟)この数は日本一である。
⑥ 日本有数の長寿県である。
⑦ 市町村については次のとおりである。
ア 市町村の数(2000年10月1日現在)
市が17、町が36、村が67、計120をかぞえ、北海道に次ぎ全国2番目に多い。特に村の数67は日本一多い。
イ 市町村の人口(1995年10月1日現在)
市
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30万人台 1
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20万人台 1
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10万人台 2
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10万人未満 13
(うち2~3万人台が4)
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町
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2万人台 7
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1万人台 17
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1万人未満 12
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村
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1万人台 2
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5千人台 22
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千~4千人台 38
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千人未満 5
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これら、統計的な数字とともに長野県の横顔は次のように語られている。
(2) 多極分散型の長野県
信州の峠の数は日本一である。全国の峠の数は約1万あるというのが柳田国男氏の推定であるが、長野県には491の峠が存在している。…長野県には突出した大都市がない。人口集中地区人口が30万人以上の都市が一つもない。いくつかの盆地によって生活圏が分かれており、それぞれ独自の地域性を持っている「信州合衆国」といわれるゆえんである。地域新聞の種類、発行部数も多く信濃毎日新聞、南信日日新聞などは有名である。
市川健夫氏 「信州学ことはじめ」より
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軽井沢在住の推理作家 内田康夫氏はその著書「戸隠伝説殺人事件」の中で、長野県についてこういう記述をしている。
「…長野県は東京、大阪、神奈川といった大都市を抱える自治体と異なり、山紫水明に恵まれた『観光立国』を地でいくような平和地帯に思えるけれど、行政的に見るとなかなかやりにくい面が多い。第1に広大な面積だ。北海道、岩手、福島に次ぐ第4位。しかも県北、県央、県南の3ブロックが、それぞれ個性的な民情を有してる。それは時には対立的な状況を醸し出す原因にもなる。そして、隣接県の多さは他に類を見ない。…」
つまり、長野県は多極分散型の県であり、突出した大都市を持っていない。市の数は17であるが、長野、松本でさえやっと「地方都市」と呼べるくらいである。
2. 県内の広域連合の現状
(1) 県内全域をカバーした広域連合
別添(資料1)のとおり、2000年7月1日県内全域をカバーした10広域連合が完成した。この10という地域指定は、①長野県中期総合計画、②信州ゴールドプラン21(長野県老人保健福祉計画・介護保険事業支援計画)、③第二次医療圏などさまざまな地域施策を考える場合に共通した区分となっており、その管轄区域は広域市町村圏とぴったり一致している。県庁の地域事務所ともいうべき地方事務所も10ヵ所なので、その意味では「整合性」がとれている。県の幹部も「自然にまとまりある区分ができた。」といっている。
これら、広域連合がやろうとしている主なことは次の通りである。
① ふるさと広域市町村圏計画 |
10広域連合 |
② 介護認定審査、調査 |
10 |
③ 広域的課題の調査研究 |
10 |
④ 消防事務 |
9 |
⑤ ごみ処理 |
9 |
⑥ 特別養護老人ホーム |
8 |
⑦ 職員の共同研修、人材育成、人事交流 |
7 |
⑧ 広域幹線道路網計画 |
3 |
以上の他に、以下の業務も計画されている。
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*図書館情報ネットワーク………上田広域連合 |
*公共サインの設置管理…………木曽 |
*木曽文化公園…………………木曽 |
*情報センター……………………上伊那 |
*老人保健施設…………………北アルプス |
*福祉会館…………………………北アルプス |
*救護施設………………………佐久、諏訪 |
*葬祭センター……………………北アルプス |
*公共下水汚泥集約処理施設…木曽 |
*地方拠点都市地域の振興整備…南信州 |
*人事交流の推進………………南信州、諏訪 |
*公平委員会事務…………………北信 |
*景観基本構想、広域観光振興計画…………………木曽、佐久 |
*デイサービスセンター、在宅介護支援センター…長野 |
(2) 広域連合の評価
いまのところ、この広域連合についての評価はさまざまである。
大きな問題点としては、連合長と議員が直接住民の選挙で選ばれることになっているにもかかわらず、実際は間接選挙になっている点、広域計画における市町村という基礎的自治体の権限の後退(広域連合の優先性)、将来的に見た市町村合併へのなし崩し的移行への不安などがある。
ただし、積極面としては当たり前であるが市町村をまたがる広域的な仕事ができるということ。都道府県から事務の権限委譲を要求できるということ。また、市町村合併に対する防波堤の役割を果たしているという評価もされている。
(3) 県の積極的役割
この広域連合づくりについて、長野県は積極的役割を果たしてきた。
前述したとおり、長野県は広い県土でありながら4つの平らに代表される盆地と、高い山、長い川、深い谷により仕切られる地形、県境は峠が多いという地理的条件などにより、長野県合衆国といわれるほど各地域のまとまりが認められる。それゆえ、このような状況をふまえ、長野県は市町村に対して広域連合づくりに向けての啓蒙、情報提供を行ってきた。
1996年5月には 広域行政制度研究会(長野県総務部地方課内)を発足させ、1997年3月には以下の項目を内容とした報告書をまとめている。
① 地方分権の推進、行政ニーズの広域化・高度化、小規模町村の現状
② 広域行政の概況及び問題点。一部事務組合、広域行政事務組合、市町村合併
③ 今後の広域行政推進の方向。市町村合併、広域連合制度の活用等による広域医行政の推進、一部事務組合の統合・複合化
④ 当面県がとるべき具体的な方策。情報提供の充実、広域行政推進研究会の設置、市町村・広域レベルでの動きに対する積極的支援、その他。
さらに、第2次長野県中期総合計画の 「計画推進の基本姿勢」においては、「3.分権型行政運営の推進・広域連合の充実や地域の実情に応じた自主的な市町村合併など広域行政の推進」をうたっている。
3. 県の内なる分権~長野県としての「地域総合行政」
(1) 県事務所から地方事務所へ
長野県の場合、町村の指導は昭和41年度(1966年度)以来県庁の地方課を中心に出先機関としては県事務所が担ってきた。
しかし、昭和60年(1985年)5月31日の長野県行政機構審議会最終答申により、「県事務所は発足以来専門性の強い町村指導の現地機関として一定の役割を果たしてきたが、その後の町村における事務執行体制の充実や交通通信手段の発達、各地域における総合的な対応の必要性などにより、その事務を県庁と地方事務所に移管すること。」となった。
この答申の最大の特徴は、県事務所、土地改良事務所の廃止。地方事務所の統廃合。であった。手続き的には、1985年12月県議会において可決された。
県職労としては、地方事務所が広域圏単位(全県10ヵ所)に統合されるにあたり、地域における総合的な中核機関として「総合調整機能」を従来にもまして発揮するよう、地域住民や市町村長の意向をふまえつつ県当局と交渉を重ねた。結果として、組合主張の相当部分を実現することができた。
ただ、機能強化に重点を置くあまり「人員削減」「事務所の統廃合」に対する反合理化闘争に弱点があったことは反省点とされている。
(2) 地方事務所の変遷
地方事務所は昭和17年(1942年)7月に県下16ヵ所に設置された。その後昭和43年(1968年)4月に1ヵ所が廃止となったものの、1985年まで基本的体制は維持してきた。
1985年の県下10ヵ所体制とされた地方事務所の統廃合は、実質地方事務所体制始まって以来の、つまり40年ぶりの大改革であった。
業務内容という点では総務、生活環境、税務、厚生、農政、耕地、林務、商工、建築など基本的に変化は認められない。
(3) 県職労のたたかいと地域総合行政
このとき県職労が実施した市町村長アンケート、県職員アンケート、県民シンポジウムなどにおいて次の2点が特徴的に主張された。
① 地方事務所を総合的行政ができる出先機関とすること。
② その出先機関で仕事が完結できる機構にすること。
これらの意見をふまえ、県職労として意見書を県あて提出し一定の交渉を持ったわけであるが(資料2)にあるとおり県事務所からの移行事務の中の「起債許可など財政関係」「統計業務」「税制関係の作業事務」「国民健康保険関係」については本庁の事務になってしまった。
しかし、総枠として県事務所の半分しか配置されない人員のなかで、広域行政、市町村振興計画など、いわゆる地域振興関係の事務が地方事務所におろされたことは、地域における総合出先機関としての性格をいっそうハッキリさせたものと言える。
また、「県行政の総合的な調整」という文言が入った組織規則の改正がされたことは大きな意義がある。同時に行政連絡会議設置要綱においても、地方事務所長の任務として地域における県の機関の総合調整を行うことが明文化された。(資料3)
(4) 現在の地方事務所機能
西暦2000年の現在、地方事務所の企画調整機能は15年前と比べ基本的な点は変化がない。(別添資料2~3……見え消しで訂正)
ここ15年間、地域の状況は人口の増減や高速交通網の整備、少子高齢化の進行、産業構造の変化など大きく変化してきたが、10の地方事務所が他の県の機関と同じ建物で地域行政を行う「合同庁舎」方式になっているということもあり、今のところ目立って不便という声は聞かれない。
このことは県の出先機関体制がすでに今日の「地方分権」に対応した形となっていたと言えないだろうか。組合の立場から言わせてもらえば、そのように運動し要求してきたということである。
ただ、今後はよりいっそう地域に根ざした行政体制が求められてくることは十分予測される。
4. 長野県と広域連合・市町村との関係
(1) 地方自治法上の位置づけ
都道府県と広域連合の地方自治法上的位置づけは次の通りである。
地方自治法第1条の2 |
地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。 |
② |
国の役割……略 |
第1条の3 |
地方公共団体は、普通地方公共団体及び特別地方公共団体とする。 |
② |
普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とする。 |
③ |
特別地方公共団体は、特別区、地方公共団体の組合、財産区及び地方開発事業団とする。 |
第2条 ② |
普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律またはこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。 |
⑤ |
都道府県は、市町村を包括する広域の地方公共団体として、第2項の事務で、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模または性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする。 |
第284条
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地方公共団体の組合は、一部事務組合、広域連合、全部事務組合及び役場事務組合とする。 |
第291条の2
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国は、その行政機関の長の権限に属する事務のうち広域連合の事務に関連するものを、別に法律またはこれに基づく政令の定めるところにより、当該広域連合が処理することとすることができる。 |
2 |
都道府県は、その執行機関の権限に属する事務のうち都道府県の加入しない広域連合の事務に関連するものを、条例の定めるところにより、当該広域連合が処理することとすることができる。
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(2) 業務上の連携
たとえばA地域における連携について見ると、
① 広域連合としては地域振興関係では〔ふるさと市町村圏計画〕があり、〔広域的課題の調査研究〕という業務に取り組んでいる。
② 県の出先機関である地方事務所の業務としては《市町村振興計画》および《広域行政・地域開発の連絡調整》などに取り組んでいる。
これらの取り組み主体はもちろん広域連合である。そして、県としては相談にのったり連絡調整にあたっている。
地方事務所においては、総務課企画振興係が「窓口」ではあるが各課ごと直接広域連合と連絡・連携をとることもある。
また、広域連合から地方事務所を経由せずに、直接県庁の地方課と連絡を取ることもある。
逆に市町村が直接県の各機関が連絡を取り合うこともある。
これらのことは特定の地域に限ったことではない。各地域で普通に行われていることである。
つまり、地方事務所に企画振興というセクションを設置したことにより、いちいち県庁にいく必要が少なくなり、また、県庁に比べより身近に相談できる体制ができたということが評価できるのである。
また、B地域では下記のとおり市町村・広域連合と県の地方事務所との間で連絡調整会議をもっている。
*企画課長会議
4月~今年度の事業について
7月~臨時議会議案について
8月~規約の改正について
11月~補正予算、議会議案について
12月~新年度予算について
1月~補正予算、条例改正について
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*企画係長会議
4月~今年度の事業について
9月~住民意向調査、広域計画について
11月~広域計画について
12月~広域計画について
3月~次年度ソフト事業について
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③ 観光担当者会議
5月~観光キャンペーンについて
8月~観光キャンペーンについて
2月~スタンプラリーの反省、次年度方針について
3月~スタンプラリーの次年度方針について
(3) 人的交流の実態
都道府県の特徴は基礎的自治体との違いからいえば「広域性」「専門性」「補完性」などといわれているが、分権が進んだり広域連合ができたからといって、これらの役割が消滅するわけではもちろんない。
少なくとも長野県の場合、広域連合ができたばかりということもあり、また、規模の小さい市町村が多いため、当分は市町村と広域連合の双方を相手に業務を行う必要がある。人的派遣も別紙の通り行われている。(資料4)
長野県から長野市への派遣先は、スタートして2年目の市立保健所が主である。また、市町村立病院等へ派遣されているのはほとんどが医師である。
長野県に職員を研修ということで派遣している市町村は一部事務組合を除き36自治体であり、全市町村の30%にのぼっている。これは少ない数字ではない。
(4) 知事から市町村・広域連合への委譲事務
知事から市町村・広域連合への委譲事務は436項目であり、うち広域連合へは28項目である。その内訳は、火薬類取締法および同施行令23項目、液化石油ガスの保安の確保および取引の適正化に関する法律5項目である。
広域連合に委譲される事務権限は今でこそ少ないが、広域連合が処理する事務に関連したものであれば、特に制限は設けられていない。ある意味では何でもありということも理論上は可能である。ただ、予算的、人的に制限されることは言うまでもないが、なによりも、そこに住む住民の合意が不可欠ということになる。
5. 都道府県の未来像~これからの長野県
(1) 都道府県と市町村
都道府県の位置づけは、「新」地方自治法によると、①広域的機能、②連絡調整機能、③補完的機能の3点を挙げている。
西尾勝氏によれば、これらの具体化も含め新しい機能として、④自治の防波堤、⑤市町村支援、⑥先導性、⑦総合性、⑧高度技術性、⑨媒介機能を挙げている。
これらの分類、分析の根本をつらぬくものは『市町村優先』という考え方であり、それは「住民に身近な行政はより身近な自治体で。」という「地方分権」の思想であろう。このことはもちろん間違っていないが、依然として、都道府県の存在価値は大きいと思われる。なぜなら、以下の理由で都道府県の役割は低下しない。
(2) 都道府県の役割~「広域性」「専門性」
(1)の①でいう広域的機能は、現在の二層制という形態からごく当然の分類であるが、ここでのポイントは、市町村に比べれば相対的に「広域的」という意味と市町村の枠を越えるという意味の他に、広域的な行政を都道府県自ら直接住民に対して実施するという点にある。環境行政や土木・林務行政、試験場などの業務にその色合いが強い。
②③の機能について言えば、その前段に「市町村(間)の」という文字をつけることにより意味が通じることに見られるように、主語は市町村である。が、都道府県職員の専門性の発揮により、市町村や地域住民から見れば都道府県はたくましい助っ人(サポーター)と映るはずである。
(3) 長野県の未来像
都道府県の役割や将来像を探る論議の中で、広域連合や市町村に対する県からの権限委譲が究極的に進めば県は不要になるのでは、ということがしばしば言われるが、そのような議論は長野県においては机上の空論といえる。
第一「広域的機能」は権限委譲できない。県の消滅という意味で言えば、道州制により県がなくなることの可能性の方が高いと思われる。
さらに誤解を恐れずに言えば、住民サービスの向上のために、どのような仕組みが適切かという問題意識こそ第一義的な問題であり、都道府県という枠組みをあくまで守るということが本筋ではない。
とはいえ、長野県のように市町村の数が多いうえに、規模が小さな自治体がほとんどという、多極分散型の地域においては、財政的にも人材的にも県の役割はいっそう大きい。
今後市町村の合併などにより、より大きな市町村が実現し、広域連合とともに国・県から相当の権限委譲を受けるという事態が進むとしても、市町村とともに住民サービス向上のために奮闘する県の存在意義は変わらないであろう。
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